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17 真田幸村の見解(島津と伊達)

伊作島津氏:鎌倉時代に本家から分離した分家。伊作島津氏が薩摩を統一するまでの島津宗家は川内や出水を本拠とした薩州島津家。

「ん?あれは………。」

「お方様(千姫)ですな。最近、時折あちこちの部隊で見かけますぞ。」

「ふむ。宗明は千がどのような事をして居るか、知って居るや?」

「末端の兵にお声を掛けられたり、薬師とともに慰労されておられるご様子ですぞ。」


ほう、薬師を伴い慰問巡りか。悪くない。


「お声を掛けられまするか?」

「いや、それは返って水を差しかねぬ。気付かぬ体で過ぎるとしよう。」


慰問する千姫を遠くに見過ごして出陣準備で追われる真田幸村の陣営へ歩を進める。


「幸村。」

「! これは秀頼様。」

「少し話がしたい。付き合ってくれるか?」

「左近はそのまま続けよ。儂(幸村)は殿と少し話がある。」


近くで火薬樽の差配をしていた者に声を掛け幸村に先導され仮小屋へ入る。


「幸村、先程の左近とは横谷幸重殿であるか?」

「おや、秀頼様が幸重をご存知とは?」


横谷幸重は岩櫃城の抗争当たりから名が見受けられる真田家の家臣で真田の忍び頭だ。かの真田昌幸の出した感状も現存している。九度山真田ミュージアムでは手裏剣や鎖鎌なども収蔵されていて、真田忍者は現代人がイメージする忍者に近い、武闘派集団だったようだ。


「うっ、ま、まあな。昔、大谷吉継殿に忍者の事を尋ねた折にちょっとな。」


勿論嘘だ。秀頼が真田の家臣に精通していては要らぬ誤解を招きかねぬ。だが大谷吉継であれば真田昌幸とも親交が有ったので幸村の知らぬ処で名前が伝わっていても可怪しくない。咄嗟に吉継から聞いたと匂わす。


「左様でしたか。で今日は?」

「うむ。他でもない、幸村の見通しを聞きたくてな。」

「………見通し………。」

「先日の軍議で決まった戦に勝利し皆が無事に引き上げてきたとして、徳川外様大名達がどう動くか、其の見通しだ。」

「! 秀頼様は………いや、失礼致しました。先日の軍議で其の話は出なかったので皆眼の前の一戦で一杯一杯なのだろう、仕方ない事だと思って居りました。」

「やはりな。幸村であれば勝利したその後も当然考えが及んでいようと思っていたのだ。」

「あまり買い被らないで下され。で、何故に徳川外様大名と?」

「あの慎重…いや、臆病と言ったほうが良くなっている家康が先手(さきて)勢敗戦後に自ら急進してくるとは思えぬが、徳川外様大名の中には一山当てようと思う輩が居るかもしれぬと思うたのでな。」

「成る程。では我々で順に吟味致しましょう。」


腰を据えて話す事になるので、奥の部屋に移り座を占める。


「うむ。先ずは南西の端、島津だな。島津は関ケ原以前の領地を維持しており強国だ。ただ近年は領内で紛糾が絶えず統治に苦労しているようだな。」

「よく見ておられる。やはり出自が伊作氏と云うのがいつまでも尾を引いて居る様子。中央で育った秀頼様には理解し辛いでしょうが、地方では出自(しゅつじ)は意外に重いもので御座います。されど根が薩摩隼人、いざ戦となれば四の五の言わず奮い立つ者共で御座います。できればお味方に欲しいですが。現状は中立で御座いますな。」

「兵糧の集積では徳川の目を盗んで便宜もしてくれた。少なくとも積極的に敵対は無いと見て良いか。」

「秀頼様のお見立てに同意致します。島津と徳川は外国交易では対立しております。徳川は浦賀を交易港に育てようと様々画策しておりますが、全て失敗しております。その過程で琉球やルソンと繋がりの有る島津の権益に食い込もうとしたため島津の徳川に対する心象は相当悪い。長い目で見れば、島津と徳川は両立せぬでしょうな。」


徳川は東アジア交易に手を出そうとしたが尽く失敗している。結果、逆回りでスペイン領メキシコに活路を求め南蛮船紛いを建造もしたが、付け焼き刃の船は出港後に即座に挫傷し試みは潰えている。家康の代に外国へ首を出す事が出来なかったため、秀忠の代以降に鎖国への道を突き進む事になる。そうしないと交易の利を持つ西国大名との国力差が開く一方だったのも鎖国の一因だったろう。


「関ケ原後、島津は強気の姿勢を崩さず、形だけの服従で徳川を納得させた。島津は徳川が九州南端までわざわざ攻め込む利がない事を見切って居る。我ら大坂方が徳川と五分に張り合える事を見せられれば、島津は最低でも中立になろう。さらに、我らが盤石で大坂以西に徳川の力を及ぼせぬと判明すれば、進んで我らに味方もしてくれようが、そうなると逆に島津の遠さが問題になる。」


幸村が頷く。


「はい。島津がお味方になった場合でも、その遠さ故さほどの兵を上方へ送る事が出来ませぬ。」

「本来南九州は石高が低い土地だからな。気温は高いが火山灰の土地が多く米作りに適していない。逆に言えば、火山灰の土地でも栽培できる作物を提示する事で恩を売れる。」

「秀頼様はそのような作物の心当たりが?」

「有る。あの芋が普及すれば島津の国力は倍になるだろう。」

「倍!でございますか………些か大きすぎませぬか。倍ともなれば無用の野心が芽生えかねませぬ。」

「それは問題無い………と儂は思う。そもそも大方の地方大名が戦に明け暮れていたのはその貧しさ故だ。まあ、今川のような例外はあるが。腹が膨れればわざわざ生死を賭けてまで戦いたい物好きはそうは居らぬ。それに、あの芋は早晩薩摩に伝来する。どうせ見つかる作物ならば、我らが一足早く教えても良かろう。」

「成る程。売れるうちに恩を売っておくと。」

「ああ。それに日ノ本の各地がそれぞれ豊かになるのは巡り巡って我ら豊臣の強化になる。大坂は当然豊かにさせるが、交易先も豊かでないと商いの効率が悪いからのう。」

「そうですな。相手方に売る物は色々有れど買うものが乏しいと交易はなかなか捗りませぬ。………となると些か困りますな。東国や陸奥と西国との格差が酷いことになりますぞ。」

「そうなのだ。その格差で徳川を追込もうというのだから、痛し痒しなのだが、それなりの交易が成り立つまでは、東国や陸奥の地の売り物が安定するまで我らが手取り足取り手助けしてやらねばなるまいな。なにせ、徳川には交易活性化させようという意思が殆ど無いのだからな。」


島津の話がひと段落し、一口茶を啜る。


「徳川にはなくとも、外様大名は有りましょう。伊達などは殊に。」

「伊達か。あ奴は確かに違うな。だが領地が最悪だ。出羽の側なら比較的早く交易路が常設できるのだが仙道筋と磐城に繋がる浜街道沿いに交易路が常設されるのは、最後の最後になる。蝦夷より立地が悪い。」

「確かに………。されば………いっそ其の苦しい立場を此方から教えてやれば如何でしょう。伊達政宗であれば指を加えて居る筈がなく、かと言って徳川に相談しても無駄。否が応にも我らとの結び付きを強める事と成りましょう。」

「おお、流石幸村。そうだな、やつであれば自前で北回りの交易路程度ならなんとかするだろう。頑張って十三湊辺りまで自力で出てくれば優先的に交易の便宜を図る………とでも伝えれば目の色を変え飛びつくだろう。交易船を自前で建造するとなれば、戦にかかずらっている場合ではない。港湾整備に船の建造、船員の調達と目が回る忙しさが待っている。明日にも撤兵して陸奥に引き籠もろうぞ。」

「いくらなんでも明日はありますまい、秀頼様。されど撤兵の口実ぐらいは此方で容易してやる必要は有りましょうな。」

「撤兵の口実か。それならちょうど良い、次の戦が正しく口実になり得よう。」

「次の戦………となると、伊達勢には手心を加えねば成りませぬか………。只、伊達勢にも他大名や松平の与力が付きましょう。戦場で伊達勢だけに手を抜くのは難しゅう御座いますが。」

「ん?ああ、それは構わんぞ。まだ提携が決まっていない状態だから遠慮なく伊達勢にも本気で打ち掛かれ。多少被害が出た処で『上方武者も仲々にやるものよ………』程度の反応だろうよ。東国武者とはそういう者であろう?」

「………はぁ。それはまあ………左様で御座いますな。無駄死にの兵は気の毒で御座いますが。」

「なに、無駄と云う訳でもあるまい。ある程度の損害が出ていれば、家康も我らと伊達の提携など夢にも思うまいからのう。………しかし話が逸れ過ぎたな。島津と伊達はそれで良いとして、次だ。」



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