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08 伊丹の鴻池新右衛門

「重成!重成は居るや?」

「はっ、重成此れに。」

「酒を飲みに行く。供をせよ。忍びじゃ。身なりはそこそこにな。」


木村重成を供に、小商いに成功した小領主の風情に身を(やつ)して城を出る。


「秀頼様、もう城下も出てしまいまする。いったい何処(いずこ)に?」

「伊丹じゃ。伊丹の清酒を飲みにゆく。旨いぞ。」

「はぁ。清酒で御座るか。あれは喉の通りは良う御座るが腹は膨れませぬ。普通の濁り酒が良う御座る。」

「まあな。実は儂も同じ思いだが、此処は我慢せよ。狙いは酒ではなく酒を造っておる主人の方だ。伊丹で手広くやっていると聞く。」

「ほう?そのような者が伊丹に………。」

「鴻池直文新右衛門と云う男でな。今でこそ酒を扱って居るが、かの山中幸盛、尼子残党を纏めてしぶとく抵抗していた、あの鹿之介の長男なのだ。その新右衛門が上方の酒を江戸まで輸送し財をなすなど、海運に造詣が深い。水軍が事実上壊滅しておる今なら海上の道は早い者勝ちなので、いち早く取り込みたい。」


重成と話しながら馬を進めていく。陽も中天を越え傾きかけた頃、(ようや)くそれらしい大店が見えてくる。


「あれのようで御座いますな。」

「うむ。」


店の前の繋ぎ場に馬を残して店に入る。


「御免。こちらで良い酒を造っていると聞いて参ったのだが、主の新右衛門殿は居られようか?」

「!し、暫しお待ち下さい。」


番頭は我々の身なりを一瞥してすぐに只者ではないと察したのだろう、奥に取り次ぐ。暫くして番頭が戻り新右衛門との面談が叶った事を告げられ離れへ案内される。


「これは御武家様。本日はどのような御用で御座いましょう。」

「はっはっはっ。新右衛門殿も元は武家の流れで御座いましょうに。大坂城の主、右大臣秀頼で御座る。此方の供は腹心の木村重成と申す。お見知り置きを。」

「ひ、秀頼様!!これは知らぬ事とは云え、失礼いたしました。」

「いやいや。突然の来訪であるのに、時間を貰い忝ない。今日はそなたを見込んで依頼したい事があってな。」

「只の酒蔵鴻池の私などに?」

「隠さずとも良い。そなたが只の酒蔵の主でない事は承知しておる。すでに江戸まで清酒を売りさばいていると聞く。あの倹約の権化、家康の足元でいまだ贅沢品である清酒を売り捌くとは、なかなかに肝が据わっておらねば出来ぬ事よ。」

「これはしたり。秀頼様は随分と良い耳をお持ちのようですな。なに、家康殿は倹約家でも幕閣の方々は案外と息抜きもお好きなようですぞ。されど家康殿の手前、形に残る贅沢は怖い。そこで清酒の出番でございます。酒であれば、飲んでしまえば消えてなくなりますのでな。後腐れのない贅沢ができるので御座います。」

「成る程、成る程。流石に目の付け所が素晴らしい。その新右衛門殿を見込んで話すのだが、どうだ、上方と江戸だけでなく、上方と長崎の航路を常設致さぬか?」

「長崎!………ふうむ………。」

「知っておろうが長崎では海外交易が盛んになってきて居る。だが、長崎から先の日ノ本各地への定期航路が無い。これではせっかくの物品も長崎で詰まってしまう。」

「長崎に荷揚げされる海外物をこの新右衛門が日ノ本各地へ売り裁けと………。」

「うむ。家康の足元の江戸で清酒の需要を見抜くそなただ。海外物でも扱えよう。勿論、上方航路の末端の大坂では豊臣家が顧客になる。幕府に海上封鎖されぬ準備も進める。どうだ、悪い話では無いと思うが。」

「確かに、江戸への航路に比べれば航海そのものはずっと楽ですな。途中の停泊地も多く豊かな地も多い。下関からは日本海側に足を伸ばす手も有る。能登ぐらいまでであれば、十分採算が合いそうですな。」

「あの………、能登以遠はだめなので御座いますか?」


ここで木村重成が質問を挟む。あぁ、重成は北陸・陸奥の事情に疎い。そう思うのも無理はないか。


「ええ。木村様はご存じ無いでしょうが、上方から西国と、関東・北陸・陸奥とでは商いの難しさが異なるのです。関東・北陸・陸奥ではまだまだ庶民が持つ銭が少なすぎて常設市ですら滅多に有りませぬ。商いをするための下地がまだまだ未熟なのでございます。」

「うむ。その上近年の家康の統治がそれに輪をかけておる。ひたすら質素倹約では商いの芽も枯れてしまおうと云うものよ。」

「真に。金は天下の廻り物と申しますが、家康様のなさりようは回らぬように回らぬように働かれている有様。あれでは商家の未来は暗うございますなあ。」

「商家が成り立たぬと云う事は庶民も貧困であると云う事だ。今の豊臣家では日ノ本の東までは力が及ばぬ。だが西半分なら幕府の影響を抑えて商家や庶民の自然な生業を育む事ができよう。まずは日ノ本の西半分の商いを活性化させるため、新右衛門殿に白羽の矢を立てに来たのだ。」

「先ずは………と仰せですか。すると何れは東半分も?」

「西半分の次は北陸、出羽といった日本海側になろう。此方は海の難所が少ない。古の十三湊(とさみなと)などは大陸との交易で栄えていたほどじゃ。だが常陸以北の東側は難物だ。最初の難所、犬吠埼が越えられぬ。」

「秀頼様がそこまでご存知とは。幕府の方々と比べるのは失礼で御座いますが、天地ほどの差がありますな。」

「彼奴等は、基本的に奪うことしかせぬからな。育て育むという発想が無い。」

「されば、秀頼様は戦で幕府を打倒されるお積もりで?」


新右衛門の眼の底が光る。おっと俺(秀頼)を試してきたか。ここが正念場だな。


「そんな事はせぬよ。幕府が攻め寄せて来るなら撃退するがの。第一、戦は無駄が多すぎる。江戸まで攻め下る為の潰えが如何ほどか、ざっと考えるだけでも頭が痛くなろう。もうすぐ再び幕府が上方へ攻め寄せてくるようだが、東国の民には気の毒な事じゃ。」


木村重成が驚いた顔をしている。これから本気で戦うと言っていた秀頼だからな。まあ、そのうち判る。


「ほう、ほう。秀頼様は自らは戦を仕掛ける気は無いと。では如何にして日ノ本の東半分まで豊臣家の意向を反映させるお積もりでしょうや?」

「うむ。そこはほっておけば良いだけなのじゃ。日ノ本西半分の交易が栄え、商家が豊かになれば日ノ本西半分の各地で特産品作りが始まる。米の生産に不適な地でも今は仕方なく米を造っておるが、米が大量にできる地から買えば良くなるからの。その土地々々に適した産物を作るほうが絶対豊かになる………人々は馬鹿ではないし、商家もそれを後押しするだろう?そうして数年もすれば、日ノ本の西半分は豊かになり、東半分は貧困のままだ。するとどうなる?重成。」

「せ、拙者で御座いますか!そ、そうですな………西と東の境目、三河や越中の民が自ら日ノ本西半分の真似をし始めるでしょう。そして隣まで来ている商家を呼び寄せて自分たちも隣国のような豊かさを得ようとするでしょうな。」

「流石、秀頼様のお側付きをなされる木村様。この新右衛門の見立ても同じですぞ。そしてその隣の国も数年を経ずして同様になる。いずれは日ノ本全体が豊臣色になる………だからなにもせずとも良い………と。秀頼様は恐ろしいお方じゃ。武力のみが戦と思い込んでいる幕府方は知らぬ間に追い込まれてしまう………。」

「なに、儂がせずとも時間の問題で(いず)れはそうなる。だが、どうせなら我が豊臣がそれを早めてやるほうが、日ノ本の為になるのでな。今、世界中で同じことが起きつつ有る。その結果として南蛮船が日ノ本近海までやって来ているのだ。此処で徳川の阿呆共に歩みを止められては日ノ本が南蛮人に大きく遅れを取ってしまう。それだけは避けたい。」

「ぶはははっ。阿呆と来ましたか。面白い。いや、もしも秀頼様が戦で幕府を打ち倒すとのお考えであれば、お断りする積りだったのです。だが、秀頼様は世の移り変わりを早める事で幕府を骨抜きになさると云う。まるで観ている広さが違いますな。この鴻池新右衛門、感服致しましたぞ。秀頼様の掌に乗り一働き致しましょう。」

「うむ。鴻池新右衛門であれば必ずや解ってくれると思うていた。先の話になるが、何れ豊臣で南蛮船も建造する。さすれば犬吠埼も越えられよう。商用に適した南蛮船が建造できたなら、鴻池に貸し出す事も心に留めおいてくれ。」

「はははっ。下賜ではのうて、貸しで御座るか。だが、貸しだからこそ本気と判りまする。その時を楽しみに、先ずは長崎-大坂航路の常設を試みましょう。」


その日は鴻池新右衛門と夕餉を共にするまで語り合い日ノ本の未来に夢を馳せた。

………困惑する木村重成も相伴(しょうばん)して。





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「西と東の境目、三河や越中の民が自ら日ノ本西半分の真似をし始めるでしょう」 いや〜、最初は「切り取り強盗武士の習い」を実行するんじゃないかなぁ。ある所から取って(獲って)くれば良い、と。 まぁ最終的に…
なるほど。水軍ではなく水運ですか。 貿易には消極的な徳川幕府ですから、利に聡い商人や大名は上手くすれば乗ってきそうですね。 あれだけ金銀が採掘されてたのに結局宝の持ち腐れでしたし。 このスキームがまと…
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