32 間諜
「よく戻ってきてくれた。」
「はい。一度はもう自分の仕事はなかろうと城をでましたが、秀頼様が起たれたならば祐筆も入用ではと…。」
「うむ、帰参を歓迎する。なにせ今の大坂城には文官が極端に少ない。文字が書けるだけで貴重なのだ。」
「ははっ。」
「二位の局殿もよく来てくれたの。母上に奥向きの者も粗方付けてしまったので手薄だった処だ。千を手助けしてやってくれ。」
「………」
木村重成に導かれ入室してきた大橋龍慶と二位の局を前に、何も知らぬ体で労う。
二人は帰還する兵達に交じって入城してきたのだ。
「丁度よい龍慶、西国の大名たちに此度の戦勝を知らせる文を頼みたい。宛先は薩摩の島津殿、熊本の加藤殿、肥前の鍋島殿、筑前の黒田殿、豊前の細川殿、周防の毛利殿、安芸の福島殿ぐらいで良かろう。それとお互い死人が出なかったことを喜ぶ文面を、蜂須賀殿と佐竹殿、浅野殿、そして伊達殿へ。」
「なんですと!敵方で御座いますぞ!」
「敵方とは雖も実際に干戈を交えては居らぬし、捕虜返還での交流もある。挨拶程度有っても可笑しくは無かろう。浅野殿は幸村が世話になった恩もある。伊達殿は…ふふ、あの御仁なれば、敵方から文が来れば面白がって周囲に見せびらかすのではないかな?」
「………それは………まあ………。」
「おっと、そうそう、肝心要の相手が抜けていたわ。家康殿へも出しておくように。内容は………まあ、なんでも良い。野戦での手並みは見せたので、次は籠城戦の手並みを見せましょう………でもよいし、まだ側室を抱いているのか?年寄の冷や水も大概にせよ………でもよいし、糞爺とっととクタバレでもなんでも良いぞ。」
「な、何と云う事を!」
「なに、戦場での矢合わせの代わりよ。そう深刻な顔をするでない。そなたの主君でもあるまいに。」
大橋龍慶と二位の局が酢を飲んだような顔になって黙り込む。
「ともかく、二人ともよくぞ帰参してくれた。今日は疲れて居ろう、下がってよいぞ。」
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「秀頼様もなかなかに辛辣でいらっしゃる。」
大橋龍慶と二位の局が下がった後、居残っていた木村重成が笑っている。
「なに、誰が見ても怪しい2人だ。半信半疑であることぐらい匂わせておかぬと逆に動きが読めぬ。ある程度縛っておくほうが良かろうと思ったのでな。それに儂から折に触れ家康に文を送りつけるようにすれば、そこに龍慶が隠し文を交えて家康と連絡をするだろう。監視が容易になると云うものよ。」
「な、成程。」
「だが、龍慶が急ぎ連絡を付けたい機も有ろうから、重成も龍慶を折に触れ城下に連れ出してくれ。二位の局は、そうさな…千に頼んでおこう。」
「おお、それは良いご思案。」
「それはそうと、仙石秀範殿を侍大将に抜擢しようと思う。出陣を共にしたが、実に的確な進言をしてくれていたのでな。」
重成が頷く。重成からしても仙石秀範の抜擢は妥当と思えて居るようだ。
「重成の目から見て、これは?と思える人材は居たか?」
「っつ。済みませぬ。先の出陣では自分の事だけで一杯で人材発掘までは気が回りませなんだ………。」
「そうか。気が付かなかったのであれば、さほど目を引く人材は居なかったのであろう。次は籠城戦になる。野戦よりは部下に目が行き届く。これは?と思う者を見つけたなら推挙してくれ。」
「はっ、心得まして御座います。」
「諸将の籠城準備のほうは、どうだ?」
「おさおさ怠りなく。大野治長様の指示で兵糧弾薬の備蓄も十分、真田様の砦3か所も程なく完工の見込みです。此度の勝利で新たに浪人衆も若干増えました。日々増えて居りますれば、幕府軍来寇までに総兵力は七万二千を超えるかと。」
「ほう、やはり勝つと状況も変わってくるのだな。」
「はっ。只………大野治房様のお姿を暫く見受けませぬ。総構の復旧はすでに順調に進んで居り、ご不在でも特段に触りは御座いませぬが………。」
「治房には密命を与えてあるので、そちらが忙しいのであろう。おそらく明後日の軍議には帰ってくるだろう。」
「………やはり………」
孤軍奮闘して総構えを復旧させようとしていた治房が抜けていれば、流石に気が付くか。幸村当たりは密命の中身の予想も付いているかも知れぬ。
「淡輪重政殿はどうされて居る?ある意味、大坂方の肝になる水軍大将だが。」
「それはもう、意気軒高でございまする。先の戦が終わったばかりですが急造された関船で連日調練に励まれておりますぞ。傍ら、浪人衆のなかから水軍に使えそうな兵の勧誘もされておられまする。そうそう、重政殿の兄上、浅野家に仕官されておられます淡輪重利殿の配下だった旧臣数名を密かに譲り受け新造船の指揮官とされる由。」
「それは重畳。流石、鎌倉以来の水軍大将の家柄、底力が違うな。」
「はっ、なんでもこの瀬戸内は穏やかに見えて実は潮の出入りが激しく、結構難所も多いそうで御座います。不慣れな者が指揮すると座礁続出必至と聞きました。」
「うむ、うむ。そうであろうな。」
「あと、諸将以上に兵の士気が全く変わりました。今は冬の陣以前よりも士気が高いですぞ。」
「そうか。だが籠城戦ではその士気の維持が課題になるな。」
「はい。諸将も口にはださねど、各々思案されているご様子にて。」
「わかった。では、予定通り明後日には軍議を開く。皆に知らせておいてくれ。儂は千と相談してくるとしよう。」




