第5話 夏祭りの波乱 ④
エイダンとヒュー、それにイマジナリー・リードが、港へと到着した時、そこには大勢の島民が集まっていた。
桟橋の先には、イニシュカとトーラレイを行き来するいつもの郵便船ではなく、田舎の波止場には不釣り合いなくらい、優雅な造りの帆船が停泊している。皆、その船の見物に来たらしい。
フェリックスとハオマの姿を見つけて、エイダンは駆け寄った。
「フェリックスさん、ハオマさん!」
「エイダン。貴方もいらっしゃいましたか」
ハオマが、いち早くエイダンの声に気づいて、見えない目を向ける。
「シェーナさんは?」
「来てないようだな。今日は島にいるはずだし、騒ぎには気づいていると思うが……」
フェリックスが気がかりそうに、顎に手を当てたところで、一行はこちらへ歩いてくる数名の人影に気づいた。
すっきりとした機能的なローブに、怜悧な印象の眼差し。ヒューと似通った風貌の、貴族然とした女性が、その先頭に立っている。
レイチェル・リードである。
「姉上――」
ヒューが彼女を呼んだ。
「しばらくぶりね。元気そうで良かったわ、ヒュー。それにエイダンさん達も」
「姉上も。……今日は、お客様とご一緒と伺いましたが?」
「そうよ。どうしたの、そんな恐々と」
笑顔を浮かべつつ、レイチェルは不思議そうな顔をする。
「トーラレイでは、妖精の力に頼らない治水事業への取り組みが進んでいるわ。その中で、水属性魔術による灌漑技術研究の、第一人者にトーラレイまでお越し頂いたの。……そうしたら驚いた事に、彼女はこの島に滞在中の治癒術士の、お身内だと仰るのよ」
レイチェルは手のひらを上向けて、自分の後方に控える人物を指し示した。
痩身に、ごく落ち着いたデザインの、しかし上質な衣服を纏う女性。歳の頃は、四十か五十か。帽子の合間から覗く、ミントグリーンがかった淡い色の髪は、ほつれ一つなくまとめられている。
「……キッシンジャー夫人」
そう発言したのは、フェリックスだ。
彼はキッシンジャー家の人々と顔見知りなのだったと、エイダンは思い出す。シェーナとの婚約パーティーで会っているはずだ。
「お久しぶり。フェリックス・ロバート・ファルコナー」
相手の女性が、フェリックスに応じる形で、温度を感じさせない会釈をする。
それから彼女は、単刀直入な質問を投げかけた。
「シェーナは――私の娘はどこに?」
「いや、それは僕にも」
「ここよ。サンドラ・キッシンジャー」
困った様子のフェリックスの回答を遮る形で、別の声がその場に響く。
エイダンが声の方を見ると、シェーナとロイシン、それに、ロイシンの父親であるディランが揃って立っていた。シェーナはディランとロイシン親子の家に滞在しているから、騒ぎを知って一緒にやって来たのだろう。
普段であれば、ころころと変わる豊かな表情こそがシェーナの持ち味だ。しかし今の彼女は、眉尻を吊り上げ、石のように冷たい顔を保っている。
母と娘の再会に相応しい和やかな情景とは言い難い。
「一体何をしに来たの、母さん? 家に帰れと命令するつもりなら、先に言っておくけど、お断りよ」
「そう」
特に驚くでも、憤るでもなく、シェーナの母――サンドラ・キッシンジャーは、娘に向けて頷いた。
「そう言うだろうとは思っていたわ。貴方の様子を見に来たのは確かだし、あまりにもキッシンジャー家として恥ずべき生活を送っているようなら、強制的に連れ戻す事も考えた。でも、私の目的は、貴方に会う事だけではないの」
「あの、キッシンジャー夫人?」
レイチェルが、戸惑いに眉をひそめて呼びかけた。
彼女はごく単純に、娘の様子伺いに訪ねた母親を、案内しただけのつもりだったのだろう。雲行きの怪しい会話に、思わず口を挟んだ格好だ。
「目的、と仰いますと? 一体どういう事ですの。わたくしは伺っておりませんわ。ここにいる方々は、弟の大切な友人なのです。万一にも、失礼があっては」
「トーラレイ卿……レイチェル様。貴方に事前にご説明しなかった事は、謝罪致します。ですが、決して失礼を働くつもりはございません」
サンドラは滑らかに応じる。
「私は、仕事の話をしに参りました。娘のシェーナと……それに、この島にいるという火属性の治癒術士、エイダン・フォーリーと」
「はい?」
全く予想外に名前を挙げられ、素っ頓狂な声を上げてしまうエイダンである。
ぽかんとしていると、サンドラがこちらを振り向き、数歩分、歩み寄ってきた。
彼女の方が、シェーナより背が高いのだな、とエイダンはぼんやり考える。イニシュカ島民としては小柄なエイダンと、ほぼ同等の身長だ。
「貴方が、エイダン・フォーリーね」
「はぁ、そがぁです」
「ぜひとも、急ぎの仕事を依頼したいの。お話のお時間を頂けるかしら」
「構わんですが……」
「ちょっと! エイダンを何に巻き込む気?」
苛立ちを滲ませて、シェーナが会話を制止する。
ぴりぴりと、帯電するような空気がその場に流れた。
そこに――
「このまま立ち話というのも、なんだ」
いつもは必要以上に重い口をタイミング良く開いたのは、ディラン・マクギネスである。
「どこか、皆が落ち着いて話せる場所へ。我が家を使ってくれても良い。……構わないか、ロイシン、シェーナさん?」
「え、ええ。わたしはいいわよ父さん」
ロイシンが、シェーナに気遣う視線を投げつつも、首を縦に振る。
「……分かった。話を聞くだけなら」
と、シェーナも渋い顔で同意した。
「エイダン、怪しい依頼だったら、すぐ断るからね」
「怪しい依頼、て……?」
エイダンは困惑の解けないまま応じる。
一体全体、シェーナから見てサンドラ・キッシンジャーとはどういう人物なのか。
エイダンが知っているのは、シェーナは両親によって勝手に取り決められた婚約話に怒り、家出して冒険者となった、という事情だけだ。その詳細な心情までは、訊ねた事がない。軽率には出しにくい話題だ。
「それじゃとりあえず、マクギネス家に向かうとしよう」
フェリックスがその場の全員を見回し、提案した。
◇
マクギネス家に集ったのは、エイダンとサンドラ、シェーナ、フェリックス、ハオマ。それに、レイチェルとヒューのリード姉弟、家主であるディランとロイシンの親子である。
イニシュカ島の民家の中では、広い造りになっているマクギネス家だが、流石に居間はぎゅうぎゅう詰めになってしまった。
「さて。無駄話は嫌いだから、用件から入らせて貰うわ」
テーブルに着き、出されたハーブティーを一口飲んだサンドラは、あくまで冷徹な態度を崩さずに言った。
「間もなく、首都ダズリンヒル、聖ジウサ・アリーナで、大規模な祭典が開催されるの。『蒼薊闘技祭』……魔術士、魔道剣士、魔道闘士などが、魔力を駆使して戦い、各々の技術を披露する。我が帝国に古くからある伝統行事で、皇帝陛下もご観覧なさるそうよ」
「首都の――聖ジウサ・アリーナ?」
エイダンにとっては、タイムリーな単語だった。つい先刻、ヒュー達と聖ジウサ廟の話をしたばかりである。
聖ジウサ廟には、それに付随する形で競技場が建っている。切磋琢磨を人々に説いた聖ジウサに倣おう、という目的で建造されたらしく、青いアザミのモチーフと共に描かれる事の多いジウサにちなんで、『蒼薊』の通称を持つ。
かのアリーナで行われる、魔術士達の闘技祭は、サンドラの言ったとおり、歴史ある一大イベントだ。首都ダズリンヒルに足を踏み入れた事のないエイダンでも、名前くらいは知っている。
「闘技祭の開催中、選手と観客の保護のため、アリーナには特殊な結界が張られる。今大会の保護結界構築に際しては、キッシンジャー家がアドバイザーに抜擢されたわ。指揮を執るのは、当然正規軍だけどね」
「それは……素晴らしい名誉ですね!」
フェリックスが、素直な称賛を述べた。
「祭典の主催側に民間の、それも貴族ではなく地主階級が選ばれるとは……」
「私の開発した加護石を使えば、安価で効率良く水属性結界が張れる。聖なる祭典も、コストダウンの時代よ」
ほんの一瞬、サンドラの口元に皮肉な笑みが浮かんだが、彼女はすぐにそれを消し去り、話を続ける。
「とにかく、私は主催の一員なのだけども……開催直前の今になって、問題が発生したの。救護班をまとめ上げる、正規軍所属の治癒術士が、逮捕されたのよ。内乱罪容疑で」
「内乱? 叛乱とか起こしたっちゅう事ですか? 軍に所属しとる人が」
仰天したエイダンは、思わず問い返した。
「実際に武力蜂起した訳じゃないわ。廃帝派――つまり、この国の帝位を廃止しようとする派閥の、過激な地下組織と共謀し、闘技祭中に騒動を起こそうとしていた事が発覚した。『テロリスト』という言葉を知っている?」
サンドラの質問に、エイダンは首を振った。聞いた事のない単語だ。他の面々を見回したが、皆知らない様子である。
「すんません、初めて聞きました」
「構わないわ。ごく最近、イドラス共和国で使われるようになったばかりの、政治用語だものね。簡単に言えば、恐怖と暴力で国政を動かそうとするやり方。これを『テロリズム』と呼び、実行者を『テロリスト』と呼ぶ」
三十年あまり前、シルヴァミストの隣国イドラスでは、帝国としての体制が崩壊し、共和国が成立した。しかし、政治的な混乱が長年続き、今現在も内政が安定していないという。そんな中で生まれた言葉だ。そうサンドラは解説した。
「廃帝過激派の地下組織は、イドラスを混乱に陥れたテロリストと組み、我が国の崩壊をも計画している。そんな一派が、正規軍内に侵食していた……。大変な事態ではあるけれど」
一旦説明を区切り、サンドラがハーブティのカップを手に取る。
「闘技祭の開催を取りやめたり、騒ぎ立てたりする事は、テロリストの思う壺でもある」
「この国の人を怖がらせたり、混乱させたりするのが、『テロリスト』の目的だけん――ですか?」
「そういう事。飲み込みは悪くないようね」
軽く目を細めるサンドラに対して、エイダンの隣の席に着いていたシェーナが、勢い良く上体を乗り出した。
「待って、母さん。結論を急ぐけど――まさか、人手の足りなくなった闘技祭の救護班に、エイダンを勧誘しようっての?」
ハーブティに口をつけると同時に、サンドラは溜息をつく。
「シェーナ、貴方の焦り過ぎる癖は、相変わらずね。それは不作法になりかねないと教えたはずよ」
「そっちは、不作法どころじゃないでしょ! その過激派と組んだテロリストとかいうのは、捕まってるの?」
「いいえ。まだ首都付近に潜伏中と見られるわ」
「じゃあ、エイダンが危ないかもしれないじゃない!」
なるほど、危ない。やはりシェーナは頼りになる――とエイダンは、呑気に感心してしまった。
危地に挑む仕事をこなすには、やや楽観的過ぎる自分の気質を、エイダンは一応自覚しているのだが、どうも身についた性分というものは変えるのが難しい。
「そうね。こんな片田舎での仕事に比べれば、危険はある。それでも、祭典の主催側は、今回に限り民間の――いわゆる『冒険者』を、織り交ぜて雇用したがってるわ。正規軍や主催関係者のうち、誰が信用出来て誰が怪しいのか、洗い出しすら終わっていない状況なのよ。互いに監視出来る、出自の異なる人材を、直接雇いたい」
「そんな。ますます危なっかしい……」
そこまで言い募ったところで、シェーナは何かに気づいた様子で、片眉を跳ね上げた。
「……母さんも、それで抜擢されたの? 危険を承知で? 貴族階級でもない魔道研究者が、祭典の主催側だなんて、事情があるのかと思ったけど……」
サンドラは、ただ薄っすらと、笑みを返す。
「さあ? 私は、決して訪れた機会を無駄にしない人間――とだけ言わせて貰いましょう。シェーナ、貴方もよく知っているはずよ」
それから彼女は、席を立ち、窓際までゆったりとした足取りで移動した。
「主催側は、既に何人か、信用出来る冒険者に声をかけている。その中で、イドラスのテロリストと直接顔を合わせた事のある人材が見つかったわ。マデリーン・ベックフォードという治癒術士と――留学生の、ホウゲツ・セッシュウサイ」
その場に集まった皆が、一斉に「えっ」と声を上げた。勢い込んで、エイダンは質問する。
「マディさんと、ホウゲツさん? 二人とも、闘技祭に雇われたんですか?」
「救護班員としてね。快諾してくれたそうよ」
エイダンは腕を組んで考え込んだ。
マディとホウゲツは――そうだ。前回イニシュカ島に来た時、列車強盗を退治したと語っていた。
二人組の強盗で、うち一人は取り逃がしたらしいが、どうも金品強奪だけが目的ではないような、奇妙な印象の犯罪者だったと、そんな風にマディは証言した。
逃走した強盗。彼がもしかして、イドラスのテロリストだったのだろうか?
「その二人の名を、あえて挙げたという事は。彼らが我々の知人であると知っているのですね?」
沈黙を保っていたハオマが、静かに問い質す。
サンドラはそれを、事も無げに肯定した。
「火属性の治癒術士――冒険者エイダン・フォーリーの興味深い履歴について、私に教えてくれたのは、マデリーン・ベックフォードよ。尤も、彼女は貴方を今回の仕事の一員とする事に、反対していたけれど」
だから自分が直接勧誘に来たのだ、と彼女は説明を締めくくった。
「改めて、仕事を依頼します。エイダン・フォーリー。首都ダズリンヒルの蒼薊闘技祭にて、救護班の一員を務める気はある? 皇帝陛下への謁見、十分な報酬……冒険者としては最高位と言って良い栄光を約束するわ」