第1話 死んでもらいます
ちょっとエッチでスリリング、夏休みでもピンチ、ピンチなミエルです
関東平野の奥座敷、その先はもう越後や三国の山脈地帯の山あいとなるあたりにその温泉街はあった。かつては社員旅行の需要を目当てに栄えていたそこも今では人影もまばらなすっかり寂れた、もとい、鄙びた温泉街となっていた。
小林大悟は小柄な体躯とその風貌を生かしての女装、すなわち男の娘として、高校生でありながら新宿のママと呼ばれるやり手の実業家の下で潜入調査を得意とするエージェントの真似事をしていた。そして今、彼は夏休みを利用してこの町にやって来たのだった。
しかし彼は一人で来たわけでもなれば来春に控えた大学受験に備えての勉強を目的としているわけでもなかった。前の事件で行動を共にした緊縛師を名乗り怪しげなショーを生業とする青年、高英夫、彼もまたミエルに同行してここに来ているのだ。もちろんそれには理由があるのだった。
話は数日前に遡る。そこは新宿の喧騒から少し離れたあたりに建つ古ぼけたビル、新宿のママのオフィスでのことだった。学校帰りのミエルは男子の制服を着た小林大悟としてママの前に立っていた。
「大悟ちゃん、ううん、ミエルちゃん、あなた、夏休みの予定はどうなってるのかしら?」
「特に何も……あ、受験対策の夏季講習に……」
「そう、何もないのならば、そうねぇ、ちょっと旅行でもしてきたらどうかしら」
「いえ、だから夏期講習……」
「私の知り合いが小さなストリップ劇場をやってるのよ。北関東の奥の方にある温泉街でね、いい具合に鄙びた所なの」
自分から予定を聞いておきながらミエルの話はまったく聞いていない、いや、むしろ明らかに彼を無視して話を進めている。ママがこんな態度のときは素直に従っておくのが得策なのだ。それを熟知しているミエルは講習への参加はあきらめるしかないと腹を括るのだった。
前の事件からひと月以上が経過していた。不動産デベロッパーの名を借りた悪徳地上げ屋、歌舞伎町のデーモンと恐れられていた男、大門啓介の野望が打ち砕かれた話は実業界のみならず裏社会のお歴々にもあっという間に広まった。やれ首謀者は縛り屋とバニーガールだの、その小娘は一見すると虫も殺さぬ風貌だが平気で人を殺める危ないヤツだとか、とにかくあることないこと噂されていたが、幸いにもミエルの正体、それが男の娘だとか高校生だということまでは知られていなかった。
「でも時間の問題よね、素性がバレるのは。だからミエルちゃん、夏休みを利用してしばらく新宿を離れなさい、ってことなの」
確かにママの言うことには一理ある。今のところ自分や晶子につきまとうような連中は見かけない。しかしそれも時間の問題だろう。いや、そうなってからでは遅いのだ、自分たちだけでなく学校やクラスメイトにも迷惑がかかってしまう。もしかしたらこの仕事のこともバレてしまうかも知れないし、そうなったならば学校も辞めなくてはならないだろう。
よし、ここはママの言う通りにしよう。勉強は自習すればいいしネットで情報を得ることもできるのだ。せっかくだから温泉にでも浸かって来よう。
「わかりました。でも戻ってきたらまた同じなんじゃないですか? 人の噂も七十五日なんて言いますけど、夏休みはそんなに長くないですし」
「だから私なりに策を講じてるわ。とりあえずミエルちゃん、あなたには死んでもらいます。もちろん替え玉だけどね」
「マ、マジですか?」
「もう人の手配はできてるわ。ヒデミちゃんって覚えてるわよね」
「ええ、バニーガールの衣装を作ってくれたあの大きな人ですよね」
「そう、その彼の伝手でアングラ劇団をチャーターしたのよ。彼らに緊縛ショーを再現してもらって、そこで大門に恩義を感じていた暴漢に二人揃って刺されるってシナリオでね。もちろん全部仕込み。それでも噂はあっと言う間に広まるわ。こうして全部リセットしてしまおうって寸法よ」
それにしてもいくらかかるんだろう。かなり大掛かりな仕込みだ、決して安いものではないだろう。そんなことを考えているミエルの気持ちを見透かしたようにママは続けた。
「ミエルちゃん、あなたはお金の心配なんてしなくていいの。もちろん経費分をギャラから天引きなんてこともしないわ。そんなことよりつまらないことであなたを失うことの方がはるかに痛手なのよ。だからこれは事務所の必要経費ってことで処理するの」
「わかりました、ママ。何から何までありがとうございます」
ミエルはデスクの向こうに座るママに向かって深々と頭を下げた。
オフィスのドアをノックする音が聞こえた。同時に明るい声とともにドアが開く。何事かとミエルが振り返るとそこに立っていたのは白いTシャツに黒いレザーの上下という出で立ちの高英夫だった。そろそろ革ジャンでは暑い季節になりつつあるが彼曰くこのスタイルが自分のアイデンティティだと言う。なにより万一暴漢に刺されることがあっても革ならば少しはマシだろうというのも彼なりの考えだった。
「ママ、秘書の久米川さんから車のキーをもらってきました。小さいリッターカーですけど俺とミエル少年の二人なら十分です。ほんと、いろいろ手配してくれて助かりました」
「いいのよ、先の事件では高先生のおかげでうちも儲けさせてもらったんだから。水臭いことは言いっこなしにしましょう」
「恩に着ます」
高英夫もまたミエルと同じくママの計らいに頭を下げた。
高英夫とママの二人はビルの前に停めた車の前に立っていた。彼が駐車場から出してきたブルーメタリックの小さな車、後部座席が倒されたそこにはいくつかの大きな黒い布製バッグに収まった彼の設営機材が積まれていた。あとはミエルが来るのを待つだけだ。
「お待たせしました!」
いつものように男の娘に扮した小林大悟ことミエルが大きなバッグとキャリーケースを携えて息を切らせてやって来た。
さあいよいよ出発だ。乗り込む前にミエルがママに問いかける。
「ボクはこれから避難しますけど晶子は大丈夫なんですか?」
「ミエルちゃん、あなたはあなたのことだけ考えていればいいの。こっちはこっちで考えてあるわ。だから心配無用よ」
「わかりました。それでは、ママ、いってきます」
そして車は走り出す。サイドミラー越しに彼方へと小さくなっていくママの姿をぼんやり見つめるミエルに高英夫は早速新しいショーの話を始めた。
「ミエル少年、今度はバニーじゃなくてスパイ、囚われの身の女スパイの拷問ショーって設定なんだ。よろしくな」
またもや緊縛ショーかと呆れたため息をつくミエル、そんな彼らがステージを終えた直後に刺されて亡くなったとの噂が新宿界隈に広まったのはそれから三日ほど経ってからのことだった。
※今話に登場する前の事件はこちらです。併せてお楽しみください。
エスケープ・フロム・デーモンタワー ~ ミエルと晶子の救出、脱出、危機一発!
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