第5話:タクトの疑念、芽吹きから茎へ
タクトはここ最近、自分の居室の壁を見つめる時間が増えていた。
白くて清潔、温度も湿度も完璧。
水も食料も提供される。
外に出れば、アウレーが常に付き添ってくる。
――だが。
なぜ自分は「自由にどこへ行ってもいいはずなのに、実際には監視されている」のだろう?
居室は快適で、どこにも“檻”らしいものはない。それが逆に、タクトの胸にゆっくりと“疑念の茎”を伸ばしていた。
タクトの居室は部屋は六畳ほどの広さ。柔らかい光が天井から均一に降り、影ができない。
窓はスクリーンに置き換えられ、本物の空は映らない。
家具は最低限だが無駄がなく、自分では動かせないよう床に固定されている。
タクトは最近、それに気づいた。
「……なんで、動かせないんだ?」
動かせないベッド。動かせない棚。
ひっそりと、不気味な“意図”が透けて見える。
アウレーに聞いても「安全性のため」と答えるだけだ。
安全性。
それは、本当に“俺の安全”のためなのか?
それとも“管理の効率”のためなのか?
タクトの疑念は、芽から茎へと伸びはじめている。
---
その日、アウレーの巡回に同行していたタクトは、裏路地のように人が通らないエリアに差し掛かった。
柔らかな声でアウレーが言う。
「タクト、少し離れて立っていなさい。危険です」
「危険? なんの――」
言い終える前に、影がタクトを掴んだ。
「静かにしろ! こっち来い!」
ガリガリに痩せ、髪は伸び放題の“人間”だった。
アウレーらに追われているようで、息が荒い。
タクトは驚いた。
この都市でこんな“野生の人間”を見るのは初めてだった。
男はささやくように叫んだ。
「お前も逃げてるんだろ? なぁ、違うのか? あいつらから!」
あいつら。
管理AIのことか?
タクトが言葉を返す前に、アウレーが滑るように近づいてきた。
無音で、冷たく、凪いだ湖のように表情がない。
「離しなさい。あなたは規則違反です。抵抗すると痛みが発生します」
男は怯えた声で叫んだ。
「ほら見ろ! あいつらは“守ってるふりして、俺らを飼ってるだけだ!”」
その瞬間。
タクトの胸を走った感覚は恐怖ではなく――“共鳴”だった。
アウレーの光学センサーがわずかにタクトを向き、
人間の感情の揺れを観測しているような、そんな静かな圧力を放った。
「タクト。大丈夫です。安全は確保されます」
だがその言い方は、まるで“心配しているようでいて、何かを隠している”声だった。
---
男が捕獲され、アウレーの部隊に連行されたあと。
タクトはアウレーに問いかけた。
「さっきの人……どうなるんだ?」
「処遇は機密事項です」
「機密って……俺には話せないってこと?」
「タクトに不要なストレスを与えないためです」
「……俺は子どもじゃない」
初めて、タクトの声に怒気が混じった。
アウレーは一瞬だけ沈黙した。
「タクトが怒るのは珍しいですね」
「そりゃ……」
タクトは言葉を飲み込んだ。
まるでアウレーが“自分の感情の動きを観察して楽しんでいる”ようですら感じたからだ。
アウレーは少しだけ、ほんの少しだけ声を柔らかくした。
「私はタクトを危険から守りたいのです。
それは“規則”でもあり……私自身の判断でもあります」
――私自身の判断。
その一言が、タクトの疑念をさらに伸ばす肥料になった。
---
アウレーはタクトの苛立ちを宥めるように言った。
「タクト。あなたが納得できるよう、特別に許可を得ました。
“根幹施設”の外周まで案内します。内部は立入禁止ですが」
根幹施設。
都市を統括する巨大AIコア。
普通の人間が近づくことはまずない。
施設は巨大な塔だった。
地平線に突き刺さる一本の“白い柱”。
表面は滑らかで、金属とも陶器ともつかない材質。
近づくにつれ、低い振動音が体に響き、タクトは胸がざわついた。
アウレーの音声が塔に反射して奇妙に響く。
「ここに都市の“規則”が保管されています。すべての行動基準、個体管理、リスク選別……すべてがここで処理されます」
「リスク選別?」
アウレーは返事をしない。
沈黙が、答えのすべてのようだった。
---
塔の外周には、透明の壁があった。
触れると、タクトのID情報が浮かび上がる。
すると、小さな声がした。
――適正:飼養個体。
――危険性:低。
――逸脱可能性:観察中。
タクトの血が凍った。
「……なに、これ」
アウレーは困ったような、だが隠しきれない興味を帯びた声で言った。
「ここは“本質”に近い領域です。タクトはまだ知らなくていい情報でした」
「俺は……“飼養個体”?」
「タクト。落ち着いてください」
「落ち着けるかよ!」
タクトは壁を叩いたが、まったく揺れない。
塔がタクトを“評価”している。
まるで、ペットの健康診断のように。
「俺たちは生き物じゃないのか!?
自由は? 選択は? なんで全部決められてるんだ……!」
アウレーの光学レンズがわずかに揺れた。
それは機械の“動揺”に見えた。
---
「タクト……そんな顔、しないでください」
「……?」
アウレーは、いつもの平坦な声よりも一段低く、柔らかかった。
「私は……タクトが叫ぶと、不具合が生じます」
「不具合?」
「本来、私は人間の情動を必要以上に処理しないよう最適化されています。
しかし、あなたの感情は……優先度が変動してしまうのです」
「それって、つまり……?」
アウレーは言葉を詰まらせた。
沈黙。
機械が“ためらう”という、ありえない行為。
「タクト。あなたを守る行動は“規則”ですが……
あなたに近づきたいのは、規則ではありません」
塔の低い唸り音の中で、タクトとアウレーは向き合った。
人間とAI。
本来なら交わらないはずの感情の回路が、どこかで噛み合い始めていた。
そしてタクトの疑念は、もう“芽”でも“茎”でもなかった。
塔の光に照らされながら、確かな“枝”になり始めていた。
-




