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宮中・後、紫式部日記の紫式部




 実は清少納言は紫式部の夫、藤原宣孝を「服装のセンス最悪」とディスった後に宣孝が昇進した話を持ち出して、「個性的で素敵な人」とフォローしている。

 見方によってはちょっとだけ嫌味ったらしい。

 昇進した話は10年前の事で300段からなる『枕草子』の114段目にあたる。


 紫式部は「知識をひけらかす中身のない人間」の続きに「自分を個性的と思う人は劣化して落ちぶれる、さらにそれを個性と言い張るようでは上辺うわべだけの中身のない人間の成れの果てはろくでもない」と書いている。

 紫式部は強気の和歌が多い。

 和泉式部に対しても「歌のセンスはすごいけど男狂いのアホ」とディスっている。

 和泉式部とは当初劣悪だった。先輩の女官を差し置いて、中宮・彰子の教育係に抜擢された陰キャのコミュ症。

 紫式部は嫉妬を一身に受けた。

 宮仕え直後、半年ほど入内拒否する程ショックだったようだ。


 『紫式部日記』は前半パートの後一条天皇生誕と年間行事について書かれている。

 後半から愚痴パートになる。

 使命から解放された紫式部が長年溜め込んだストレスを一気に解放したのだ。


 彰子の家庭教師は他がいなかったわけではない。

 ただ単に藤原道長の思惑に当てはまらなかった。

 時間的な焦りがあった。

 不審死したライバル、一条天皇との確執。

 自分大好き恋愛脳の和泉式部では不十分だった。

 

 具体的に紫式部以外の女官達はどうだったかというと、実は彼女達も儀式行事に嫌気がさしていたようで仕事ぶりは真面目ではなかった。

 ただしこれは平安時代では珍しくない。

 

 宮仕え直前の紫式部には『源氏物語』を読み回して楽しむオタク仲間がいた。

 傷心の紫式部にとっては居心地が良かっただろう。

 オタク仲間達を裏切る形で宮仕えしたことをネガティブにとらえるほどメンタル脆弱な陰キャだった。


 コミュ症ではあったが、陰キャの性格は『もののあはれ』と相性が良かった。

 『もののあはれ』とは、四季の風情、男女や親子、友との情愛や離別、哀惜から生じる情緒。

 『源氏物語』は『もののあはれ』を極限まで煮詰めた作品。

 華やかな舞台上で、上手く行かない人生を生々しく描いている。

 また『紫式部日記』が過激な内容であったにも関わらず、これが原因で何かしら大きな事件の類は起きいない。多少の無礼があっても『いとをかし』マインドで許されていた。

 

 紫式部も後半になるほど陰キャに磨きがかかり、多少の事では動じなくなる


 宴席では男から誘いがある。

 手紙のやりとりが通例だが、スキあらば合体、乱交する。

 ところがどっこいしょ。紫式部はひと味違う。

 酔っ払った男が紫式部に対し「ここに若紫はいないのか?」とからかう、

 紫式部は「光源氏もいないのに紫の上(若紫)がいるわけないだろ」とカウンター。


 ここで面白いのが紫式部は美人という点。

 平安時代の美人の条件は艶のある髪、切れ長の目、要はおたふくの面。

 紫式部は全部当てはまっていたが陰キャで奥手。

 なお清少納言は縮れ毛だが愛嬌抜群の陽キャ。


 2人ともかなりモテた。


 清少納言は取次、使いの者、被官(下級官吏)に愛嬌で。

 紫式部は上級階級に美貌と知性で。


 主、彰子も前妻の定子より愛された。

 定子との間には嫡子がいたが即位は無効となり、彰子の嫡子が後に後一条天皇として即位する。

 ただし彰子は定子の子供に対しても我が子同様に愛情を注ぎ、子供達の関係は終始良好だった。


 紫式部が彰子の教育係を務めていた。

 そんな自分を棚に上げて主の彰子に対し「だいたいコイツ陰キャなんだよな、だから一条天皇に相手にされないのよ」と愚痴っている。

 他の女官は呑気なもので、「別に焦らなくてもいいでしょ」という意見が大半だった。

 わざわざ一条天皇が会いに来たとしても彰子は恥ずかしがって会おうとはしなかった。




 4 




 鎌倉時代、『源氏物語』は『紫明抄』という注釈書が出来上がる。

 室町時代には日本無双の才人こと、一条兼良が御前にて『源氏物語』を講義しているほど古くから文学として認知されている。


 『紫式部日記』では貴族社会の本質は陽キャで満ちた宮中が閉塞的なコミニティであるとドライに書かれている。

 それらが自分に降りかかる時、機転の利いた皮肉の数々が生まれる。

 時にそれは、紫式部自身への自虐を交えている。

 これが平安流行りの『いとをかし』に当たる。


 『女流日記』『もののあはれ』『いとをかし』の組み合わせ。最後に生まれる紫式部の内省性。

 より詳細には、自己の体験を素材とし思索によって現実を静観する文学を自照文学という。

 年齢的に成熟している紫式部の強烈な内省性であっても学問に扱われるほどに。

 『紫式部日記』が教育の場で文学として扱われるようになったのは近年から。


 紫式部の家が代々天皇家に仕えていた環境が彼女を作り上げてた。

 夫、宣孝の死から主、彰子の後一条天皇出産を経て紫式部は変わった。


 かつて宮中を華やかに彩った定子のサロン。

 紫式部は地味で堅苦しい。

 現代にいたとしても人に好かれるタイプではない。

 対人関係はドライ。

 時には嫌味も言う。でもそこに不愉快さはない。知性と品性が合わさっているからだ。

 父、為時が無官で不遇だったり運が悪かったものの、過酷な境遇であっても人間性は豊かだった。


 ただし清少納言以外に限る。

 紫式部が最も毛嫌いした清少納言の娘である上東門院小馬命婦が定子から彰子に仕え先を変えられた事がある。

 赤染衛門と交流のあった清少納言と、藤原道長の横暴さに年々嫌気がさした彰子が、定子の子であり本来の時期天皇である敦康親王を道長から守った事も関係している。

 この複雑な環境は宮中では珍しくはない。

 だが紫式部にとって気に入らなかった。

 欲望渦巻く宮中の閉塞的な人間模様を一歩引いて見ていたのではないだろうか。


 『紫式部日記』は愚痴で出来ている。

 それがおもしろい。

 感情の混濁は人を惹きつける。

 紫式部が才女として評価されたのは漢詩と機転。

 知識と知恵。

 後一条天皇が生まれ、最重要ミッションを果たす。

 娘、賢子も三位という高位に就く。

 総合評価という意味で紫式部は完璧。

 数奇な運命に翻弄された稀代の才女に間違いない。

 紫式部本人が知ったら性格的に赤面するだろうけれど。




 続く

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