第43話 騒乱過ぎ去りて ②
それからしばらく、エイダンはもどかしい日々を送る事になった。何しろ、ろくに歩けもしないのだ。
寝たきりで足腰が弱っただけでなく、極度の魔力消耗により、生命力自体が一時的に弱まっているらしい。貧血に近い症状が続いている。すぐに眠くなるし、起き上がっていると目眩はするし、血の巡りを急激に変えるのが良くないとかで、運動も出来ず湯船にも浸かれない。
治療院の主任治癒術士の説明によれば、帰宅出来るくらいまで回復するには、もう半月はかかる、との事だった。
幸いというべきか、エイダンはベッドの中でもそう退屈はしなかった。交代でやって来てくれる見舞客達から、彼が眠っていた間に起きた事を聞き出すのに忙しかったためだ。
あの日――蒼薊闘技祭最終日。エイダンが知らない所で、驚くべき事態がいくつも発生していた。
まず、指名手配中のテロリスト、カリドゥス・カラカルが、ハオマ、マディ、ホウゲツの奮闘により、逮捕されていたという。
そして、カリドゥスとアジ・ダハーカの協力者は、闘技祭専属料理人のドナーティだった。これはエイダンも察していた事だ。
エイダン達を厨房に閉じ込めたこの人物はというと、意外にも、全てが終わった後で正規軍の駐屯地に自分から現れた。
自首、という事になるのだろう。
「ドナーティさんが、自首……」
治療院の中庭にて、杖でひょこひょこと歩行のリハビリをしながら、エイダンはシェーナの説明した言葉を繰り返した。
「ほんで今は、どこにおるん?」
「公表されてないけど、アビスフォートっていう基地の監獄内じゃないかしら。まだ取り調べも裁判も済んでないから、留置所の方に入れられてるんだろうけどね」
「アビスフォート……監獄? 何じゃ、おっかない所じゃね」
「ダズリンヒルの北の山中にある、凶悪犯罪対策で有名な基地よ」
「カリドゥス・カラカルも、そこに?」
「多分ね」
複雑な表情で頷くシェーナに対して、エイダンは顎に手を当てて考え込む。
「ドナーティさん、なんでテロリストに協力してしもうたんじゃろなあ。裁判っちゅうけど……何じゃったっけ、『内乱罪』ちゅうのは重い罪じゃったよな?」
「――裁判で内乱罪が適用されれば、死刑よ」
シェーナはそう答え、小さく溜息を吐く。
「正規軍も母さんも、ドナーティの経歴は雇用する前に調べたはず。でも、危険思想に傾倒したり、廃帝派の地下組織と繋がっていたような形跡はなかった。彼の動機は全くの謎ね」
「……」
何と応じたものか分からず、エイダンは押し黙った。
別にドナーティと親しかった訳ではないが、顔と名前を知っている人間が極刑に処せられるというのは、すぐさま受け止めるには重い話だ。
「……そうじゃ。シェーナさんのお母さんは大丈夫なんかな? 闘技祭の主催側だったけん、その、立場とか」
「良くはないみたい。推薦した料理人はテロリストの仲間だったし、会場に張った結界は丸ごと呪術に利用されたんだものね。諸々の責任を問う声はあったわ。でも、サングスター様の口添えもあって、拘留だの訴訟だのには至ってない」
そこで、シェーナはひとつ肩を竦めた。
「本人はケロッとしたもんよ。知名度が上がっただけでも得した、とか何とか言って」
「た、逞しいんはええことじゃね」
エイダンは苦笑いして、それからふと思い出す。サンドラとは、試食会の夜に喧嘩別れ――エイダンが一方的に怒っただけだが――したきりだ。
彼女からの仕事の勧誘に乗る気はない。ただ、失礼な態度を取った事は謝るべきかもしれない。もう一度対面する機会はあるだろうか。
「忙しゅうしとんさるなら、無理かなあ」
「何が?」
つい口に出してしまった呟きに、シェーナが不思議そうな顔をした。
と、そこに新たな声がかかる。シェーナのものによく似た、しかしもっと年配の女性の声色だ。
「あら。私の噂話かしら、シェーナ?」
中庭の入り口に、サンドラが立っていた。
「母さん!?」
シェーナが慌てふためき、口に手を当てて塞ぐ。当然ながら、それで先程吐いた言葉をなかった事に出来る訳もない。
「この場所は、そういった不躾な会話には向いていないわよ」
「うう……しまった」
ここぞとばかりにしたり顔で娘を諭すサンドラに、頬を上気させるシェーナである。
ただ、その遣り取りの中に流れる空気が、心なしか和らいだものになっているように、エイダンには思えた。以前のこの二人はもっと、ピリピリした関係だったはずだ。
半月の間に、何かあったのだろうか。
「あの、キッシンジャー夫人」
まごつきながらも、エイダンはサンドラに声をかけた。
「会えて良かったです。こないだは、ええと……えらい失礼な事を言いました」
「失礼な事?」
サンドラは怪訝に眉をひそめ、それから「ああ」と納得した様子で首を縦に振る。
「首都での仕事の話、受ける気になったの?」
「あ、いや、それは……無理です。俺は村で働く方がええんで」
「そう。なら、私の見込み違いだったようね。貴方の意識を高く見積もり過ぎていたわ」
「はぁ……そがぁでしたか」
あっさりと、会話は切り上げられた。
――この女傑と、いくらかでも和解出来たシェーナは大したものだ。自分など喧嘩の仕方も分からない。
そんな事を、密かにエイダンは思う。
「それよりも、フォーリー。貴方には重大な話があるの」
「へ?」
「母さん、エイダンは病み上がりなのよ。あまり血圧の上がるような話は持って来ないで」
きょとんと自分の鼻先を指差すエイダンとサンドラの間に、シェーナが割って入った。
「それは無理ね。悪いけど、驚かせる事になるわ。私の権限で取り止めに出来る話でもないし」
「えっ……」
エイダンとシェーナは、困惑した顔を見合わせる。
ひょっとして、夜の閉鎖されたアリーナに勝手に入った事を咎められるのだろうか、とエイダンが質問しかけた時、サンドラが再び、厳かに口を開いた。
「蒼薊闘技祭、民間救護班員一同。貴方達は市民の的確な救護とテロリストの逮捕に貢献した。それを讃えて、皇帝陛下レヴィ二世より、勲章が授与される事となりました」
間違いなく予告どおり、エイダンはひっくり返る程に驚いた。シェーナも同様だったようだ。
声も上げられないまま見つめ返す二人を前に、サンドラは続ける。
「ただし、授与式の日取りは受勲者エイダン・フォーリーの体調を鑑みて、これから決められる。……フォーリー、貴方ギデオン・リー・サングスター様と親しいの?」
「え――?」
エイダンは思うように回転してくれない頭で、質問の意味を考えた。
「し、親しいって程じゃ……前に一度、会って話した事はありますけど」
より正確には、「一度捕まえられた事がある」のだが、流石にそこまで口を滑らせるエイダンではない。
「……変な人脈に恵まれた子ね。とにかく、サングスター様が授与式の日程調整も兼ねて、明日、貴方の見舞いに訪ねられるそうよ。個人的に聞きたい話もあるとか。失礼のないよう、身なりを整えておきなさい」
「はっ……はい」
首振り人形のようにぎこちなく、エイダンは頷く。
不意に、その脳裏にヴァンス・ダラの言葉が過った。
『思いがけずギデオンが来おった。この姿を奴に見られると、厄介な騒ぎになる』
アビゲイルの姿を取って、ヴァンス・ダラはそう語った。
ヴァンス・ダラと、ギデオン・リー・サングスター。かつて、エイダンの目の前であの二人が邂逅した時も、何かしら因縁のある様子が伺えた。
無論、シルヴァミスト正規軍の最高顧問と、軍の敵対者なのだから、過去に刃を交えた事があってもおかしくはない。
――しかし、ヴァンス・ダラのあの口振り。果たして、単なる敵というだけの関係なのだろうか。
「では、シェーナ。サングスター様がお見舞いにいらっしゃる前に、救護班の皆を集めておいて」
それだけ告げると、サンドラはさっさと中庭を去って行った。
「もう。言いたい事だけ言って」
サンドラの背を見送ったシェーナが、腕を組み、鼻からふんと息を吐く。
だが、やはりその表情は、不思議とさっぱりして見えるのだった。




