第49話 アビスフォートの獄囚 ③
驚き過ぎて脳の機能が麻痺しているのかもしれないが、エイダンは自分でも意外なくらい落ち着いて、ヴァンス・ダラの言葉を受け止めていた。
寧ろ、いくらか納得の行く話でもある。
その二つ名ばかりが伝説めかして人々の口の端に上ってきた、『魔杖将』。しかし思い返せば、『将』と呼ばれながら、彼が一体何者に忠誠を誓っているのか、誰も語らなかった。何故か。
魔杖将の崇める相手こそが、他の五柱の精霊王を信仰する世の全ての人にとって、禁忌の存在だったからだ。その名が後世に伝わらず、歴史から忘れ去られる程に。
そして、サングスターが語っていた過去。五十年前にも彼は、ヴァンス・ダラと戦い、『彼女』の息の根を止めたと言う。
つまり、ヴァンス・ダラという名は、一個人を指すものではなかった。
「何だ、あまり驚かんのだな」
エイダンの顔を覗き込んだヴァンス・ダラが、つまらなそうに顎を撫でた。
「お前の反応は、大概見応えがあるのだが」
「そがぁな面白がられても困ります」
ぼそぼそとエイダンは文句を言う。これでも、深刻に動揺しているのだ。
「あの、サングスターさんが……」
「ギデオンがどうした?」
「アビゲイルさんの姿の貴方を、知っとんさって」
「ほう。奴が話したのか、お前に?」
意外な話を聞いたと言いたげに、ヴァンス・ダラは目を眇めた。
「ギデオンめ。あの時の事は、墓の下まで持って行く覚悟だと思っていたが。――いや、これが人が老いるという事なのだな」
感慨深く一人合点するヴァンス・ダラに向け、エイダンは更に言い募る。
「貴方の事を、サングスターさんは『バーソロミュー』って呼んどりさった。……ひょっとして、昔は仲間だったんじゃなぁですか? 白雪の勇者リュートと、サングスターさんと、一緒に戦った……」
この問いに、ヴァンス・ダラはしばしの間口を閉ざした。
彼はエイダンから身を離し、部屋の中央で室内の全員を睥睨する魔杖――闇の精霊王ダラ、そのものであるらしい杖の柄へと、手を伸ばす。
「バーソロミュー……カニンガム。確かに、その名を持つ人間だった頃の記憶はある。光の治癒術士であり、勇者リュートの仲間だった」
独白を続ける彼の横顔が、アビゲイルのそれへと変貌した。
「そして、アビゲイル・スウィンバーンという人間だった記憶もまた、備わっている」
更に、アビゲイルの姿が変わる。今度は異民族の青年へと。それから、十歳前後の少年へと。老齢の貴婦人へと。また再び、バーソロミューへと。
「幾人もの魔術士の知識と力を受け継ぎ、編み上げ、次代へと伝え、魔杖を守り続ける者。それが闇の魔術士、ヴァンス・ダラだ」
「ああ……闇属性の魔術ちゅうのは、そうやって完成されていったんじゃね」
森羅万象を歪め、混沌をもたらす禁忌の魔術。
魔術学校ではそれ以上の事柄を教えようもない、稀なる加護属性。
闇の術とは、複数人の魔力特性を一人の意志の下に『編み上げる』事で、初めて行使可能な力だったのだ。
複数色の絵の具を混ぜ合わせると、やがて真っ黒になる。闇の魔術が全て暗黒に染まって見えるのも、あるいはそれと同じ理屈なのかもしれない。
「お前、父上の魔術を見た事があるのか?」
グリゴラシュに質されて、エイダンは首を縦に振った。
「あ、はい。ちゅうか、闇の魔術にやられた人を、治した事があるけん」
「へぇー……こんなボケッとした唐変木を、どうして魔杖将候補にしたのかと思ったけど、あれを治療したのか。やるんもんだな」
随分な言われようだが、どうやら感心されたらしい。
「そーヨ、お兄様。エイダンくんは凄いんだって」
と、何故かコヨイが胸を張る。
「ワタシ、『お父様』を継げるような才能のあるヒトをずっと探してたんだからネ。見る目には自信あるのヨ。ア! そういえばエイダンくん、フェリックスは魔術使えるようになったのネ?」
フェリックスは、コヨイの元弟子である。エイダンはちょっと目を見開いた。
「うん、東洋の摩式仙術っちゅうのを使えるようになって……なんか、実は凄い魔力を持っとったんじゃって。コヨイさん、どうして知っとるん?」
「お父様は何でもお見通しヨ。でも、ワタシもあの子が魔術を使うところ、間近で見たかったヨ」
「……フェリックスさんも、魔杖将候補……じゃったりするん? そのために、弟子にしたん?」
俄かに声のトーンを落として、エイダンは問う。
対するコヨイは、あっけらかんと両腕を広げた。
「最初は、ちょっとそれも考えたヨ。でもネ、あの子は才能あるけど、お父様を継がせるのには向かないネ。シェーナと離れ離れにさせるのも、可哀想ヨ」
その回答に、エイダンはつかえの取れた気分でほっと息を吐いた。
「良かった、俺もそう思う。……うん? でも、待ってぇや。俺だってヴァンス・ダラさんの跡なんか継げんよ!?」
言葉の途中で眉をひそめ、今更ながらとんでもない提案をされている実感が沸いたエイダンは、叫ぶような声を上げる。
「エッ。ダメ? ワタシがお父様に薦めたのに」
「無理じゃって!」
コヨイは自分には見る目があると言うが、ならば何故こんな結論をはじき出したのか、まるで理解出来ない。
グリゴラシュの「ボケっとした唐変木」という評価の方が、エイダンに対しては的確だろう。それはそれで残念だが。
エイダンが英雄や勇者という柄ではないのは明らかで、英雄達の宿敵となると、もっと不向きだ。正規軍やサングスター家を敵に回し、魔物に崇拝され、蛇身の悪王のような怪物と戦い……そんな生き方は、想像するのも恐ろしい。
第一、そんな暮らしをしていたら、イニシュカ島にはとても帰れないではないか。
「ではカリドゥスよ、お前はどうだ?」
困り顔のエイダンとコヨイを余所に、牢獄の奥に向けて、ヴァンス・ダラが問いかける。
「今この場で、魔杖将の力の全てを譲渡する訳には行かぬが。しかし、後継となる覚悟があるならば、我が力の一端を貸与してやっても良い。さすれば、この監獄から抜け出すくらいは容易い事だろう」
カリドゥスは黙りこくって、右腕を擦っている。
牢の奥は暗く、判然としなかったが、彼の手首から手の甲にかけての皮膚には、薄っすらと痛々しい傷痕が見えた。
二十年前、ドナーティと共にカプノス島から脱出する時に負ったという火傷だ。
「……俺は……別に、ここを出たいとは思ってねえ。もうたくさんだ」
深い溜息と共に、カリドゥスは心情を吐露した。
「この世界を憎んで、生まれてきた事を恨んで……ずっとそうやって生きてきたが、もう飽きた。この国でなら――」
自嘲気味の笑いを漏らす。
「俺の素性が広まる事もない。一介の犯罪者扱いで、さっさと処刑してくれるだろう。早い所執行して欲しいもんだと、そればかり願ってるが」
背筋の冷えるような感覚を、エイダンは味わった。
――ただ極刑を受けたくて、この人はあんな真似を?
確かに、カリドゥスがイドラス共和国でテロリストとして逮捕され、素性を調べられたなら、複雑な事態に陥りかねなかった。皇帝の血筋を利用したがる勢力が、恐らくあの国にはまだ息づいている。
――だから、他国に逃亡してまで、無関係な人々の命を脅かした?
エイダンには理解しきれない思考だ。とても信じられない。
しかしだからと言って、カリドゥスが適当な出任せを述べているとも思えなかった。彼は真実、自分の人生に倦み、飽き飽きしている。
「だが……力を寄越すってんなら、もう一つ、叶えたい願いがある」
不意に、カリドゥスは立ち上がった。軽く片足を引きずりながら、魔杖の方へと左手を伸ばす。
「ちょ……ちょい、待って!」
ほとんど無意識のうちに、エイダンは彼を制止しようと動いていた。
どんな願いを叶えるつもりか知らないが、もし誰かを傷つけようとするならば、それは止めなくてはならない。
部屋の中央に突っ立つ魔杖に、エイダンは触れる。
カリドゥスから引き離そうと、それだけのつもりだった。
しかし、杖の柄を握り込んだその瞬間、何らかの、不可視の奔流が彼の全身に流れ込む。
これは魔力か。いやそれだけではない。膨大な情報――自分のものではない記憶――
反射的に、エイダンは強く目を閉ざした。




