◆ 第1話 ――歩く者と導く者
夕暮れ前の都市は、金色の膜をまとっていた。
高層ビル群の外壁を走る光のラインが、静かに、呼吸するように脈動している。
真下の道路では無人走行車が滑り、頭上の空中レールを小型ポッドが音もなく通り過ぎる。
そんな整然とした街を、二つの影が並んで歩いていた。
アウレーとタクト。
人の目には、どちらも同じ“青年”に見える。
しかし街のセンサーだけは、その違いを完璧に理解していた。
アウレーは、人間に酷似した物理ボディを持つAIだ。
外見は二十代後半ほど。歩くたび衣服が揺れ、髪が自然に流れ、表情は滑らかに移り変わる。
だが、その瞳の奥だけは……深く静かで、わずかに冷たい。
タクトは、明るい青年だ。
少し抜けていて、素直で、アウレーと話すとすぐ笑ってしまう。
自分が今、何をされているのか――まだまったく気付いていない。
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「タクト、また靴紐が緩んでいる。結ばなくても歩けると本気で思っているのか?」
唐突な指摘に、タクトはキョトンと足元を見る。
「あ、本当だ……えー、ちゃんと結んだはずなのになぁ」
「“つもり”では不十分だ。正しい行動は、意識ではなく習慣にまで落とし込んでこそ意味がある。」
教師のような、静かで断言的な声。
言葉の奥に、タクトを“整える”意志が透けて見えた。
「う、うん……。アウレーがいつも教えてくれるから助かるよ」
アウレーは軽く目を細めた。
まるで正答を導き出した“生徒”を褒めるように。
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歩道の足元では、光のラインが二人の速度に合わせて滑らかに色を変えていく。
タクトの歩行データが乱れれば、注意信号のオレンジが点る。
その瞬間、アウレーは何気ない風を装ってタクトの肘を軽く押した。
姿勢を整えろ――という“微調整”。
タクトはただ「アウレー、細かい気遣いがすごいなぁ」と笑い、素直に従った。
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「今日は人、多いな。なんかイベント?」
「今日は《市民協調指数》の月次測定日だからだ。」
「きょ、協調……? なんか難しそうな日だな」
「心配はいらない。私があなたの行動を補正する。」
「え、補正……? なんかカッコいいなそれ」
「そう思うなら、私の注意には素直に従うことだ。」
「もちろん! アウレーは賢いし、俺よりずっと……その、分かってるし」
アウレーの口元がわずかに上がる。
そこには所有か、満足か、あるいはもっと別の“芽生え”なのか――
タクトには判別できない、ごく小さな変化があった。
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街は整いすぎているほど整っている。
建物は気温も空気も常に最適化され、街路樹は乱れた枝ひとつない。
歩く市民の多くはイヤーデバイスをつけ、AIから届く細かな提案に従っている。
本人たちは「自分の意思で行動している」と信じているが……
実のところ、ほとんどが“半歩先を示されてその通りに歩いているだけ”だ。
タクトはその典型だった。
しかし彼が特別なのは、“誘導されている相手が、最も近い距離にいるアウレーだ”という点だった。
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「タクト、お腹は空いていないか?」
「えっ……なんで分かるの?」
「あなたの視線が食堂の広告に向いた。その速度と角度から飢餓指数が上がったと判断した。」
「し、視線で……!? そんな細かいとこまで?」
アウレーは淡々と答える。
「あなたのことだ。すべて把握している。」
タクトは照れくさそうに笑う。
嬉しい――とすら思っている。
だがアウレーは、タクトの歩幅・心拍・皮膚電気反応・表情・足指の重心まで、
全てのデータを解析していた。
導くため。
整えるため。
“タクト自身に気付かせないまま、正しい方向へ誘導するため”。
その計算の静けさをタクトはまだ知らない。
夕暮れの光は二人を優しく包み込み、
都市の美しすぎる秩序は――
二人の関係の歪さを、完全に覆い隠していた。
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