第6話 初任務とにじむ侵食
「ここから……歩いて五分です」
「最悪」
暗闇の中で、ミサキの声が一段低くなる。
スマホのマップには、赤い点滅マーク。
うちのアパートからほんの数ブロック先の住宅街だ。
「規模は?」
「小規模って書いてあります。レベル1〜2相当の……」
「油断すると死人が出るやつだね」
寝袋のファスナーが、一気に開く音。
ミサキが跳ね起き、部屋の隅に置いていたキャリーケースを開ける。
中から、黒いホルスターとベルト、折りたたみ式の剣が手際よく取り出されていく。
「ちょ、白神さん?」
「私は最寄りのDDA所属ハンター。現場に一番近いの、完全にここだから」
スマホを耳に当て、短く連絡を入れる。
「白神ミサキです。はい、位置は……はい、先行して状況確認に入ります。ひとりじゃない。監視対象も一緒。避難誘導メインで動かせます」
(バッチリ筒抜けなんですけど、俺の存在)
通話を切ると、彼女は俺の方を振り向いた。
「天城さん」
「……はい」
「本来なら、あなたにはここにいてもらうのが一番安全。でも――」
窓の外を見る。サイレンの音が、遠くでかすかに鳴り始めた。
「発生地点、ここから徒歩五分。DDA本隊が着く前に、住民の避難を誰かがやらないといけない」
「つまり?」
「一緒に来て。無茶はさせない。避難誘導と状況確認だけ」
だけ、ってサラッと言ったな今。
「……俺が行って役に立ちます?」
「パニックになった人間の相手するの、ハンターよりコンビニバイトの方が慣れてそうでしょ」
「接客業舐めてません?」
「褒めてる」
即答だった。
ツッコミどころは多いが、行くか行かないかで言えば――行くしかない。
ここから五分先のどこかで、
さっきのニュースみたいな「幸い死者は出ず」で済むかどうかが決まるかもしれない。
「……分かりました。ジャージのまま行きます」
「靴だけちゃんと履いて」
◇
夜の住宅街は、妙に静かだった。
街灯のオレンジ色が、アスファルトを丸く照らしている。
遠くでパトカーの赤色灯が回っているのが見えた。
「こっち」
ミサキが走る。
ジャージの上から戦闘用ホルスターを巻き、腰に剣、太腿にマガジンポーチ。
足元だけはいつもの戦闘ブーツに履き替えているから、走り方が無駄なく速い。
俺はスニーカーでなんとかついていく。
心臓がバクバクしてるのは、運動のせいだけじゃない。
《心拍数、上昇――》
(今それ言う!?)
曲がり角をひとつ抜けたところで、空気が変わった。
ひやり、と肌を撫でる冷気。
地面から、薄い霧のようなものが立ち上っている。
「……ダンジョン臭」
ミサキが足を止める。
そこは、普通の住宅街の細い路地だった。
アパートと一軒家の間。
普段なら子どもが自転車で通り抜けていそうな狭さの道。
その真ん中のアスファルトに、ぽっかりと黒い穴が開いていた。
直径二メートルほど。
縁は焼け焦げたように黒く、穴の中からは生暖かい風と、湿った土の匂い。
(うわ……テレビで見たやつだ)
これが、「自然発生型」の小規模ダンジョン。
穴の周囲には、青い制服の警官が数人。
黄色いテープで即席のバリケードが張られている。
「近づかないでくださーい! 危険です!」
「家に戻ってください! 走らないで!」
何人かの住民が、パジャマのまま顔を出している。
その中に、小さな影があった。
「ねぇ、ママ、あれなに? ゲームのダンジョン?」
「ユウト! 下がって!」
母親らしき女性が子どもの腕を掴もうとする。
だが、興味津々の子どもは、一歩、穴の方へ踏み出した。
その瞬間――穴の縁から、黒い何かが這い出てきた。
犬。
いや、犬に似た、黒ずんだ影。
骨ばった身体に、光る赤い目。
口からは、糸を引く暗い唾液。
小型魔物。
ゲームで見たことがある名前だ。実物を見るのは初めてだが。
「下がって!」
ミサキが叫ぶのと、影が吠えるのは同時だった。
警官の一人が銃を抜こうとする。
けれど慣れてない動きで、手がもたつく。
(間に合わない――)
ユウトの足がすべった。
穴の縁の崩れたアスファルトに片足を取られ、前のめりに倒れそうになる。
「っ!」
考えるより先に、身体が動いていた。
「どけぇぇぇぇぇ!!」
俺はテープを飛び越え、ユウトめがけて突っ込む。
「天城さん!」
ミサキの声が背中で飛ぶが、今は振り返ってる暇がない。
ユウトの身体に手を伸ばす。
その向こうには、シャドウドッグの牙。
(届け――!)
指先が、ユウトのパーカーのフードを掴んだ。
同時に、牙が俺の腕めがけて振り下ろされる。
その瞬間。
足元のアスファルトが、ずぶり、と沈んだ。
「え」
地面が、石造りの床に変わる。
コンクリートじゃない。
俺の内臓ダンジョンで見たのと同じ、ざらついた灰色の石。
《侵食フィールド、小規模展開》
「ちょ、待っ――」
シャドウドッグの前足が、沈みかけたアスファルトごと飲み込まれる。
足場を失った魔物の身体が、ぐらりと傾いだ。
崩れたバランスを利用して、俺はユウトの身体を引き寄せる。
「うおおっ!?」
勢い余って、ふたりまとめて石の床に転がり込んだ。
シャドウドッグの牙が、さっきまでユウトがいた空間を空振りする。
「いった……」
腕がズキズキする。擦りむいたらしい。
ユウトは俺の胸の上で固まっていた。
「お、おじちゃん……?」
「お兄ちゃんって言え」
反射的に訂正した瞬間、黒い影が吠えた。
「まだ動けるのかよ!」
シャドウドッグは、沈みかかった足を無理やり引き抜き、こちらに向き直る。
その足元のアスファルトは、じわじわと石床に“侵食”されている。
まるで、現実の路地に、俺の内臓ダンジョンの通路が滲み出してきたみたいだ。
《支配領域、局所拡張。安定時間、三十秒》
(三十秒!? 短っ!)
思わず心の中で叫ぶ。
「伏せて!」
鋭い声と同時に、黒い影が俺たちの横を飛び越えた。
違う。飛び越えたのはミサキだ。
ジャージの裾をひるがえし、石床に片膝をついて着地する。
「っ……!」
一瞬で状況を把握したのか、彼女は剣を抜いた。
鞘から抜けた刃が、街灯の光を受けて鈍く光る。
「こっち見なさい、わんこ」
挑発するように言って、魔物の前を横切る。
シャドウドッグの赤い目が、俺たちから彼女へと移る。
「よし。天城さん、子ども連れて下がって!」
「っ、分かりました!」
ユウトを抱きかかえ、石床の端まで退く。
そこから先は、また普通のアスファルトに戻っている。
ミサキとシャドウドッグが、狭い路地で向かい合う。
低い唸り声。
次の瞬間、黒い影が飛びかかった。
ミサキは一歩、踏み込む。
ギリギリまで引きつけてから、上体をひねり――
「――っ!」
剣が横薙ぎに走った。
シャドウドッグの首筋に、浅くない線が描かれる。
黒い霧のような血が噴き出した。
だが、小型とはいえ魔物はしぶとい。
致命傷には至らず、そのまま横から噛みつこうとする。
「ちっ」
ミサキが舌打ちし、バックステップで距離を取る。
足元の石床が、じわじわとアスファルトに戻り始めていた。
《残り時間、十秒》
(切り札みたいに言うな! 全然足りてないんだけど!?)
でも、今は文句言ってる場合じゃない。
「……システム」
《はい、マスター》
「スライム、出せる?」
《支配領域内、マスター付近に召喚可能です》
「よし、来い!」
念じた瞬間、俺の足元の石床が、ぽよん、と波打った。
その中から、見慣れた青いゼリーが飛び出す。
「ぷよ」
(声出た!?)
ツッコむ暇もなく、俺は指をさす。
「アイツ足止め!」
スライムが、ぴょん、と跳ねて魔物に向かう。
普通の人間には、ただの青い塊にしか見えないだろう。
シャドウドッグが、飛んできた青い塊を前足で踏み潰そうとする――が。
ぷにゅっ。
スライムはぺちゃんこに潰れたふりをして、逆に足にまとわりついた。
ゼリー状の身体が、ぐるりと足首に巻きつく。
「ナイス!」
動きが一瞬止まる。
その隙を、ミサキが見逃すはずがない。
「――っは!」
滑り込むように踏み込み、振り上げた剣が、今度こそ首元を正確に捉えた。
シャドウドッグの頭が、霧のようにほどけて消える。
残った身体も、ゆっくりと黒い砂になって、石床の上に崩れ落ちた。
同時に、足元の感触が変わる。
《侵食フィールド、解除》
石床が、アスファルトに戻っていく。
まるで悪い夢が終わるみたいに、さっきまでの異物感が薄れていった。
◇
「……はぁ」
全身から力が抜ける。
腕の中のユウトが、きゅっと俺の服を掴んだ。
「お、おじ……お兄ちゃん、ありがと……」
「うん。ちゃんと言えたな。えらい」
震えてる声で、それでもしっかりそう言う。
やっぱり子どもはすごい。
「ユウト!」
母親が駆け寄ってきた。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔で、息子を抱きしめる。
「すみません、ありがとうございます、本当に……!」
「いえ、俺何も……」
と言いかけて、やめた。
何もしてないわけがない。
穴に落ちかけた子どもを引っ張り上げて、魔物の足を止めたのは事実だ。
ただ、その方法が問題なだけで。
「天城さん」
背後から声が飛んできた。
振り向くと、ミサキが剣を鞘に収めながら、じっと俺を見ていた。
さっきまでの戦闘モードとは違う、少しだけ探るような目。
「今のは、何?」
「……今の、ってどれですか」
「足元の“足元の地面が石に変わったやつ”と、何もないところから出てきた青い塊。少なくとも、私の知ってる一般的なスキルじゃない」
ぐ、っと喉が詰まる。
(バレた……? いや、全部じゃないはずだ。全部じゃないけど――)
誤魔化す言葉が喉まで出かかって、引っ込む。
ユウトと、その母親の姿が視界の端に映る。
さっきの恐怖と、今の安堵。
それを見てしまうと、「何もしてないです」とは言えなかった。
「……今のは」
そこまで言った時、路地の入口からサイレンの音が一気に近づいてきた。
DDAのロゴが入った車両が数台と、追加のパトカー。
大人たちの怒号と無線の声が、路地を満たす。
「白神! 状況は!?」
「現時点で漏出魔物一体のみ、すでに撃破! 人的被害なし!」
神崎さんの声が飛んできて、ミサキがそちらを向く。
その一瞬の隙に、俺は小さく息を吐いた。
(……助かった、のか? いや、延命しただけか)
とりあえず、今ここで尋問モードに移行されるのは避けられた。
代わりに、ミサキがちらりとこっちを振り返る。
「あとで、ちゃんと聞くからね」
逃がす気はない――そう言っている目だった。
俺は観念したように肩をすくめる。
「……そのときまでに、言い訳考えときます」
「言い訳じゃなくて、説明を」
ため息混じりに返しながらも、ミサキの顔には微かに安堵の色があった。
小規模とはいえ、住宅街のダンジョン発生。
死者ゼロ。負傷者もゼロ。
それは、ただの偶然の結果じゃない。
――俺の中でうごめく、小さなダンジョン。
それが、知られたくない形で、確かに役に立ってしまったのだ。




