夏祭りの後に
茹だるような暑さというのは比喩的な表現だったはずなのに、この所の異常気象は比喩を超えていますよね。
申し遅れました私、斎藤麻衣は普段は近所のスーパーで働く主婦をしております。夫の和哉は中堅企業の会社員、娘の真愛は今年小学校に入学したばかり、どこの地域にもいそうなありふれた家族ですね、はい。
自慢するポイントは家族が仲良しな点でしょうか。卑下するような話しもないので期待された方には申し訳ないくらい、普通の家庭が一番ではないでしょうか。
こうして毎日の日記として更新しているブログも、平穏で平凡で退屈なものかもしれません。見る人なんてほとんどいないと、自分でもわかっております。あくまでも私の小さな趣味の世界なのですから。そんな日常生活がずっと続くと、思っていました。
なぜ急に過去形でお話ししたかと言いますと、これから話す事はつい最近の話しだからです。話してもまったく面白味のない私の家族の出来事だったわけですが、久しぶりに皆様に聞いてもらえそうな事件が起きたのです。
娘の真愛の通う小学校が夏休みに入りました。夫の和哉を送り出した後、私は真愛を連れて職場であるスーパーに向かいました。
暑い日の続く中でアパートに一人、小学生になったばかりの娘を置いて行くのは怖かったのです。移動するのも暑いのですが、職場まで連れて行く事にしました。
私の働く職場には、狭いけれど託児室があります。本来はもっと小さなお子さんのいる方が使う部屋になっています。幸い部屋を使うのは私の娘と、他の方のお子さんも一人しかいなかったので許可を貰えました。
冷房も効いていますし、真愛も、その子も同じくらいの歳の子なので安心して働く事が出来る職場環境というわけです。
仕事が終わると、職場のスーパーで買い物をして帰る日々がしばらく続きました。大人しく過ごした反動で、いつもあれ買ってこれ買ってと、はしゃぐ真愛が騒がなくなりました。自宅までの帰り道で手をつなぐ娘に、どうしたの? とたずねてみました。
「あんまり欲しがると、本当に欲しいものが消えちゃうんだって」
真愛がボソッとした声で話してくれました。自慢出来る事はないと言いましたが、我が娘は自慢したい娘です。親バカですね、わかっていますよ。
でも年齢のわりに賢い子なので、こうした何気ない会話でもヒントになるような言葉を伝えてくれます。
真愛には暇つぶしにアニメだけ見れるようにして、置いておいたスマートフォンがあります。もう一人の子が勝手に操作して都市伝説系の映像を見たようなのです。
勝手にいじらないように言い聞かせていたのに、その子が約束を破ったため娘は責任を感じて反省していたのでした。
「ごめんなさい」
我が娘ながら、なんて真面目で責任感が強い娘なのだろう。親バカでいいので少しくらい、自慢させて下さい。
私は泣き出した真愛の頭を撫でながら、もう一度約束をしました。娘は何度も頷き、ようやく泣き止みました。
それから三日ほど何もない日が続きました。外は相変わらず暑く、私がスーパーで働く時間ははっきり言って暇です。暑さのせいでお客さんも、昼間は来たがらないのでしょうね。
いつも大体一緒に働いていた奥さんと、彼女の娘さんの姿を見なくなりました。人手が余っていたので、夏の間のシフトを変更されたのでしょう。
真愛は友達がいなくなって寂しそうにしていましたが、私としては乱暴そうな子という印象から、真愛が苛まされずに済んで良かったと思いました。
しばらくまた何もない日々が続きます。そんな暑くとも平穏な毎日でしたが、近々街で一大イベントが始まるので、私も真愛もソワソワしています。
娘の通う小学校のグラウンドで、お祭りが開催されるからです。理由は単純でしたね、すみません。
コロナ禍を経ての久しぶりの開催とあって、大人の私でもわくわくしてしまいます。子供達なら尚更でしょう。夫の和哉はその日に出張が重なってしまい行けないそうです、残念。
お土産にたこ焼きやりんご飴やラムネを買っておいて、お家でお祭り気分を味わえるようにしておこうと思いました。キンキンに冷えたビールも忘れていませんよ、と。
夏祭りの当日、地元のお祭りなのに大変な賑わいでした。はぐれないように、私は真愛の手をしっかり繋ぐようにいいます。最近は我慢ばかりしていた娘も、この日ばかりは大いにはしゃいで喜んでいます。
人気アニメのお面や風船を欲しがるので、列に並んで買いました。せっかくのお祭りなのですから、私だって野暮な事は言わずに揃いのお面を買って楽しみます。
二人で焼きそばを食べて、綿菓子とりんご飴を買い、かき氷もいただき耳がキーンとなりました。
美味しいと評判のたこ焼き屋さんは、長蛇の列になってしまったので買うのは諦めました。かわりに焼きそばとラムネを買って、ご機嫌な娘と並んで帰りました。
自宅のアパートから、私の働くスーパーと、娘の通う小学校は近いところにあります。生活圏が狭いけれど、移動はそれだけで済むので便利なのですよ。
小学校の帰り道にスーパーがあるので、私達は買い物をして帰る事にしました。スーパーには以前シフト時間の一緒だった奥さんの姿があり、この時間になったのかとなんとなく申し訳なく思ってしまいます。
もちろんこれは私が迂闊でした。この時間は、お祭りに行きたくても行けない人もいるというのに。少し気まずい思いで奥さんに話しかけたところ、気にする様子はなくてホッとしました。
ただ彼女の娘が真愛に会いたがっていたと聞き、私は買い物をしている間だけ託児室に預けてしまったのです。私のつけていたお面まであげてしまって。
買い物を済ませた頃に真愛が戻って来ました。あれだけはしゃいでいたのに、何に疲れたのか無口でした。
私も真愛も早く帰りたくなり、さっさとスーパーを後にしました。暑さとお祭りの疲れと、余計な気遣いで、私は異変に対して注意が散漫になっていたのだと思います。
アパートまでの帰り道、真愛はずっと黙っていました。はしゃいで疲れたのもありそうです。でも、やはりあの娘さんには会わせなければ良かったと後悔しました。
アパートへ着くと当たり前ですが真っ暗です。エアコンはかけっぱなしで出かけていたので、部屋の中はひんやり涼しくなっています。
汗だくになったシャツは洗濯かごへ脱ぎ、ラフな部屋着へと着替えます。真愛は浴衣を着てお面をつけたまま、風船を握って大人しく待っています。
よほど酷い嫌な目にあったのかもしれません。しかし、違いました。薄暗い玄関から部屋へ上がると、それは真愛ではないと、今さら私も気づきました。
お面を剥がすと嫌な表情で笑う、あの奥さんの娘の顔がありました。騙された、騙されたと、私に向かってはしゃぎました。
私は何をしていたのでしょう。どうしていつも握る手の感触に気づかなかったのでしょう。
他人の娘を勘違いしたまま連れて来てしまって。不安に焦る私は置いていかれた真愛を迎えに、急いでスーパーまで戻ろうとしました。
ケタケタ笑う少女の声が耳障りで、一瞬憎悪すら沸きました。しかし家のインターホンのチャイムが鳴り、聞き慣れた奥さんの声がしました。
「夜分にごめんなさい。うちの娘がいたずらをして、お邪魔してませんか」
常識のある方で良かったと、私は更に馬鹿な勘違いをしてしまいました。真愛の事で混乱して、なぜ彼女が私の自宅を知っているのか考えませんでした。
私は自分に都合よく考えてしまって、スーパーに置いていかれた娘をわざわざ連れて来てくれたと思ったのです。
ドアを開けると、奥さんの薄気味悪く笑う顔がありました。彼女の娘にそっくりで吐き気がします。彼女の娘は真愛の浴衣を着たまま、迎えに来た母親の所へ向かいます。
「子供のいたずらとはいえ他人の娘を連れ去るなんて、貴女も随分と非常識な事をするのね」
「ごめんなさい。てっきり私の娘だと思ってしまいまして」
事実は事実。返す言葉もありません。誘拐したと言われてしまえば、言い訳も出来ない状況でした。何よりも早く真愛の顔が見たかったのです。
しかし、奥さんの周りには子供の姿などありませんでした。
「真愛は、あの娘は一緒じゃないんですか?!」
どうして一緒じゃないのか頭に血が昇ってしまい、奥さんを責める口調になりました。
「真愛ちゃんなら、貴女が自分でスーパーに置き去りにしたんじゃない。いくら可愛くないからって、他人の娘を誘拐して、御自分の娘を置き去りにするのはねぇ」
ニヤニヤしながら彼女は娘と帰って行きました。私は気が動転していて、彼女の娘が真愛の浴衣を着たままだという事も忘れ、鍵を閉めてスーパーに向かいました。
お祭りが終わった後のためか、さっきまでと違って人々でごった返しています。私はバックヤードの託児室へ向かいました。
部屋には誰もいませんでした。ラフな部屋着のままなので、店長に不審者と間違われました。
「娘が、真愛がいないんです」
取り乱しながら説明する私に、忙しい店長は構ってられません。ですが警備員を呼んで、出入りしたものの確認をさせてくれました。
「娘さんなら旦那さんが迎えに来て、一緒に帰りましたよ」
夫が? 私は更に頭が混乱して固まってしまいます。今夜は出張で戻らないはずの夫の和哉がなぜ?
警備員は事務室で、防犯カメラのチェックもしてくれました。映像は混雑する前の時間で、お面を被った子を外に連れ出す夫の様子が映っていました。
「免許証を拝見させて頂いたので、間違いありませんよ」
混雑する前だったので、間違いようはないとはっきり言われました。間違ってはいないんですが、そこには本来、娘はいないはずなんです。
私は混乱する頭を揉むようにしながら、再び自宅へと戻りました。そしてスマートフォンを取り出して夫の和哉へ連絡をします。
電話には何度かけても出ません。メッセージを送って見ますが返事がありません。
いったい何が起きているのか、不安でたまりませんでした。真愛が一緒にいるのは、真愛を大切にしている父親の和哉のはずです。
事情はわかりませんが、あの人が真愛に何かをするはずがないと信じる事しか出来ませんでした。
気がつくと私は憔悴したまま、朝を迎えてました。警察にはまだ連絡していません。連絡してしまうと、私はどうしてそうなったのか説明する必要が生じます。
何より夫の行動も不可解過ぎて、警察に駆け込むのが躊躇われたのです。
「あんまり欲しがると、本当に欲しいものが消えちゃうんだって」
賢い娘の真愛の言葉を、私はもっと早く、深く理解すべきでした。あれは誰の言葉だったのかを、あの時の私が理解してさえいれば····
昼過ぎに出張に行った事になっている夫が、一人で帰って来ました。いつもより、何か疲れた顔をしています。やはり真愛の姿はありません。
「あなた、真愛はどうしたの?」
私は嫌な予感で冷たい汗が出てきました。あれだけ連絡を入れたのに、この人は真愛について全く触れないからです。
「真愛がどうかしたのか? 寝ているんだろう。夏休みたまからって仕方のない子だ」
疲れた表情で立ち上がり、娘の様子を見に行く夫の和哉。しかし、家族三人で眠る寝室に真愛の姿があるはずはありませんでした。
連れ去った本人が演技をしているのなら役者になれると思います。ですが、和哉が演技している感じには見えず、私はスマートフォンの履歴確認をしました。
「履歴が消されてる?」
私の物と夫の物を並べて確認し合いましたが、履歴やメッセージは全て削除されていました。
「昨日は出張と言っていたのに、どうしてスーパーに来て真愛を連れ去ったのよ!?」
映像で和哉がスーパーにやって来て、お面を被った少女を連れて行く姿は記録されています。連絡した履歴は消せても映像は消せないし、犯罪になれば履歴は復元され、私のスマートフォンの履歴も含めて証拠になるでしょう。
「違うんだ。俺は、真愛を連れて行っていると思わなかったんだ」
私が勘違いした事と、同じように夫も勘違いさせられたようてます。それはそうとして何故、出張と嘘をついてまで他人の娘を連れ出したのでしょうか。
「君の働くスーパーに最近入った女は、昔の俺の恋人だったんだ」
和哉はそこそこモテるので、わからない話しではありません。ただ、そこから先の話しで彼女の恐ろしい計画がわかりました。
彼女は私の趣味のブログを見に来る、数少ない熱心な読者の一人でした。同じ年代の娘を持つ者として共感してくれる方だと、私が勝手な思い違いをしていたようです。
彼女の方は、自分の好きだった相手を奪った女という認識でした。笑顔のアイコンは、あの時に見せた笑顔だったのです。ずっと復讐の機会を狙っていた所で、小学校の名前から身バレしたのでしょう。
私が迂闊に情報を晒した事で、夫も彼女から脅迫されていました。夫と彼女との関係をバラすと言われれば、娘を大事にする和哉も黙るしかなかったようです。
ただ彼女は夏祭りの日に出張と嘘をつく事、娘を迎えに行く事を指示しただけで、祭の日まで何も言って来なかったそうです。
そしてあの日、連れ出した娘を車に乗せて彼女の別れた旦那さんの所まで連れて行って欲しいと頼まれたそうです。しっかりと約束を果たすまでスマートフォンは預けて。
娘を山奥の家の前に降ろした後、和哉は途中仮眠をはさみながら戻って来ました。
自宅へ帰り私の話しを聞くまで夫は、訝しい思いを感じながらも事件になるなど考えてもいなかったそうです。
警察に行き捜索願いを出すために、夏祭りの帰りに起きたことの全てを話しました。夫の和哉は被疑者として身柄を拘束されました。
共謀した可能性のある奥さん、和哉の元カノは自分の娘を誘拐されそうになった、本当の犯人は私だと記録した音声まで提出していました。
結局、私も事情聴取を受けましたが、相手の娘さんが良く似た体格の娘で、迂闊な母親の烙印を押されて終わりでした。
元カノである彼女も、自分の娘が入れ替わっているのに気づいたのに何故教えなかったのか問われ、夫との関係性から被疑者の一人に浮かびました。
関与している可能性は高いとの事です。
夫の供述で、真愛が連れて行かれた山での捜索がありました。
娘の痕跡は見つかりません。夫自身が殺害して隠したのではないか、長い尋問の日が続くでしょう。
夫の自白とDNA鑑定の結果、彼女の娘は夫、和哉との子とわかりました。二人が共謀したのか、和哉がどちらの娘を愛していたのか、わからなくなりました。
夏祭りの帰りに握った手が娘と勘違いしたのは、暑くて疲れていただけではなかったのです。おぞましいのは、この手に残る最後の感触が最愛の娘の真愛ではない、他人の娘だということでしょう。
時が過ぎまた暑い夏がやって来ます。
つまらない日常を暮らしていたブロガーに起きた、皆様に見てもらえそうな非日常です。きっともう事件の結末を、私が知る事はないと思われます。
なぜなら私は、欲しがるものを消さなければならないからです。あの女は私が錯乱させて、自分の娘を殺させるつもりでした。
ですが、私は真愛が残してくれたヒントを忘れてはいません。
欲しがったのは誰なのか、消えちゃうのは誰なのか····。
企画参加5作品目になります。お楽しみいただけのなら幸いです。
※ タイトルを夏祭りから夏祭りの後に、に変更しました。