二千円札
新1万円札。
2024年に渋沢栄一が全国区になる。
子供も訪日客も知るようになる。
お札つながりということで、
二千円札に紫式部いた事を思い出した為、蛇足を書いてみた。
幻の2千円紙幣の裏に書かれている『源氏物語絵巻』第三十八帖「鈴虫」の詞書から見える日本の闇に迫ってみる。
「鈴虫」の詞書
詞書とは絵の説明文。
結論から言えば、二千円札の裏面、意味わからない。
書かれている詞書は以下。
十五夜のゆふ
宮おはしては
たまひつヽ念珠
あまきみたち二
つるとてならす
のけはひなとき
いとなみにいそき
るにれいのわ
いとしけく
4行目最後の「ニ」見て分かるが、これだけだと意味不明。
そもそも、「鈴虫」の元に絵の上に、こんな詞書は書いていない。
コピペしただけ。
このコピペ詞書に意味があれば良いのだが意味はない。
なぜなら詞書の下半分を抜き取っただけだから。
全て書くと以下の通り。
十五夜のゆふくれに仏のおまへ
に宮おはしてはしちかくなかめ
たまひつヽ念珠したまふわかき
あまきみたち二三人はなたてま
つるとてならすあかつきのおとみつ
のけはひなときこゆさまかはりたる
いとなみにいそきあへるいとあわれな
るにれいのわたりたまひてむしのね
いとしけくみたるゝゆうへかなとて
これを分かりやすく調整すると
十五夜のゆふくれに仏のおまへに宮おはしては
しちかくなかめたまひつヽ念珠したまふ
わかきあまきみたち二三人はなたてまつるとてならすあかつきのおとみつのけはひなときこゆさま
かはりたるいとなみにいそきあへるいとあわれなるに
れいのわたりたまひてむしのねいとしけくみたるゝゆうへかなとて
これの谷崎潤一郎の現代語訳によると
十五夜の月がまだ影を隠している夕暮に、佛のお前にお宮がおいでになりまして、
端近くお眺めになりながら念誦していらっしゃいます
若い尼たちが二三人、花を奉ろうとして閼伽坏の音や水の音などをさせて
世間離れのした仕事を忙しそうにしていますのも、たいそう哀れ(感動の意)なのですが
例のお越しになりまして、「虫の音がひどく鳴きみだれる夕ぐれですね」
さらにこれを超簡単に状況説明しつつ訳しますと
夕暮れに出家した三の宮(朱雀帝の第三皇女、23歳、光源氏の姪)が、鈴虫鳴きまくってる庭を見つつ念仏唱えてると、普段と違って、2,3人の若尼がお供え物する時にカチャカチャ音鳴らしちゃって、「今日はなんか違うんだよなぁ〜、出家したからかな〜?」と思った時に、光源氏(五十歳)がいつも通り夜這い目的で来て、「鈴虫うるせえなぁ」と思いつつ、物寂しい情景を第六感で察し、「空気読んで俺も念仏しちゃお!」
つまり気分良い時に空気読めない状況になってるけど俺は光源氏だから、というお話。
この大量の鈴虫は、三の宮が、風が強くなる夕暮れに一斉に鳴かせようと庭に解き放ったもの。
理由は法要で鬱だったから。
詞書の続きでは、なんとなく宴がはじまり、直後、付き人で息子の夕霧(33歳)が参戦。
そこへもう一人の息子の、冷泉院の使いが来て冷泉院邸に行く。
(冷泉院は夕霧の三歳歳上)。
紙幣に描かれている男二人は冷泉院邸で宴中の光源氏と冷泉院。
詞書と絵、状況が全く異なる。
全然違います。
違うと思います。
もし、詳しい人が「これで合ってるよ」と言ったらグッドボタン押して閉じて下さい。
何故、『源氏物語』が2千円札にデザインされたのだろうか?
理由は単純で明快。
有名だから。
源氏物語は海外では、中でも中国では歴史の授業に必ず使われるほど有名。
2000年当時の中国は、発展目覚ましい時期でした
もう一つ。女性の社会進出を世界にアピールする狙いもあった。
中世の時代、ヨーロッパでのキリスト教的価値観における理想とされる女性像は男性の付属物で、ミソジニーと呼ばれる女性嫌悪があった。
欧米にとっては、中世世界で女性が大活躍するのは珍しく見えたようだ。
二千円札は2,000年に生まれた。
事の発端は小渕敬三と国立印刷局関係者が「2000年を記念して2千円札を作ろう」とゴリ押ししたから。
当時の総理大臣、小渕恵三は2千円札発行を沖縄サミットに合わせた。
アメリカでは20ドル札の使い勝手が良いのもあり、バブル崩壊から低迷しつづけた日本経済への起爆剤的期待もあったようだ。
なぜアメリカで便利なのかというと、メシ代とガソリン代にピッタリだったから。
それプラス、アメリケンの多くはとても賢く気が短いのでお札を数える時間に耐えられないから。
2000円札が造られたもう一つの理由。
それは1999年にはじまったユーロ。
ユーロには2セント、2ユーロ、20ユーロがあります。
200ユーロ紙幣もあるようです。
世界3大通貨(流通シェア)はドル、ユーロ、円であり、日本も足並み揃えようとしたのかもしれません。
このあたり加味すれば政治的理由が大。
にもかかわらず、海外では50ドル、50ユーロの流通は少ない。
理由は文化的に奇数から始まるものは縁起が悪いから。
「片方のみの〜、片割れの〜」という事で欧米メンタリズムでは好まれないようだ。
ここいらの事情を日本政府が汲んだのか知りませんが、5000円札より多く発行する計画があったようです。
あらら? わーくにもとても賢いですね。
技術的な内情もあり、印刷技術の刷新は前々から問題観されていた中、突如決まったこのゴリ押しにより制作時間は限られたようだ。
原図を任された工芸官のその後が気になる。
工芸官「できた!」→大蔵省「よし」→内閣「よし」→日銀「よし」→国立印刷局「これで決まり!」
という流れになる決まりなのだが、一度決まれば止まらないのが組織である。
他の寄り道は存在しない。
突然降って湧いた2千円札。
国民に2から始まる通貨は受け入れがたいものがあった。
2004年には発行停止、2010年に製造中止、及び回収が始まる。
2千円札が流通しなくなった理由がこれ。
余談だが明治6年に二銭硬貨が発行されてる。
ここでも使い勝手が悪く、発行から4年で回収された。
時代は繰り返すとは正にこれ。
日本のリサーチ不足は伝統芸の域に達し我々国民を飽きさせません。
誰も使っていないが2千円札は今も全国で使用可能。
現在、約1億枚が発行しており、沖縄県では1000万枚弱が沖縄に。
なお流通しているのは沖縄だけ。
沖縄のコンビニと銀行のATMには2千円札が出てくる。
過去、沖縄以外のコンビニで偽札だと疑われた事例もあるので、沖縄以外での使用を控えるべき。
時代は平安へ。
光源氏の元ネタは藤原道長。
で、三の宮は朱雀帝の第三皇女。
史実では孫の後『朱雀』天皇と一条天皇の孫娘が結ばれ、娘も何人か生まれる。
倫理観が現代とはまるで違う。
後朱雀天皇の子が後『冷泉』天皇。
この時代になると紫式部はまず間違いなく荼毘に付している。
貴族は火葬が一般的だった。
となると、作者の手を離れた『源氏物語』がまるで自我を持って独り歩きしてるように感じる。
いや、こじつけ。気味が悪いことに変わりはないが。
後冷泉天皇(70代)ともう一人、冷泉天皇(63代)がおりまして、この冷泉天皇も後一条天皇と同じ状況で天皇になりました。
超簡単に説明すると、村上天皇(62代)に藤原南家と藤原北家が権力闘争して、互いに娘をねじ込んで北家が勝ちました。
後の道長は北家。
これが平安時代は身内同士で争いまくったと言われる所以。
冷泉天皇は問題がありすぎて摂関政治がはじまった理由になりました。
北家について。
藤原家の始祖が中臣鎌足。
藤原不比等の4人の子が……北家、南家、式家、京家。
北家から五摂家に分かれたのが……近衛家、一条家、九条家、鷹司家、二条家。
はい。
そうなんですよ。
紫式部が何を考えていたのか大体わかりましたね。
賢い人が闇落ちするとヤバいってわけ。
それでも平安の闇は続く。
『源氏物語絵巻』「鈴虫」には続きの文章があります
ここからはセンテンス長過ぎるので、適当に段落調整します
われもしのひやかに念珠したまふ
あまたの大すのいとたうとくほの/\きこゆるなかに
すゝむしのこゑいつれとなきかにまつむしなむすくれたるとて
中宮のはるけきのへをわけていとわさとたつねとりつゝはなたせたまふに
なきつたふるこすくなかなれなにはたかひて
いのちのほとはかなしきむしにこそあるへき
こゝろにまかせて人きかぬおくやまはるけきのゝまつはらにこゑをしまいぬいととうたて
こゝろあるむしなむありけるすゝむしはこゝろやすくいまめいたるこそらうたけれ
残り部分は上と文量同じで面倒なので一旦区切ります。
冒頭の「われもしのひやかに念珠したまふ」が光源氏の「俺も念仏しちゃお!」ですね。
この部分、光源氏も情緒に感じ入ってるという解説が多いのですが、「鈴虫」の一の段にある三の宮の状況考えると温度差あると思うけれど。
続きの読み下し文を調整しつつ訳。
阿弥陀の大呪のいと尊くほのぼの聞こゆる中に
鈴虫の声いづれとなき中に松虫なむすぐれたるとて
中宮の遥けき野辺を分けていとわざと尋ねとりつつ放たせ給ふに
鳴き伝ふるる少たかなれ名には違ひて
命の程はかなき虫にこそあるべき
心に任せて人聞かぬ奥山遥けき野の松原に声惜しまぬいとうたて
心ある虫になむありける鈴虫は心やすく今めいたるこそらうたけれ
簡単に訳してみます。
ここから先は難しいので間違ってたらごめんね。
古文専攻の人は今すぐ寝て下さい。
鈴虫うるさいけど、そんな中で聞こえる阿弥陀如来のテラバイト経文すごい
鈴虫もなんか、いい感じに聞こえてきた。特に松虫すごい
だけどこの松虫、遠い野原から探して来て、大量に庭に解き放ったのはいいけど、鳴いているのは少ないかも? 松虫とか言っちゃってるけどさ、寿命の短いのかな、名前負けしてるよね?
あ、でも、誰もいない山奥の中の、遠い野原の松原で、一生懸命鳴いる鈴虫いいよね。親しみというか、賑やかというか、とにかく、鳴き声がかわいい。そう思うでしょ?
変だと思うかもだけど、どうしても光源氏の雅感が100%本心とは思えない。
これね、大学研究の原文翻訳からして解釈違いあるのが悩ませてくる。
学術研究だって趣味の範囲超えてくると個性出てきますので、特にここでは本気にしないでください。
続いて、光源氏と三の宮のやり取りだけを超簡単に書きます。
三の宮「秋は寂してつらい季節ですが、それでも鈴虫には鳴いもらいたいものです」(小声)
光源氏「何言ってるのこの人。いや〜でも貴方のお声は鈴虫のように美しい!」(琴ピロピロピロ)
この時、空に月が出てきて、もののあはれに入りました。
空気の読める光源氏は弾いている琴もバラード調に変えました。
その後、大人の事情を挟んでから宴がはじまり、盃で酒を二杯飲んで冷泉院の使いが来て、冷泉院邸で宴が始まります。
2千円札の裏面の2人のシーンです。
そう、これ二次会。驚いたっしょ。
2人の下には光源氏の部下4人がいます。
何故か夕霧はこの中で笛吹いている人物と目されているようですが、明らかに冷泉院と扱いが違う当たり、夕霧が宮中でイマイチ女官のウケが良くないのが垣間見えます。
源氏物語絵巻物が描かれた時代に紫式部は100%生きていないので、そんな中で二次創作みたいなノリで夕霧が友情出演を果たした感じですかね。アホくさ。
夕霧が笛吹いているのは丁度すかしの部分です。
実際のすかしは守礼門が見えるのですが、夕霧が見えたら面白かったかもしれません。
それにしても光源氏はいい性格してます。
チャラくて話の面白い男はいつの時代もモテます。
さて、話にでてきた冷泉院。
藤壺(桐壺帝の中宮)との不倫で生まれた子です。
表向きは第十皇子であり、冷泉院はやがて冷泉帝、つまり天皇となります。
重要なのが光源氏が桐壺帝の第二皇子という点です。
おや? 暗雲立ち込めてきましたね。察しの良い人は読まないほうがいいでしょう。
2000年になると、皇位継承問題が騒がれるようになります。
男系が少なく、女系でもOKにしよう、というお話です。
2004年になると本格的に政界が動きます。
皇室典範というワードが度々ニュースに出てきました。
丁度、二千円札が回収された時期です。
あらら? いいえ恐らく多分絶対に関係ありません。
悠仁親王御生誕は2006年ですからね。
ですが、タイミングが悪いですね。でもまぁ、ギリセーフ!
さて、第二皇子の光源氏が不倫して出来た子が天皇になるお話の『源氏物語』。
権力の象徴的なシーンである鈴虫の宴が紙幣に採用されました。
怖いですね。
皇位簒奪ともとれるシーンです。
怖いですね。
けっこう、いやかなり危ないと思います。
だから発行翌年に大蔵省解体されたのかな? ここから先はオカルトなので専門外です。
2千円札のデザイン、実のところ、深く考えてなかったのではと思います。
上半分に抜き取られた詞書がまず意味不明、絵に合っていない。
源氏物語絵巻は平安末期のもので、右下の紫式部は鎌倉時代に描かれたもので左右の時代が違う。
とにかく古いのを選んでみた結果こうなったのではないかと。
日本の歴史ドヤりたい意図を感じる。
裏は闇。
裏の裏は?
当然、表。
しかし、表は光とは限らない。
紙幣表面に守礼門が選ばれた理由。
沖縄サミットに合わせただけ。
人の顔じゃないんかい、と思った方へ、もちろん理由があります。
国立印刷局によると恒久紙幣の条件は、日本国民が世界に誇れる人物で、教科書に載っているなど、一般によく知られていること。
偽造防止の目的から、なるべく精密な人物像の写真や絵画を入手できる人物であること。
あくまでも『なるべく』なので特別な制約はない。
そしてそして、2千円札の条件は特殊。
『表面に肖像を使わない事』とある。
初めから誰もが思い付く守礼門で決まっていた。
ちなみに人物選定の最終決定は財務大臣が決める。
当時の大蔵大臣は宮澤喜一、元大蔵官僚で自民党の裏ボス的存在。
父親も政治家で、祖父の小川氏は政界・財界の超大物。つまりは華麗なる一族だった。
二千円札発行の公の発案は小渕総理大臣というのが宮沢熹一の言葉ですが、まぁこの人でしょうね。
仮に気付いた人がいたとして、世間がワイワイとミレニアムで盛り上がってる中で下手に意見具申しようものなら……って邪推せずにはいられません。
ただ、宮沢熹一のお孫さんの話によると、二千円札が使われなくなっていき、それを指摘された宮沢熹一本人は戸惑っていたようです。
深く考えずに、とりあえずその場の勢いでハコモノ作って、結局誰も使わないのと似てます。
さて、新紙幣が2024年に発行される以上、二千円札に使われた新技術も価値が一歩遅れました。
偽造防止技術を散々謳っていた新紙幣。
一方、発行されて24年経つ二千円札の信頼性はどうでしょうか?
改刷には早いでしょうか?
1万円札の肖像が聖徳太子から福沢諭吉に変わるまでが1958〜86年の28年間。
1986〜2007年までの23年間と、07〜23までの16年間をそれぞれ福沢諭吉。
むしろ24年は遅いのです。
これらをC、D、E号券といい、渋沢栄一はF号券となります。
なんでアルファベットなのでしょうか?
不思議ですよね。
答えはGHQ。
といっても、露骨な命令ではなく意向を汲んだ形です。
GHQは一度接収してから日本に恩を売るのが特技なのでこの程度は朝飯前です。
A号券が発行されたのは1946年。
戦前は甲号券、い号券と呼ばれてました。
甲乙丙といろはですね。
甲案乙案なんて言葉は今でも使われますね。
銀行のように国家の急所は抑えておきたいという理由からです。
そうでなくとも戦後のアメリカの支援考えたら無理からぬ事です。
読みやすいからこれで良いけどね。
政治家や財務官僚に「新紙幣に2千円札ないね? 今後作る予定ある?」 なんて質問したらどうなるんでしょうね。
「3Dホログラムは? 守礼門立体視は?」
答えは永遠のゼロ。
昔、混雑時に二千円札の角度の通りに守礼門見ようとして、向こうから来る人の波に飲まれました。
蛇足終了