第7話 六畳一間のカミングアウト
アパートへの帰り道、俺たちはほとんど喋らなかった。
パトカーのサイレンも、DDAの無線も、もう聞こえない。
さっきまで魔物が出ていた路地も、何事もなかったみたいに静かだ。
なのに、胸の奥だけは、いつまでもバクバクいっている。
《心拍数、一時的ピークから徐々に低下中》
(下がってるなら報告いらないだろ……)
そんなツッコミを飲み込んだところで、アパートの階段が見えてきた。
「……とりあえず、部屋戻ろっか」
ミサキがぽつりと言う。
声は落ち着いているけど、歩くスピードがほんの少しだけ速い。
それが、逆にこわい。
◇
部屋に入るなり、ミサキは寝袋の方ではなく、テーブルの前に座った。
「座って」
短くそう言われて、俺も向かい側に腰を下ろす。
六畳一間。外はまだ真っ暗。
さっきまで寝ていたはずの部屋とは思えない緊張感が漂っていた。
「……お茶、淹れます?」
「うん、飲む。どうせなら、落ち着いて話したいし」
許可が出たので、現実逃避ではないことにしてケトルのスイッチを押す。
コンビニの安いティーバッグをマグカップに放り込み、熱湯を注ぐ。
湯気が上がるのと同時に、覚悟の温度も上がっていく感じがした。
テーブルにマグを置き、俺も座り直す。
ミサキは一口だけ紅茶を啜ってから、まっすぐ俺を見た。
「じゃ、聞くね。さっきのあれ――」
「足元の地面が石に変わったやつと、青い塊のやつですか」
「話が早くて助かる」
軽く息を吐いてから、彼女は続けた。
「一応確認するけど、“たまたま”出たわけじゃないよね?」
「……狙って出したわけでもないんですけど、“やろうとして”はいました」
誤魔化しても無駄だ。
さっき、子どもを引っ張り上げるとき、「足場変われ!」って祈るみたいに思ったのを自覚している。
「地面をああするのは、今日がはじめて?」
「はい。あの感じは、“中のダンジョンの床そのまま”だったんで……」
「“中の”」
そこを、逃さない。
ミサキの視線が、少しだけ鋭くなる。
「話、戻そうか。崩壊ダンジョンの日。核のところまで突っ込んだ――までは、こっちもログで見てる」
「ですよね」
「そのあと、何があったのか。さっきまでは“覚えてません”で通してたけど、今日のを見たら、さすがにそれじゃすまない」
その通りだ。
ユウトの顔と、シャドウドッグの牙。
石に変わった地面と、スライムの感触。
ぜんぶ、頭の中でぐちゃぐちゃに混ざる。
(ここでまだ隠したら、多分本当にアウトだな)
DDAにじゃなくて、自分の中で。
俺は、マグカップを両手で包んだまま、深呼吸した。
「……核の欠片が、飛んできたんですよ」
「欠片?」
「割れたときの破片です。たぶん、拳くらいのが。運悪く、俺の口めがけて」
言いながら、あの冷たさを思い出して、背筋がゾワっとする。
「吐き出そうとしたんですけど、間に合わなくて。飲み込みました」
「……飲んだんだ」
「飲んじゃったんです。故意じゃないです」
そこだけは、死ぬほど強調しておきたい。
「で、そっから先は、庁舎で聞かれた通りです。お腹のあたりが焼けるみたいに痛くて、意識飛びそうになって」
脳内に、あの無機質な女声が響いた。
《新規ダンジョン生成を確認》
「頭の中で声がして、“あなたの身体の中に小さいダンジョンができました”みたいなことを言われました」
「へぇ……」
軽く相槌を打ちながらも、その目は笑っていない。
「ここに帰ってきてから、確認しました。目をつぶって意識を向けると、石造りの小部屋が見えて。部屋の奥に通路が一本、あと、スライムが一匹」
「スライム」
「さっきの、足に絡みついてたやつです」
「あれだよね」
ミサキは、路地での光景を思い出すように、少し目を細めた。
「ぷるぷるしてて、小さくて、見た目だけならだいぶかわいいやつ」
「そうです。あいつにはだいぶ助けられてます」
ペットボトルのフタ回収とか、リモコン運搬とか。
地味だけど、ポーター的には超ありがたい。
「で、“中身”だけじゃなくて、現実でも呼び出せる、と」
「はい。最初に確認したときに、部屋の中でテストしました」
「それ、普通に大問題なんだけどね?」
「ですよね……」
今こうして口にすると、自分でも「即隔離案件」だと分かる。
「さっきの地面のアレは?」
「システムいわく、“支配領域の一部を表に出した”らしいです」
《支配領域:天城ハルトの身体内部+半径三メートル以内に局所展開可能》
(お前はほんとに用語センスが固いな)
「足元、あの石の床だったでしょ。中の部屋の床と同じ感覚でした」
「なるほどね」
ミサキは、マグの紅茶を飲み干した。
しばらく、沈黙が落ちる。
窓の外では、鳥か何かが鳴き始めていた。
徹夜コース確定だ。
「整理するね」
やがて、ミサキが指を一本立てた。
「一、崩壊ダンジョンで核の欠片を“誤って”飲み込んだ。
二、その結果、あんたの中に“小さいダンジョン”が生成された。
三、そのダンジョンのモンスターと、ちょっとした地形を、現実に引っ張り出せる」
「……はい。自分でも頭おかしいと思うんですけど、多分そういうことです」
「うん。頭おかしい話だね」
あっさり言われた。
「でも、“ダンジョンの核を取り込んだ人間”がどうなるか――って話は、実は昔から仮説レベルであった」
「あるんですか、そういうの」
「古い論文とか、裏社会の噂話とか。
実例がないか、隠蔽されてるかは別としてね」
そこで一度、彼女は言葉を区切る。
「……本来なら、ここまで聞いた時点で、私は本部に全部報告しなきゃいけない」
来た。
「“人間型ダンジョンの可能性”。“核との融合”。“制御不能な危険因子”」
淡々と並べられる単語が、いちいち胃に悪い。
「報告したら、俺どうなります?」
「たぶん、少なくともこの部屋からは出られなくなる。もっと厳しめの監視施設に移されて、毎日検査。下手したら、解剖――は、今の時代だとギリないと思いたいけど」
「“思いたい”レベルなんですか……」
ゾッとした。
コンビニの夜勤ですら恋しくなるレベルだ。
「じゃあ、隠してください、とは言えませんけど……」
そこまで言って、口ごもる。
本当は言いたい。
隠してほしい。
このまま静かに、こっそりコンビニと内臓ダンジョンライフを送りたい。
でも、それをそのまま口にするのは、ずるい。
ミサキは、そんな俺の逡巡を見透かしたみたいに、ふっと息を吐いた。
「……現場としての、私の本音を言っていい?」
「お願いします」
「“全部今すぐ報告する”のは、正直、得策じゃないと思ってる」
「え?」
思わず顔を上げる。
「今日の現場、見たでしょ。
“未知の現象”が起きたのは事実。でも、その結果――」
「誰も死ななかった、ですね」
「そう」
ミサキは、ゆっくりとうなずいた。
「私が見たいのは、“危険な力”そのものじゃなくて、“それをどう使うか”。あんたがさっきみたいに、人を助けるために使えるなら――少なくとも、“今すぐ切り捨てるべき危険因子”ではない」
「……甘くないですか?」
「甘いよ」
即答だ。
「だからこそ、条件をつける。私が責任を持てる範囲で、あんたを“監視”する。その代わり、あんたは――」
そこで、指を二本立てる。
「一つ。ダンジョンに関することは、全部私に共有すること。新しい能力に気づいたら、すぐ報告。勝手に試さない」
「……はい」
「二つ。人前で力を使うときは、可能な限り私の目の届くところで。今日みたいな“とっさの一回”は仕方ないとして、それ以上は絶対に暴走させない」
「暴走させないって、具体的には?」
「さっきみたいに足場変えるのを、住宅街一帯に広げないとか」
「それは俺も嫌です!」
マジで街ごと石畳になったら、ニュースどころの騒ぎじゃない。
「まとめると」
ミサキは、手のひらをこちらに向けた。
「“私に隠し事しないこと”と、“勝手に自分を兵器みたいに使わないこと”。それが守れるなら、私は当面、“全部は報告しない”で動く」
「“当面”」
「ずっとは無理。いつかは本部レベルの判断を仰がなきゃいけない。でも、そのときには、“制御できる”“実績がある”って状態にしておきたい」
「俺と、俺の中身の“信用作り”ってことですか」
「そういうこと」
手のひらは、そのまま宙に浮かんでいる。
握るかどうかで、この先のルートが変わる。
たぶん、“即隔離ルート”か、“期間限定共同戦線ルート”か。
(……まあ、選択肢実質ひとつなんだけどな)
「分かりました」
俺は、その手を握った。
「白神さんには、隠し事しません。できるだけ、ですけど」
「“できるだけ”はやめよっか」
「はい」
握った手は、思っていたより温かかった。
《協力者候補:白神ミサキ 登録しますか?》
(する。黙って登録だけしとけ)
内側でそう返すと、システムが《登録完了》とだけ告げて黙った。
◇
「で」
握手を解いてから、ミサキが言った。
「さっき、“支配領域がどうこう”って言ってたよね。
あれ、どのくらい使えるの?」
「さっきシステムに聞いたら、半径三メートル、三十秒くらいが限界っぽいです。今の俺の体力だと、一日に何回もやるのは無理っぽい」
「“っぽい”多いね」
「試した回数が少ないんで……」
初使用がさっきのシャドウドッグ戦だ。
それで限界ギリギリまでやった気がするから、なんとなく察しているだけ。
「じゃあ、当面は“足場トラップ”と“スライム足止め”の二本柱だね」
「トラップって言い方やめてもらっていいですかね……」
「褒めてるんだけどなぁ」
本気で言っているらしい。
ハンターの感覚はやっぱりどこかズレている。
「訓練は、そのうちやろう。今日は徹夜明けだし、今やったらまず足元じゃなくてあんたが崩れる」
「それは困る……」
「こっちも困る」
ミサキは立ち上がり、伸びをした。
「シャワー、もう一回借りる。血と砂、結構浴びたから」
「あ、はい。お湯、さっきよりはマシなはずです」
「ブラック寮仕様なのは変わらないでしょ」
そんなやり取りをして、彼女はユニットバスへ消えていった。
残された俺は、テーブルに突っ伏す。
「……疲れた」
《身体的疲労度:中。精神的ストレス:高》
「知ってるよ……」
目を閉じて、そっと内側に意識を向ける。
石の小部屋。
さっきより、少しだけ空気が柔らかい気がした。
青いスライムがひとつ。
こっちを見上げて、ぽよん、と跳ねる。
「お前も、お疲れ」
《従魔スライム:マスターの情動に反応し、安定状態》
(便利だかかわいいんだか分かんねぇな……)
とりあえず今は、誰にも解剖されてないし、コンビニのシフトも飛んでない。
銀髪ハンターに監視されながら、生きてはいる。
(……“人間ダンジョン”の人生って、こうなる予定じゃなかったんだけどなぁ)
愚痴をこぼしながらも、どこかで少しだけホッとしている自分がいた。
俺の中の小さなダンジョンは、相変わらず静かに脈打っている。
その奥で、スライムが、今度は嬉しそうに跳ねていた。




