第9話 フィールドテスト
次に目を開けた時には、部屋の空気がほんのりぬるかった。
カーテンの隙間から差し込む光は、さっきよりずっと強い。
スマホを見ると、画面には「14:12」の数字。
(ガッツリ昼じゃん……)
《睡眠時間、約四時間二十三分》
(ぜんぜん寝れてないじゃん)
身体は鉛みたいに重いのに、頭のどこかだけが妙に冴えている。
シャドウドッグ戦と、六畳一間カミングアウト会議のせいだ。
上半身を起こすと、出汁と醤油の匂いが鼻をくすぐった。
「……なんですかこの、人間の住処みたいな匂い」
「ほめ言葉として受け取っておく」
キッチンでは、ミサキがジャージ姿のままフライパンを振っていた。
テーブルには白米と味噌汁、焼き鮭と卵焼き。
「え、ちゃんとした昼飯だ……?」
「徹夜明けにカップ麺はやばいでしょ。こっちもお腹空いたし」
「白神さんって、意外と家庭力高いですよね?」
「生活力と言え。……その前に、健康チェック」
「ですよねー」
◇
テーブルの上に、小さな機械が並んだ。
体温計と、腕に巻く簡易血圧計。
それから、カードサイズの透明なプレート。
「それ、なんです?」
「簡易魔力スキャナ。指を載せると、“魔力の濃さと揺れ”がだいたい分かる」
言われるままに体温と血圧を測り、最後にプレートの上に指を載せる。
透明の中に、うっすら青い光が広がった。
《外部計測機器による魔力測定を検知》
(変な細工すんなよ? バレたら即隔離だかんな?)
《異常な干渉は行いません》
「はい、オッケー」
数秒後、ミサキが頷いた。
「体温平熱、血圧やや低め。魔力値は――ちょっと高めだけど、“ハンター候補強め一般人”くらい」
「“強め一般人”って何ですか」
「少なくとも、“今にも暴走しそう”って値ではないってこと。ただし、スキル使った直後はまた測る」
「はい……」
◇
チェックが終わると、「いただきます」になった。
味噌汁をひと口すすって、思わず声が出る。
「……うま」
「出汁パックと味噌溶いただけだよ」
「でも、ちゃんと味噌汁の味します」
「最低ラインの褒め方しないで」
鮭も卵焼きも、あっという間に胃に消えていく。
《胃内温度上昇》
(飯の実況いらない)
「食欲はあるね」
「あります。身体より胃が元気です」
「じゃあ午後の聞き取りも、途中で寝落ちしないね」
「……やっぱ来るんですね、聞き取り」
「来る。メール来てた。“15時からオンラインで15分”」
例の「足元が石になる動画」が頭をよぎって、胃がまたキュッとなる。
◇
十五時ちょうど。
ボロスマホが、ビデオ通話の着信で震えた。
表示は「DDAオンライン聞き取り窓口」。
「はい、予定通り、“よく分かってない一般人モード”でお願いね」
「了解です、“監視役に台本渡された感”は消しておきます」
通話ボタンを押す。
画面に映ったのは、三十代くらいの男性だ。
眼鏡に白シャツ、ネクタイゆるめ。いかにも事務方。
『初めまして、ダンジョン対策庁・分析課の高城です。天城さん、聞こえますか?』
「あ、はい。大丈夫です」
『昨夜は大変でしたね。体調は?』
「まぁ、その……眠いです」
『ですよね』
高城さんは少し笑ってから、すぐ真面目な顔に戻った。
『簡単に確認させてください。昨夜、白神ハンターと一緒に小規模ダンジョンの現場に向かった。そこで漏出魔物と遭遇し、その際に“足元が石に変わる現象”が確認された――ここまでは報告の通りで?』
「はい。俺自身も、何が起きたのか正直よく分かってなくて」
『その時の感覚を、思い出せる範囲で教えてもらえますか』
「子どもが落ちそうになってて、とっさに手伸ばして。“届かないかも”って思った瞬間、足元がズブッて沈んで、気づいたら石の床になってました」
『その現象を、“自分で起こした”感覚はありましたか?』
「……“起きろ!”って祈ったら起きたような、“勝手に身体がやった”ような。そのくらいです」
『曖昧ですね』
「俺も曖昧です」
『その後、体調の変化や、身体の一部が熱くなる感覚は?』
「特には。ただ、終わったあとどっと疲れました。全力ダッシュしたあと、みたいな」
『スキル発現直後の疲労感としては、よくあるパターンです』
『最後に一つ。天城さんは、自分の身に起きたことを“怖い”と感じますか?』
その質問だけ、トーンが少し落ちた。
「……怖いです。正直」
『ですよね』
「でも、さっきみたいに、人を助けられるなら……完全に“いらない”って言い切るのも、ちょっと違うのかなって」
ユウトの顔と、泣きながら頭を下げてきた母親の姿が脳裏をよぎる。
『ありがとうございます。率直な感想、とても参考になります』
高城さんは、そこでようやく笑った。
『当面、天城さんは“未知の空間操作系スキルの可能性あり”という扱いになりますが、日常生活はこれまで通りで構いません。もちろん、白神ハンターの指示には従ってくださいね』
「はい。従います」
『では、何か大きな変化があったらすぐに連絡を。こちらからも、定期的に聞き取りさせてもらうかもしれません』
「分かりました」
通話が切れると、部屋の空気が一気にゆるんだ。
「……思ってたより、“それっぽい質問”、少なかったですね」
「分析課も人手不足だからね。あんまり深掘りすると、自分たちの仕事増えるし」
◇
「じゃ、ひと休みしたら、軽くやろっか」
ミサキがノートPCを閉じて、こちらを見る。
「……“やろっか”って言い方、嫌な予感しかしない」
「予告どおりの訓練。足場フィールドと、ナカミの足止め」
「あー……やっぱ避けられないんですね訓練」
「避けたら本当に暴走するからね。“制御できる危険物”と“制御できない危険物”じゃ扱いが違うって、昨日言ったでしょ」
「言い方が毎回ひどい」
「褒めてる褒めてる。ほら、立って」
立たされてしまった。逃げ道はない。
「まずは足元。テーブル前の半径一メートル以内。私もここにいるから、何かあったらすぐ止める」
「はいはい……」
深呼吸。意識を内側に沈める。
(床、ちょっとでいい。丸く、俺の足元中心に)
《局所床面の材質変更を試行します》
足元が、じわりと冷たくなった。
畳の上に敷いていた安いカーペットが、ざらざらした石の感触に変わる。
視界の端で、テーブルの脚が少しだけ沈み込んだ。
「……おお」
直径一メートルもない、小さな円の石床。
ダンジョンの中と同じ、灰色の床。
《展開範囲:直径0.8メートル。予測持続時間:二十五秒》
「見た目は……完全にダンジョンの床だね」
ミサキがしゃがみ込んで、指先で表面をなぞる。
「素材解析されたらどこかの天然ダンジョンと紐づきそう」
「それって、バレたら超マズいやつじゃ……」
「だから今は私しか見てないでしょ」
そう言って、彼女は石の円の中に片足を入れた。
瞬間、頭の中に小さな地図みたいなものが浮かぶ。
円の中に二つの影。自分と、ミサキ。
《支配領域内に他者反応を検知》
(位置まで分かるのかこれ……)
「天城さん?」
「いえ、“誰が乗ってるか”くらいは分かるっぽいです」
「足場共有感覚か。索敵にも応用できそう」
《残り時間、五秒》
(解除でいい)
《支配領域を引き上げます》
石床が、すっと色を失った。
足元の感触が、いつもの畳とカーペットに戻る。
《本日の展開回数:1/3》
全身の疲労は、「ちょっとダッシュした」くらい。
さっきの路地よりは、ずっとマシだ。
「顔色オッケー。じゃ、次はナカミ」
「いらっしゃいませナカミさん」
意識を内側に向ける。
《従魔“ナカミ”を召喚します》
足元が、ぷよん、と波打った。
そこから、青いゼリーが飛び出す。
「ぷよ」
「やっぱり声出てる気がする……」
ミサキがしゃがみ込み、目を輝かせる。
「触っていい?」
「たぶん大丈夫ですけど、あんまりいじめないでくださいね」
指先がそっと伸びる。ナカミは揺れてから、その指に巻きついた。
「変な感触だね、これ」
「ナカミが変な性癖に目覚めたらどうするんですか」
《従魔の“性癖”という概念は――》
(黙ってろ)
「じゃ、軽く足止めテストいこうか」
俺はナカミに意識を向ける。
(ナカミ、白神さんの右足。転ばせないくらいに、ぎゅっと)
「ぷよ」
ナカミが床を跳ねる。
ミサキが一歩踏み出した瞬間、青い塊が足首に絡みついた。
「っと」
バランスを崩しかけて、すぐに立て直す。
「こんな感じか」
「イメージ通りですか?」
「うん。実戦だともっと派手になるだろうけど、基礎としては十分」
何度か繰り返す。
ナカミが飛ぶ。絡みつく。ミサキが揺れる。持ち直す。
そのたびに、俺とナカミの間の糸が、少しずつ太くなるような感覚がした。
《従魔“ナカミ”との同期率:微増》
「はい、いったんストップ」
ミサキが手を上げる。
「今ので?」
「今ので。ナカミもあんたも集中切れかけてる」
ナカミは、俺の足元にぺたんと座り込んで(座るって何だ)、ぷるぷる震えていた。
「お疲れ、ナカミ。今日はここまで」
「ぷよ」
返事みたいな音を残して、ナカミは床に溶けるように消えた。
《従魔“ナカミ”帰還》
◇
訓練が終わるころには、窓の外の空はオレンジ色に染まり始めていた。
息を吐いて、テーブルに突っ伏す。
「……なんか、一気に“ダンジョン側の人間”になってきた感じしますね俺」
「そりゃ、ダンジョン飲んでるからね」
「だからそのまとめ方雑すぎるって!」
くだらないやり取りの奥で、さっき路地で見た光景が浮かぶ。
石に変わった足元。掴んだ小さな腕。空を噛んで霧になった牙。
(……何もできなかった頃の俺よりは、マシだと思いたいな)
俺の中の小さなダンジョンは、さっきより少しだけ安定したリズムで脈打っていた。
その中心で、青いスライム――ナカミが、今日の復習みたいに、静かに跳ね続けていた。




