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第2話 渇望とコーヒーブレイク

私には、前世の記憶がある。


それは、千年以上昔——私は月読の巫女として、災厄を封じる者だった。


力の代償に人の心を削り落とし、妖狐と成り果てたはずの私が、たった一人の男に恋をした。

けれど、叶わなかった。


その男は、私を「救おうとした」


それが、私にとって何よりの侮辱だった。


私は彼を欲したのではなく、支配したかったのだ。私の意志で、私のもとに、私のものとして。


だから今——その男の「残滓」である正義を、この手に抱いている。


温かな寝息が隣から聞こえる。



高校三年生の私は、兄とされる彼と、契約の元に“家族”となった。


ママと呼ばれる彼の母に代償を支払い、この存在を得た。

「おはよう、佑夜。朝から……また目が怖いよ」



彼が笑う。


その笑顔が、あの男にそっくりで……でも違っていて。

(……だからこそ、いい)



それは呪いにも等しい祝福。


命を喰らうほどの執着を、この身に宿したまま、生まれ変わった私。


今、隣で寝息を立てる少年。柔らかい髪が枕に広がり、寝顔はまだ幼さを残している。

けれどこの子は、ただの“兄”じゃない。



戦利品。



母が——アンナが、かつて交わした禁忌の契約によって、世界の代償にして得た命。


私のもの。私だけのもの。



彼を望んだのは、母じゃない。神でも運命でもない。私。


この胸の奥に穿たれた、前世からの焦がれるような飢え。


あの時、あの男を失って味わった空虚。


狂おしいほど惚れて、けれど決して手に入らなかった。


好敵手だった女が彼と結ばれたと聞いた瞬間、世界が白黒になった。


怒りとも絶望とも言えぬ感情に焼かれ、私は一度、死んだ。




でも、ただじゃ終わらない。


彼らの子供を、奪ってやる。


そして創り直すのだ、私の世界を。


私だけの楽園を。









コトン、とカップの音が響いた。

今朝のキッチン。母と娘、アンナと佑夜が対面し、ゆるく香るコーヒーの湯気の中で静かに火花が散っていた。


「ねえ、ママ」

月読が湯気の向こうから言った。


艶やかな金髪を撫でながら、まっすぐアンナを見つめて。

「そろそろ……兄さんと二人で暮らしたいんだけど」


「……は?」

アンナの手が止まった。スプーンをくるりと回す手が、カチリと音を立てる。


「それは無理よ。正義には退魔師として修行に出てもらう予定なの。独り立ちのためにもね。パパのところに——」



「はあっ?」

佑夜の声が急激に鋭くなる。


その目は氷の刃。


「アンナ、約束忘れたの? 正義は私の所有物だよ。私の許可なく勝手なこと、しないで」


「……所有物って。あんたね……」

アンナがコーヒーを一口啜り、少し目を細めた。


年齢を超えた霊力の波動が、空気に静かに染み出していく。

「佑夜、あんたまだ高校生よ。正義にはちゃんと退魔師になってもらって、家を継いでもらわないと」


「私が養うから」


「どうやって?」


「財宝、あるから。隠してあるの」


「……またその話?」

アンナはため息をついた。


「宋銭とか勾玉とか、そういうやつでしょ。今じゃ換金も難しいし。そんなの漫画みたいな話よ」


「うふふん、案外、本物なんだよね〜。あとね、霊的価値があるものもあるし……」


「だから普通に働きなさい。勉強しなさい。退魔師になればいいのよ。無駄に霊力高いんだから」


「働きたくない〜正義の嫁になって専業主婦する〜子育てに専念したい〜」


その様子にアンナは目を細め、娘の変化を感じ取っていた。

(……妖狐だった頃と、やっぱり変わったわね。情念は同じでも、環境が心を柔らかくするのか)


だがその次の言葉に、思わず目を見開いた。

「日本の法律では兄妹の結婚は認められてないわよ。事実婚で押し通す気? ……まぁ、契約で関係があるのは、黙認してるけど」


「……いいの、どうせ血の繋がりは弄れるし」


「なにをまた危険なことを……」


「大丈夫。候補、見つけてあるから。遺伝子調整、できるかも」


「……月読、それはね、本当に問題があるのよ」


「いいの。世界のルールは、私が壊す」

そう言って、カップに口をつけた娘の表情には、一片の迷いもなかった。


母が呆れたように、でもどこか怖れるように見返すのも当然だ。


この娘は、確かに危うい。


それでも今日もまた、月読は、彼の帰りを待っていた。


正義——自分の世界の中心。


命を注ぐ価値がある唯一の存在。



(夜になったら、あの娘のところに行くか……)


☆ここまで、読んでくださり、感謝いたします。


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