最終話 晶子のサマー・サスピション
新宿は繁華街の喧騒から少しばかり離れた一丁目の一角、ママの事務所がある雑居ビルの前にミエルは立っていた。前の事件に絡む厄介事もママの奇策のおかげですっかりほとぼりは冷めている。これでまた仕事と受験勉強の日常に戻れるのだ。
積んできたミエルの荷物を降ろすと高英夫はこのまま設営機材を戻して車を返しに向かうと言う。
「高さん、ボクもショーの出演メンバーだったんです。だから機材の片付けも手伝います」
「ありがとうな、少年。だけどその気持ちだけで結構だ。俺のことよりママを待たせちゃマズいだろ」
高英夫は一人運転席に乗り込むとウインドウを開いて舗道に立つミエルに言った。
「少年にとってはいろいろあっただろうけど、全部まるっと夏の思い出ってことにしちまえばいいさ。さて、それじゃあ俺は機材を降ろしたその足で久米川さんに車を返してくる。今日はもう事務所に戻らねぇからママによろしく伝えておいてくれ」
「わかりました。本当にいろいろありがとうございました」
ミエルは運転席の高英夫に深々と頭を下げる。すると彼は身を乗り出して最後にミエルの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「こっちこそありがとうな。そのうちまたいっしょにやろうぜ。じゃあな」
青いコンパクトカーは発進合図のウインカーとともに動き出す。徐々に加速して三つ目の交差点で右折するテールランプを見送っているとこちらに駆け寄って来る足音とともに懐かしい声がミエルの名を呼んだ。
「ミエル、やっと帰って来たし」
「あ、ただいま、晶子」
そこには事務所での仕事もすっかり板について来た明日葉晶子が上機嫌で立っていた。最初の頃はお茶出しや電話番くらいだったのが今ではママの管理下にあるテナントの帳簿やらクラウドサーバーやらの管理、その上簡単な書類ならば士業の真似事までこなしている。なにより暴漢相手にミエル以上の立ち回りまで見せるのだ、まさかこの仕事にここまで馴染むとは。ミエルは学校では一年後輩である彼女のことを仕事の上では対等かそれ以上に見ているのだった。
ところでミエルには気になることがあった。前の事件では晶子もダイモングループの手下たちと一戦交えている。ならば自分以上に報復のターゲットにされるのではないか。自分は緊急避難で疎開していたけれど晶子の身の安全はどうなっているのだろうか。しかしその疑問はすぐに解決した。
今日の晶子はデニムのショートパンツに彼女にしては珍しくカラフルなアロハシャツのコーディネート、いつものように少しばかり居丈高ながらも人懐っこい笑顔にジュリアの面影が重なる。
「ダメだ、ダメだ。ボクはもう帰って来たんだ」
ミエルは浮かぶデジャヴを打ち消さんと首を振った。
「ミエル、少し日焼けしてるし、やっぱ向こうも暑かったっしょ」
そう言ってミエルの顔を覗き込む晶子の肩越しにブラックスーツを着て立つ青年の姿が見えた。それはいかにも格闘家然としたやけに存在感のある姿だった。ミエルが見るともなしに彼に視線を向けるとすかさず晶子が言う。
「あ、あの人はいいの、気にしないで。さ、事務所行くよ、ママが待ってるし」
なるほど、そういうことか。ママは晶子にボディーガードを付けたんだ。あの人がきっとそうなんだ。ぼんやりとそんなことを考えているミエルを晶子が急かす。
「ほらミエル、さっさと行くし」
そう言ってビルに入っていく晶子の姿を追いながら、ミエルは今一度振り返ってこちらを見つめる青年に小さく会釈すると荷物を抱えてその場を後にした。
二人は狭い階段を昇っていく。今日はめずらしく文句ひとつ言わずに先を行く小柄な晶子の後ろ姿を見るミエルの胸は温かい懐かしさに包まれていた。ところがそんな気分を打ち破るように晶子がいきなりこちらを振り返る。
「それでミエル、いったい何があったし」
「え、な、何って、そんな、な、何もないよ。高さんとステージやって温泉に入って、あとは受験勉強とか……」
「ふ――ん、ほんとかなぁ」
「ほ、ほんともなにも……」
「え――っ、せっかくの夏だったし、温泉だったし、ひと夏の経験とかロマンスとか絶対あったし」
「ないない、そんなこと絶対ないって」
晶子は階段の中腹でミエルの顔を見下ろすように覗き込む。まるですべてを見透かしているのだと言わんばかりのサディスティックな微笑がミエルの中でまたもやジュリアのそれと重なる。
「ミエルってすぐ顔に出るっしょ。だから潜入調査でもすぐにバレるし」
「え、ええっ?」
「ここ二、三日、ママも慌ただしかったし、相庵警部は来るし、あたしは紀伊国屋まで地図を買いに行かされるしで、だからミエルはまたヘンな事件にでも巻き込まれたのかなって心配したし」
「なんだ、そっちの話か。うん、ちょっとバタバタしたけど詳しいことは話せないんだ。晶子だってわかってるよね、ボクたちには守秘義務があるってこと」
「もちろん知ってるし」
そう言うと晶子は緊縛ショーでの高英夫の如くミエルを尋問するかのようにその顔を近づけて来た。
「ふ――ん、そっちの話ってことは別の話があるってことっしょ。学校はまだ夏休みだし、これからじっくり聞かせてもらうし。ふふふ、ちょっと楽しみかも、疑惑に満ちたミエルの夏っしょ」
それだけ言うと晶子はママが待つ事務所へと急ぐ。ミエルも荷物を抱えながら遅れまいと後を追う。
「晶子、違うんだ、とにかく話を聞いて……って、話せるわけないじゃないか、あんなこと。マジで今夜はピンチかも」
男の娘探偵ミエルの冒険シリーズ
アウルズフォレスト・コネクション ~ 男の娘探偵は二度死ぬ
―― 終幕 ――
謝辞:
短編のつもりが中編になってしまった本作ですが、今回もお読みくださりありがとうございました。
次回は短編、その後は長編第三弾も構想中です、またお会いしましょう。