23-1 奇襲、大和郡山城
「箸尾高春殿はじめ大和衆は配置に無事着けたか?」
「はっ、治房(大野治房)様。箸尾高春殿が城の北、布施太郎殿が城の南に潜伏されました。」
「細井兵助殿は?」
「すでに城の西、麒麟廓の際に埋伏されております。」
「よし、では手筈通り、大手の二の丸側の南で鬨の声と共に石火矢を上げ、時間差をつけて北と西で同時に攻めかかる。郡山城の北と西は防御が比較的薄い。わずかの兵で守りきれる広さでもないので、極力戦闘に拘らす、敵兵をすり抜けて城内に侵入、撹乱する。狭い本丸に突入する事なく、外周の玄武廓、麒麟廓、二の丸付近で走り回り敵を混乱させる。守将の筒井兄弟(筒井定慶・筒井慶之)の肝を砕けば我らの勝ちぞ。忍び衆は虚報の拡散をお願い致す。」
「大坂勢三万来襲との虚報、承り候。」
(大和郡山城)
四半時(約30分)後、城の南に細長い光が尾を引いて駆け上る。同時に起こる歓声。わずかに遅れて城内から喧騒も漏れ聞こえてくる。
「今だ!、かかれ、かかれ~!」
「おお~、お~」
総勢、僅か二千の大和郡山城方面軍。だが、払暁俄に巻き起こった異変は大和郡山城の守兵の肝を挫くに十分だった。城周辺の人間を見境なく徴募して千ほどは掻き集めていた筒井定慶だが、もとより戦える状態ではないと知っている。最初から逃げ腰だ。
「何事ぞっ!」
「し、城の南北と西に火の手がっ!」
「ぬっ、大坂方の奇襲かっ!まさか、大和にまで出張ってくるとは………」
そこに定慶の弟、筒井慶之が具足を着けながら走り込んでくる。
「殿、定慶様、直ちに迎撃の指揮を!」
「慶之か。お前もわかっていよう。我らの兵では戦えぬ。」
「されど、一戦も交えずでは武名が立ちませぬぞ!」
「敵兵の数は如何ほどか判る者は居るか?」
室内を見渡すと、末座から声が上がる。
「さ、三万。大坂方三万の軍勢との声を、何度も聞きまして御座います。」
「馬鹿な!大坂方の半数近くではないか、兄者、騙されてはなりませぬぞ!」
暫く沈思した定慶が応える。
「いや。もはや後のない大阪方だ。全軍一塊になって打って出ても驚きはするまい。三万は盛りすぎでも、一万二万はありえよう。ここはやはり撤退だな。」
「兄者!」
「慶之。撤退だ。我ら筒井の生き様忘れたか。名など馬にでも食らわせておけ。筒井が採るは実のみぞ。」
「……くっ……承知。されば、直ちに東南に向かい、五軒座敷堀の端をすり抜け桜井を目指しましょうぞ。日を経ずして幕府軍先手衆と合流出来ましょう。」
「伊賀街道は難所が多いぞ……冬の陣では幕府軍は京の二条城に集結した。難路の伊賀街道に幕府軍が来るのか?慶之。」
「はっ。此度は大坂での籠城ができませぬ。大坂周辺で大規模な野戦ができる地形は大坂南東方面だけ。されば、幕府軍も大坂城の南東目指して進軍している筈。まして伊賀街道は大御所様が本能寺の変で利用された縁起の良い道でもござれば、此度の幕府軍先手衆は伊賀街道をまっすぐ西進してきておるかと……」
「ふむ………筋は通って居るな。よし、では筒井の子飼い衆が集まり次第桜井に向けて離脱する!」
「子飼いの者だけで?」
「直近で募兵した信のおけぬ連中を連れて行く事はできぬ。違うか?慶之。」
「………確かに………」
「では、すぐに立つ。もたもたして朝になると大坂方に捕捉されかねぬ。」
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「………このような有り様で、見事、大野治房様が大和郡山城を攻略、某が現場を離れる頃には城に入念に火を掛ける準備をされておられました。」
報告に来た忍びにも昼餉を取らせつつ本陣付きの武将と共に話を聞く。当初は忍びに同席させるなどと、難色を示す者も居たが火急の時に時間の無駄だと諭すと鉾を収めてくれた。意識改革は地道に繰り返さないとな……。
「ほう?火をのう………」
「は。何れ到着するであろう幕府軍先鋒に大和郡山城を利用させない為である………そのように治房様は仰せでござりました。」
「うむ。大和郡山城が使えぬとなれば、付近の無事な家屋に分宿しようが、それでも二度手間をかけさせる事ができる………ということか。治房らしい細かな配慮よの。また無理に物資を持ち帰らず、その場で焼いて身軽になり、撤退を急ぐのも理に適っている。治房もなかなかの采配ではないか?」
諸将も頷いて顔を綻ばせている。治房はもう一段抜擢して重要な任務を任せても良さそうだな。浪人衆ばかりに比重が傾くよりも大野兄弟や七手組の信用できる将も活用したほうが、将来的には上手く回るような気がする。
「すると治房殿は今頃は、竹ノ内街道目指して信貴山の麓を回り込んでいる頃合いでしょうな。」
本陣補佐の仙石秀範の見立てはやや控え目だ。とかく都合の良い方向に考えがちな者が多い中、慎重な判断を基に献策できる者は少ない。この時代はリスクを取るのを躊躇しない傾向が強い。史実であまり名が売れていないのも、その慎重な行動のために目立つ事が少なかったからだろうか。時代が進み官僚機構が主導するようになると、逆に失敗を恐れ保身を優先するようになり踏み込みが浅く戦果拡大が不十分な傾向が強くなる。現代の2代目、3代目の経営者やサラリーマン役員にもその傾向が強くでている。
「秀頼様?」
「………お、おう、時々考え込むのは我(秀頼)の癖でな。気にしないでくれ。治房の現在であるな。荷物を持たぬ空荷であれば、もう少し進んでいるやもしれぬが………。何れにしろ幕府軍に追撃を受ける恐れはあるまい。まずは予定通り成功だな。味方の各陣営にも伝える手配を。」
即座に伝令が数組発せられる。伝令などの作業は豊臣家ではすでにかなりシステム化されているようで、さほど細かく指示せずとも恙無く終わる。ここらは石田三成あたりの遺産かもしれないな。
「予想では、次に水野勝成率いる部隊が先行してくる………でしたが。」
「うむ。儂(秀頼)の予想だが、又兵衛(後藤基次)も同意見だった。又兵衛は水野勝成の性格であれば、大和郡山城陥落と聞かば即座に急進してくるだろう………とも言って居ったな。」
水野勝成か………武田氏と徳川氏の高天神城争奪の頃に刈谷周辺地域で独立大名になっている古豪だな。徳川与力として小田原北条氏との天正壬午の乱に参戦したり、小牧・長久手の戦いにも参加している。ところが、父親の部下と諍いの末斬り殺したため勘当され奉公構にされた結果、各地を放浪の後、家康と和解した秀吉に拾われる。更に九州を転戦、小西行長に士官するも程なく辞し、加藤清正、立花宗茂と主君を変えるも最終的に備中の三村親成の食客に収まった………筈だったのだが。
「水野勝成はその食客先で女性に手を出して子を産ませたと聞く。まあ、正室に迎え入れているようなので、我らが四の五の言う事ではないが………。」
「ははっ。確かに。そして太閤様がお亡くなりに成ると家康の下に戻り、生国の刈谷を貰い受けたので御座いますなぁ。」
「うむ。當に典型的な槍一筋の豪傑で保身の欠片も無い猪武者よな。家康が好みそうな男よ。又兵衛の言う通り、周囲を振り切ってでも水野勝成は突出して来るだろう。」
作戦も手筈通りにすすみ、石川を前にしての迎撃で戦術的にも盤石だが、そういった理を覆す暴勇も世には稀に有る。明石殿であれば抜かれる事はよもや有るまいが………頼んだぞ、明石殿、毛利勝永殿………




