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ヴェルト草原 ~バッタの鳴き声は蠱惑の調べ~

 緑の大地が広がるヴェルト草原。ぼくたちは、この草原を縦断して妖精の村を目指す。ぼくのせいで遠回りすることになったので申し訳ない限りだ。が、ここは気持ちを切り替えていこう。馬と馬車は置いてきたから、当然歩いて行くしかない。

 見渡す限り視界を遮る物がない、遥か彼方に青い空と緑の大地の境界線がくっきりと見える。この広大な草原の中では、ぼくたち人間なんてちっぽけな点でしかないだろうな。ふと、そんなことを考えていると、団長が母とぼくに言った。

「ここは見通しがよく、わりと安全な領域でしたが、今はどんな魔獣が現れるか分かりません。くれぐれも警戒を怠らぬように」

 どこまでも続く緑の大地、抜けるように青い空、吹き渡るさわやかな風、ここが、魔獣が棲息する危険な場所であることを忘れるくらいだ。あまりにものどかな風景に、少々緊張感がうすれるけど、魔獣と遭遇しないにこしたことはない。

 団長の心配は杞憂に終わるかと安心していたところ、草原の中心付近で事態は急変した。

「あれを!」

 異常を察知したリンクスが声をあげた。

 リンクスが指さす上空に、巨大な雲のような塊が見えた。

「なんだ、あれ!」

「バッタの大群です」

思わず叫んだぼくに、団長が答える。

 バッタの羽音と、がじがじと草をかじる不快な音が聞こえてくる。大群の下では、青々と茂った草が食い尽くされ、茶色い土壌がむき出しになっていく。バッタの群れが確実にぼくたちの方へと近づいてくる。

「あれに飲み込まれたら、ひとたまりもありません。たちまち骨だけにされてしまいます」

 群れを見ながら団長が言った。

 このバッタのせいで、魔獣が逃げ出したか、あるいは喰われてしまったために、途中で魔獣に遭遇することがなかったんだろう。

「火炎魔法で群れごと焼き払えればいいのですが、そうすると草に火が燃え移って、我々も無事ではすまないでしょう」

悔しげな表情の団長。

「そうですね。シールドで防御したとしても、長時間直接火にさらされたら、防壁を維持することが困難になります」

 つまり、防壁がもたないってことだね。

 悲観的な心情を吐露する母。

 これだけ大量のバッタ。相手がバッタだからって、バッタバッタとなぎ倒すなんて、さすがにそんな都合良くいかないよね。ちまちまと一匹ずつ切り倒すのも、体力的に厳しいだろう。

「これじゃあ、埒が明かない」

 迫り来る脅威に焦るぼく。この状況を打開するいい手はないかと思案する。

「草に燃え移る?火に巻かれる………。そうだ!」

 ひらめいた!名付けてヤマトタケル作戦。

 幸いにしてぼくたちは風上にいる。それに、バッタの大群との距離もまだかなりある。これならなんとかなるだろう。

「ぼくに策があります。みなさんで周りの草を刈り取って下さい」

 みんな訳が分からず戸惑いながらも、それぞれの得物を手に周りの草を刈っていく。

 勇者の剣はペーパーナイフのままで変化がない。戦闘の時にしか変形しないのだろうか。

 ということで、ぼくや母は、みんながせっせと草刈りをするのを見守るしかなかった。

 やがて半径5メートルほどの円形のスペースが確保できた。

「これくらいでいいでしょう。ダスマンさん、バッタに盛大な火炎魔法をたたき込んでください」

「そんなことをすれば、われわれも火に包まれてしまいますよ」

「大丈夫。そうならないために草を刈り取ってもらったんですから」

「勇者殿には考えがあってのこと。言うとおりにしろ」

 躊躇(ちゅうちょ)するダスマンに隊長が凛然(りんぜん)と命じる。

「弾けろ紅蓮の炎、烈火の如く燃えさかる炎で、我の前に立ちはだかる敵を灰燼に帰せよ」

 ダスマンの杖の前に現れた握り拳サイズの火の玉が、次第に大きくなっていく。

「マキシマム・ファイヤー・ブラスト」

 直径1メートルくらいの大きさの火の玉が、ゆっくりとバッタの群れに向かって飛んでいく。

「みなさん円の中心に集まってください。母さん、ぼくらの周りにシールドで防壁を」

 防壁と草刈した範囲の端までは、約3メートルの間があるから、火が直接防壁に届くことはないだろう。

 空気が入ってくるようだから、煙も入ってくるかもしれない。

「念のため、みんな姿勢を低くして、煙を吸わないように口と鼻を布でおおってください」

「ドカーン」

 火球が爆発し、バッタの群れが燃え上がる。 次々に炎を上げながら、地上に落ちていくバッタ。その火が草に燃え移り、草原のそこかしこで火の手があがる。風にあおられて勢いを増した炎が上空のバッタも飲み込んでいく。

 そのとき、群れの中から、体長3メートルほどの大きなバッタが現れた。おそらく、こいつがボスだろう。

 ボスバッタは火に巻かれながらも、類焼を免れたバッタたちを、まるで掃除機のように、もの凄い勢いで口から吸い込んでいく。

「げっ。あれって共喰いじゃない。エグッ」

「厳密には、仲間を喰らっているのではなく、吸収しているのです」

 団長が説明してくれたけど、どっちだってかまわない。エグイものは、エグイんだ。

 ぼくたちは固唾をのんで、その様子を見守っていた。だけど次第に、立ちこめる煙で視界がきかなくなった。

 やがて、バッタの羽音も草をかじる音も聞こえなくなった。ボスバッタもろともバッタを一掃できただろうか。

 前方の煙の中で赤く(ほの)めいていた炎は消えたが、後方にまで燃え広がった火の勢いは衰えていない。

「ダスマンさん、魔法で火を消すことはできますか?今のうちに消し止めないと、広範囲にわたって草原が焼失してしまいます」

「やってみましょう」

 そう言ってダスマンが杖を掲げた。

「吹き出せ凄烈(せいれつ)なる水よ。豪雨となりて降り注げ。ウォーター・シャワー」

 無数の水玉が空中に現れた。大きさは、バスケットボールくらい。ウォーター・シャワーというより、ウォーター・ボールだな。

「弾けろ!」

 ダスマンの言葉通り、水玉が弾け、大量の細かい水の粒が激しい雨となって、地上に降り注いだ。

 ウォーター・シャワーの効果は抜群。おかげで、草原に燃え広がっていた火は、すっかり消えた。

 魔法の雨が止んで視界が開けた。辺り一面真っ黒な焼け野原になっていた。

「リリース」

 母が魔法防壁を解除した。

 その時、はじめてぼくは気づいた。目と鼻の先に、見上げるほどに巨大化したバッタが立っていることに。

「伝説の魔獣、蝗蟲帝王ロウカスト・エンペラー!」

声を震わせながら、母が呟いた。

「ロウカスト・エンペラーって?」

「数百年前に出現したという記録がある伝説の魔獣です。飽くなき食欲で、植物でも動物でも生き物すべてを手当たり次第に喰らいつくし、やつの通った後には、雑草一本も残されていなかったと。やつのせいで、いくつもの国が滅亡したということです」

 ぼくの疑問に団長が答えてくれた。

「国を滅ぼすほどの魔獣を昔の人は、どうやって倒したの?」

「やつの力は圧倒的で、当時の人々には倒すどころか、まともに戦うことさえできなかったそうです。ですが一ヶ月後、突然姿を消したということです」

「それじゃあ、やつが好き放題に暴れるのを一ヶ月間指をくわえて見ているしかないってこと。その間多くの犠牲者が出るかもしれないのに?やつを倒す方法はないの?」

「勇者の力があれば、やつを倒すこともできるのではないかと…。たぶん」

最後に団長が小さな声で呟いた「たぶん」が、引っかかったが、ここは、ぼくが何とかするしかないだろう。

「要するにここで、ぼくが倒しておかないと大変なことになるってことですね」

「そういうことです。微力ながら、われわれも加勢します」

「わたしは、先ほどの火と水の上級魔法の使用で、かなり魔素が減ってしまいました。残念ながら、ローカスト・エンペラーに対抗しうる強力な攻撃魔法は発動できません」

 ダスマンが、申し訳なさそうに言った。

 団長たちの期待を込めた圧い視線がまぶしすぎる。否応なくこのばかでかいバッタと戦うことに。やってやろうじゃないの害虫退治。

「闇雲に接近するのは危険です。どの程度ダメージを与えられるか分かりませんが、わたしが弓で攻撃してみましょう」

 トポロが矢をつがえて弓を引き絞る。放たれた矢が弧をえがいてボスバッタに飛んでいく。

 しかし、矢は簡単に跳ね返された。トポロが矢継ぎ早に射た矢も全て跳ね返され、ボスバッタは、何事もなかったように平然としている。

「だめか…」

 がっくりと肩を落とすトポロ。

「ロウカスト・エンペラーの甲殻は非常に硬い。普通の矢などでは傷一つ付けることさえできないか」

団長が、ため息まじりに呟いた。

「ならば…。電光石火」

 団長が奥義「電光石火」でボスバッタに斬りつけるが、ダメージ0。

 次にリンクスが奥義「エクストリーム・スプリット」で、ハウンドが奥義「穿孔(せんこう)」で攻撃したけど、リンクスの斬撃もハウンドの鋭い突きも全く効果無し。

 そもそも、相手が大きすぎて足にしか攻撃が届かないし。

 ぼくも勇者の剣で足を攻撃したが、大木のような足の外皮に少し傷がはいる程度で、カマキリのときのように、やすやすと切断することはできなかった。ただでさえ硬い外骨格で覆われたバッタが、ロウカスト・エンペラーに進化して、更にその強度を増しているようだ。

 剣では歯が立たない。巨大カメの時のように斧で攻撃したらなんとかなるかな?でも、ボスバッタの背に飛び乗って斧で攻撃しようにも、大きすぎてジャンプしても届かないだろう。と、思ったら勇者の剣が輝き出した。

「えっ!」

 勇者の剣は、ぼくの予想に反して槍に変化した。

「これで、どう戦えばいいのかな?」

 しばし頭をひねるぼく。ぼくの頭の中に戦闘のイメージが浮かんだ。

「見えた!ダスマンさん…」

「キュル、キュル、キュル・・・」

 ボスバッタが、足で激しく翅を擦り音を出し始めた。バッタの鳴き声?

 母や団長たちは虚ろな目をして、この音に聴き入っている。そして、武器を捨てて、ふらふらとおぼつかない足取りで、ボスバッタへと近づいていく。みんな、どうしちゃったの?

「母さんしっかりして」

 母の肩を激しく揺するが反応はない。

 どうやら、ただの虫の鳴き声ではなさそうだ。この音って人を操る催眠音波か何かだろうか?ぼくには効果はないようだ。とにかくこの状況を何とかしないと。でも、どうしたら?

勇者の剣は沈黙したまま。コウモリの時のように振動することはない。

「何かないか。何か…」

 鳴き声を聞こえなくしたらいいんだけど…。

「そうだ!」

 ポシェットからスマホとワイヤレスイヤホンを取り出す。音楽再生アプリを起動。母の両耳にワイヤレスイヤホン差し込み、ボリュームマックスで音楽を流す。

 ♪♪♪…

「母さん、ぼくがわかる?」

 耳元で声を張り上げるぼくの言葉に頷く母。

「よし、うまくいった」

 イヤホンを外そうとする母に。

「待って、母さん。しっかり耳をふさいでて」

 イヤホンを解除して、ボスバッタにスマホを向ける。

♪♪♪…

「だめか…」

 スマホから音を出したが、音量が小さくて全く効果なし。

 ぼくの意図を察した母が魔法を発動した。

「ラウドスピーカー」

 増幅された音が鳴り渡る。いける!

「さあ、盛大にいきますか!」

 新たな曲を選び再生。

♪♪♪♪♪…

 8ビートの軽快なリズムが草原中に轟き、ボスバッタの鳴き声を打ち消した。と同時にみんな正気を取り戻した。見事、作戦成功。

 スマホを母に渡して、ダスマンに声を掛ける。

「ダスマンさん…」

「はいっ?」

 スマホの音で相殺されて、ボスバッタの鳴き声は消せたけど、騒音でぼくの声が届かない。ぼくは、精一杯大きな声で、ジェスチャーを交えてダスマンの耳元で叫ぶ。

「ダスマンさん、少しの間だけでいいんですが、やつの視覚と聴覚を麻痺させることはできますか?」

「それくらいなら残った魔力でもなんとかなると思います」

「バッタの耳は、後ろ脚の付け根にあると聞いたことがあります。そこを狙って下さい」

「分かりました」

 ダスマンが、杖の先をボスバッタに向けた。

「ファイヤー・ボム」

 あれっ?詠唱を短縮してる。かっこつけた文句を考えてる余裕がないんだろうな。

 杖から小さな炎の塊が続けざまに放たれた。ボスバッタに当たった火の玉が炸裂し、爆音と煙がボスバッタの聴覚と視覚を奪う。

その隙に乗じて、ぼくは素早くボスバッタの腹の下に潜り込んだ。

そして、槍を大きく振りかぶり、勢いよく助走をつけて、頭上の腹目がけて思いっ切り投げつけた。

「いっけーえ!」

 一直線に飛んでいった槍の穂先が腹部の外皮を突き破り、ボスバッタの腹にめり込んだ。思った通り腹部の外皮は背中より柔らかいようだ。

「どすーーーん」

 仰向けにひっくり返るボスバッタ。

 毎度お決まり、傷口から黒煙が噴き出し、ボスバッタがみるみる縮んでいく。やがて、跡形もなく消え失せてしまった。

 これもお決まりの事だけど、ペーパーナイフに変形した勇者の剣が、いつの間にかぼくの手に戻ってきた。

 団長たちが、ぼくの所へやって来て何か言っている。けど、スマホの音がうるさくて何を言っているか分からない。気づいた母が、ラウドスピーカーの魔法を解除し、曲の再生を停止した。

団長のねぎらいと賞賛の言葉。これもお決まりになってきたけど、あまりほめられると気恥ずかしい。

なんとかボスバッタ=ロウカスト・エンペラーを倒したぼくたちは一路、妖精の村を目指した。


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