閑話休題 鬼と狐(3)
目が覚めると、天井が見えた。木目のある、どこか旅館のような天井。
(……どこだ、ここ)
「起きました? なんか眠そうだったから、そのままベッドに運んじゃいました」
紅葉が笑顔で覗き込んでくる。
「え……寝たんだ、俺……ごめん。……そろそろ帰るよ」
体を起こし、障子を開けた瞬間――目の前には、延々と続く廊下。
「……え? これ……どういうこと……?」
「ここ、私の家です。これから先輩と暮らす新居です。ここまできたら、もう大丈夫。あの女狐も、そう簡単には追ってこられません」
彼女は恍惚とした笑みを浮かべながら、語る。
「私、あの女みたいに束縛はしません。ただ……少し軟禁しますけど」
「……は?」
「大丈夫。ちゃんと、愛し合えばこの家から出られるように術式はかけてありますから」
紅葉はゆっくりと服のボタンを外していく。
「ちょ……紅葉、それは……ダメだよ。そういうのは……ちゃんとお互いが……」
「私の気持ち……知ってますよね?」
紅葉の声は震えていた。
「先輩だって、あの女には優しいのに、どうして私には……。あいつ、妹なんですよ? 血が繋がってるんですよ?」
「それは……そうだけど……」
「私だって、負けないくらい……それ以上に先輩が好きなんですっ……!」
その時、部屋の空間が裂け、九本の尾が舞い上がる。
「人の男になにしてんじゃゴルァァ!」
狐耳と尻尾が生えた少女――戸祭 佑夜が、怒りのオーラを纏って乱入してきた。
「正義、大丈夫!? まさか……貞操は……!」
「この狐が……この女狐が……! 先輩を惑わしてる……!」
紅葉は刀を手に立ち上がる。
「来るなら来いよ、狐の力、舐めんなッ!!」
「やめろッ!!」
正義の怒声が二人を制した。
佑夜も紅葉も、動きを止める。
「紅葉……ごめん。お前の気持ちには応えられない」
「……え?」
「俺は……佑夜が大切なんだ」
「お兄ちゃん……!!」
(え、なにこれ、なにこれ、マジで、告白? 今、告白された!?)
佑夜の顔が一気に赤く染まる。
「う、そ……。うそよ……!!」
その瞬間、術式が暴走し、正義と佑夜の体は空間の外へと弾き飛ばされた――。
部屋に取り残された紅葉は、嗚咽を漏らしながら膝を抱えた。
「絶対……絶対に諦めない……。私は先輩を……振り向かせてみせる……」
翌朝――
ダイニングには、二人分の湯気が立つ味噌汁の香りが漂っていた。
母・戸祭 アンナは、早朝からキッチンで朝食を整えていた。
塩鮭に卵焼き、炊き立ての白米に、たっぷりの野菜が入った味噌汁。
理想的な和朝食である。
そして、その向かい側に座るのは――昨夜、正義との逃避行から帰ってきた娘、戸祭佑夜。
彼女はいつものように制服を着ているが、口元にはにやけが止まらない。
スプーンをくるくる回しながら、まるで夢見る乙女のような表情で語り出す。
「………ということがあってね」
味噌汁を口に運ぶ母の箸が止まる。
「いや〜、正義が私にぞっこんなのは知ってたけど、実際に言葉にしてもらえるとさぁ、やっぱ嬉しいよね〜。こう、心の奥がキュゥゥゥンってして、多幸感バリバリで、脳内麻薬がドバドバってさ〜」
「……脳内麻薬って、あんた……」
母はそっと湯呑みを置く。胃の奥が重くなるのを感じていた。
「いやね、なんかさ、優越感っていうの? 勝者の風格? “あの女狐”のくせに、愛されて当然って感じ? 私、生まれて初めて、“恋の勝者”の座に座った気がしてさ〜」
佑夜はぽわんとした笑顔のまま、箸を持ったままうっとりと宙を見つめている。
「しかもね? そのあと……二人で燃えたんだよ〜♡」
「ゴホッ……ッ!? 燃えた……?」
「うん。も〜う、語彙力なんて蒸発しちゃうほど。あっ、ママが思ってるより早く孫見せられるかも」
「………はぁ!?」
アンナの手がピクリと震え、茶碗を持つ指が白くなった。
目の前には、完全に恋に浮かれきった色ボケ女狐がいる。しかも、実の娘。
かつて好敵手として相対し、地上の全てを焼き尽くすほどの術式を操っていた月読と――同一人物とは思えなかった。
アンナは深く息を吐き、震える手でお茶を口に運んだ。
(……うーん………なんだこれ……惚気た脳内ピンクの色ボケ狐じゃないか
昔は、それこそ煉獄の女狐って恐れられてたのに。あの頃の面影が、一ミリもない)
「ねぇママ、聞いてる? ほら、“孫”ってキーワード、リアクション薄いよ〜?」
「聞いてるけど、ちょっと受け止めきれてないわよ!?」
(まさか……この私が……実の娘から、夜の事情を惚気られる日が来るなんて……)
刀で刺されるより、術式で焼かれるより――ダメージがでかい。
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