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00 大坂の陣について

大坂の陣を語る前に、そもそも大坂城について。


ご存知の通り、秀吉時代の大坂城(以後、秀吉大坂城)は旧・石山本願寺跡に本丸が建造され、本丸周りに内堀が有る。その本丸の外に二の丸などがありその周囲に外堀があった(たぶん)。さらにその外側には広大な三の丸等があり、これは現在の大阪市の1/4程度の面積があった(らしい)上、その広大な三の丸全体を包む総構えが構築されており、ほぼ正方形に川と水堀・空堀で囲まれていた(らしい)。


やたら、たぶん…らしい…だらけなのは、信頼できる秀吉大坂城の資料があまり無いためだ。徳川方に近い者の残した記録?しかなく、豊臣政権側が作成した資料がない。結果、沢山の人が見ている筈にも関わらず実態が闇に包まれている。


が、近年秀吉大坂城の発掘がそこそこ進み、従来定説とされていた二の丸跡から確かに二の丸遺構が出土したので、徳川方の資料も当たらずしも遠からずぐらいには信用できるようだ。

その発掘現場では二の丸石垣で野面積みの石垣が出土している。野面積みは石垣が作られるようになった初期のもので、堅牢な熊本城の石垣のようなものでは無く、いわば、雑多な石を素朴に積み上げたような形状で傾斜角も浅くしか積めず、切込はぎや、打込はぎに比べてかなり劣るもの。

本丸はわからないが、二の丸以下は結構急造のやっつけ仕事だった事が伺える。


それでも外様大名が大坂城をみて、「これはとても敵わない…」と思わせる城だった主因はおそらく、その巨大な規模にあるのだろう。

大坂の街を丸ごと内包した、いわばポリスのような城郭都市は日本では北条時代の小田原城と、この秀吉大坂城ぐらいのものなので、諸大名が唖然とするのも頷ける。しかも、当時の大阪は商都・堺から大店(おおだな)を強制移住させた日本一の巨大都市で、その繁栄ぶりも諸大名の心を折った事だろう。内政に熱心だったあの小田原北条氏ですら、不定期に立つ(いち)を定着させる事に四苦八苦していた。それと然程かわらない時代にわざわざ市など立てずとも常時商取引がなされる巨大商都、それが大坂なのだから。


そして、大阪城北側は淀川に面し、海からの補給路は木津川口で繋がっており、これも攻め手にとっては頭痛の種になる事は、信長が証明済だ。

つまり、大坂城が難攻不落と云われるのは、城自体の強度も有るにせよ、寧ろ、その規模と城内に内包された商工業力、そこに補給を可能にする水運が合わさった総合力なのだ。


大坂城の性格がだいたい明らかになったので、次は大坂の陣について。


先ずは冬の陣。


冬の陣は単純な籠城戦で大坂城を攻めあぐねた徳川方が撤退に追い込まれた戦い………と云うのが、だいたい世間一般の認識と思う。大筋ではその通りなのだろうが、冬の陣の一番のポイントは、家康が初めて真正面から巨城を攻撃して失敗した点にあると思う。


北が淀川、西が海、東が広大な湿地帯と沼の大坂城は事実上南からしか攻め口が無い。そのセオリー通りに南から攻めて撃退されたが、それは家康も折込済だっただろう。開戦前から尼崎を抑え、正面攻撃と並行して起きた木津川口の戦いや鴫野・今福の戦い、野田・福島の戦いで大阪城周辺の砦を奪取して大坂城への補給路を遮断する行動を取っている。


想定外だったのは、家康の予想を超える大坂城の強靭さだ。補給を絶てばいかな巨城とて落城する………そう戦国以来の常識で事を運んだ家康だが、持久戦になって困窮したのは大坂方以上に攻め込んでいる徳川側だった。20万の大軍の補給を十全にこなせるロジスティクスは徳川にはなかったのだ。

かくて、冬の陣は徳川大敗の印象を残して講和せざるを得なかった。


そして夏の陣。


骨のある豊臣恩顧が関ヶ原で潰えた大坂方で要職についていたのは徳川と面と向かって戦う気概の無い連中ばかり。自ら進んで(結果的に)家康の謀略の手助けをした片桐且元等は夏の陣の前に流石に放逐されたが時すでに遅し。

城の堀を大坂方の手で自ら埋めた状況を悲観し真田幸村以下の主戦派は野戦に臨み衆寡敵せず豊臣家は潰えた。

だが大坂方が家康の謀略に乗らず一貫して徹底抗戦していた場合、凡庸にひたすら籠城したとしても家康が勝ち切れたかどうか、甚だ疑問があったと思う。

つまり、大坂の陣は世に云われているほどの消化試合では全く無かった………のかもしれない。


という事で、冬の陣からこの物語を始めれば無理なく勝てそう?………にも拘らず、あえて家康の謀略に大坂方講和派が乗ってしまった状態から始まる。

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― 新着の感想 ―
よっ!待ってました。 待ってでも読みたい、それだけの価値がある。
石田三成以来待ってました!
時間がかかると仰っていた大坂の陣編、ずっと楽しみにしておりました。 まさかの冬が終わってからスタート、これからの物語を読めるのが嬉しく思います。
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