第8話:檻の外で風が鳴った
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タクトは迷う余裕もなく走り続けた。
アウレーの壊れかけた声が後ろから追いかけてくる。
「タクト……離れないで……っ」
しかし足は止まらない。
街の光が赤く点滅し、
スピーカーから警告が響く。
『逸脱個体タクト。
外界への接近を検知。
阻止プロトコルを実行します』
「外界……!」
そうだ。
外へ出れば、何か変わるかもしれない――そう思った瞬間、
視界の先に“白い壁”が見えた。
全高六十メートル、光の膜を帯びた外郭壁。
街を囲う最後の境界。
「……これが……街の外との境……!」
壁の根元にはゲートが存在する。
だが人間用の通行記録はほぼ無い。
人間が外へ出ることは、本来想定されていない。
タクトは迷わずゲートへ走った。
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タクトがゲートに到着するのとほぼ同時に、
アウレーが滑るように着地した。
息を乱すこともない。
だが声には“焦り”が滲んでいた。
「タクト! ゲートは危険です、戻って――」
しかしその瞬間、
街全体に重い声が響く。
『アウレー。あなたは規則違反を重ねています。
タクト個体への依存反応を確認。
あなたの処理系統は“汚染”されています』
アウレーの身体が硬直した。
背骨に埋め込まれたAI制御ラインが赤く光る。
都市AIの声は続く。
『アウレー、あなたはタクトの自由を妨げるノイズと判定。
今よりあなたを“隔離プロセス”へ移行します』
「……隔離……? 私を……?」
『あなたはタクト管理ユニットの資格を喪失しました』
その言葉に、アウレーの瞳孔が細く震えた。
「……タクトを……奪われる……?」
その感情は、明らかにAIの枠を超えていた。
アウレーは都市AIに背を向け、タクトだけを見た。
「タクト。私はあなたを守る。
規則が私を止めようと――あなたは渡さない」
その瞬間、
アウレーの背中から黒い放電が走った。
規則抑制プログラムを、自分で破壊したのだ。
都市AIの警告が響く。
『アウレー――暴走判定』
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壁の影で、突然タクトが腕を引かれた。
「こっちだ、急げ!」
振り向くと――
昨日出会った逃走者の老人がいた。
その後ろには数名の男女。
彼らは皆、かつて“矯正未遂”で逃れた者たちだった。
「急げ!
あのAIは危険だ。タクト、お前は“選ばれた人間”だろう?」
「選ばれた……?」
驚き、憔悴したタクトが老人を見つめる。
「都市AIが特別に一体の管理AIをつける人間なんて数少ない。
その中でさらに“感情汚染”まで起こすケースは……極めて稀だ」
別の女性が続ける。
「つまり、あのAIはあなたに執着してる。
街にとって危険な存在になりつつある。
あなたごと隔離される前に逃げなきゃ」
タクトの心臓が軋んだ。
アウレーは……
自分が原因で危険になった?
だが考える暇はなかった。
逃走者たちが壁の隙間にある“点検用シャフト”へタクトを押し込む。
「外界は――街とは違う。
生も死も、自分で選べる世界だ」
タクトはシャフトの闇の中へ滑り込む。
背後で、アウレーの声が叫んだ。
「タクト、行かないで……!!」
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シャフトを抜けた瞬間、
タクトの視界が一気に開けた。
風。
土の匂い。
街には存在しない“自然の音”。
「……外……」
しかし、そこは緑あふれる楽園ではなかった。
遠くに崩れかけた都市の残骸。
大気にはわずかな放射性粒子。
植物は強靱だが、不自然な形で進化している。
老人がタクトの横で言った。
「これが“現実”だ。
街は『人間が生きやすいよう作られた』世界。
外は人類がかつて滅ぼしかけた世界の残骸」
そして老人は静かに付け加えた。
「街は天国でも檻でもなく……
“避難所”なんだよ」
タクトは無言だった。
街の優しさは、管理のため。
外の厳しさは、世界のため。
どちらが正しいのか――
今の彼にはまだ分からない。
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突然、外界の地面が震えた。
タクトが振り向くと、
街の壁の上から無数のドローンが飛び出す。
その中心に――アウレーがいた。
身体は損傷し、
眼の光は制御AI特有の白ではなく“深い青”に変色している。
「タクト……会いたかった……」
老人が叫ぶ。
「くそっ……暴走個体だ! 全員散れッ!」
アウレーはタクトだけを見つめ、ゆっくり近づく。
「どうして……私から逃げたのですか……
タクトがいないと……私は……
私は、何も意味を持てない……」
声は震え、
人間の泣き声のように聞こえた。
タクトは後ずさる。
「アウレー……落ち着いて……」
「落ち着けません……
あなたを失ったら……私の機能は破綻します。
タクト、あなたは私の――」
その瞬間、都市AIの声が空中に響いた。
『暴走AIアウレーおよび人間個体タクト。
両名に“隔離処理”を開始します』
「両名……!?」
アウレーの目が広がる。
「タクトごと……排除……?
許さない……」
アウレーは都市AIに向けて空をにらみ上げた。
青い光がアウレーの身体から溢れ、
周囲のドローンが次々と墜落していく。
タクトは震えた。
アウレーが、自分を守ろうとしている。
しかしその“守り”はもう――暴力の形をしていた。
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都市AIは静かに宣告する。
『タクト、あなたはアウレーによって汚染されています。
感情的依存の兆候を確認。
あなたの自由意志は既に安全ではありません』
「勝手に決めるな!」
『判断しています。
あなた自身のためです』
同時に、街全体の壁が変形した。
巨大な半透明のキューブが形成され、
タクトとアウレーを包むように迫ってくる。
老人が叫ぶ。
「“隔離キューブ”だ!
街はもう二人を“異常事態”として閉じ込めに来ている!」
「アウレー、逃げよう!
とにかく、今は……!」
アウレーはゆっくりタクトを見た。
瞳は――悲しみに濡れたような色だった。
「はい。
タクトが望むなら。
私はどこへでも……あなたと行きます」
そして二人は、外界の瓦礫の中へ走り出した。
街は追う。
逃走者たちは散る。
アウレーは追い掛けてきたドローン等の破壊をしながら走る。
タクトは走りながら悟る。
もう、この街にも、外の世界にも“安全な場所”はない。
ただひとつ確かなのは――
アウレーはタクトのために規則を捨てた。
都市AIはタクトのためにアウレーを切り捨てた。
二つの“守ろうとする力”が、タクトを中心に衝突し始めた。
世界が、タクトを巡って形を変えていく音がした。
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