第46話 騒乱過ぎ去りて ⑤
サングスターが話を終え、口を閉ざしてからしばらく、部屋の中には沈黙が落ちていた。
言葉もない。
それがエイダンの素直な気持ちだった。彼もまた、離れ小島で生まれ育った身だ。
もしイニシュカ島で同じ事が起きたとして……エイダンが生き残ったとして……果たして、その後正気を保って人生など送れるだろうか。
「生き残り――という事は」
最初にそう口を切ったのは、ビビアンだった。
「ドナーティは、カプノス島の住民であったのか?」
「宮殿仕えの料理人の息子だったと、証言しております」
サングスターが回答する。
「事件当時、十二歳。既に父親に付いて、厨房で見習い仕事をしていたと……」
宮殿内の全ての人々が捕らえられ、広間に閉じ込められたその時。
小柄な人間であればどうにか通り抜けられる脱出口を、ドナーティの両親が見つけた。
「子供だけでも生き残ってくれと、広間の人々に半ば無理矢理押し出される形で、ドナーティはその脱出口を抜けた。……その際、彼はもう一人子供を託された。六歳になる幼児だ。その子の手を引いて、ドナーティは宮殿を焼く火の中を駆けた……他の者も後から追ってくるかと振り返ったが、誰の姿もなかった。そこで初めて彼は、手を引いている子供が、頬と右腕に火傷を負ってしまった事に気づいた」
頬の火傷、とエイダンは、口の中で呟いた。
「……その子が、カリドゥス・カラカルですか」
「そうだ」
淡々とした、しかし重い返答が寄越される。
「ほんならカリドゥスも、宮殿に仕えとった誰かの子供じゃった?」
「……」
何か応じようとして、サングスターは言い淀んだ。ここまで躊躇なく、悲劇的な事件について冷静に語ってきた彼が。エイダンは違和感を覚える。
「……カリドゥス・カラカルは、ドナーティの両親のもとで育った。しかし、彼らと血の繋がりはなかった。つまりマルク・ドナーティにとっては、義弟、という事になるか……。カリドゥスの実の親について、はっきりした話は何も聞いていないとドナーティは言う。ただ、宮殿内で囁かれる噂については知っていた。それは――」
逡巡する様子のサングスターに、エイダンはまた首を傾げた。
その時、シェーナが不意に、何事か察した表情で口を開く。
「まさか、彼はフォンス十七世の?」
室内の面々が、一斉に動揺した。エイダンは頭の整理が追い付かないまま、彼女とサングスターを交互に見つめる。
サングスターは返事の代わりに、瞼を伏せた。
「先帝の……落胤か……」
マディが唸るような声を絞り出す。
落胤。高貴な血筋の私生児。そういった話題に今一つ疎いエイダンでも、流石に単語の意味くらいは知っている。
「し、しかし。フォンス十七世と皇后の間には、確か」
「子供がなかった」
狼狽えて、誰にともなく問いかけるフェリックスの言葉の後半を、サングスターが補った。
「正式な形では、な。皇后の身体が弱かったためとも言われているし、若いうちから廃位を計画していたフォンス十七世が、揉め事を増やさないよう、あえて作らなかったとも言われている。カリドゥス・カラカルの出自について……確証に足るものは何もない」
どうあれ――と、説明は続く。
「カリドゥスは、自分がどういう生まれなのか……少なくとも周囲からどう見做されているのか、六歳の時点で既に自覚していたようだ」
辛くもカプノス島を脱出したドナーティとカリドゥスは、食うや食わずの日々を送りながら、イドラス国内の各地を彷徨い歩いた。
当初はほとんど浮浪児同然の生活だったが、幸いにして、ドナーティ少年には料理人としての才能があり、基礎的な技術も身についていた。間もなく彼は、自身の食い扶持くらいは稼げるまでに成長する。
ドナーティは、現実主義的な性格である。『カプノスの悲劇』については、誰を恨んでも仕方のない事と早々に割り切ってしまっていた。それよりも、明日のパンを得るための仕事が大切だ。死んだ両親のためにも、立派な料理人として生きていく事が肝要だ。
しかし、彼の『義弟』であるカリドゥスは、同じようには育たなかった。
成長するにつれ、カリドゥスは世の中への憎悪と復讐心を募らせていく。
――イドラス帝の血を引く自分が、自国の片隅の貧民街で、古傷の痛みに耐えながら暮らしている。
それをはっきりと、屈辱と捉えていた。
「あの人は――」
と、エイダンはカリドゥスの姿を思い浮かべる。
「右腕に、でっかい籠手を嵌めとんさりました。弓に変形する奴です」
「あれはイドラスの技術で造られた籠手だな」
サングスターが頷いてみせた。
「カリドゥスの右腕には、頬と同じく、現在も火傷の痕が残っている。傷の影響で、右手の指が数本、動かないらしい。それを補佐する武器が、あの射出装置だろう」
「それで……」
エイダンの脳裏には、数日前、真正面からカリドゥスにボウガンで狙われた時の景色が、鮮明に蘇っていた。
一切の感情を読み取らせない、ぞっとする程に冷たい眼差し。
彼は六歳の頃から二十年にわたって、あの両眼で世界を眺め続けていたのだ。
「……ただでさえ、裕福とは言えない生活だ。ドナーティはカリドゥスの面倒を見るのが、負担と感じるようになっていった。やがてカリドゥスは、犯罪者や地下組織の者らと繋がりを持ち始める。いよいよ、両者の心は離れた」
カリドゥスが十三になる頃、ドナーティは義弟に何も告げないまま、突如シルヴァミストへと渡る。
商船の調理夫として雇われ、そこでシルヴァミスト人の客に気に入られたのが切っ掛けだった。半ば成り行きである。
しかし結果的に、カリドゥスを見捨て、置き去りにした形にはなった。
「シルヴァミストで料理人として成功した後も、ドナーティは延々と、『義弟』への罪悪感を抱え続けていた」
「そして、その罪悪感を――蛇身の悪王、アジ・ダハーカに見抜かれ、利用されたのですね」
静かな口調で質したのは、ハオマである。
「アジ・ダハーカが最も得意とした戦法は……熾のごとく燻る、人心の乱れを利用するやり方でした」
「そういう事なのだろう」
カリドゥス・カラカルとアジ・ダハーカがどこで出逢い、どの時点でドナーティを利用する計画に至ったのか。そこまでは分かっていない、とサングスターは付け加えた。カリドゥスが黙秘を貫いているためだ。
当初カリドゥスは、シルヴァミストの廃帝過激派を利用するつもりだったと思われる。
エイダン達が闘技祭に雇われる切っ掛けとなったのは、正規軍内に潜伏していた過激派と繋がりのある治癒術士が、逮捕された事件だ。それで急遽、民間人のエイダンが雇用される事になった。
この逮捕された治癒術士らもまた、カリドゥスにそそのかされたと白状している。
つまりカリドゥス達の、救護班員を利用して聖ジウサ・アリーナに侵入する計画は、一旦頓挫したのだ。その時点でいくらかの予定変更があったと見て間違いない。
イドラス帝の血を引くカリドゥスが、シルヴァミストの廃帝派と組むというのも、どこか奇妙な話ではある。長期的に見れば、彼の得になる取引相手ではない。
思想や長期的な政治計画は関係なく、シルヴァミストの情勢を混乱させるのが目的だったのだろう、との見方をサングスターは示した。
少なくともアジ・ダハーカはそうだった。彼は単に争いと混沌を『好物』としていた。人々が不安に陥り相争う事、それ自体が目的で、利用出来る思想は何でも良い。
カリドゥスの方は、その心の内で何を考えていたのか。ただただこの国の人間を、一人でも多く自分と同じどん底に突き落としたかったのか。
ともあれ、ドナーティの目の前に、ある日突如としてカリドゥスは現れた。
そして、過去を償い、イドラス人としての――あの日、カプノス島にいた者としての義務を果たせと持ち掛けた。
彼にはその言葉に逆らう術がなかった。
「以上が、マルク・ドナーティの証言の全容だ」
サングスターはそう言って、話を締めくくった。
「騒乱過ぎ去りて」編はこれにて一段落です。
☆☆評価・ご感想お待ちしております☆☆




