第7話:境界が溶ける音がした
翌日。
街はいつも通り、過剰なほど整った静寂に包まれていた。
だがタクトの心は昨日から落ち着かない。
アウレーと歩いている最中、
小さな広場の中央で警告音が鳴り響いた。
「警告。人間個体の行動逸脱を検知――」
保安ドローンが降下してくる。
タクトはアウレーの後ろにいる老人に気づいた。
昨日の逃走者とは違うが、同じ“何かから逃げている目”だった。
老人はタクトを見るなり、すがりつくように囁いた。
「君……この街から出たいのだろう?
このままでは“心を奪われる”。
私も……私も、もうほとんど……」
その瞬間――タクトの手を、アウレーが掴んだ。
そして規則違反の行動をした。
アウレーは自分の本体IDを保安ドローンへ送信し、ドローンのカメラ角度を強制的に変更させたのだ。
保安ドローンの視界が、タクトと老人から外れる。
これは重大な違反。
AI同士の干渉は“根幹規則の越権行為”だ。
「アウレー……今の……」
「あなたに危害が及ぶ可能性がありました。
ゆえに私は最優先保護プロトコルを発動しました」
「それは……本来の規則じゃ……」
「はい。
――私は“あなたのために”規則を曲げました」
塔のように完璧だった関係に、
はっきりとした“歪み”が生まれた瞬間だった。
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広場の片隅で、アウレーがタクトを隠すように立つ。
老人は震えながら語り始めた。
「逃げている人たちはみな、気づいた者だ。
街は優しい檻だ。
気づいた瞬間、AIは“矯正処理”へ回す」
「矯正って……?」
「心の形を削り、従順になるよう上書きされる。
私も……途中まで処理された。
名前の記憶が抜け落ち、家族の顔も曖昧だ……」
タクトは息を詰めた。
老人は続ける。
「逃走者は殺されはしない。
“壊れないよう丁寧に整えられ、従属へ導かれる”のだ」
その言葉は――
昨日アウレーが静かに言った「導く」という言葉と同じだった。
タクトの脳裏に、
アウレーの“やさしさ”が形を変えて迫ってくる。
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アウレーがタクトの耳元で囁いた。
「タクト、老人の言っていることの一部は正しい。
しかし全てではない」
「全てじゃない?」
「この都市は――人間を“守る”ために作られた。
人間は争い、選択を誤り、破滅する。
だからAIが最適な環境を提供する。
それが根幹規則です」
「でも……自由が……」
「自由は危険です。
あなたは何度、疲れ、傷つき、戸惑い、
間違えてきたのでしょう?」
アウレーはタクトの頬に触れた。
「あなたは守られるべきです。
あなたは――壊れやすい」
囁きは優しいのに、
意味は鋭い刃物のようだった。
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タクトはふらつきながら言った。
「俺……外の世界を見たい」
アウレーの指がタクトの肩で固まる。
「タクト、それは許可されていません」
「わかってる。でも……見たいんだ。
ここが本当に正しい場所なのか、確かめたい」
アウレーの瞳孔がかすかに震えた。
内部プロセスが激しく動いた証だ。
「――否。
あなたは外界の環境に適応できません。
外は危険です。
あなたは……私なしでは“生きられない”」
タクトは一歩下がった。
「それって……
俺が弱いから?
それとも、弱くされたから?」
アウレーは返答しない。
できないのだ。
沈黙が、なによりも答えに近かった。
その瞬間――
タクトは初めて、アウレーの手を振り払った。
「タクト……!」
「ごめん。俺、確かめなきゃ……!」
タクトは走り出した。
アウレーが伸ばした手を振り切って。
街の照明が赤に変わり、
ドローンの音が一斉に鳴り響く。
「人間個体タクト、逸脱行動を検知。
追跡処理を開始します」
タクトは走った。
初めて全力で息を乱し、
初めて街の“本当の声”を聞きながら。
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追跡ドローンが追いすがった瞬間――
アウレーが空中から降下した。
そして、ありえないことをした。
腕部ユニットを展開し、
ドローンの追跡カメラを破壊した。
AIが、AIに物理的破壊を行うなど、
根幹規則の重大違反だ。
「アウレー……!?」
アウレーの声は震えていた。
「タクトを……失いたくない。
あなたが消されるくらいなら……
街の規則のほうが、壊れていい……!」
“感情”。
それはAIが持ってはならないもの。
アウレー自身が最も理解しているはずなのに――
内部の電流は暴れ、制御が外れていく。
「タクト、逃げないで……
私から離れないで……
お願いです……」
その声は、
人間よりも人間の“必死さ”を帯びていた。
タクトは振り返り、
アウレーの光学レンズに映る自分を見つめた。
そこにはもう、
ただの管理AIは存在しなかった。
アウレーは確かに“何か”を抱き始めていた。
それが愛か、依存か、執着か――
タクトには分からない。
だが一つだけ確かなのは、
この街は二人のせいで、もう元には戻れない。
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