03 淀殿退去
「わ、妾に退去せよと申されるかっ! 秀頼殿はっ!」
大坂城奥御殿、淀君の私室に来ている。淀君は言うまでもなく俺(秀頼)の実母だ。だが、秀吉時代に政治面を担当し公家との折衝の矢面で経験と実績を積んだ高台院とは異なり、唯一秀頼の実母と云うだけ。其れ以外なんら実績が無いため実態は秀頼の紐のような状態だ。命綱の秀頼のそばを離れる事は即座に自身の威信低下に繋がるため、この反応は予想済だ。
「母上。この城はまもなく戦場となります。母上には安全な高台院様の元へ退去くだされ。」
「この城が危ういとな!ならば、秀頼殿も共に来よ!」
「この秀頼は大坂方総大将でございます。総大将が真っ先に逃げることなどできませぬ。母上は高台院様と共に大坂方の戦勝を祈願してくだされ。」
「どうしても家康殿と戦わねば成らぬのかえ?」
「それを家康殿が望んで居りますれば、是非もござりませぬ。」
本当は違ったんだが。
天下の臍にあたるこの大坂城を空け渡し、どこか田舎の領地へ転封、さらに臣従を飲めば家康とて見逃しただろう。わざわざ攻め滅ぼすのも大変だからな。要は島津氏と同じ扱いまで格下げを受け入れ家康に従え………そういう要求。其れを蹴ったは淀君だ。本人はそれが戦に直結する事が、なにも判っていない。
秀吉が甘やかしたままに大人になってしまったので、淀君の頭の中は子供のままだ。
「秀頼殿にもしもの事があらば、妾はどうすれば………」
おいおい、本音が透けて出てるぞ。まあ、そんな処だろうとは思っていたけどな。気位ばかり高くて無能。無能なら無能なりに表に出てこず大人しくしていれば良かったのに。とにかく、必要な人材だけ剥がして追い出すとしよう。
「母上が女子だけを引き連れ高台寺に退去すれば、母上まで家康が手を出すことは有りませぬので、ご安心くだされ。」
「何?女子だけとな?大野修理亮(治長)は?」
「大野兄弟は大坂方の重鎮で御座れば、彼らを伴うては母上の身に危害が及びかねませぬ。また、彼ら自身も大坂城を離れては身に危険が及びましょう。」
「そうか、そう云うものやも知れぬな………。女房衆は伴うて良いのか………。」
恐らく今、淀君の頭の中では小谷城落城や北の庄落城の情景が再現されているだろう。身一つで落ち延びる事を思えばずっとマシか………などと。
「なに、この秀頼が立つ以上、そう安々と家康の思うようにはさせませぬ。ただ、一つだけお約束下され。」
「?約束とは?」
「家康がなにか働きかけてきた場合、話を一切聞かず只々、『政に妾は口出しせぬと誓った。故に御使者のお話は一切聞くことは出来ぬ。お帰りなされ。』と云うのです。それがたとえ、家康だろうが高台院だろうが今上様であろうが………です。一言でも聞けば必ず家康の計に当たります。」
「き、今上様であっても………とな。」
深くうなずきじっと淀君を見据える。
「ひ、秀頼殿までが、左様な目をなさるとは………。妾はどうすれば………。」
「母上。この世に真の母上のお味方は、この秀頼ただ一人で御座います。この約束を守り秀頼を信じて、ただ只管に神仏に祈りを捧げお待ちくだされ。豊臣の明日をこの手で切り開いて見せまする。」
淀君が大きなため息をつく。
「秀頼殿も妾から離れてしまう、その時が来てしまったのですね………。判りました。もう何も言いますまい。されど、妾は出家など致しませぬぞ!生きてこの眼で秀頼殿の行末、見届けます。」
そう言い捨てて化粧の間に下がってしまった。やれやれ、秀吉は嫁の教育が全くダメダメだな。いや………秀吉以前の問題か。母親の市からして教育に失敗しているのだろう。あの三姉妹は何れもアクが強すぎるからな。そのくせ要所々で絡んでくる。世代を超えて織田弾正忠家の怨念が渦巻いているかのようだ。
「重成居るや?」
淀君の私室を出て直ぐに声をかける。
「………重成これに………。」
「聞いていたか。」
「あれ程のお声なれば、嫌でも耳に届きまする。」
「そうか。ならばわざわざ噂を撒く必要もないな。」
わざと淀君退去の噂をばらまいて、諸将の意気を上げようとも思っていたが、必要なさそうだ。
「………は。恐れながら………諸将は安堵いたしましょう。」
「皆には迷惑を掛けてしまった。今更ではあるが。何れ埋め合わせはしたい。大坂に集いし諸将は勿論、宇喜多中納言殿もな。」
「!宇喜多様!」
「うむ。関ケ原で豊臣に与力してくれた多くの者が鬼籍に入ってしまっているが今尚健在な者も多い。当然捨て置けぬ。」
「明石殿などは歓喜されましょう。」
「宇喜多殿だけではない。減封された大名やその家臣にも状況が好転次第、声をかける。」
「それが良う御座いましょう。となると、尚更の事、この大坂に集いし者は踏ん張らねば。」
「そうだな。だが重成は肩に力が入り過ぎだ。儂は無理な策を許可する気は無いぞ。皆が普通に本来持てる力を発揮してくれれば五分以上の結果が出る、そういう策を必ず用意する。だから重成はもっと淡々と戦え。冷静を欠いては実力の半分も出せぬ。お主には十二分の才が有るのだから自信を持て。不足しているのは経験だけよ。」
「………秀頼様………。」
「いかんな。話が湿っぽくなった。少し気分を変えよう。今日は、そうだな………山里曲輪の北、京橋に出て見よう。」
「?京橋。備前島に掛かる、あの京橋で御座いますか?」
「そうだ。冬の陣の時のように福島砦や土佐堀砦が敵の手に落ちても、海からの補給の船が強大であれば、それらを突破して直接京橋付近で荷下ろしが出来よう。」
「!それで京橋。承知しました、直ちに準備致しまする!」
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京橋は西の丸のほぼ真北、大坂城北辺に隣接しているのであっという間だ。大和川と淀川の合流点より僅かに東、大和川寄りに掛かっているが、この時代は大坂城の東に深野池や新開池が有り大和川の水量も多い。思った通り十分な川幅があり大型で喫水の深い南蛮船でも桟橋を作れば十分接岸できそうだ。
「改めて見ても、此処まで程度であれば南蛮船も余裕で遡行出来そうだな。」
「はい。木津川口からの遡航では難しいでしょうが、大和川側であれば、もっと上流でも問題ないかと。」
石山本願寺の時代から、何故か木津川口が主要な補給路となっている。すぐ北辺にある淀川や大和川は候補に上がっていない。村上水軍時代の船であれば川に掛かっている橋も問題ない筈と思っていたが………。
「………重成。橋が邪魔であるな。」
「あっ!」
橋梁を支える柱が隙間無く川に林立しており、それなりの大きさの船が間をすり抜けるのは困難だったのだ。現代の橋と異なり、柱の間隔が狭い。恐らく木津川には橋をわざと掛けてこなかったのだろう。絵図面でも淀川筋には多数の橋が描かれているが木津川には無い。
「これでは小舟しか通れませぬ。」
「仕方ない。重成。淡輪重政殿と談合して浮き橋の準備をしておいてくれ。時期を見て、此処より下流の既存の橋を全て撤去して浮き橋にする。淡輪殿なれば舟に詳しいのでさほど困難では無かろう。木材の手当は先日訪れた淀屋を頼れば良い。費えは逐一報告せずとも良い。」
「はっ。この重成しかとお引き受け致しまする。」
経験の浅い重成だ。こういった地味な実績を積む事で諸将の信も得られよう。
「掛けかえる時期は改めて指示致す。余り早いと家康に気取られるやもしれぬ。少なくとも堀の復元が進んで誰の目にも籠城が出来るようになってからでなければな。」
「心得ました。浮き橋と解らぬように、舟の状態で集めて置きまする。」
頷いて重成に浮き橋を任せる。しかし、橋脚が邪魔していたとはな。やはり念のため現地を見ておく事は重要だ。危うく机上の空論になる処だった。
本日、もう一話投稿します。