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冷戦の春  作者: 刺身


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第1話 父からのメッセージ

1947年―リスボン条約

これをもって、長きにわたる第二次世界大戦は終わりを告げた。ドイツは同盟国とともにヨーロッパに覇を唱えた。敗戦したものの本土を維持したイギリス、アメリカと英連邦各国は北大西洋条約機構を設立し、日独伊三国同盟に対抗した。その後各国は核武装を進め、冷戦と呼ばれる時代が始まった。

1965年―中央アジア危機

ドイツによる中央アジア進出の影響を受け、日独間の緊張が高まった。日独伊三国同盟の結束は崩れ、日本、ドイツ、アメリカの3大国による冷戦構造が生まれた。

「というのが戦後史の大まかな内容です。時間もちょうどいいので今日はこれまでにしましょう。お疲れ様です」

歴史教員の合図とともに、橋本春奈は荷物をまとめて席を立った。春奈は一目散に食堂へと駆けだした。食堂にはすでに多くの人が集まっている。春奈は急いでいつもの二人分の席をとった。

「春奈、いつもの持ってきたよ」

そう言って、二人分のチキンカツ定食を持ってきたのは、いつも一緒に昼食を食べている翔馬だ。春奈はブレザーにスカートの制服を着ているが、翔馬の制服はズボンスタイルだ。

「いつもありがとう、これお金ね」

春奈は翔馬に3枚の百円玉を手渡した。春奈が席を取って、翔馬がご飯を取ってくる。それが二人のいつもの役割分担だった。

「いただきます」

二人は箸を持って、カツをほおばった。こうして男女が一緒に高校で昼食が食べられるようになったのも、実はここ数十年のことだ。もともと、高校は男子のための教育機関だったが、1958年から始まる高度経済成長により女子の教育需要が高まり、多くが共学化された。翔馬が尋ねる。

「線形代数のテスト、どうだった?」

高校といっても、欧米のハイスクールとは若干異なる。6年間の小学校、5年間の中学校を経た後に進学し、中学の続きから欧米式の大学の教養課程でやるような内容まで、3年間学ぶことになる。

「楽勝だったよ」

「春奈はなんでも出来ていいなぁ...」

「いや苦手科目も普通にあるよ、物理とか」

カツを食べ、白米を口に運びながら、味噌汁を飲む。春奈は今朝のことを思い出す。

「今朝のテレビ見た?ロシアが今やばいって」

「反共ロシアのウラソフ総統が意識不明の重体って話?」

「そう、それ。統制が取れなくなって暴動が多発してるって言ってたんだよ」

反共ロシア政府―大戦後、ソビエト連邦なき広大なシベリアの統治を委任するため、日本とドイツが共同で作った傀儡政権だ。日独緊張化においては、アンドレイ・ウラソフ総統のもとで日本とドイツのバランスを保っていた。彼が意識不明の今、親日本派と親ドイツ派での内乱が加速していることが、今朝、大きなニュースになっていた。

「まあすでに70代のおじいさんでしょ?いつ倒れてもおかしくなかったけど...」

翔馬の言う通りだ。高齢に加えて、この三極冷戦下での外交となれば、心身ともに疲弊するだろう。

「まあ確かにそうなんだけど、私の父がそこで働いてて、暴動に巻き込まれていないか不安で...」

春奈の父、橋本益生は、ウラル以東のロシアで活動する日系金融会社で働いている。ウラル以東のロシアでは、ソビエト政権崩壊後、反共ロシア政府のほかにも、無数の政権が乱立し混乱している。ドイツと日本は、それらの国に自国の企業を送り込んで間接支配をしているのだ。

「そりゃ大変だね。無事だといいけど...電話番号とか知らないの?」

「仕事柄あちこち移動するものだから、電話もかけようがなくて」

「なるほどねぇ、無事だといいけど」

巷では、持ち運び可能な携帯電話なるものが開発されているらしいが、まだ商品化はされてない。

春奈は箸をおいて、手を合わせた。

「ごちそうさま」

「ごちそうさま、今日も美味しかったな」

春奈は一足早く席を立った。

「じゃあ、また明日も会いましょう」

「うん、またね」

翔馬と別れた春奈は、午後の授業を受けるため再び教室へと向かった。午後の授業は英語とドイツ語、春奈の得意科目だ。日本語、ドイツ語、英語。この三つの言語ができることが、この世界で国際人として活躍するのに必須のスキルだ。春奈はすでに、簡単な論文が読め、ネイティブと対等に会話できるくらいには、二つの外国語を身につけている。

午後の授業を終えると、春奈は校門を抜けて、学校の最寄り駅へと急いだ。ちょうど夕空は一面オレンジ色だった。春奈は学校の最寄り駅から電車に乗って、国鉄総武線との乗り換え駅で降りる。

「まもなく、4番線に総武線快速、成田行きがまいります」

東京都心から来たサラリーマン達で埋め尽くされた満員電車。春奈は体を押し込んで入っていく。ガラスの向こう側には、成田駅まで並走する総武線各駅停車が走っている。向こうの車内も満員だった。

戦後の東京は、日本のみならずアジア全体の中心都市として大いに発展した。今ではニューヨーク、ロンドン、ベルリンに並ぶ4大世界都市と言われている。東京都区部の発展は関東平野全域へと拡大し、東京と各地を結ぶ鉄道が整備された。

春奈は自宅の最寄り駅に着いた。駅構内には、大学入試の塾の広告看板が大きく掲げられる。戦後の高度経済成長に伴い、大学入試は主要な社会競争の一つになった。高校の卒業生は、九つの帝国大学をはじめとした大学に進むことが多い。春奈は自分の将来を想像して心躍らせながら、自宅へと歩いた。

「ただいま!」

春奈は革靴を脱いで、玄関からリビングへ行く。

「お帰り、春奈」

リビングのドアを開けると同時に、母の声が聞こえた。

「晩御飯はもう出来てるわよ」

テーブルの上には、パスタやサラダなどの、洋風のご飯が並んでいる。ゆでたてのパスタの香りが部屋に充満している。春奈はブレザーを脱いでハンガーにかけて、席に座る。春奈はフォークを回してパスタを絡めて、口に入れる。和食もいいが、洋食も捨てたもんじゃない。母も席について、ともに晩御飯を食べる。

「あの人、大丈夫かしら」

「父さんのこと?」

「うん、多分今暴動が起きてるところあたりだよね。働いてるところ。テレビで見る街も大変なことになってて、不安でしょうがなくて」

春奈は少し得意げに語りだす。

「まあ確かにそうだけど、父さんが単なる労働者ならそこまで危険じゃないんだよ。問題は、シベリアの日系金融企業の高級職員なんて半分日本政府の―」

ジリリ…ジリリ…。春奈の話を遮るように、黒電話のベルがリビングに響く。春奈はすぐ席を立って、受話器をとる。

「もしもし、こちら橋本益生。春奈か?春奈じゃなかったら春奈に変われ」

「うん、私だけど。そっちは大丈夫?父さん」

「まあ、大丈夫ではねえな。おい、この音、母さんには聞こえてねぇよな?」

「うん、問題ないよ」

「わかった。単刀直入に話すと、俺はとんでもねぇ情報を手に入れちまった。この電話ですら傍受されてたらまずい。ここでは言えないのだが」

「...うん」

唐突な話に困惑してしまったが、春奈は固唾をのんで、父の言葉の続きを待った。

「俺がこの情報を公表しようもんなら、俺もお前らも全員消される、死体すら残らずな」

「消さ...本当にそんなことが」

春奈は、自分の声が母にも届いていることを思い出しながら、慎重に言葉を選んだ。

「そうさ、世界がひっくり返るレベルの情報だからな、公表すれば何が起きるか想像もできん。俺もいつ誰に狙われてもおかしくない」

「父さん...」

春奈は小さな声でつぶやいた。

「おい、母さんにかわってくれるか?」

「うん、母さん!」

春奈は受話器を母に手渡した。

「そんな、嘘でしょ」

父の声は聞こえないが、母の目に涙がうかんでいる。

「ありがとう、私もよ...」

母は涙をうかべながら、春奈に受話器を返してきた。

「春奈、最後に言いたいことがあるって」

春奈は小さくうなずき、受話器を手に取った。母は春奈から少し離れた。

「俺はもう家に帰れないかもしれない」

「うん...」

春奈は涙をこらえ、落ち着いて話を聞こうとしている。

「ただな、これから話すことは母さんには秘密にしてほしいんだが―春奈、お前に頼みがあるんだ」


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