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文学

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 『源氏物語』は物語であり文学。

 物語であれば多少の共感がある反面、どうやっても『いとをかし』出来ないところもある。

 時代が古すぎて感性が狂っている。

 光源氏が親友の頭中将と共に老婆と3Pして「老婆もいいもんだな」とカラカラ笑う場面がある。

 誰が共感するのだろうか。


 一方『紫式部日記』は近年に文学として昇華する。

 紫式部は漠然とした不安があったのか、『紫式部日記』の最後に少しだけ見受けられる


 本題『紫式部日記』は真に学問か?

 あの内容で?

 研究価値はあるとして、公教育の学問(・・・・・・)に相応しいだろうか?

 どうしても引っかかる。

 『源氏物語』も内容的にどうかと思う。世界最古の長編小説だからとりあえず的な。


 同じ随筆の『枕草子』との違いは?

 なぜ『枕草子』は公教育の常連なのか?

 答えは清少納言が一筆目から万人へ見てもらう為に書いたものだから。

 『紫式部日記』はそうではないし、紫式部もそれを望んではいない。望んでいたらもう少し言葉を選ぶだろう。

 であるにも関わらず、最後の消息文において、彼女の心情はどこか訴えかけるものがある。


 古典文学を学ぶ理由。

 紫式部が主、彰子に施した教育も同じ理由。

 日本の伝統と文化に触れ、その変容を辿り、当時のものの考え方や歴史的背景を理解し、教養を身につける事。

 装備して実践。血肉とする事。

 人間性を形成する上でのちょっとした教科書的存在。

 物語の追体験など著者からしてみれば第二の人生を与えてるようなもの。

 追体験とまではいかなくとも、興味を持てるものならば何でも良い。

 『源氏物語』『枕草子』、あるいは夏目漱石の『こころ』でも構わないだろう。


 紫式部自身、彰子への教育で成長した。

 恵まれた環境と奇運。

 育まれた才能。

 宮中での生き方。

 紫式部は彰子と同じだった。。

 人間的成長の変化を含む『紫式部日記』は文学作品としての価値はある。

 平安中期を知る上で『紫式部日記』は重要な手助けになるだろう。



 『この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば』



 望月とは、十五夜の満月。

 歌った時期は陰暦8月15日。


 藤原道長の有名な歌。

 権力闘争に明け暮れていた。

 孫の後一条天皇は『源氏物語』では光源氏の子、冷泉帝のモデル。

 『光る君へ』ではいくさのシーンがないとの事、定子の兄、伊周や、一条天皇との政争が見どころ。

 後一条天皇は32歳で無くなり、弟の後朱雀天皇が継承。

 その后に上がったのが、定子の嫡子の娘、つまり一条天皇の孫娘。

 しかも、孫娘を一度、藤原道長の息子、頼道の養女にした上で。




 『源氏物語』の玉鬘の段の言葉と『紫式部日記』の消息文。




 『源氏物語』の玉鬘の段


 善きも悪しきも、世に経る人のありさまの、 見るにも飽かず、聞くにもあまることを、後の世にも言ひ伝へさせまほしき節々を、心に籠めがたくて、言ひおき始めたるなり


 簡略化すると


 善悪を見た人は、見ても見飽きない事。それは一人で聞くだけでは心の中があふれてしまう。だから後世に伝えたくなって、伝えるべく書き始められた


 続きでは、人の評価は良くも悪くも誇張されるもので、でもそれは物語としては決して悪い事ではない。と書かれている。




 『紫式部日記』の消息文




 かく世の人ごとの上を思ひ思ひ、果てにとぢめはべれば、身を思ひ捨てぬ心の、さも深うはべるべきかな。何せむとにかはべらむ


 簡略化すると


この世の有り様を、その人々を思いかけながら、最後の結びとするならば、心に包みきれずに書き残した思いがあります。どうすべきでしょうか


 前文では、紫式部自身の反省や葛藤、清少納言への懺悔ともとれる後悔の念。

 後世の人間が誤解する不安が綴られてる。

 内心の吐露が入り混じった予防線はいかにも紫式部らしい。



 この2つは似ている。

 

 彼女自身、藤原一族の後世への影響を考えると同時に、自身が見てきた波乱万丈の宮中を伝えたい葛藤がある。

 息の詰まる公家社会、残酷な人間模様、飽きることのない情愛の応酬。

 『枕草子』が見せる彩り豊かな美に隠れた部分がこれだ。 




 『光る君へ』は表現しきれるだろうか。

 『源氏物語』や物語、漢詩、和歌、何より日本史に興味を持つだろうか。

 大河ドラマはあくまでも大衆ドラマ。

 どんな表現方法であれ、捉えか方であれ、エンターテイメントは面白おかしく見るもの。

 その空気感、紫式部本人にとっての宮中は最後まで異界だったかもしれない。


 2025年にNHKの放送開始100周年を迎える。

 2025年の大河は『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』。

 江戸時代中期、喜多川歌麿、葛飾北斎、山東京伝、滝沢馬琴を見出し、日本史史上最大の謎の一つ『東洲斎写楽』を世に送り出し、人気者になった快男児こと蔦屋重三郎が主人公。NHKは彼を『江戸のメディア王』と評している。

 彼は自由な気風を好み、それに沿った出版物で人気を集めたが、松平定信の『寛政の改革』が逆風となり……といった内容。『光る君へ』が現代人のSNS感覚を刺激するとしたら、こちらは切実な日本経済を

風刺するといったところだろうか




 などと、ここまで書いておいて気づいた。

 大河にそんな興味ないなって。

 役者に至っては代表作以外わからない。

 でも調べてたらこんな事になってしまった。




 続く


誤字報告ありがとうございました

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