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第32話 そして夜は明ける ③

 マディ達はイーファを連れて、豪奢な宿を出た。


 ラメシュとエイダン、シェーナは今どこにいるのか――アジ・ダハーカはどこに身を潜めているのか。その見当をつけない事には、次の行き先を決められない。

 一先ず、イーファは自分の宿に帰らせるべきだろう。

 辻馬車を拾おうと通りに出た時、歩道の彼方から、誰かが駆けてくるのが見えた。

 その人物は白い病衣姿で、右腕を包帯で覆い、肩から下げた布で固定している。更に何故か、口に筆を咥えていた。


「は? ……ホウゲツ!?」

「ふぁっ! ふぁでぃどの!」


 筆を咥えたままの口で、無理矢理ホウゲツは喋った。マディの名を呼んだらしい。


「な、何やってるんだホウゲツ!? 君は入院中だろう!」

「フェリックスを非常識ぶりで呆れさせるとは、稀な人ですね」


 フェリックスが素っ頓狂な声を上げ、ハオマが呑気にずれた感想を漏らす。

 ホウゲツは一行の目の前で急停止し、「ふぁふぃーなふぇふぉー!」などと聞き取り不可能な言語を発した後、無事な左手で口の筆を取って、再度話し始めた。


「し、失礼つかまつった……! 緊急事態につき、つい治療院を飛び出してしまい申した」

「緊急? 治療院で一体何が?」

「いや、治療院は問題ござらん。聖ジウサびょう! あそこで何か、ただならぬ事態が起きたのではないかと!」


 ホウゲツの筆先が、この通りからも見える、白磁を思わせる尖塔を指し示す。


それがし、ここ数日は朝一番に『りはびり』を行っており申した。つまるところ、左手や口で筆を使い、絵薬仙術えくすせんじゅつを試みておったのでござる。こちら、出来栄えとしてはまだ稚拙でござるが……」


 そう言って彼は、病衣の懐から畳んだ紙を取り出した。

 紙を開くと、そこにはざっくりとした風景画が描かれている。治療院の窓からの景色を描いたのだろう。

 これまでにホウゲツが描き上げてみせた仙術のと比べれば、粗いタッチに見えたが、これはこれで、アートとして素晴らしいのではないかとマディは思った。右腕の怪我から数日にして、こんな作品を仕上げるとは。


「君の画家としての才能と気概は、何と言うか、単純に凄いな」

「え、それはかたじけない。……いやいや、それどころではござらん。ここをご覧下され」


 ホウゲツが指を向けたのは、絵の中に描かれた聖ジウサ廟である。

 他の建物群は、白々とした明け方の光の中、ぼんやりと浮かび上がるように描かれているのだが、この廟だけは奇妙な描写をされていた。墨のような、泥のような色合いで、輪郭が縁取られている。

 本来のこの建物は、美しい白壁が特徴のはずだ。今実物が見えているとおり。


「絵薬仙術で、このように……かの廟から発せられる、異常な力の流動が読み取れたのでござる。遠目ではあれど、それがし、目の方は無事にござる」


 眼鏡も予備を持ってきており申す、とホウゲツは、丸眼鏡の位置を正してみせた。


 聖ジウサ廟はその壁全体が加護石で出来ていて、蒼薊闘技祭そうけいとうぎさい開催中は、アリーナを覆う結界治癒術への魔力供給源となっている。それはホウゲツも把握していた。

 だが、昨日まで塔を包んでいた魔力の流れと、今朝彼が感じ取った『力』は明らかに異なる。それは、数日間リハビリ時に観察した身として、断言出来るのだと言う。


「この異変は、不吉な予兆にござる。深刻な病魔を患者の体内に見出した時の、あの恐ろしさに似ておるのでござるよ! 同じ仙術使いならば、分かって頂けるかもしれませぬが……!」

「そっ……そうか! 何となく分かるぞ!」


 フェリックスが大きく頷いた。そういえば彼は、摩式仙術を使いこなし始めているのだ。――ただ、今の所病人をた経験はない。


「……勢いでものを言ってないか? フェリックス」

「あくまで何となくだ!」


 疑わしく眉根を寄せるマディに対して、自信満々に頼りにならない言葉を付け加えたのち、フェリックスはジウサ廟の方を振り仰ぐ。


「何にせよ、ホウゲツが治療院を飛び出してまで、こう言うんだ。何が起きてるのか確かめてみようじゃないか。もしかすると、ラメシュやエイダンくん、それにシェーナもあそこに……」

「廟の魔力異常に、アジ・ダハーカが関わっているとすれば、ラメシュ達があちらに向かった可能性はございますね」


 ハオマもホウゲツの話には興味を覚えるらしい。マディも、そこは同意出来る。

 一行が顔を見合わせる中、前脚を揃えて脇に座っていたタマライが、突然、虚空のあらぬ方角に向けて「ガァッ!」と吠えた。


「ヒェ!?」


 びくりと背筋を伸ばすホウゲツの足元で、彼女は地面に身を屈め、ふんふんと熱心に鼻を動かす。


「どっ、どうなされたタマライ殿?」

「もしや、ラメシュから何かの形で『呼ばれた』のでは?」


 タマライの傍らに片膝をついて、ハオマが問う。「ガル」と一声、彼女は大きく頷いてみせた。


「契約を交わした妖精と人間は、離れたとしても、互いの位置を報せ合えるものです。ドゥン族もそうなのでしょう。タマライの魔力が石化呪術の影響で戻りきらず、今まで呼応出来なかったようですが――もしかすると、ラメシュの方にも、彼女を呼ぶ余裕もないトラブルが発生していたのかもしれません」

「逆に言えば、今はラメシュ達は無事な訳だな。彼女を呼び寄せている!」


 フェリックスが顔を明るく上げて張り切った。


「きっとシェーナも無事で……よし、すぐ迎えに行こうタマライ!」

「ぐるる」

「待て待てフェリックス、目的地が多い。分身でもする気か。ここは、二手に別れるというのはどうだ?」


 と、マディは多方面に逸る気持ちを落ち着けて提案する。

 タマライとフェリックスで、ラメシュ達の元へ急ぎ、残る面々はホウゲツと共に、廟の異変を調べに行く。

 イーファは、しばらくタマライの背に乗せて貰いたいとマディは頼んだ。とりあえずはそこが一番安全だろう。


「マディ殿やハオマ殿がご同行下さるなら、心強い」


 ホウゲツが真っ先に賛同し、他の皆もそれぞれに首肯を見せた。


「ところで――」


 不意に大通りに向けて、耳を澄ませるような仕草をしたのはハオマである。


「先程から、妙に人の足音やざわめきが増してはいませんか? まだ、夜が明けて間もない時刻のはずですが」

「……そういえば」


 マディは通りを見渡した。

 目まぐるしく移動したり会話したりしていたせいで、現在時刻を忘れていたが、つい先程日が昇ったばかりにしては、通りを歩く人の数が多い。馬車も渋滞し始めている。

 道行く人々は皆一様に、聖ジウサ・アリーナの方角を目指しているらしかった。


「闘技祭最終日だからだな」


 ダズリンヒル事情に詳しいフェリックスが、さもありなんとばかりに言う。


「毎回、決勝戦とその後の閉会式パフォーマンス、それに後夜祭も大人気で、ダズリンヒルをあげてのお祭り騒ぎになると聞く。観覧チケットを持っていない人も、少しでも近くで決勝の空気を味わおうと、アリーナ周辺に詰めかけるし、チケットを持っている観客や貴賓席組は、渋滞を避けるために夜明け前から出発するんだそうだ」


 そこでフェリックスは、すぐ傍で停止した馬車――いななく馬と、渋滞に苛立つ御者の方へ、ちらりと視線を投げた。


「まあ、皆が同じ事を考えた結果、大渋滞が朝早くから始まってしまっている訳だが……」

「これだから都会人は」


 ハオマが顔をしかめる。


「かように大勢の人が集まる場所で、禍々しい魔力の異変。それがし、嫌な予感がひしひしとし申す、マディ殿!」

「ぐがるるる!」

「そうだな」


 多少大袈裟に悲観的な傾向のあるホウゲツだが、今回に関してはマディも、同じ意見だった。嫌な予感がする。


「急ごう!」



   ◇



 一方、エイダンはというと――叱られていた。


 事を急ぎたいのは彼も山々なのだ。

 しかし、身動き出来ない。現在彼はシェーナとラメシュと一緒に、警備兵達の詰所つめしょに連行されて、厨房への不法侵入の件を咎められ、説教され、問い詰められている。


「だから、貴方達も知ってると思うけど、蛇を眷属として操る危険な魔物モンスターがね……」

「アジ・ダハーカについては、我々も連絡を受けている。だが、厨房なんかに隠れているはずもないだろう。実際蛇どころか、虫一匹いないじゃないか」

「眷属は皆逃げたんだってば。いいからオーブンを調べてみてよ」

「まずは君達が危険人物かどうかを確認してから――」

「あたし達は、正規の救護班だってば! こんな格好してるのは、昨夜ゆうべ会食の席からそのままアリーナ内に入ったから!」

「その証言が本当かどうか、確認すると言ってるんだ! プライス中尉にこれから連絡を取る!」


 同じ説明を繰り返すシェーナに、警備兵は怒鳴り返した。

 彼らは酷く気が立っている様子だ。恐らく、夜間の巡回をうっかり寝過ごしてしまった事で、焦っているのだろう。


「おい、見回りの時間に寝てたって所を、何とか中尉に報告せずに済む方法はないか」


 シェーナと言い合いになった、部隊長と思われる警備兵が、隣の部下にこそりと耳打ちをする。「は、はぁ」と相槌を打つ部下も困り顔だ。


「あのね、それは多分ドナーティ料理長が一服盛って……そうだ、彼はどこなの? 料理長は!?」

「調理スタッフの居場所など把握していない! 質問はこちらからする、黙っていろ!」

「もう!」


 高圧的な態度の警備兵に、シェーナは腹立たしげな息を吐いた。

 喧嘩の苦手なエイダンは、困り果てるばかりでろくに口を挟めずにいたが、そういえば、エイダンよりは果敢な性格のラメシュも、ずっと黙りこくっていると、彼は気づいた。


「ラメシュさん? ……体調どがぁかね?」


 エイダンは小声で問いかける。シェーナもそうだが、ラメシュも一晩かけて魔力を大幅に消耗したはずだ。休息を取る事によって、魔力は徐々に戻るものだが、ここは安らげる場所とは言い難い。


「気分は良かぁねえが、それよりもタマライだ」

「え?」

「今、彼女に呼びかけてる。心配かけちまったからな」


 ラメシュは前方に手を伸ばし、ぴんと指先を張って、そこに強く意識を集中させる。

 妖精と契約を交わした人間には、様々な能力が備わるのだった。エイダンは、タマライがなるべく穏便な形で呼応してくれる事を期待して、ラメシュの横顔を見つめる。


 その時――不意に、不可解な物音が上がった。

 詰所の外からだ。複数人の悲鳴のように聞こえる。


「……何の騒ぎだ?」


 訝しんだ警備兵が、窓の戸板を開けた。部屋の外は、アリーナの観客席だ。

 早朝にもかかわらず、貴賓席をはじめ、観客席の大部分は埋まっていた。ダズリンヒルの人々は、漁村であるイニシュカ村と比べると、宵っ張りの朝寝坊だと聞いていたが、場合によっては早起きもするらしい。

 ただ、観客席の盛況ぶりを感心する気分に、エイダンはとてもなれなかった。

 観客達は皆、アリーナの隣にそびえ立つ、聖ジウサ廟へと視線を注ぎ、戦慄に身を竦めている。エイダン達も、警備兵達も、同様の表情を浮かべざるを得ない。


 白磁のように滑らかな、美しい純白の塔の外壁に、数え切れない程の蛇が這い回っているのだ。


「なっ!? ……な、何だあれは……!」


 窓を開けた警備兵が、顔を青ざめさせて数歩後退(あとずさ)る。


 その間にも蛇の群れは、統率された動きで一列に寄り集まり、密集して、縄をよじるかのように一斉に身体をひねった。

 無数の小さな蛇が、一繋がりの影に集約される。

 そうして群れは変容し、代わって現れたのは、全長数十ケイドルにも及ぶ、一頭の大蛇である。長い胴体に、金糸の刺繍のような模様が走っている。

 その両眼の邪悪な光は、エイダンにとって忘れ難いものだった。


 蛇身の悪王。

 彼の名前を、エイダンは我知らず、口走る。


「アジ・ダハーカ……!?」

「そして夜は明ける」編はこれにて一段落です。


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