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第42話 騒乱過ぎ去りて ①

 声が聞こえた。


 二人の男女のものである。エイダンの記憶にはない声だったが、奇妙な事に、ひどく懐かしく感じた。


 ――ああ、ライアン。


 若い女の声が弾む。


 ――エウェル、どしたん?


 応じるのは男の声だ。


 ――今、お腹の子が動いたわぁ。元気じゃなあこの子は。


 ――おお、ええ事じゃなぁか。そろそろ名前を考えちゃらんとな。男の子かいな、女の子かいな。


 ――うち、二つ考えたんじゃけどね。女の子じゃったら、母さんから名前貰うて、『ブリジット』はどがぁかあて。


 ――うん、ええな。もう一つは?


 ――男の子じゃったら、名前は『エイダン』……



   ◇



 エイダンは目を開けた。


 長い間、とても穏やかな心地で夢を見ていた気がする。内容はさっぱり覚えていないが。

 視界はまだぼんやりとしている。ただ、柔らかな陽射しだけを感じた。


 誰かがエイダンの顔を覗き込み、「あっ、患者の意識が戻りました!」と高い声を上げた。それからすぐさま、数名の人間に取り囲まれる。

 まとったローブからして、今エイダンの傍らに立つのは魔術士、それも首都の治療院に勤める上級治癒術士(ヒーラー)達と思われた。ホウゲツを治療院に担ぎ込んだ時も、同じデザインのローブを見かけた覚えがある。


 何度かゆっくりと瞬きを繰り返すうちに、周囲の景色が輪郭を鮮明にし始めた。

 ここはどうやら、治療院の病室のようだ。エイダンはベッドに寝かされているらしい。

 身をよじって詳しい状況を確認しようとしたが、身体が思うように動かない。


 そこに、どやどやと大勢の足音が近づいてきた。何事かと思っているうちに、部屋の中にその音が飛び込んでくる。


「エイダン!」

「目が覚めたか!」

「エイダン兄さん!」


 複数の言葉が一度に浴びせられたが、どうにか聞き取れたのはそれだけだった。シェーナとフェリックスと、イーファの声だ。

 室内に入って来たのは、シェーナにフェリックスにイーファ、ハオマ、マディ、ホウゲツ。それにやや遅れて、ラメシュとタマライ。ミカエラとハリエット、更にはエドワーズまで顔を見せた。


 そしてエドワーズに連れられて現れたのは、祖母ブリジットと、ロイシンとキアランの三人である。

 これには、エイダンはぽかんと目と口を開く他なかった。


「え……?」


 思わず、そう口に出す。妙に喉が枯れていて、掠れ声しか絞り出せなかった。


「ばあちゃ……ロイ……なんで……ここ、どこ?」


 途切れ途切れになりつつも、エイダンは部屋中にぎっしり詰まった人々に向けて問いかける。


「ダズリンヒルの治療院だ」

「ほれ、それがしが入院しておった施設にごさる」


 マディとホウゲツが、代わる代わる質問に答えてくれた。しかし回答があったのは良いが、ここがダズリンヒルだとすると、故郷イニシュカ村で待っているはずの三人が、目の前にいる理由が分からない。


「困惑している様子ですが、心音をなるべく乱さないよう聞いて下さい。貴方は、半月程の間意識を失っていたのです」

「はっ?」


 今日の天気でも説明するような淡白な口調で、ハオマがとんでもない事を言うので、エイダンは仰天し、跳ね起きそうになった。――ただ、やはり腹筋に力が入らず、僅かに首を傾けただけで終わった。


「はんつ……はん、つき?」


 何度かその単語を繰り返し、エイダンは混乱の極みに陥ったが、一方で納得もした。十五日程も眠ったままでいれば、身体は動かなくなるし喉も枯れるだろう。

 いやしかし、喉が枯れるだとかそれ以前に、ものが食べられなかったはずだから、まだ生きているのはおかしい。


「寝てる間、ラメシュが料理カリーの治癒術で、栄養を送り込んでくれてたのよ」


 言葉にして紡ぎきれないエイダンの疑問を、先回りする形でシェーナが説明した。ラメシュも、誇らしそうに自分の胸を叩いてみせる。


「おう。鼻から料理カリーを突っ込んだ。死なせやしねえっつっただろ」

「鼻」


 あの辛くて酸味も効いた刺激的なスープを、鼻から摂取したのかと考えた途端、鼻孔の奥がツンと痛んだような気がして、エイダンはぎこちなく手を動かし、顔に触れた。


「なんだ、変な顔して。……戦士にとって、料理カリーの恩恵を受けての生還は名誉だぜ。もっと喜べ」

「グルルル」


 タマライが、どうやら賛意と激励と思われる首の振り方をする。

 エイダンはテンドゥの戦士とは違うのだが、ともあれ、今は細かい事を気にしない方が良さそうだ。彼はラメシュや皆の治療により、一命を取り留めたと、そういう事らしい。


「治療院に運ばれてきた時点では、かなり危ない容態だったんだ」


 そう発言したのは、エドワーズである。


「だから万一の事態を考えて、僕の船を出した。ご家族と、故郷の村からの見舞客代表を連れて来るためにね。……無事に目覚めて良かったが、正直ヒヤヒヤしたよ」

「ほんまじゃって。もう、こがぁな年寄りの寿命を縮めて、この子は――」


 エイダンの枕元まで進み出たブリジットが、感極まった様子で涙を溢れさせる。


「良かったわぁ、目ぇ覚めてくれて、ほんま……ああ、精霊王よ感謝します……」


 後は言葉もなく、ブリジットはエイダンの頭を抱きしめて、ただ嗚咽を漏らした。


「ば、ばーちゃん……心配かけてごめん……」


 エイダンもまた、謝罪を述べたきり言葉を失う。

 されるがままになっていると、ロイシンとキアラン、それにイーファが、ベッドの反対側に歩み寄ってきた。三人とも涙ぐんでいる。


「エイダンお前、このあほ……! 二度とブリジットのばーちゃん泣かしたらいけんぞって、言うたじゃろうが! 村のみんなはなぁ、今も心配しとるんだけんな!」

「エイダン兄さん、ほんま、良かった……起きんかったら、どがぁしよて……」


 揃ってぐすぐすと啜り泣くキアランとイーファは、どこから見ても兄妹だというくらい、とても良く似た顔立ちに見えた。

 村に帰ったら、イーファはきっと村の大人達に家出の件を叱られるだろうから、エイダンとしては出来るだけ庇うつもりでいたのだが、この分だとどうやらエイダンも、彼女と並んで説教を喰らう事になりそうだ。


「なぁ、あのハンノキの杖、折れてしもうたんじゃろ? エドワーズさんから聞いた」


 と、ロイシンが語りかける。

 同時に彼女は、背中に負っていた長い布包みを下ろし、エイダンの前に掲げてみせた。


「じゃけぇね、うちらが見舞いに行く事になった時、村のみんなが大急ぎで、これ作って持たせてくれたんよ」


 包みの布が解かれる。

 エイダンの目の前に現れたのは、真新しい木の香りのする長杖だった。

 杖自体は、この前折れてしまったものと似たシンプルな外見だが、持ち手のあたりに色とりどりの組紐が括りつけられ、いくつもの木札が下げられている。

 水の精霊王、慈涙じるいのカルを祀る村の礼拝堂でよく見かける、願掛け札だ。願いの内容と自分の名前を書いて、神聖な木や精霊王の像に括りつけるというものだった。


「快癒祈願 フォーリー先生へ イニシュカ小学校在校生、卒業生一同」


 そう記された大きな木札が最も目立つ。

 他の木札にも、大体「快復願う」「慈涙の加護あれ」といった言葉が並んでいる。添えられた名前は様々だ。ロイシンの父ディラン、治療院の院長タウンゼント、ヒュー・リードに、キアランの両親。湯治場の常連客である老人達の名もあった。


 エイダンは力の入らない両腕を上げて、ロイシンから杖を受け取った。素材はハンノキだ。ほぼ同じ長さ、同じ材質の杖をついこの間まで振るっていたというのに、今はそれがずっしりと重く感じる。動かす度に、からからと木札が鳴った。


「俺……」

「うん?」


 首を傾げるロイシンと、エイダンは目を合わせた。


「生きとって良かったな……」

「当たり前じゃ。何言うとるかいね、この子は」


 横合いから、ブリジットに髪をくしゃくしゃにされる。

 皺だらけの祖母の手の温かさを、エイダンは心から噛みしめていた。

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