06 密談
居残った侍大将級の者達を秀頼私室に誘う。
「時を取ってすまぬな、だが皆とは一度腹を割って話をせねばならぬと思っていた。斯様な時期に酒は如何なものかとも思うたが、腹蔵なくすべてをさらけ出すには酒も良かろう。」
奥御殿の秀頼私室にすでに酒食が準備されている。膳に添えられている名前に従って各々が席に付く。ただ七手組の将はどのような作戦になろうが主に大阪城の守備に当てると称してこの軍議から外してある。
「この場は無礼講だ。各々手酌で初めてくれ。堅苦しい軍議ではなく、雑談風に今後の戦略・作戦さらには戦術をも話したいと思う。」
「戦略と申されても………堀が埋まった現状では打って出るしか有りますまいが………。」
おずおずと話しだしたのは明石全登か。苦労を重ねた良将だけに慎重だな。出るしか無いと感じつつも野戦に懐疑的なようだ。全体の兵力差は倍以上だから冷静に考えれば当然だ。
「全登は野戦で是非もないと。だが保留付きだな。やはり兵力差が大きいのが懸念か。」
「然り。彼我の実力が拮抗しておれば、物を言うのはやはり数で御座る。」
そこに後藤又兵衛が割って入る。
「それはそうだが、ならば士気で上回れば良かろう。」
「又兵衛らしいな。その豪放さ、儂は好きだぞ。さぞかし兵にも慕われておろう。が、我が兵の大半は浪人衆だ。士気を上げるのは勿論必要。だが、浪人衆故細かな戦術機動もままなるまいが、そこらはどうだ?又兵衛。」
「ぬっ!それはそうで御座るが………それを成すのが大将の仕事で御座ろう。」
「うむ。又兵衛の存在は儂も心強く思う。だが、残念ながら又兵衛のような豪傑は滅多に居らぬ。いかに又兵衛が剛勇でも一隊だけでは戦えまい。」
「ううむ………。」
「いやな。儂も野戦で絶対勝てぬ………などと言う積りは無い。此処に集いし面々はいずれも実績十分な名将だ。寄せ集めの兵でもまとめ上げてしまう事も不可能では有るまい。だが、仮に打って出て大和や山城で徳川方の先鋒を破ったとて、その後は如何致す?我らは先に進むほどに兵が分散させられ、強弩の末魯縞に入る能わずとなってしまうのではないのかな?」
軽く酒をのみつつ皆を見る。流石に皆本気で考え出している。戦場さえ設定してしまえば現場指揮官としては優秀な者達だが、戦全体を見通す戦略的思考が出来る者は少ない。唯一、戦略思考まで考えが及びそうな者は真田なのだが、どうだ?本気で考える気になったか?
「…秀頼様…。秀頼様はこの戦、本気で勝つお積りなのですね………。」
ついに幸村が口を開いた。やはり幸村は武名をのこして華々しく散る覚悟だったのだな。俺が本気で勝つ気で居る事に些か驚いているようだ。
「うむ。儂は為政者になる定めだからな。徳川の世では庶民の息が詰まってしまう。泥をすすってでも勝たねばなるまい。」
「勝てますかな?」
「案が無いわけでもない。」
「ほう?秀頼様には策が朧気に浮かんでいると。………伺いましょう。」
「うむ。では荒削りになるが、皆も聞いてくれるか。皆はペロポネソス戦争を知っておるや?」
唐突に異国の戦争を引き合いにだされて困惑している。当然だれも知っている訳がない。
「聞いたことが無いか。ならば、大秦国は知って居るかな?」
「………大秦国………確か、古の大唐が有った時代、はるか西にあった大唐にまさるとも劣らぬ大帝国とか………」
大谷吉治。かの大谷吉継の子で真田幸村は義理の兄だ。
「おお、大谷吉治殿、流石よの。よく学んで居られる。ペロポネソス戦争はその大秦国ができるさらに昔の時代の戦争だ。当時は古の秦の国や漢の国同様、それぞれの街一つ一つが政の単位であり、街を丸ごと囲む城が彼方此方に有ったと云う。」
皆いったい何を言い出すのかという顔だ。それでも聞かせるために酒も出している。
「その都市国家の中で、アテネとスパルタと云う有力な2つの国があった。アテネは海の側の都市で水軍が強く、スパルタは精強な陸軍の国だ。この2国が争いだしてペロポネソス戦争が始まった。」
「ほう、同じ都市の国なのに性格が異なるのですな。」
物語る俺に石川康勝が応じる。徳川を出奔した石川数正の次男で、史実では大坂夏の陣で真田幸村とともに戦い討ち死にしている。
「うむ。戦況はスパルタに呼応した他の都市国家が多く、陸戦ではスパルタ優勢だった。だが、アテネは固く城壁を守り、攻撃は強力な水軍にまかせてスパルタやその同盟都市の沿岸を荒らし回ったため戦線は膠着した。しかし折悪しく、アテネ都市内部で疫病が流行りアテネは敗北。さらに疲弊したスパルタもテーベと云う元同盟国の攻撃を受け破れたのだ。」
「なんと、結局共倒れとは………。諸行無常ですな。」
「ああ。だが疫病でアテネの人々の多くが亡くなる事故がなければ結果は異なっていただろうな。」
「成る程。秀頼様はアテネと我が大坂が似ている……と。」
毛利勝永がボソッと呟く。勝永は史実の大坂の陣でも奮戦、目覚ましい戦果を上げている勇将だ。作戦、戦術段階の話になるとイメージが湧いてくるのだろう。
「しかし、秀頼様。われらには此れと言った水軍が有りませぬ。かつての瀬戸内水軍衆は皆、粗方解体されて陸にあがってしまって居ますぞ。」
自分も小なりとは言え水軍であった淡輪重政が云う。そうなんだよなあ。秀吉が水軍を解体してしまった。これは大失敗の一つで、日本は周囲が海なのだから水軍は発展させるべきだったのだ。
「うむ。それよ。水軍解体は我が父の大失敗の一つだったと儂は思うておる。日ノ本は周囲が海なのだから、交易の護衛に専念させて禄を与えれば良かったのだ。水軍衆は特殊技能だ。一朝一夕に育つ人材では無いのだからな。だが、今ならまだ年老いたとは言え、水軍技能を持つ生き残りが多数居る。」
「秀頼様は豊臣水軍を再編成されるお積もりで!?」
やはり海に戻りたいのが本音なのだろう淡輪重政が勢い込む。
「ああ。それも、数段強力な水軍として復活させたいと考えている。そして強力な水軍の維持には莫大な費用が必要だ。それを捻出し続ける事が出来るのは商いの理を知る、我が豊臣だけよ。」
諸将が本気で考え込みだしている。色々な作戦案が脳内を駆け巡っているのだろう。だいぶ勝つ気になってきているな。
「アテネとやらの例をお話されましたが、先の冬の陣前ならいざしらず、今の大坂城ではいささか…。」
大坂城の現状に懸念を表したのは浅井井頼だ。小谷城落城を経験しており落城の悲惨な実態を肌身で知っている。
「井頼の懸念は判る。そこで儂は先日この目で堀や総構えの実態を見てきた。予想通り、埋められたとは名ばかりの杜撰な仕事だ。まあ、たった二日やそこらできっちり埋められる訳もなし。瓦礫を放り込んで見た目だけは破壊した装いだが、短期間で復旧出来る。」
真田幸村までもが驚いている。派手に散ることに意識が行ってしまい『城は使えない』と思わせる家康の謀略に嵌ってしまっていたのだな。永久に野戦で勝ち続けねばならないのと、1回か2回野戦で撃退して時間稼ぎできれば良いのとでは、難易度が全く違ってくる。
「そうだったのか。この幸村も謀られていたとは………。」
真田幸村が呟いている。漸く目の前の事実をしっかりと見る気になったのなら、それで良い。死に急ぎさえせねば、こんな事など此処に居る誰でもが気が付いた事なのだからな。だが、まだ完全に心服してはいないな。当然だ。これぐらいで納得されては儂が困る。だが
「ならば、我らの仕事はもう明らかじゃ!我ら一同秀頼様のお考えに沿い、城の復旧の時間稼ぎのため来寇する幕府先鋒を叩き潰すまで。各々方、異存は御座るまい!」
後藤又兵衛がサクッと話を纏める。まあそうだろう。実戦経験がないこの秀頼だ。現場の作戦・戦術は各々の侍大将が工夫せねばならないと思っているのだ。
「うむ、諸将の奮戦に期待する。」
「応!」
一斉に座を立つ名将達を頷きつつ見送る。その中の明石全登に近づきそっと肩に手を置く。
「…明石殿、ちと頼みがある。」