王宮地下の転移門の間 ~いきなり魔獣の洗礼なんて~
一瞬、まぶしい光に目がくらんだ。視界がもどると、石造りの部屋にいることが分かった。広くて立派な部屋。まるで西洋のお城のようだ。壁には照明用のたいまつの明かりがゆれていた。
「キィーーー」突然、耳をつんざくような音が部屋中に響いた。たまらず耳をふさいだぼくたちに、上空から黒い影が向かってきた。
「あぶない!」とっさに母に覆い被さり、身をかがめた。
ぼくの背中ぎりぎりをかすめて上昇する黒い影。
影は天井の梁をしっかりとつかみ、逆さまにぶら下がった。それは、体長三メートルはあろうかという巨大なコウモリだった。コウモリは獲物の位置を確かめるようにゆっくりと顔をこちらに向けた。余裕綽々といった感じだ。
「非常事態。非常事態」
母が提げた鳥かごの中で伝書カラスが鳴きわめいた。
ぼくは立ち上がって勇者の剣を構えた。剣は、たちまち長剣に変わった。
コウモリが、ガラスを釘でひっかいたような不快な鳴き声を発しながら、再び上空から襲ってきた。部屋全体がその声に共鳴してガタガタとゆれた。耳の奥にまで響く音。頭が割れそうに痛い。よろめきながら耳をふさぐ。まともに剣を構えてなどいられない。コウモリは容赦なく鋭い牙と爪でせまりくる。横に転がって、なんとかコウモリの攻撃をかわした。
「母さん、隠れてて!」
再び悠然と天井にぶら下がるコウモリを警戒しながら、耳を押さえて突っ伏していた母を助け起こし、柱の影に移動させた。
このままでは、戦いにならない。どうすればいいんだろう。ぼくの思いに応えるかのように剣が細かく振動しはじめた。それとともに「ブーン、ブーン」と剣がにぶい音をたてる。
「キィーーー」奇声を発してコウモリが急降下してくる。剣の振動が増して、音がさらに大きくなる。二つの音が共鳴してコウモリの鳴き声が消えた。ぼくの身体が勝手に動いて、大上段に構えた剣を振り下ろす。
「えっ?」
手からするっと剣がはなれ、コウモリめがけてまっしぐらに飛んでいく。
左に急旋回して剣をかわすコウモリ。体勢を整え再びコウモリが、ぼくに向かってくる。どうしよう。剣を手放したぼくに戦うすべはない。ただ呆然と立ちつくすぼくの目前にコウモリが迫る。思わず目を閉じて、両腕で顔をブロックする。
「グ、ギャー」
おぞましい叫び声が部屋中にこだました。目を開けると、床に転がるコウモリの姿があった。体にブーメランが刺ささり、傷口からから黒煙が噴き出していた。いっぱいにふくらんだ風船から一気に空気が抜けるようにコウモリの体が縮んでいく。そして、黒煙とともにコウモリは消えた。床に落ちていたブーメランを拾おうと手を伸ばすと、ペーパーナイフに戻った勇者の剣が、ひとりでにぼくの手におさまっていた。
ぼくは母のもとへ駆け寄った。
「大丈夫、母さん」
「ええ。それよりあなたは?けがはない」
母は立ち上がって、ぼくをまじまじと見つめた。
「このとおり、なんともないよ」
そう言って、その場でぴょんぴょん跳ねてみせた。
「よかった」
こわばっていた母の表情が少しゆるんだ。
「ない!」
唐突に叫ぶぼく。周りを見回したが見つからない。
「なにが無くなったの?」
うろうろと辺りを探しまわっているぼくに母が尋ねた。
「ベルトがないんだ」
戦いに夢中になっていて、ベルトが外れていたことに気づかなかった。コウモリに襲われたとき、引きちぎられたらしい。
「コウモリに持っていかれたみたい。どうしよう。ベルトがないと元の世界に帰れなくなっちゃう」
「ああ。それなら大丈夫。帰りは転移門を使うから」
動揺するぼくに、たいした事はないというふうに、さらっと母が言った。
「そうなの。よかった」
ほっと、ひと安心。
そのとき、どたどたと階段を駆け下りてくる音が聞こえた。
「おおー、これはサーヤ様。お久しゅうございます。よくぞお帰りくださいました」
フクロウが大げさに頭をさげた。
「えっ、うそー、マジ。フクロウがしゃべってる。しかも、二足歩行してるし」
「驚くことないわ。ソーニョでは人型に進化した獣人と人間が共存しているのよ」
冷静に考えると異世界の言葉が分かることも驚きだったけど。
そんなぼくにさらに衝撃を与えるフクロウの一言。
「王女様におかれましては、ご壮健で何よりでございます」
「王女様って?何?母さんが王女様?まさかそんな夢みたいな」
今まで平凡な一般ピープルだと思っていた母が、実は王女様?衝撃の真実!意外な展開に動揺するぼく。
母は、すました顔でフクロウに話しかけた。
「オウル大臣、あなたもお元気そうでよかったわ。父上、母上もお変わりなく?」
「それが…。王様は昨年に、お后様もその後すぐ、王様の後を追うように亡くなられました」
「なんてこと…。知らせてくれればよかったのに」
母は言葉につまった。
「異世界で幸せにお暮らしのサーヤ様に、ご心配をかけたくなかったのでしょう。お亡くなりになる前に、サーヤ様には知らせないようにと、お二人から申しつけられたもので。お二人のお心づかい、どうかお察し下さい」
「そうだったの…」
母は納得したのか、大きくうなずいた。
「ところで、エリオットは?」
オウル大臣が言いにくそうに口を開いた。
「エリオット様は…。現在大変危うい状況に陥られておりまして…。是非とも勇者様のお力をお借りいたしたく、ゲートの封印を解いて勇者様をお呼びいたした次第で。して、勇者様はいずこに?」
オウル大臣は、誰かを捜すように、きょろきょろと辺りを見回した。
「夫は、もう引退したの」
「なんですと!」
「えーーーー」
一同から驚きと落胆の入り交じった声があがった。あわてて母が説明する。
「あっ、でも大丈夫よ。代わりにこの子が」と言って、母は、ぼくの方を振り向いた。
「夫に代わり、勇者の剣に選ばれし者よ」
「ほーう。これは」
オウル大臣がぼくの顔をしげしげと見つめた。
「わたしたちのむす、こ、二代目勇者のイツキ」
何で?ぼくが、息子なの?そりゃあ、胸のふくらみも目立つほどじゃあないし、身長も一六四センチで、同世代の女の子の平均身長よりも高いし、ショートヘアーでアニメや漫画の登場人物みたいに自分のことをぼくって言ってるから、よく男の子と間違われるけど。花も恥じらう乙女に対して息子だなんて。ちょっと複雑な気分だ。母に抗議の視線を送ったら、母は顔の前で軽く両手を合わせ、目配せした。ぼくは、何となく訳ありなことを察して、しぶしぶ母に話を合わせることにした。
「初め、まして、イツキ、です」
男の子のような低い声で挨拶した。
後で母から聞いた話では、ソーニョでは、戦うのは男の仕事、女はとてもか弱い存在で、守られる立場にあると思われている。ぼくたちの世界でいうと、人々の暮らしぶりも考え方も中世の頃と同じなんだそうだ。だから、ぼくはソーニョでは、男の子のふりをしておく方が何かと都合がいいらしい。
それまでオウル大臣の後ろに控えていた軍服の三人の中から一人が進み出た。
「これは、立派なご子息で。初めましてイツキ殿。わたしは、近衛騎士団団長ウルフ・ガブリエルと申します」
その名の通り狼顔で身長一九〇センチ以上ありそうな、がたいの大きいウルフ団長が右手を差し出し、ぼくと握手した。
ぼくの手を握ったとき、ウルフ団長がちょっと眉をひそめように見えた。
「それが、うわさに聞く勇者の剣ですか。柄のこしらえも立派ですな」
ウルフ団長の視線は、腰のナイフに向けられている。
「えっ?ええ…」
あいまいな返事を返すぼく。
「オウル大臣、ソーニョで何が起こっているのか、詳しく説明してくださらない。王宮の中に魔獣が出るなんて、ありえないことだし。エリオツトの事も気になるわ」
「王宮に、魔獣が?すでにそこまで事態が悪化していたとは!。ウルフ団長、王宮の警備はどうなっているのかね」
「王宮に、敵と気脈を通じる者がいる疑いがあります。我々も全力でその者の捜索と魔獣に備え警備に当たっているところです」
「ここでは何ですので、ひとまず議場にご移動願います」