15 秀頼出陣宣言
儂(秀頼)の出陣宣言で重成が慌てる。
「ひ、秀頼様、それはなりませぬ!我々手足がどうなろうが秀頼様さえご健在であれば………」
「重成。それは違う。むしろ逆よ。重成は勿論、又兵衛や幸村、全登に盛親。七手組、皆が在ってこそ儂(秀頼)も立って居れるのだ。此度の戦いはこの緒戦が勝負の大きな分かれ目。此処で勝たねばどれほど遠大な策を練って居ろうとも無意味なのだ。ほぼ全軍を以ての決戦だ。戦経験が無い儂が出陣しても足手纏いだろうが、士気は上がると信じている。現場の指揮にはできるだけ口出しせぬ。皆の邪魔にならぬように前線に飛び出す事もせぬ。だから我儘を許してくれ。」
重成や治長がなにか言い返そうと模索するも言葉にならない。暫くしてポツリと最古参の郡宗保が呟く。
「ご立派なられましたな、秀頼様。重成殿、太閤様も若かりし頃はずいぶんと無茶も買って出られた。が、その尽くを持ち前の豪運と実力で蹴散らし天下人まで登り詰められたのじゃ。秀頼様に流れる太閤様の血がついに目覚められた以上、最早止めだては敵いますまい。我らは秀頼様に従うのみですぞ。」
「宗保殿………。」
「決まりじゃな。総大将が陣頭に立つのだ。最早何も恐れる事は無い。力戦奮闘あるのみよ!」
後藤又兵衛が締める。或る意味、扱いが難しい又兵衛だが、こういう時は一気に話を進めてくれるので助かる。
「ご出陣はともかく、何処で迎撃致しましょうや?」
渡辺糺が改めて問いただす。秀頼付きの武将の中では珍しく、かなりの乱暴者だったようだが史実でも最後まで奮戦していて信用できる一人だ。伝聞では上杉勢の銃撃をうけた時に見苦しく逃げたとされ、武名を汚したとされているが、それは徳川幕府に阿る軍記物作者の言いがかりであろう。形勢不利と分かれば恥も外聞もなく退却する事は正しい行動だ。家康自体も三方ヶ原の敗戦では脱糞してまで逃げている。
さて、迎撃地点だな。史実でのこの方面の戦いは大きく2箇所有る。久宝寺方面で迎撃した長宗我部盛親と若江方面で迎撃した木村重成だ。戦いの詳細がいまひとつ明瞭でないが、長曽我部盛親の戦場が暗峠出口からかなり南にズレている。暗峠を越えてきた藤堂隊や井伊隊がわざわざ南方に展開するとは思えない。おそらくは暗峠のさらに南方にある十三峠などを使い間道を抜けてきた部隊(藤堂高虎)に対応したのだろう。野心旺盛な高虎がやりそうな行動だ。
若江付近で迎撃した木村重成の相手は堂々と暗峠を進んできた井伊の部隊だったはずだ。これには他の小部隊が与力に付けられていて大勢力だ。史実では一度は撃退したが、結局数の差をカバーしきれず敗戦。この敗戦の余波が全戦線に影響して勝負が決した訳だが………。
「確か、暗峠の南にも間道が有った筈だが?」
あまり細かくは云わず十三峠の存在を匂わせて言う。誰かが気がついてくれると良いのだが………。
「………暗峠の南………そう云えば有りますな。暗峠以上に難路な上、道中も長いため余り使用されぬ間道ですが………確か十三峠越えとか………。」
和泉南端に累代の領地を持っていた淡輪重政が思い出したようだ。やれやれ。これで話を進められる。
「やはり有るか。小さき頃からこの付近の地図を見て、道があるように思えていたのだ。此処へ来寇する敵は恐らく藤堂高虎だろう。間道とは云え疎かには出来ぬ。長宗我部盛親殿。頼めるか?」
史実でも盛親は奮戦して見事敵将の首を挙げているので、盛親を名指しする。
「ようぞこの盛親をご指名くだされた。藤堂ばらを決して通しは致さんぞ。」
「うむ。盛親が引き受けてくれれば安心じゃ。だが敵は数が多い。藤堂にも与力が付いて居るやもしれぬ。淡輪重政殿。1手を率いて盛親を支援して欲しい。」
「あの付近なら良く知っておる地形で御座る。お任せあれ。」
頷いて、
「頼む。盛親は五千、重政は二千で抑えてくれ。残り三万三千を以て暗峠を越えてくる敵主力を殲滅する。左右先鋒に後藤又兵衛、真田幸村、各々五千!」
「応!」
後藤又兵衛が待ってましたと即応する。幸村も黙って頷いている。
「本陣付き、木村重成、塙直之(団右衛門)、浅井井頼!各々三千!」
「承知!」
「遊撃、渡辺糺!四千!」
渡辺糺がギラッと目を光らせて頷く。
「後の無い決戦故、後陣は置かぬ。代わりに本陣予備隊を設け、各方面への増援準備を整えておく。本陣予備隊には七手組から野々村幸成!中島氏種!そち達に頼みたい。兵は各々二千。状況に応じて各方面へ急派される難しい役目だ。他には頼めぬ。」
幸成、氏種の両名が黙って平伏する。
「残り六千をこの秀頼が直率致す。仙石秀範殿。すまぬが本陣に有り我の相談役を努めてくれ。」
仙石一族は太閤に大恩が有りながら、関ケ原から家康方に与している。だが、唯一この仙石秀範は終始一貫大坂方を貫いており信用できる武将だ。
「ははっ!」
「治長(大野治長)。七手組の残りと共に大坂城を頼む。一万二千しか残らぬので、万が一家康方が来寇した場合は本丸と二の丸だけ維持してくれれば良い。守久、宗保も頼んだぞ。帰る家が無うなっては堪らぬのでな。」
一同から笑いが漏れる。さて、伊東長次だが。ずっと瞑目していて判りかねるな。だが諸将と異なり表情が硬い。家康も大坂方の士気が復活するとは考えてなかったのか青木一重は既に家康に留め置かれた体裁で離脱して大坂城に居ない。よって大坂方に潜り込んでいる間諜で高級武将は彼だけだ。大坂方の現状をなんとか家康に知らせたいのだろうが、大坂城守備に回されたので困っているだろう。服部藤内に重点的に見張らせて置くか………。
後は伊達の間諜の可能性が高い北川宣勝と山川賢信だ。元々伊達の家臣だったが二人共に伊達家を出奔、秀頼に使えるようになった。出奔の経緯は不明。史実では豊臣軍崩壊後に二人連れ立って京都所司代に自首している。そして何故か二人共に許されている。事実上伊達家の連絡将校のような立場だったのかもしれない。この2名は余り実害は無かろう。伊達自体が本気で豊臣と戦いたい訳ではない。むしろ、此処で豊臣が踏ん張り乱世に戻る事を望んですら居るだろう。だから泳がせて大坂方の士気が復活している事を伊達政宗に知らせて貰ったほうが状況に利する。となると………。
「宣勝。すまぬが各部隊が出立した後に高台寺に行ってくれぬか。高台院様や母上に何も知らせぬ訳には行かぬのでな。軍勢の出動に紛れれば家康方の監視の目も潜れるだろう。」
北川宣勝に命じつつ宣勝と賢信をじっと見る。賢信の瞳孔が一瞬開いたのを確認して目を逸らす。気が付いたな。これで俺から政宗へのメッセージが届くかどうかは宣勝と賢信の器量次第か………。
「拝命、承りまする。」
宣勝がしっかりと応える。 やはりな。豊臣側にバレたらバレたでさほどの問題に成らぬと読み切って伊達政宗独自の判断で送り込まれてきたのだろう。ならばしっかり働いてもらわねばな。
「で、どのように戦いましょうや?此処も結構な沼沢地で大方が湿地帯で御座るが。」
本陣予備隊で出陣する事になった野々村幸成が尋ねてくる。この当時の大坂は、まだ大和川が北に曲がって淀川へ流れている。現代のように直接西に流れていない。大和から金剛山系の隙間を出た大和川はそこで大きく北に向きを変え、玉串川と久宝寺川に分かれて北流する。そして大坂城の真東付近には深野池と新開池という、現代ではすでに無い大きな沼が有った。当時の河内国は当に、文字通り川の内側の土地だったわけで、湿地帯だらけだ。
「ならば、此方も敵を誘い込んで戦うのでしょうや?」
塙直之がやや不満そうに言う。まあそうだろう。大方の武将は攻め込むのは好きでも攻め込まれるのは嫌いだ。攻め込む場合は一息に蹴散らせばそのまま追撃戦で何処まで追うかだけ。シンプルな戦い方なのでひたすら力戦奮闘すれば良い。脳筋武将にとっては迷いなく戦えて判りやすい。
「ふふ。心配するな、直之。此方に向かってくる井伊は関ケ原以来徳川の先鋒を務める部隊だ。此処で井伊に壊滅的な打撃を与えて徳川の士気を挫く。そのためには受け身の戦いでは足りぬ。又兵衛、幸村。井伊が迫ってくるのを確認したならば積極的に打って出て敵を切り裂いてくれ。」
「応とも!」
又兵衛が応じる。幸村は小考して頷く。
「うむ。頼んだぞ二人共。だが又兵衛と幸村は無理に連携は不要だ。各々がその場その場で連携すべきと思えば連携も良いし、不要と思えば独断専行せよ。お主達にはそれが可能な力がある。後方支援や退路確保は本陣の大軍で受け持つので、それを信じて突撃してもらいたい。」
「それは有り難し。後顧の憂い無くひたすら前進とくれば本懐の極み。鈍侍共に本物を見せつけてやりましょうぞ。」
後藤又兵衛が活き活きとしている。真田幸村はかなり意外そうだな。どうせ『俺が又兵衛に合せてやるしかないか、しょうがない………』とでも思っていたのだろうが、それでは駄目だ。恐らく又兵衛は、気遣うのも気遣かわれるのも嫌なのだ。だから各々は完全に独立して戦わせる。現場で視界に味方が写れば即座に臨機応変に対応できる能力があるから最初から手足を縛らぬほうが良い。
「幸村もそれで良いな?」
「………秀頼様の仰せなれば………。」
「うむ。切り裂いた穴埋めは儂のほうで埋める。その為の本陣付きや予備隊であり、場合によっては遊撃の渡辺糺にも加わって貰う。」
渡辺糺が頷く。
「いやあ愉快愉快。我ら両名の二股槍が全軍の矛先ですぞ。これは競争ですな、幸村殿!」
「ふっ。お望みとあらばお相手致しましょう。」
最後には幸村も全てを飲み込み破顔してくれた。この戦で勝った後であれば、幸村、又兵衛の3人で腹を割って以後の戦術も語り合えるようになる、そういう予感もしたのだった。