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第36話 聖域の護衛戦 ④

 シェーナが観客席に駆け込んだ途端、真上から彼女の鼻先を、凄まじい速度で氷柱つららが掠めた。


「ウワッと!?」


 つい素っ頓狂な声を上げて、急停止する。

 後ろにいたエイダンがシェーナのドレスを掴み、あたふたと屋内に引っ張り込んだ。


「危なぁよシェーナさん。結界張らんと」

「それがさ、まだ『聖泡破邪壁フォーミィウォール』が使える程の魔力は戻ってないのよ。さっき咄嗟に、『走渦(ヴォルテクス)障壁(・シールド)』を使っちゃったし」


 人命救助のためとはいえ、消耗の激しい盾の治癒術を使用したのは、判断ミスだったかもしれない。そう言ってシェーナは、困り顔で横髪を梳く。


「ええっ? ほんなら、俺が結界張るけん、そん中に」

「ううん、エイダンとラメシュはすぐ救護室に向かって、治癒術の準備をお願い。きっと続々患者が来るわ。こっちはこっちで何とかする」


 大人数相手の解呪となれば、シェーナの知る限り、エイダンの右に出る治癒術士ヒーラーはそうそういない。この阿鼻叫喚の場には、彼の魔術こそが一刻も早く必要だ。


「……分かった。でも気ぃつけてな、シェーナさんフェリックスさん」


 エイダンも、現状と自分の能力の向き不向きは正確に把握している。だが心配な様子だった。


「ああエイダンくん、シェーナの身は僕が命に替えても守ってみせる! このとおり、警備兵の詰所で盾を借りてきたしな」


 と、フェリックスが掲げてみせたのは、借りたと言うよりは、どさくさ紛れに勝手に持ち出してきたと言う方が近い、正規軍の盾である。

 鉄張りの大きな長方形の盾で、緩く湾曲している。中央に加護石が嵌め込まれているから、魔術耐性も多少備わっているのだろう。扱うにはそれなりに腕力が必要そうだが、上手く構えれば、二人分の頭上を覆える。


「そんなホイホイ命に替えないでよ。これから救命活動なんだから」


 釘を指すシェーナの後方では、未だ意識の戻らない警備兵と、入口に倒れていた一人の観客を、ラメシュが慎重に、タマライの背の上へと乗せている。


「患者を頼むぞタマライ。……よし、行くか」


 タマライとエイダンの肩を、同時に叩くラメシュである。それにエイダンが、大きく頷いて応じた。


「うん。先に救護室行っとるけんね」


 エイダン、ラメシュ、タマライ、それにイーファと別れ、シェーナとフェリックスは、盾を傘のように天井に向けた状態で、アリーナ観客席へと改めて繰り出した。


 まずは、階段そばの座席の下に隠れている女性へと近づく。彼女はまだ氷柱にやられてはいなかった。パニックの中で客席から逃げ出そうとして転倒し、足を怪我してその場から動けなくなったらしい。


「初級治癒術の『止血ヘモスタシス』なら、もうあと何回かは使えると思う。ほんの止血と消毒と、痛み止め程度の効果だけど。それで屋内まで歩けそう?」


 シェーナが呼びかけると、座席の下の女性は恐怖とパニックでがたがたと震え、涙を流しながらも、一応首を縦に振ってみせた。


「では、彼女が第一患者だな」


 『止血ヘモスタシス』をかけ終え、フェリックスが慎重に、患者の片手を取って支え起こす。

 二人はその調子で、場内に残る怪我人を数人ばかり連れ出した。中には呪術を浴び、重篤な容態の患者もいる。そうなると下手に動かせないので、氷柱の当たりにくい物陰に寄せた上で、他の兵や魔術士を呼ぶしかなかった。


「君達も来てくれたか、ありがたい!」


 不意の声に振り向くと、エドワーズがステッキを構え、落ちてきた氷柱を一本、呪術でへし折ったところだった。


「エドワーズ社長!」

「自力で歩ける患者には、選手入場口から中に入って、廊下を左手に向かうよう指示してくれ。サングスター様とうちのチームのモーガンが先導して、結界外に連れ出す」


 てきぱきと用件を伝えると、エドワーズは忌々しそうに結界を見上げる。


「あの氷柱、容赦なく屋内にまで侵入し始めてる。ある程度人間の魔力を感知し、追尾する仕組みがあるんだろう。元になった結界が、呪術に反応して効果を軽減させるものだからな」

「とっ……という事は、室内や救護室も安全ではない!?」


 フェリックスが珍しく深刻な顔つきになった。一応彼は、大体いつも真剣ではあるのだが。

 確かに間違いなく、エドワーズの報せはシェーナ達にとって深刻な内容と言えた。エイダン達は患者を連れて、既に救護室に向かってしまっている。彼らだけなら何とか自力で身を守れるかもしれないが、同行させたイーファや動けない患者は大丈夫だろうか。


「……エイダンくんなら、きっと大丈夫さ。オコナー嬢の身の安全についてもだ。そういう所をしくじる紳士ジェントルマンではないぞ、彼は」


 同じ懸念を抱いたらしいフェリックスが、半ば自身を励ますように、シェーナに向かってきっぱりと説く。


 ――やっぱり彼は良い人だ。


 シェーナは、こんな時に不謹慎だと自身を叱咤しつつも、拭えない想いを自覚せざるを得なかった。

 フェリックスに惹かれるのは、特にこういう瞬間だ。あれこれ余計な事を考えがちなシェーナの胸中を、不思議なくらいに察して、それをすっきりとさせてくれる。


 これで彼が、『サンドラ・キッシンジャーが用意したお仕着せの人生の一部』という立場でさえなければ。


 ……そんな事に拘っているシェーナこそが、一番キッシンジャー家のくびきからのがれられずにいるのではないかと、そう自問した事もある。

 そのとおりだとしか答えられない。


 フェリックスへの本心を、エイダンに問われたのは、そういえばつい昨夜の出来事だった。何だか遠い昔の会話だったような錯覚に陥る。

 ラメシュから『能天気小僧』との称号まで頂戴した、あの呑気な友人に指摘されるようでは、いよいよ年貢の納め時ではないか。

 この騒動が一段落した暁には……いや、やめておこう。何だか不吉なフラグを立ててしまいそうだ。


「このフィールドよりは、屋内の方がまだましではある。結界の外に出られれば、それが一番だがね」


 と、エドワーズの言葉には、企業人らしい端的さがある。


「こっちの下半分は、ホワイトフェザー騎士団と北新町魔道管理局警備隊に任せてくれ。君らは正規軍と一緒に、上方の座席を頼む! 貴賓席の屋根の下で、子供と怪我人が何人か取り残されてるらしい」

「それはまずい。シェーナ、行こう!」


 フェリックスが張り切った。

 貴賓席には屋根と仕切りが設置されているが、日除けと優雅さの演出を優先させたそれは、木製の柱と梁と、美しい織り目の幌で造られている。この事態にあって避難場所とするには、あまりに心許ない。


 二人で盾をかざし、小走りに階段を駆け上ると、同じタイミングで上から下ってくる足音が聞こえた。


「シェーナさん! ご無事でしたか!」


 ハリエットとミカエラだ。ミカエラが盾を持ち上げ、ハリエットが杖を構えている。シェーナ達と全く同様の作戦を採ったらしい。


「プライス中尉、少尉! 貴方達も無事だったのね。ここに怪我人がいるって聞いたんだけど」

「あちらです。キッシンジャー夫人が先行して応急手当を」


 ハリエットが指し示した先、貴賓席の屋根の陰に、いくつかの人影が見えた。

 泣きじゃくる十歳過ぎくらいの少年少女が四人と、魔術士風の装いの中年男性が一人。だが、この男性は氷柱の攻撃を受けたらしく、血の気の失せた顔色で座席に伏せて、ぐったりとしている。

 闘技祭を見学に来た魔術士見習いの子供達と、その引率の師匠だろうか。とんだ見学ツアーになってしまった。


 意識不明の男性の前では、サンドラが屈み込み、教鞭風の魔道杖まどうじょうを患部に向けて、呪文を詠唱している。彼女はあくまで研究者であって冒険者ではないから、結界や盾といった、戦闘に対応するような魔術は行使しないが、分析や対疾病たいしっぺいの治癒術に関しては一流である。


「呪いの進行は止めた。でも治療が必要ね、すぐに搬送しましょう」


 杖を畳んで、サンドラが立ち上がる。彼女は患者の周囲で泣いている子供達を睥睨へいげいして、鼻を鳴らした。


「貴方達。こんな所で立ち止まって泣いているだけでは、非効率の極みよ。搬送を手伝いなさい」


 全くこの人は、とことんこういう口の利き方しか出来ないのだから――と、シェーナが呆れかけた、その時だった。


 結界の天井から、ひときわ太い氷柱が落ちてくるのが見えた。霜柱を幾重にも束ねたような、異様な形状だ。

 氷柱は魔力を感知し、追尾する。エドワーズはそう推測した。だとすればまずい。魔術士達が、あまりに一か所に密集し過ぎた。

 あの結界は、貴賓席の屋根を破壊する気だ。


「だめっ――母さん!」


 瞬間、全ての思考を放棄して、シェーナはその場から駆け出した。

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