第10話 午前二時の拘束
ミエルくん、お約束のピンチです。
「こんなところに大麻草の自生地があったなんて。ママは伝手があるからって言ってたけど、ボクたちをここに送り込んだほんとの理由はこれだったのかも知れない。再開発と大麻なんてマジでママが好きそうなネタだよなぁ……って、いけない、いけない、余計な詮索は禁物、とにかくさっさとドローンを回収して引き上げなくっちゃ」
ミエルは墜落したドローンを回収するために森の中へ足を踏みいれる。しかしその前に今一度衣服の上から全身に防虫スプレーを吹き付け、乗って来た自転車を手近な茂みに隠した。
空撮のおかげでおおよその方向はあたりが付いていたし、祠へ向かう踏み分け道の途中にも分岐点ができていた。こうしてミエルは迷うことなく開けた自生地にたどり着くことができた。
いざそこに立ってみると思っていた以上に広かった。ミエルの顔の高さほどの大麻草の特徴的な葉が風にそよいでいる。
「どこに落ちたかなぁ……よし、まずは外周から見て回ろう」
ミエルは今いる場所から半時計回りに探索することにした。起点を六時とするならば十一時あたりの位置だろう、その周辺は日当たりがよいのか草はミエルの背丈ほどに生い茂り、そこに目的のドローンが引っかかっていた。
「よかった、地面に落ちてなかったのはラッキーだったね」
ミエルは大麻草を傷つけないように注意しながらドローンを救出する。続いてそれを地面に置いて動作の確認もしてみた。
「よし、大丈夫、ピンチ脱出だね。さてと、ボクもここから脱出だ」
ミエルはドローンをリュックに詰め込むと今来た道を戻って大麻草の自生地を後にした。
森から出たミエルが帰路に就くため隠しておいた自転車を茂みから引っ張り出したとき、ミエルは背後に人の気配を感じた。恐る恐る振り向くとそこに立っていたのは農作業スタイルのジュリアだった。
「あ、ジュリアさん。ジュリアさんもフクロウの様子を見に来てたんですか?」
「ご挨拶はいいわ、単刀直入に聞かせてもらう。さっき飛ばしていたドローン、あれはミエルの仕事?」
「仕事だなんて……あれは練習です。そう、夏休みの自由研究みたいな。せっかくなのでフクロウの森を上空から撮影してみようかな、って考えたんです。それにそんな動画が撮れればジュリアさんのウェブサイトに載せてもらえるかな、って」
「なるほど、即興にしてはまずまずの出来ね。でも口数が多すぎるわ、スパイとしては失格ね」
「そんな……スパイだなんて」
「残念ながらあたしもいたのよ、あの場所に。ドローンは上空なんてレベルじゃない低空で飛んでたわ、それはあそこにある何かを撮るためだよね」
「ボクはただ森を撮っていただけです」
「もういいわ。とにかくボクッ娘スパイミエルの任務は失敗、囚われの身になりました、ってね」
ジュリアは後ろ手に隠していたスプレーをミエルの顔に向かって吹きかけた。避ける間もなく意識が朦朧とするミエル。その場に倒れ込むその小さな身体をジュリアは素早くささえるとそのまま抱きかかえて彼女もまた茂みに隠していた愛車の幌付き軽トラックの荷台に横たわらせた。続いてミエルの荷物と自転車も荷台に載せると後部の幌を降ろす。そして周囲を一瞥して人目がないことを確認すると彼女は軽トラックを駆ってフクロウの森を後にした。
――*――
ミエルが目覚めたそこはやけに古めかしい一室だった。玄関のすぐ脇には小さな流し台、四畳半に六畳間が続くアパートでよく見る間取りだった。生活の拠点は四畳半なのだろう、最小限ではあるが少しばかりの家具とテーブルの上にはノートパソコンが置かれている。そしてミエルは奥の間になる六畳間に置かれた柔らかいソファーベッドに寝かされていた。
「あ、これは……」
ミエルの頭上にはステンレス製のパイプ、それは高英夫のショーで使う無骨な鉄パイプよりは華奢であったが小さな身体を固定するには十分な強度があった。その正体はぶら下がり健康器、ご丁寧にも健康器の足の部分にソファーを置いて簡易拘束台にしているのだった。そしてミエルの両手はバンザイするように細身の荒縄でパイプに固定されていた。
しかしそれなりに場数を踏んできているミエルは慌てることなくまずは周囲の様子を観察する。自分が寝かされている部屋の奥には鉢植えの植物が四鉢、そこから漂ってくるのだろう、やたら青臭い草むらのような匂いを感じた。玄関に近い四畳半に人の姿はないが長押にかかるハンガーに吊るされた女物の衣類からここがジュリアの住まいであることは容易に想像できた。
耳を澄ましていると微かにシャワーらしき音が聞こえてくる。音の主はおそらくジュリアだろう。ミエルは彼女が入浴を終えるまでの間にできる限りこの部屋の情報を得ようとさらに周囲を見渡した。
壁に掛かる時計は二時を指している。ミエルがドローン撮影をしていたのはそろそろ正午にならんとしていた頃だったがしかしキッチンの窓の外は暗い。そうか、今は午後ではなく午前二時なんだ。ミエルはすぐにそう察した。
「夜中の二時ってことは高さんが心配して動いてるかも知れない。動画は既に送信しているからママと晶子にこの状況は伝わってないかなぁ。やっぱ高さんだけが頼りか」
すると浴室へと続く引き戸が開く。現れたのは予想通りジュリアだった。赤みを帯びたベリーショートの髪はまだ乾ききっていないもののファウンデーションのみの薄いメイクをしているのはミエルの存在を意識しているからかも知れない。淡いピンクのキャミソールに薄い水色のトランクス、タオルで髪と首周りを拭きながら彼女はミエルの前にやって来た。
「お・は・よ・う、ミエル。それにしてもよく眠ってたわね、もう夜中の二時よ」
「ジュ、ジュリアさん……ですよね」
「そう、ジュリアさんだよ。どう? これがあたしの本当の髪型なんだ」
四畳半からの照明が逆光になってジュリアの表情はうかがえなかったがそこに悪意は感じられなかった。幸い足は拘束されていない、いざとなったら力を振り絞って立ち上がってしまえばいい。相手は自分が女の子だと思っているはずだ、油断と隙を突いてピンチを脱することができるかも知れない。ミエルのそんな気持ちを察したのだろう、ジュリアはミエルの足が届かない位置にしゃがみ込むと拘束された姿をじっくり観察していた。
やがて立ち上がると四畳半に戻って何やらガサゴソとやり始めた。そして彼女がミエルの前に戻って来たとき、その手にはクラフトテープとシガレットケースがあった。
「ふふふ、怖がらないで。このジュリアさんが大好きなミエルに拷問なんてするわけがないし。だから少しだけおとなしくしててね」
そう言いながらジュリアは両切りの紙巻きたばこを咥えると火をつけて妖しい煙を肺の奥へと送り込む。逆光の中でその顔が恍惚に満ちていく。そしてもう一服、ジュリアは再び煙を吸い込むとミエルに近づいて身体を重ねるように覆いかぶさる。少しばかりおびえた表情を見せるミエルの唇に自分の唇を重ねると震える口の中へとその煙を流し込むのだった。




