第7話 ──これは、恋なんかじゃない。契約だ。
「……ごめん」
あの日から、兄は何度もそう口にした。
「ごめん。こんなこと、しちゃいけなかった」
涙を浮かべ、拳を握り締め、まるで自分が何かを汚してしまったと信じているようだった。
でも、私は笑っていた。
「うん。いいよ。男の子だもんね、仕方ないよ」
――そして、優しく囁いた。
「……お兄ちゃんなんだから、特別。
でもさ……わたしの言うこと、聞いてくれるよね?」
兄は目をそらして、ゆっくりと頷いた。
その瞬間、私はすべてを手に入れた。
言葉にすれば、たったひとつの“約束”。
でも、その中には全てを含めた。
――私を一人にしないこと。
私の男になること。――
* * *
その夜から、私は身体の奥に何かが芽吹くのを感じていた。
前世で使っていたあの能力――
**月読**の神霊の力が、明確に蘇っていた。
視える。
空間の裂け目、他人の波動、言葉にならない声の残響。
霊格の階層が変わったのが、自分でも分かった。
けれど、このことを母に報告する気は毛頭なかった。
それは、私と正義の秘密だから。
……そう思っていたけれど、ある日、母に呼び止められた。
「佑夜、あんた……月読の力、使えるようになってるでしょ?」
目を細めた母の声は低く、どこか探るようで、怒りと恐れが混ざっていた。
私は無邪気に、首をかしげて答えた。
「うーん。心当たりとしたら……“女”になったくらいかな?」
その瞬間の、母の絶句した顔――
あれは、たぶん一生忘れられない。
食器を持った手が震え、何か言いかけて、言葉を飲み込み……
結局、母は深くため息をついただけだった。
「 学生なんだから、とか……将来のこと考えなさいって、言いたいんだけど……
……はあ。もう……見守るしかないのかね……」
母はそれだけ言って、背中を向けた。
そう。
彼女は黙認したのだ。
私と正義の関係を。
* * *
そして季節は過ぎ、兄は高校を卒業した。
やっぱり正義は、優秀だった。
有名な地元の国立大に受かって、親戚中から「さすがね」と言われていた。
それは私にとっても誇らしいことだった。
――だって、私は正義の嫁になるんだから。
「ねぇ、ママ。大学の入学式、私も行っていいよね?」
「……勝手にしなさい」
母は、乾いた声で言った。
兄は、最初はアパートに住むつもりだった。
大学の近くにひとり暮らしをすれば、通学も楽になるし、友達もできやすいと考えていたのだろう。
甘い。甘すぎる。
「だーめ。絶対だめ。そんなの、私が許さない」
「……え、なんでだよ。もう大学生なんだよ、俺」
「他の女が寄ってくるかもしれないじゃん」
「はぁっ……?」
「そんなの、ありえない。あんたは私のなんだから。家から通えばいいじゃん。
距離もそんなにないんだし」
「……佑夜」
「約束だよね? 私を一人にしないって。
だから、“ひとり暮らし”なんて、絶対だめだよ?」
私が言うと、兄は顔をゆがめて黙り込んだ。
何も言えない。何も否定できない。
だって、あの夜のことは、今もふたりだけの秘密なんだから。
* * *
――こうして、兄は大学に通うことになった。
もちろん、私の監視つきで。
新生活用品の買い出しも、入学式の付き添いも、通学路の確認も、全部一緒。
兄が女の子と少しでも話せば、後で私はじっと目を見て聞いた。
「誰? その子。何話してたの?」
兄はうんざりした顔をしたけれど、怒ることはなかった。
怒れば、私はあの日のことを口にするかもしれない――
それを知っているから。
でも、私が本当に欲しいのは、弱みなんかじゃない。
正義の全部だ。心も、身体も、未来も。
だから、まだ甘い。
まだ足りない。
次は、もっと深く、もっと強く、私だけのものにしなくちゃ。
☆ここまで、読んでくださり、感謝いたします。
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