Dritte mission: Täglich Leben und Bosheit――日常と悪意
普段と変わらぬ日々を過ごす幸太郎たち。
その裏で予想を超える事態が発生する。
11/25、一部修正。
大丈夫だろうか。
うっかり『過ち』を犯してしまっていないだろうか。
いや。美里が『過ち』を犯していないだろうか。
不安が襲う。
温もりは腕の中にある。
………
……
…
なんか変だぞ。
何というか、胸の方の温もりが直に伝わっているというか、少し胸元が涼しいというか。
「…ふみゅぅ……」
直に寝息を感じる。
目蓋を開いて何があったのか確認する。
腕の中に美里はいた。
そして俺のパジャマの上着が肌蹴ている。
寝る前に掛けたはずのボタンが全部、はずされている。
「!?」
「…スぅ……」
何故だ何故だ何故だ!なぜパジャマが肌蹴ているんだ。そりゃ直に寝息を感じるわけだ。
もしかして美里がボタンをはずしたのか!?
「…ケンくぅ…ん………すぅ…き…ぃ……」
寝言だ。典型的な寝言だ。寝言なんだろ。そうだと言ってくれ。
「……ふみゅ?おはよぉ、ケンくん……ふあぁ~っ」
美里は伸びをして欠伸を掻く。無防備な彼女のパジャマもなぜか肌蹴ていて……。
「ちょ、ちょっと、美里!?」
「ん?」
「いや、その…服……」
「ちょっと、暑かったから」
無防備すぎた。
「どうしたのケンくん?かお、あかいよ?」
「そ、その…」
ヤバい。顔が近い。
「お~い。朝食ができたぞ。起きろ」
課長の声だ。地獄に仏だ。
「あっ、はい」
ベッドから這いずるようにして出る。そうでもしないと美里を蹴ってしまう。
「美里。朝ごはんだって」
部屋を出るとき、振り返って言った。
「うん。わかった」
美里もベッドから降りると、よたよたっと歩き出す。
「大丈夫か?」
「大丈夫、へーきへーき♪……ふあぁ」
げんきそうだった美里は、欠伸をすると俺に倒れ掛かる。力が抜けてしまったらしい。
「…へーきじゃなかったかも……」
寝起きが意外と危険だということを再認識した美里だった。
*************
「お姉ちゃん、朝だよ」
「ふぅ、っくぅーん」
エミリーに起こされてベッドで伸びをする。
ダイニングに着くとセリーヌが待っていた。
「Bonjour Lady Maria, Lady Emilie.」
セリーヌはフランス語であいさつする。彼女はもともとフランス人。普段からドイツ語をしゃべっているが、結構フランス訛りが出る。彼女は大学で日本の大衆文化の研究をしていたとか。研究の内容は「過去から現在に至る日本とヨーロッパにおける大衆芸術の発展の比較」とかで、いうなれば浮世絵とか漫画文化の研究をしていたのだそう。日本語も上手だ。
「セリーヌ、ここは日本なんだから日本語で会話するってルール、忘れたの?」
席に着いてさっそく注意する。
「ふふふっ、ちょっと朝をおしゃれにしようと思っただけ」
「それで、朝ごはんは何?」
「クロワッサンとサラダにヴルスト、飲み物はカフェよ」
彼女の料理はおいしい。私は彼女のように料理ができるとは思えない。
クロワッサンを一口食べ、サラダのチコリーとトマトをフォークで刺す。
「…こんどコルドンブルーを食べたい」
エミリーはふと思い出したようにつぶやく。
「今晩のメインディッシュはそれにしましょうか。フロマージュを挟んだカツレツだったわね?」
「そう、ケーゼを挟んだシュニッツェル……」
エミリーが懐かしむように語る。そういえばエミリーの好物だったっけ。
「材料は今日買うわね。腕によりをかけて作るから、楽しみにしててね♪」
セリーヌは笑みを浮かべて朝食の席に着く。新聞には昨日起こった中国人富豪襲撃事件の記事がある。どうもドイツ語の新聞を取り扱っていないようで、英字新聞で妥協している。
「物騒ね。日本と言えば退屈するくらい危険がないのが特徴って言われてたのに」
「そうなの?お姉ちゃん」
「人を殺すのに使われるものはキッチンナイフかハンマーって国よ。その割にセクトのテロリストが国内に化学兵器工場を作ってVXやサリンガスを作ったらしいけど」
「両極端ね」
セリーヌの感想には同意する。
「そういう国よ」
「こんな国で暮らすんだね。これから」
今までちょっと荒っぽいことばかりだったから不思議に思っているかもしれない。
「そう。静かに暮らせるわ」
朝食も食べ終え、もうそろそろ着替えないといけない時間になった。二人でクローゼット部屋に入り、パジャマを脱ぐ。
「いい服着れるのかな」
「お金もあるし、探せば服ぐらい山のようにあるはずよ」
黙々とブラジャーを着ける。ブラウスに袖を通してブレザーを探しているとエミリーの少し悲しげな表情がちらりと映った。
「お姉ちゃんは、いつまでも一緒にいてくれるよね……。こんなところにいても」
エミリーは不安そうな表情で私を見つめてくる。
「当たり前でしょ。私があなたを護る。そして、あなたが私を護る」
抱きしめる。やさしく。けれども強く。
「お姉ちゃん……」
エミリーも抱き返す。
「エミリー、私は裏切らないわ。あんな女とは違う」
顔を近づける。唇同士が触れ合う。このままでいたい。そう思うが学校もある。
惜しいと思いつつゆっくりと唇を離す。
「……だから、心配しないで」
*************
「朝が早いな」
オフィスに着くとすでに蓮池が書類を眺めていた。
「妻も娘も実家に帰ってしまっているからな。何もすることがない。離婚調停の弁護士もすぐに来るようになる」
「たいへんだな」
「左遷された警察官ほど惨めな人間はいないさ。自衛官ほどガタイはよくない。官僚ほどのコネもない。社会からの信頼を失い、あとは座して朽ち果てるだけだ。警察出身ならわかるだろ?」
「君を見込んで正解だったよ。我々は『タダでは起き上がらない』人物を中心にスカウトしてきた」
そういって自分の席に座る。
「それにしても明後日北九州に行くのか」
「ああ。韓国国家情報院のフロント企業がある」
「ヤクザみたいなことするなぁ」
蓮池は驚きの表情を見せる。
「対外情報機関というものはそういうものだよ。資金作りのために薬物を売り、目標と敵対する勢力の支援のために武器を流す。CIAも昔のKGBや現在のFSB、北朝鮮の人民武力部情報総局もそうさ。ヤクザと変わらない」
常識。そう、常識だ。古今東西、あらゆる情報機関は真っ黒な方法を取ってきた。敵の機密を盗みだし、国家の安全を守るためなら、いかに非人道的な行動をとっても問題はないのだ。
「で、そいつらをどうするんだ」
「急襲、制圧の後証拠品をすべて没収し関係者を逮捕・拘束。あとは拷問して吐かせるだけだ」
ただそれだけのことだ。簡単な作戦だ。
「そんなことしたら問題に」
「我々は『存在しない存在』だ。何を言おうと証拠は存在しないし証言もさせない。訴訟も起こさせない。我々のポリシーだ」
「あんたらはなんか違うと思ったが、ここまで来たら現代の特高じゃないか」
蓮池の目線が下に向く。
「それは褒め言葉だよ。下手をしたらあの『悪名高い』特高よりあくどい事をしているものでね。我々の目的はテロの予防だ。そのためならテロリストを何百何千と殺しても構わない」
「凄まじいところに再就職してしまったらしいな」
いつの間にか煙草をくわえていた蓮池はライターを探しているようだ。背広のあちこちを探っている。
「我々の正義は今のところ敵に銃口を突きつけ、引き金を絞ることによってのみ為されるからな。君も慣れるさ。それ以外で正義を為すには金も時間もかかりすぎる」
そう。この国を変えるために私はいる。
今は亡き家族のために。私と同じような人間を作り出さないために。
*************
すでに幸太郎は席に着いていた。文庫本を読んでいるようだ。
「おはよう」
「ああ、おはよう」
「何読んでるんだ?」
「麻生幾の宣戦布告って本」
「へぇ」
何とも物騒な題名だ。
「お前たちの親戚みたいなやつらが活躍する本さ」
「てことはスパイ小説?」
「んでもって政治パニックサスペンスとでもいうのかな。政界再編前の本で公安調査庁特捜部もできていない時代のだけど、当時、有事法制の不備や防諜なんてまったく政治家は見向きもしていなかったらしいしね」
「特捜部と十三課ができていろいろと変わったのかな」
「そりゃな。中学公民の副読本にも記事が載っていたよ。概ね批判的にね」
そうなのか。何も知らなかった。
「で、霧谷は?」
「今は何処だろう?一緒に登校したんだが」
「一応彼女なんだろ。彼女ならエスコートしろよ……」
「そうだけれども」
今朝のことが頭によぎる。
「どうしたんだ?」
「いや、今朝のことを思い出して」
「何があったんだ?」
「いや。その……言いづらいんだが」
「霧谷が半裸でベッドにインしてたとか?」
「なんでピンポイントにわかったんだ!?」
少し違うがほとんどあっている。
「単純単純。美里はお前に気がある。だが距離の取り方がわからない。じゃあ強硬手段だ!ってかんじで」
「…ちょっと違うがあってると思う…」
「どこが違う?」
「寝るときに一緒に寝るって言って聞かなかった」
「うらやましいな。かわいい女の子と添い寝か」
幸太郎は少し遠い目をする。
「結構、きついんだぞ!」
本当はそこまでうれしいことじゃない。
「人にもよるが、自慢に聞こえるぞ」
「そうなのか……」
幸太郎の指摘にたじろいでしまう。
「まあ、真剣に心配しているようだしな。解決法を教えてやる!って言いたいのはやまやまだが……」
幸太郎は言葉に詰まる。
「ダメなのか」
「彼女いない歴=年齢の俺にはどうしようもないな」
「そうか……」
ああ、どうしたものか。
*************
北海道洞爺湖町ザ・ウィンザーホテル洞爺
「〈今日の商談は?〉」
白髪の目つきの鋭い男――祖首鋭は傍らにいる目つきの鋭い女性秘書――劉明菊に問いかける。
「〈室蘭で幸島興産と小火器の商談が一つあります〉」
淡々と劉が告げる。艶のある黒い髪が雰囲気を引き締めている。
「〈なるほど〉」
商談の予定を思い出すと祖はタバコを吸いたくなった。
「〈この国で火器の保有は違法なのでは?〉」
劉の言葉はもっともだ。
「〈需要はある。供給に問題があるがな。ルダックスが強制捜査を受けてはどうしようもない。それに、君の懐にもあるだろう?〉」
「〈そうでございますか〉」
紙巻きタバコに火をつけて一服する。銘柄はピース。日本のタバコの代名詞的存在だ。
「〈まったく、中南海が恋しいよ〉」
彼が普段愛煙しているタバコは中南海――中国産の高級タバコだが、持ち込んだものはすべて吸い尽くしてしまった。
「〈その煙草もいいものでは〉」
「〈甘草が足らんよ〉」
「〈そうですか〉」
メモ帳のページをめくりながら李は日程を確認する。
「〈皮肉だな。死の商人と呼ばれる私が『平和』という名のタバコを吸っているなんて〉」
「〈『幸運の命中』でも買いますか〉」
「〈ラッキーストライクか。死の商人には相応しい〉」
灰を灰皿に落とすと思案を巡らせた。
「〈だが、なぜ、室蘭なんだ〉」
「〈このホテルでは監視が厳しいからでは?〉」
「〈そういえば、彼らはマフィアだったか〉」
「〈はい〉」
「〈武器は持っているな〉」
「〈万全です。スナイパーも準備します〉」
劉は懐からグロック19を取り出す。スナイパーはユニークアルパインTPG‐1を持っているはずだ。腕利きならば一キロ先の指一本だけをやすやすと狙撃できる銃だ。
「〈よろしい。必要となれば抹殺しろ。そう必要になることもないだろうがな〉」
*************
「おお。幸太郎!今日は調子いいなぁ!」
英語の西田先生が教科書で手のひらを叩く。少々おっさん臭い若干背が低めの女の先生だ。
「そうみたいですね」
実際好調だ。不思議なくらいに
「さて、久々に紀伊の絶好調を見たが、つまりこの文の訳は『トーファーキーは菜食主義者向けに作られた七面鳥の代わりの物です』、となる。七面鳥は、アメリカで記念日に食べる特別な料理だからなぁ。そうだろ、紀伊」
「そうですね。開拓され、発見されてからずっと食用にされて、ベンジャミン・フランクリンは国鳥の候補として名前を上げています」
「そういうこと。まあ、『野菜しか食わない人も肉が恋しくなるよね♪』って理由で製造されたものだ。鳥の肉は脂肪が少ない!豆腐で再現するにはうってつけ!先生も『豚や牛じゃなくて鶏を食べなさい!痩せるから!』って夫から言われてんだ。唐揚げで食うから意味ないけどね」
教室に笑い声が漏れる。
「さて、紀伊の無駄知識コーナーも終わった。次の文を山本、できるな?」
「もちろんです」
「よし、訳せ」
映画監督のように教科書で手のひらを叩く。
「このトーファーキーの成功の後、豆腐でハムやソーセージを作るようになりました。こうじゃないですか?」
「はい、そのとおり。そういえば、このクラスにはドイツからの転入生がいるんだっけな?今度美味しいソーセージくれ」
「へ?」
ローゼンハイムは間の抜けた声を上げて呆気にとられる。
「ははは。冗談冗談。欲しいのは本当だけどな」
*************
体育の時間だ。
男女別だが、美里は大丈夫だろうか。
「河合さんが『まかせなさい』って言っていたけれど」
不安だ。ルールがわかっているだろうか。
「おーい。次のバッター神山だぞ!」
「はい」
金属バットの構えはどうしてもぎこちない。
そう、俺は今ソフトボールの試合中だ。
ボールが飛んできた。バットを振るが快音は聞こえない。
盛大に空振り三振すると、紀伊がハイタッチする。
「仇とったる」
まるで熟練バッターのような風格を醸し出している。
「なんかすごいぞ」
「どーせ格好だけだろ」
そして聞こえる快音。ボールは外野の絶妙な守備の隙間にささる。
「うおぉらぁあああ!」
幸太郎は全力で一塁に突進する。外野の状況を見ながら二塁へと進み、安全を確信してから三塁へと向かう。両足の地面との摩擦で慣性を殺して三塁に滑り込む。
「三塁打…だと……」
「いぃよっしゃ!」
歓声が上がる。どうも時と場合によっては活躍するようだ。
私たちは体育館にいた。
バスケットボールをやっているのだがまだ出番ではない。
「美里ちゃん。バスケットボールのルールわかってる?」
「一応教えてもらったけど…自信ない…」
「両手でボールをついてはいけない。一度両手で持ってからドリブルしなおしてはいけない。ただしパス回しや奪った直後に持っている場合はドリブルできる。あとボールを持って三歩以上歩けない」
念のために美里ちゃんに確認する
「大体大丈夫。ルール思い出した」
美里ちゃんの答えに安心した。手取り足取り教えるには時間がなさすぎるんだ。
「それなら大丈夫ね」
「次の試合、二人交代して!」
「はあい。行くよ美里ちゃん!」
「うん!」
座っていた私たちは立ち上がる。私はショートパンツをはたくようにして直す。
ふたりでコートに入り、試合開始のあいさつの後、思い思いのポジションに着く。
ジャンプボール直後、いきなりパスが来た。美里ちゃんがボールを受け取ると私は相手ゴールに向かって走り出す。相手チームにはローゼンハイムさん。さっきから見ていると結構いい動きをしているが、私と美里ちゃんのコンビネーションを崩せるだろうか。
一人、二人と美里ちゃんはひらりひらり、くるりくるりとディフェンスを抜いていく。
「ヘイ、パス!」
私が呼びかけると美里ちゃんは背中を通してパスする。だいぶトリッキーな手段だ。
「サンキュ!」
ドリブルでゴール目前に進むと目の前にローゼンハイムさんが立ちはだかった。
右にフェイントをかけ逆から抜こうと試みる。一瞬ローゼンハイムさんは引っかかったように見えた。だが、すぐに目の前に躍り出る。
「!?」
「パス!」
美里ちゃんが叫ぶ。チェストパスでボールを投げる。
「SchiSSe!」
ワンバウンドさせたボールはローゼンハイムさんのギリギリのところを通した。
美里ちゃんがキャッチしてゴールに投げる。
ボールがすとん、とネットを通過する。
「ゴールした!」
「すごいすごい!きれーに決まった!」
「霧谷さんやるぅ」
「河合さんかっこいい!」
「ローゼンハイムさんドンマイ」
歓声が沸く。
「まだまだいくよ!」
まだゲームは始まったばかり。逆転される可能性もある。
*************
「美里ちゃんかっこよかったぁ」
「今度秘訣教えて!」
着替えて教室に帰ってみると先に戻っていた女子が目に入った。
美里が質問攻めにされている。
「何があったんだ?こりゃ」
幸太郎の疑問も全くだ。
「それに関しては私がダメダメな下僕のために懇切丁寧に説明してあげよう」
河合さんが背後から顔を出す。
「私と美里ちゃんでバスケで得点しまくったからよ」
「なるほど。そりゃそうなるか」
二人で納得すると席に着く。
ふと思い出した用件があった。
「そうだ。河合さん、今度の日曜、うちに来てくれないかな」
「急にどうしたの?」
「いや、ここで要件は言えない」
実際重要かつ機密にかかわる要件だ。
「まさか、愛の告白?」
「そんなわけないだろ河合。こいつには霧谷がいる」
「そういえばそうね」
二人で馬鹿笑いしている。
それにしても、WLSはどうだろうか。昨日の襲撃は失敗した。次の狙いは英律慶だろうか。
*************
下校の道中。
「なんでドイツってだけでヴルストをネタにするのかしら」
マリアはそう愚痴を言った。
マリアの言葉はまあ、正論だ。
「日本人の殆どはドイツと言えば車とソーセージとベルリンの壁だからな」
と俺はマリアに言う。実際、俺も真っ先に思いつくのはこれらだ。
「酷い!」
マリアは憤慨するが
「欧米人の日本観も同じようなもんじゃないか。サムライ、ニンジャに寿司富士山」
と言ってみると
「そんなことないわ!……大抵は……」
いっきに勢いがなくなっていく。
「まあ、ステレオタイプってやつだよ」
そう結論付ける。
「むぅ~」
「どうしたの、エミリー?」
「……おもしろくない」
ツーンとした態度でエミリーは呟く。
「エミリーちゃん、そんな顔しないで。かわいいのが台無しだよ」
霧谷がそういうが、エミリーはまったく態度を変えない。前々から思っているのだが、素直じゃないなと思う。
「今日の夕飯はコルドンブルーよ。機嫌なおして」
「……わかった」
マリアの言葉で少し機嫌が戻ったらしい。
「コルドンブルーって?」
河合は聞きなれない言葉に食いついてきた。
「シュニッツェル、つまりカツレツの一種だったと思うが……」
「そうね。チーズを挟んだカツレツよ」
「おいしそうじゃない!」
河合ははしゃいでいる。
「今度お邪魔していい?」
「ん~…いいわ「ダメ!!」」
「どうしたのエミリーちゃん?」
「ダメ!!ダメなのはダメなの!!」
まるで駄々っ子だ。
「行こっ!お姉ちゃん!」
エミリーはそう言ってマリアを引っ張っていった。
「何があったんだ」
「なんかすごく怒ってた……」
まるで焼き餅。あの二人、何か怪しい。
*************
「今日は今のところWLSの襲撃はない」
「そうですか」
不思議ではない。警備は確実に強化されているだろうし、襲撃者は時間を置くことで警戒を緩めるのを待っているのだろう。
「だが、夜中に襲撃があるかもしれない」
「次の狙いは誰でしょうね」
「英律慶が最も可能性が高い」
「ですか」
「今後どう動くかはわからない。だが、北海道にいる祖首鋭は可能性が最も低い」
さすがに北海道は遠い。京都の李国明は十分可能性がある。狙うなら本州にいる三人だろう。
「そういえば、祖首鋭に動きがあった。洞爺湖町から室蘭市に移動した。どうも商談があるらしい」
「相手は?」
動きがあったとなるとやはり相手が気になる。
「幸島興産。ヤクザだな」
「武器の密輸ですか」
「まあな。祖首鋭は人民解放軍の関係者でもある。モスボール化したり、使わなくなった武器の密輸から販路を拡大した過去がある」
「なるほど」
「幸島興産の武器の購入に関しては、内偵によると、十数年前に少数のマカロフを購入したのが最後だ」
だいぶ前の商談だ。
「残ったトカレフの更新が残っているわけですか」
「そういうことだ」
*************
「お夕飯の時間よ」
セリーヌがダイニングテーブルに料理を並べる。お皿の上にはコルドンブルーと付け合せのジャガイモとニンジンがある。
「エミリー。夕飯だって」
呼びかけるとエミリーは部屋から出てきて席に着く。
「では、お祈りしましょ」
祈りの言葉を詠唱する。
「では、召し上がれ」
ソースをかけ、ナイフを入れる。
口に入れるとアツアツのチーズの味が口の中に広がる。
「どうかしら?」
「…おいしい」
「久しぶりに食べたわ」
「よかった!不安で不安でドキドキしたわ」
セリーヌの顔がほころぶ。
久しぶりだ、コルドンブルーは。
母の味だから。
憎みたい味だったから。
今まで、食べる決心がなかった。
決別しよう。忌々しい過去から。
*************
22:12 北海道室蘭市祝津埠頭
夜の闇が街を覆う。
ガラの悪い男たちが黒いスーツをまとって並んでいる。
「ありがとうな。わしらのわがまま聞いてくれて」
リーダーらしき男が訛りのある言葉であいさつする。
「お客様が望むならこれくらいのこと当然です」
祖は恭しく頭を下げる。慇懃な態度ではあるが限界までそれを隠しているようだ。
「それにしてもボディーガードが多いなぁ。昨日の事件で増やしたんか?」
「いえいえ。いつもこれくらいですよ。では早速商談としましょう」
祖は劉の持つカバンの中から書類を取り出すと男たちに手渡す。
「最近はロシアからマカロンだかマキロンだか言う拳銃が来とるんだが」
「マカロフですよ、兄貴。マカロンはお菓子でマキロンは消毒です」
幸島興産側の部下らしい男が発言を訂正する。
「わあぁとるわぁ!!新入りのくせに口挿むな!!」
「まあまあ。そう怒らず。部下は貴方をフォローしたかったのですよ」
「で、トカレフじゃ見劣りするんだよ。マカロフとトカレフじゃまるで違うからなぁ」
「なるほど。ではスタームルガーのP95はどうでしょうか。米軍にも採用された拳銃ですよ」
カタログを見せながら紹介する。
安い拳銃だが、アメリカ製というだけあって性能はいい。
「だがよ、もっとゴツイノがいいんや」
顧客の要望は多い。
「ならデザートイーグルはどうでしょう。拳銃でも最大の口径ですし、金色の物もありますよ」
.50AE弾は高くつく。今後の商売のためにもここで商談はまとめたい。
「マシンガンも欲しいんだが。九州では普通に持っとるというし」
「M4A1とG3にMP5Kはいかがでしょう。ご購入になったらトカレフ弾の使えるPP19マシンガンもお付けしますよ」
「結構値が張りそうだな」
「このプランで現金一括百万ドルでどうでしょう」
最初から準備していたプランをまとめた紙を渡す。
「八千万円か。大丈夫だ」
「くれぐれも、『物々交換』はご遠慮いたしますよ」
「わしらもクスリで払う気はせんわ」
ははは、と男は笑う。
「じゃぁの」
男たちが暗闇に消えようとしたその時、闇の中に揺らぎが見えた。
揺らぎはものすごい速度でこちらに近づいていく。気が付いた幸島興産の男たちは手にクロムメッキしたトカレフを持って揺らぎに発砲する。まるで手ごたえがない。
揺らぎが発砲する。拳銃弾の連射、機関拳銃か短機関銃だ。
傍らの劉はグロック19を引き抜くと警戒を始める。ボディーガードたちもH&K P2000を構える。
ボディーガードと劉が揺らぎに向けて発砲する。だが揺らぎには当たらない
「〈総裁、動かないでください〉」
「〈わかっている。スナイパー。片づけられるか?〉」
『〈大丈夫です総裁。すぐに片づけます〉』
スナイパーの返答は確かなものだった。
祝津公園展望台
ユニークアルパインTPG‐1を構え、テロリストを探す。暗視スコープで探すが遠くがキラキラと光っているので、たまに暗視スコープのセーフティが働いてうまく探せない。
「〈ん?なんだあれ〉」
「〈どうした?〉」
スポッターが何かを見つけたらしい。
「〈違う方向。ここから一キロ程度のところの造船所に怪しい影が見える〉」
「〈狙撃か?〉」
「〈かもしれない。…いや狙撃手だ〉」
「〈カウンタースナイプする。アシストしてくれ〉」
「〈右側だ。こちらに敵はまだ気が付いていない。早く仕留めろ〉」
「〈これくらいか〉」
二脚を置きなおして照準を直す。はっきり見える。まだ微調整が残っているが。
敵は自分たち以外の狙撃手が同じ領域を見つめていたのだ。
「〈撃った!造船所の奴が撃った!〉」
「〈まだこっちの準備ができていないっていうのに!〉」
マズルフラッシュの後に聞こえる銃声。
「〈照準器セッティング完了。仕留める〉」
静かに構える。
「〈ハートショット。エイム。撃て!〉」
引き金を絞り、.300ウィンチェスターマグナムが放たれる。
音より早く到達する弾丸は、造船所の狙撃手のバイタルゾーンを射抜く。
「〈ハートショット。成功〉」
スポッターの報告を聞きながらボルトを引き排莢する。
「〈ヘッドショット。エイム〉」
ボルトを戻して閉鎖すると、頭部に狙いを絞る。
「〈撃て!〉」
第二射が頭に吸い込まれていく。敵の狙撃手が倒れたのが見える。
「〈総裁。これから移動します〉」
『〈なにをしている!まだこちらには敵がいるぞ!〉』
「〈日本の警察は銃器に厳しいです。ばれたら危険です〉」
『〈やむを得んか。すぐに移動しろ!!〉』
遠距離からの狙撃があった。スナイパー達が仕留めたのは敵のスナイパーだったのだ。
すぐにでも目の前の敵を片づけてほしかったが狙撃手がいたのではしょうがない。
「ぎゃああああ!」
幸島興産の男たちが悲鳴を上げる。さっきから押されっぱなしだ。敵の動きは鋭く、半分素人のマフィアでは戦えそうにない。さっきの奴で三人目だ。
「〈私も応戦すべきだな〉」
懐に入れたグロック26を手に取ってスライドを引き、初弾を装填する。
「〈くたばれ殺し屋!〉」
『揺らぎ』に二発撃つ。だがまるで当たった感覚がない。
方向転換した『揺らぎ』は幸島興産の構成員に接近する。トカレフを乱射する彼らに動じる様子はなく、マガジンの交換を狙って連射する。一人、また一人と殺されていく。
「〈総裁、少し離れます〉」
「〈ああ、わかった〉」
劉は左手にもグロック19を持つ。
劉明菊が本来得意とするのは二丁拳銃だ。普段は一丁だけだが、本気の時には二丁になる。その時の彼女は余程の腕利きじゃない限り倒せまい。
マガジンをグロック18機関拳銃向けのロングマグに交換すると劉は闇の中を見据える。『揺らぎ』の動きが見える。こちらに突進してくる。互い違いに発砲する。ふらりと回避したようだが劉の目はごまかせない。敵の反応速度は若干だが落ちている。集中力が限界なのだろう。足の速さも落ちている。闇にまぎれてどこかに隠れている。
カツッ
足の音が聞こえる。左132.5度。左のグロックだけを向け三発速射する。
ズザザザッ
あわてて出てきた『揺らぎ』に正面を向き集中砲火を掛ける。予想通りの進路をとる単純な敵は9ミリパラべラム弾をバイタルゾーンに大量に喰らい、盛大に転倒した。
転んだ敵にゆっくりと近づく。だいぶ近づくが敵は呻き声を上げているだけで何もしない。
顔を覗き込んでみる。暗がりで精確な表情は見えないが、怒りと恐怖に歪んでいることだけはわかる。
「〈私たちを甘く見たわね。殺し屋〉」
もだえる敵に近づき、言う。
「〈せめてこれ以上苦しまぬようにしてやろう。せめてもの情けだ〉」
右手のグロックで頭部を二回射抜く。もだえていた敵は銃声の少し後に動かなくなった。
「〈早く撤退するぞ明菊〉」
「〈わかっております、総裁〉」
他のボディーガードたちは撤退の準備を始めている。商談に来た幸島興産の構成員の生き残りも死んだ仲間のトカレフを拾い始めている。
祖の言葉に振り返ると劉はマガジンをはずして銃とともに懐に仕舞った。
夜明けはまだ遠い。
小辞典
ユニークアルパインTPG‐1
ボルトアクションの競技用狙撃銃。
アメリカでは販売されていないがヨーロッパではそこそこ売れている。
高精度で精密な射撃ができる。
グロック19 グロック26
オーストリアのグロック社製の自動拳銃。
19がコンパクトモデルで26がサブコンパクトモデル。
優秀なストライカー式ポリマーフレーム拳銃で、拳銃の再発明とまで言われるグロック17のシリーズに連なる。
使用弾は9ミリパラべラム弾。
トカレフTT‐33
文中でのトカレフはすべてこれ。
ソ連で開発された自動拳銃で、外観は日活コルトとしても有名なコルト社のM1903、内部は同じくコルト社の超有名銃器M1911をベースとしている。
セーフティーが存在しない極めて危険な銃。
訓練された兵士に持たせることのみを考えたためで、民間に売る気のないソ連らしい設計。
おかげで、もともとタフなM1911のメカがさらにタフになった。
使用弾は7.62×25トカレフまたはマウザー。
有名な貫通力の高さは弾心を鉛ではなく軟鉄で作ったトカレフ弾のためであり、銃固有の性能ではない。
ヤクザが持っているのはもっぱら中国製54式で、ソ連製オリジナルはそこまで存在しない。
PP19
AKシリーズを基にしたサブマシンガン。
筒状のスパイラルマガジンを搭載し、高い火力を有している。
またバナナマガジンを採用したモデルも存在する。
H&K P2000
H&K社が開発したUSPコンパクトの発展改良型拳銃。
何気に日本でも警察が正式に装備している。
ドイツ警察で女性警官から不評を買ったグリップサイズを小型にして、ワルサーP99由来の交換型バックストラップを搭載した。
しかし今度は男性警官からサイズが小さすぎると注文が来たため再改良型のP30を開発した。使用弾薬は9ミリパラべラムと.40S&W。.45ACPはHK45かUSP(コンパクト).45、それかMk.23を頼るべき。