第29話 晩餐会と急展開 ⑥
「よう考えたら、誰にも何も言わんとこんな所に潜り込んでしもうて、今頃迷子扱いされとるんじゃなぁかいね」
直立して歩くのも難しいくらい狭苦しい割に、変に反響の良いその通路の半ばで、ふとエイダンは呟いた。
「でも、タマライの残した痕跡はもう消えかけてて、夜明けまではもたないって言うし。この通路……というか換気口ね。ここをラメシュ一人に行かせるってのも」
「オレは別にどうとでもなるんだがな」
シェーナの返答に、ラメシュはプライドを刺激された様子で口を挟む。
確かにラメシュは、杖をついてはとても歩けそうにないこの通路の中を、片脚と腕の力だけで器用に進んでいる。が、心配無用とは言えない状況である。
「ちょっとでもヤバそうなら、すぐ戻って正規軍に連絡入れましょ。撤退戦は得意なの、治癒術士の嗜みとして」
「念の為、廟に杖持ってきとって良かったね。シェーナさんのドレスが煤と埃でえらい事になっとるが……」
「後で洗やいいわよ」
「ごしごし洗って大丈夫なん? それ」
かく言うエイダンも、埃で薄汚れた礼服の背に、穴の開いたハンノキの長杖を括りつけた、何ともさまにならない姿となっている。
三人は、タマライがアジ・ダハーカにつけた『痕跡』を辿って、聖ジウサ・アリーナの換気口から中へと侵入していた。
この時間、正規の出入り口はとっくに閉鎖されている。そこに忍び込んだのだから、見つかれば迷子どころか不審者扱いされる事は確実である。しかしこの際仕方ない。
寧ろ、見回りの兵に事情を説明出来る機会があればラッキーだ、とエイダンは考えた。アジ・ダハーカや、その相棒と目されているカリドゥスと鉢合わせしたとして、エイダンでは彼らを取り押さえるのが難しい。
「相手は蛇だけん、こんな通路でも、なんぼでも通るじゃろう。ここで出遭いとうないなあ」
「それなら安心しろ。換気口からはもう出られる」
と、先頭に立つラメシュが口走り、急に足を止めた。
彼の足元の床には丸穴が空いていて、木板を組み合わせて網状にした蓋が嵌め込まれている。
「奴は、ここから下に降りたみたいだ」
「アリーナの施設内に侵入してるって事? まずいわね。この下、何の部屋だっけ」
室内は灯りが消えている。それなりに広さのある部屋のようだった。この換気口の下は、救護室と同じフロアのはずだ。
慎重に蓋を外し、まずエイダンが降りて周囲を見回す。大きなテーブル、皿や香辛料の仕舞われた戸棚、壁に掛けられた木べらに木匙……そして、黒々としたオーブン。
「あ……そっか、ここ厨房じゃ」
思わず、声に出して呟いた。アリーナを訪れた初日に、ラメシュやタマライと出逢った場所である。
シェーナとラメシュも降り立って、辺りを観察した。
「おかしいな。タマライの痕跡が、ここで消えた。……時間切れか、それとも相手に気づかれて、痕跡を落とされたか?」
「『契約』に基づいた妖精の手掛かりを消す……そんな事出来るの?」
「余程魔力の強い相手なら、あるいはってところだな」
油断なく、声を潜めて会話を交わすラメシュとシェーナの背後で、エイダンが「あれっ」と呟いたので、二人は素早く彼の方を向く。
「どうしたの?」
「いんや、魔物とは全然関係ない話なんじゃけど。この厨房ってオーブン二つあるんじゃな」
「……あんたねぇ。何事かと思ってびっくりしたじゃない。大きな厨房だからでしょ」
「ごめんシェーナさん。こがぁにでっかい台所って、今まであんま見た事なかったけん」
ほっとしたような呆れたような顔で、腰に両手を当てるシェーナに対して、エイダンは後ろ髪を掻いた。
「オーブン、一つしか稼働してないんじゃねえか? 初日、あっちのオーブンを試しに開けようとしたら、蓋に鍵がかかってたぜ」
タマライの痕跡を室内で探し回りながら、ラメシュまでもがオーブン談義に参加してしまった。
あっちの、と彼が指し示したのは、部屋の最奥部に設置されたオーブンである。そちらの方が、もう一つの小型で古めかしい造りのオーブンと比べて、明らかに新しい。
そういえば、ドナーティは試食会の前に語っていた。大陸の新技術を取り入れた、新しいオーブンをアリーナと廟に導入した、と。
今回使用するとすれば、新しい方のオーブンだろうに、蓋に鍵がかかっていたとは、妙な話だ。内部の部品が高価だとか、そんな理由だろうか?
「あれ……待った、待てよ……俺、何か大事な情報忘れとる気がする……」
急に、今ここで何かを思い出さなければならないような切迫した気分になって、エイダンは両手で癖毛を引っ掻き回した。
大会直前になって導入された、新式のオーブン。大きさは――ちょっとしたチェストくらいはある。
「……あ」
フェザレイン鉄道株式会社の社長、エドワーズは探していた。首都に持ち込まれた可能性のある、新技術による大型の魔道具を。その名を、攻化機関。
「え、いや、まさか――」
突然、エイダンはがばっと四つん這いの姿勢を取る。そしてオーブンの脚と床の間に、思い切り額を押し込んだ。
「おい、何してるんだ?」
近くの床を調べていたラメシュが、驚いてエイダンに注目する。
だが、驚いたのはエイダンも同じだ。
「なっ……何かこのオーブン、底ん所に変な紋様入っとるし、加護石みたぁなんが埋め込まれとる! 魔道具じゃこれ!」
「は!?」
シェーナが、目を丸くしてオーブンの前に駆け寄った。
「紋様……筆記型呪文ってこと? 魔道具ですって……?」
「魔道具のオーブン――なんてものは、西洋にあるのか?」
「聞いた事もないわ。イドラスで発明されたなんてニュースも知らない」
「……」
言葉を行き来させる間にも、三人の表情は深刻になっていく。
「今なら、開けられるかいな……ちょ、ちょっと確かめてみてもええ?」
エイダンは人差し指を立てて、他の二人に確認した。
底から覗き込んだだけでは、オーブンに取りつけられた紋様や加護石に、どんな効果があるのか読み解けない。エイダンは魔道具の専門家でもないし、詳細な分析をするなら、エドワーズあたりの力を借りた方が良いだろう。
今はとりあえず、見て取れる限りの事を観察するだけだ。
シェーナとラメシュの無言の首肯を受けて、エイダンはオーブンの蓋を開けた。
――オーブン内には、蛇がいた。
しかも一匹ではない。オーブンの容量いっぱいに、もしかすると上部の煙突に至るまでぎっしりと、無数の小型の蛇がひしめき、うごめいている。悪夢にでも出てきそうな光景だ。
その蛇の群れが一斉に、エイダンと視線を合わせた。
「アアアアアアア!?」
総毛立つと共に絶叫したエイダンは、開けたばかりの蓋を勢い良く閉めて、オーブンの前から飛び退く。
だが一瞬の間ののち、閉めたはずのオーブンの蓋が不気味な音を立てて中から押し開けられ、牙を剥き出しにした蛇が数匹、飛び掛かってきた。
「『走渦障壁』!」
有り難い事に、シェーナは数秒前から呪文詠唱を始めていたらしい。エイダンの目の前に、水の渦の壁が迸る。蛇はぎりぎりの所で渦によって弾かれ、床に転がった。
「エイダン、退がって!」
シェーナが上擦った声で叫び、次なる魔術の詠唱に入る。
「結界張って退却するわ。オーケイ!?」
「おう、仕方ねえ!」
シェーナの提案にラメシュも同意した。エイダンはラメシュの、脚の不自由な側に立って肩を貸す。
三人は脱兎のごとく、厨房の出口を目指して駆けた。その後ろに、オーブン内から這い出して来た蛇の群れが迫る。
厨房の出口である両開きの扉は、開け放たれている。あと一歩で辿り着く――というその時、扉の前に人影が立った。
「……ドナーティ料理長!?」
暗闇の中、人影の正体に気づいたエイダンは、彼の名を呼ぶ。
「残念だよ、治癒術士諸君」
心の底から憂鬱そうな溜息を吐いて、まるで独白のようにドナーティは呟いた。
「私は君達を犠牲にするつもりなんかなかったのに」
両開きの扉が、ドナーティによって無情にも閉ざされる。
扉板の向こうで、閂のかけられる重い音が響いた。
「ちょっ……嘘でしょ!」
今にも結界を発動させようとしていたシェーナが、蒼白な顔色になる。どんな結界を張ったとしても、永久に維持出来る訳ではない。この部屋から脱出しない限り、じきに蛇の牙の餌食だ。
「と――とりあえず、食材のある所だ! あっちで結界発動してくれ!」
大急ぎで視線を左右に振ったラメシュが、扉近くの片隅を指差した。
どのみち、進行方向の選択肢は限られている。そこ以外の場所は、床から天井近くまで蛇だらけで、エイダン達が入ってきた換気口など、真っ先に占拠されてしまった。
食材の袋や箱が積まれた部屋の隅に、三人は追い込まれた形で身を寄せ合う。
「面積小さめにするから、離れないでね――『聖泡破邪壁』ッ!」
先頭の何匹かの蛇が、いよいよ噛みつこうと身構える中、シェーナの魔術が発動した。
間一髪、三人をドーム状の泡の膜が覆い、蛇の群れを遮断する。
「はぁっ……!」
エイダンは大きく息を吐いた。自分より上背のあるラメシュを、ほぼ抱える格好で逃げ回ったので、短距離ではあったが体力を消耗している。
「悪ィなエイダン。……何だかよく分からねえが、この蛇共はひょっとして、プライス中尉やハオマの言ってた、アジ・ダハーカの『眷属』って奴か?」
結界の中に一緒に取り込まれた、芋の袋の口を開けながら、ラメシュが二人に問いかけた。
「そうね。アリーナ内や周辺で目撃されてた蛇ってのが、多分こいつらだわ。ミカエラは、闘技祭二日目以降、蛇の目撃証言がぱたりと止んだ、と言ってたけど……警備の強化を受けて、眷属全員ここに隠れてたって事かしら」
錫杖を掲げたシェーナが、結界を維持しながら応じる。
「ずっとあの中に? うええ」
想像して、また鳥肌を立てるエイダンである。
「ほんならドナーティさん達調理班は、蛇のうようよしとるオーブンのすぐ傍で、ずっと働いてご飯作っとった、ちゅう事に……」
「……あんまり考えたくないけど、そうなるわね。つまり、彼はアジ・ダハーカを知って、匿ってたと考えるのが自然」
「衛生的にも最悪じゃねえか。料理人の風上にも置けねえ。何考えてんだ?」
「今はとても、考えがまとめられない。それよりあたしの結界がいつまでもつか――ラメシュ、何してるの?」
シェーナが背後を振り返り、怪訝な顔をした。
ラメシュは自前の短刀で、せっせと芋の皮を剥いたり、香辛料の入った壺の中身をひっくり返したりしている。
「何って、結界術だ。シェーナの結界が切れる前に、料理を完成させる!」
「ああ、それで食材の所にって! い、いけそう?」
「……どうにかもたせてくれ」
「俺も、ええと――何か」
エイダンは、急いで周囲を観察した。
残念な事に、水や酒類の入った大樽は、オーブンのすぐ横だ。そこまでの床は蛇だらけで、走って取りに行く気にはとてもならない。
しかも、結界治癒術には未だ不慣れなエイダンである。救護班の仕事の合間に、ラメシュからあれこれ教わりはしたものの、いきなりこんな実戦の場で使おうと言うのは心許ない。
それでも何か出来ないかとエイダンは、結界内に据え置かれた食材の袋や、壺の中身を、片っ端から改める。
「お、これ液体……!?」
手の平に乗る程の小振りな陶器瓶の中に、水面が揺れているのを見て、エイダンは食いついた。
しかしよく見ればそれは、やけに粘性の高い液体だった。蜂蜜だ。
「いや――」
がっかりしかけた所で思い直し、エイダンは頭を振る。自分がかつて結界効果を篭め、発動に成功した素材。あれは、ジャムだったはずだ。
「エイダン?」
陶器瓶を凝視して、じっと固まってしまったエイダンに、案ずるような調子でシェーナが呼びかける。
「俺も……ちょい、作ってみるわ。蜂蜜風呂結界!」
「晩餐会と急展開」編はこれにて一段落です。
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