07 宇喜多秀家の置き土産
「明石全登殿。遅くまですまぬ。だが、これは余人を交える訳には行かぬ。許せ。」
明石全登を秀頼寝所まで招き入れる。
「何をいまさら、秀頼様。再び戦う場を頂いたこの全登。何なりとお申し付けくだされ。」
明石全登は関ケ原の戦いで奮戦した大軍、宇喜多勢の実質的指揮官だ。中級指揮官の多くが欠けている状態にもかかわらず、軍を維持した実績は信頼できる。だが今はその宇喜多の重鎮だったという肩書が必要だ。
「服部藤内殿をご存知か?」
「?服部藤内………さて………いや、たしか………秀家様が時々『藤内!』と呼ばれていた事が有ったか………。」
「全登殿も面識はないのだな。服部藤内は秀家殿が抱えていた伊賀者の棟梁だ。」
「!」
「さきほど皆に話した戦略だが、あれだけでは実はまだ不足だ。流石に真田は気がついていたようだが。」
「忍びが必要と………。そうか、真田殿は僅かとは言え忍びも抱えて居りましたな。」
「うむ。軍を急所にぶつけるには、繋が必要だからな。目も見えぬ、音も聞こえぬでは如何な猛将勇卒とて力の振るいようが無い。」
「確かに。」
「そこで服部藤内殿だ。おそらく今は備前、浦間村に逼塞して居る筈だ。」
「なんと、そこまでご存知とは!」
「そして服部藤内殿が伊賀者であるのが、また都合が良くてのう。伊賀者と云えば徳川色が強かったのだが、実は今では家康に冷遇されている。」
「え?そうなので御座るか??」
「柳生が徳川家で台頭しているのは聞いていよう。柳生は権力に取り入るのが旨い。家康ですら踊らされておる。その結果、伊賀者は端に追いやられて不満が溜まっている。そこでだ、元の服部藤内殿の配下のみならず、伊賀者丸ごと頂こうと考えておる。実際、忍びの手はいくら有っても足りないぐらいだからな。」
「服部藤内殿に伊賀者を纏めさせて引き抜く………。と。」
「流石に服部藤内殿が頂点では臍を曲げる伊賀者も多かろう。服部藤内殿に並ぶ頭の席を増やして、3組程度の伊賀者集団を編成できれば………そう考えている。」
「よきお考えかと思います。事が露見しては面倒ですので某が単身備前に参りましょう。某が直接赴けば、我らの本気を信じてもらえましょう。」
「行ってくれるか。助かる。だが、時はあまり猶予がない。あと一月ほどで家康が攻め寄せてくるだろうから、其れまでには戻って欲しい。」
「委細承知。」
-その必要はない-
「! 何奴 !」
明石全登のすぐ後ろにいつの間にか人が片膝付いている。服部藤内は藤内で大坂の情勢を見守っていたようだ。
「そなたが服部藤内殿であるか?」
「否。我は藤内の耳、大坂組の頭。お話は棟梁に伝えまする。」
すぐに去ろうとする中忍を制する。
「まて、服部党はともかく、伊賀にはかつて百地、藤林と云う棟梁が居たと聞く。また技の流派は九つも有るとも聞く。服部の名だけではなかなか纏められまい。儂からも後押ししよう。誰か有る!。天正長大判を持て!」
天正長大判は秀吉が武功者への褒美用に鋳造した、金の含有率が非常に高い通貨で信用力が高い。片手で大掴みして中忍に渡す。
「これを服部藤内殿に預ける。工作資金に使うも良し、窮乏しておる仲間の支度金に使うもよし。伊賀者を家康から引き抜けるだけ引き抜け。さらに諸大名の元に散った伊賀者にも声を掛けよ。どうせ諸大名からも冷遇されて居ろう。我が豊臣は領地こそ狭いが金は潤沢だ。決して粗略にはせぬ。」
聞き終えた中忍が黙って去る。
「………まさか、城内に繋ぎを入れて出番を待っていたとは………。」
「ふふ。どうやら彼等も全登達と同じだったようだ。最後の出番を求めて大坂城も張っていたようだな。」
「では先程の密議も?」
「当然、聞いていたであろう。」
「頼りになると安心すべき………なのでしょうな………。」
「そうだな。もとより忍びを抑えられるのは忍びだけ。今までがザル過ぎだったのよ。あるいは人知れず真田が手の者を使い徳川の間者を始末していたか………。」
「しかし、真田殿に付いている忍びは僅かと聞きまする。」
「うむ。真田を本気にさせるには、まだまだ不足だったと云う事よ。だが、これで多少はやる気も出してくれよう。」
「そう願いたいもので御座います。」
「しかし流石、宇喜多殿よな。あの若さで子飼の忍び衆を揃えていたとは。先の中忍の有り様を見ても慕われて居るようであった。とかく粗略に扱われがちな忍び衆から銭金抜きで支持を得るのは並大抵では無い。」
宇喜多秀家を称賛すると全登が嬉しそうに応える。
「秀家様は生まれながらの太守様。太閤様などの僅かのお方意外は皆等しく目下の者故、そこに序列は無いのでしょう。結果、忍び衆にとっては他大名に比して手厚い扱いになったかと。」
「成る程の。足軽大将だろうが、下忍だろうが、等しく只の配下の者………と。そう云うものやも知れぬのう。」
「はっはっはっ。秀頼様は他人事のように言われますが、當に秀頼様がそうでは有りませぬか。今も中忍にいきなり御下問なされましたが、序列に煩い者であれば周囲にきかせて直答など許しませぬぞ。」
「!これは一本取られたな。儂は儂なりに幸村や又兵衛には気を配っている積りであったのだが。」
「それはこの全登にも痛いほど伝わって居りますぞ。お二方とも中々に癖が強う御座いますからな。」
「ほぅ、又兵衛は誰の目にも判るが、真田は物分りが良さそうに見えるのではないのか?」
「なんの、幸村殿は幸村殿で戦に於ける自負はすざまじいですからな。並の作戦など言い出そうものなら鼻で笑われるのではないかと、我ら内心では戦々恐々で御座いますぞ。その点、秀頼様は良いですな。秀頼様が起たれてまだ数日なれど、腹蔵なく思いついた事でも言い出せる、そんな気分にさせられまする。」
「なに、儂ももう後が無いのでな。気分は大坂城に集いし諸将となんら変わらぬ。いまさら上下を言い募った処で詮もない事であろう。」
「そこがそれ、割り切れる者は滅多に居らぬのでございます。まして又兵衛殿も真田殿も世に名高い武人なれど、その過去の働きは主将ではなく副将止まり。真田殿は偉大すぎる親父殿が、又兵衛殿も偉大すぎる主君如水殿が為、その働きも彼ら単独の成果では有るまいに………そう彼ら自身が内心納得できて居らぬ………この全登にはそのように見えまする。」
「流石全登殿だ。よく観ておられる。」
「この全登は運良く関ケ原でほぼ唯一の将として隊を任されましたからな。あの時もしも秀家様が太閤様同様の現場をも知悉されし名将で逐一ご指示があったなれば、今の武名も虚名ではないか………そのように疑心暗鬼になった事でしょうな。実際は秀家様は後方で巌のように睥睨されるのみで、全てをお任せくださいましたので左様な心に刺さった棘は御座らぬ。幸村殿や又兵衛殿と違って全登は、謂わば既に涅槃の心境。残る命は秀家様が守ろうとなされし豊臣の為に燃やし尽くす、只それだけで御座います。」
明石全登に感じられる余裕はそう云う事だったのだな。これでは最早儂などが何も云う言葉はない。
軽く頭を下げ南蛮渡来の酒を一本差し出し、退出する全登を見送るのだった。