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第26話 晩餐会と急展開 ③

 聖ジウサびょうの内部は、外観から予想していたよりも、簡素で質実な造りだった。

 一階は、一般のユザ教徒が参拝可能な礼拝堂。二階には、びょうで務めをこなす修道士や旅僧のための、宿坊がある。

 エイダン達は二階の食堂に案内された。もっと上の階には、貴人を招いた際に使用される迎賓広間ゲストホールも造られているらしいが、彼らはそこまで大袈裟にもてなされる客ではない。食堂の別室――ちょっとした談話室のような部屋を貸し切って、試食会が催される運びとなった。


 テーブルに着いたのは、エイダンとシェーナ、マディ、フェリックス、イーファ。それに、サンドラ、ハリエット、ミカエラもご相伴に与る形である。


「テンドゥ帝国の、料理を使う治癒術士が来られないとはいささか残念だが」


 厨房から出てきた料理長のドナーティが、一行に一礼した上で呟く。


「ラメシュさん、ドナーティさんに謝りたいと言うとんさりました」


 と、エイダンはラメシュからの伝言を口にした。


「謝罪する程の事では……。それに、私もうっかりしていた。確かにテンドゥのヴラダ教の一部宗派は、肉食をしないと聞いた事があったのに」


 眉間に皺を寄せ、ドナーティは一人頷く。


「最近は、異国からの来賓が増えている。新たに覚えなければならないマナーや文化が多いものだから、料理人も楽ではないよ。かく言う私も、生まれはイドラスなんだがな」

「え、そがぁですか」


 エイダンは軽く目を瞠る。

 旧イドラス帝国――現イドラス共和国は、グルメ大国としても知られ、シルヴァミスト都市部にはイドラス人やイドラスでの修行経験のある料理人が多いと、何かで読んだ記憶はある。ただ、ドナーティのシルヴァミスト語には、それらしい大陸訛りがほとんど残っていない。


「キッシンジャー夫人や正規軍は、知っているはずだ。私も身辺調査を受けたからな」

「存じ上げているわ、料理長」


 サンドラが淡々と肯定した。


「ごく若くして、イドラスとシルヴァミストを行き来する商船の厨房で働くようになり……才能を認められて、名高い料理人の家系であるドナーティ家の養子に。その後も、イドラスやその隣国のナイアダルへ、修行のために何度か渡航していると」

「他国の調理技術の革新ぶりは、勉強になる」


 修行時代を思い出したのか、ドナーティは楽しげに両腕を広げてみせる。


「今回の闘技祭のために、アリーナとこのびょうの厨房の、古めかしいオーブンを新調したんだ。大陸の新技術を取り入れたもので……ローストビーフでも何でも、格段に作りやすく、仕上がりが良くなった。ぜひ堪能して欲しい」


 自信に満ちた表情でそう述べて、料理長は前菜を用意するべく、食堂の奥の厨房に戻って行った。


「……彼のように、実力のある全ての人が、相応の地位を得られると良いわね。血統や出自に関係なく」


 ドナーティを見送ったサンドラが、ぽつりと漏らすので、テーブルに着いた全員が、何となく彼女に視線を注ぐ。


「耳に痛いお言葉です、キッシンジャー夫人」


 苦笑いと共に応じたのは、フェリックスである。この手の会食中の談笑に最も慣れているのは、地主階級ジェントリの彼だろう。

 エイダンの右隣に座るイーファは、ハリエットが正規軍の伝手で用意してくれた、借り物のワンピースを着込んで、カチコチに緊張している。正直に言えば、エイダンもかなり上がってしまっていた。


「私も、そのご意見に賛意を表したい。……しかし、そんな社会を目指して革命が起こされたイドラス共和国では、未だ政治的混迷が続いている」


 マディが、厨房の方へと目を向ける。その眼差しには、共感と同情めいたものが宿っていた。


「混乱期のイドラスで生まれたドナーティ料理長の人生も、平坦な道のりではなかった事だろう。社会の混乱は、時として抑圧以上の悲劇だ」


 マディの母親は、南ラズエイア大陸にある旧イドラス帝国準州の出身だという。

 帝国崩壊後、いくつかの準州は独立国となったものの、無政府状態に陥った地域も少なくなかった。シルヴァミストに渡る事で生き延びた彼女の母の苦労は、余程のものだったに違いない。


「そう。この国で、『カプノスの悲劇』など引き起こす訳にはいかないわ。しかしだからこそ、実力主義に基づく、より確固たる社会秩序を構築するべきね」

「カプノスの……悲劇?」


 耳慣れない言葉に、ついエイダンは口を挟んだ。


「知らないの? ……いえ、それもそうね。辺境まで伝わるようなニュースではないし、学校で子供に教える話でもない」


 一瞬、呆れた表情を浮かべたサンドラだったが、すぐに納得顔で目を伏せる。


「食事時にする話題でもございませんし」


 笑うに笑えない、といった様子でハリエットまでも視線を落とすので、何か気まずくなるような発言をしてしまったのかと、エイダンは慌てた。『悲劇』というくらいだから、めでたくない何かが起きた事は想像がつくが。


「簡単に言うと……イドラス帝国最後の皇帝が亡くなった、二十年前の事件らしいわよ。あたしも詳しく知らないけど」


 こそりと、左隣のシェーナが囁き声で教えてくれた。エイダンは小さく首を縦に振って応じる。しかし、彼女の説明により、疑問点はかえって増えてしまった。


 二十年前。エイダンの誕生よりは昔だが、歴史と呼ぶには新しい。

 イニシュカ小学校の世界史の授業では、大イドラス帝国の崩壊について、触りだけしか習わなかった。

 教師の説明によれば、帝国の終焉は三十三年前のこと。最後のイドラス帝は、高まる革命の気運と、政治的行き詰まりの中、自ら帝位を廃し、辺境へと陰遁。無血革命が成されたという。

 その皇帝が、二十年前、廃位から十三年後に、『悲劇的に』死んだ。一体どういう事なのだろう。


 帝国崩壊後に成立したイドラス共和国について、エイダンの知識は乏しい。


 サンドラの言ったとおり、イニシュカ島には、海外どころかシルヴァミスト国内のニュースもろくに入ってこない。学校以外でエイダンの知識の源となったのは『男爵文庫』だが、あそこに収蔵された書籍や教材は、アルフォンス・リードが生前に収集した物で、ここ十数年の出版物は置かれていないのだ。


 とにかく、どこの国にも困難な歴史はあるものなのだな、とエイダンが考えたところで、前菜の皿が運ばれてきて、その場の空気はやや明るくなった。



   ◇



 「良い機会だから、フォーリー。貴方に話しておくわ」


 メインディッシュの、ローストビーフなる料理が各々の前に行き渡ったところで、不意にサンドラがエイダンへと向き直った。


「はい、キッシンジャー夫人?」

「今回の救護班の仕事を終えた後も、首都に残ってはどう? 研究所に私の権限でポストを用意するから」

「ふぐっ!?」


 驚きのあまり、エイダンは食べかけの温野菜を喉に詰まらせる。他の面々も、呆気に取られて食事を中断した。


「ちょっ――母さん!?」

「私はエイダン・フォーリーと交渉しているの。既にキッシンジャー家を出た者は黙っていなさい」


 思わず銀食器を置いて呼びかけたシェーナに、すかさずサンドラは、容赦のない言葉を浴びせる。そして、彼女は再びエイダンを見つめた。


「単純な話よ。私は優秀な魔術の人材が欲しいし、貴方の現状を惜しいと思っているの。先程も言ったでしょう。全ての人は、実力に見合った地位を得るべき。それは権利のためだけではない。能力のある者が、その能力を社会のために活かす事は、ある種の義務であり責任よ」


 静かだが断定的な、エイダンを裁くかのような口調だった。

 何とか野菜を飲み下したエイダンは、相槌も打てないまま、彼女の話に耳を傾ける。


「貴方の働きを、私はこの五日間観察してきた。瞬間的高出力を誇る火属性魔力による治癒術。間違いなく、稀有な能力だわ。しかし未熟な面もある」


 指先でテーブルのグラスを取り、サンドラは続けた。


「もっとハイレベルな修練の出来る場所で、成長するべきね。そして、診断する患者も選んだ方が良い。この街なら、貴族のかかりつけ治癒術士ヒーラーになる事も可能だし、評判もすぐ広まるでしょう」


 グラスの中身を一口呷って、再度その口が開かれる。


「はっきり言うわ。イニシュカ島――あんなつまらない田舎で、地位も教養もなく、魔術の価値も分からない人々を百人かそこら治して。そんな人生は貴方にとって、浪費よ。何のメリットもない」


 がしゃん、と派手な音がすぐ間近で響いた。


 それが、自分が椅子を蹴立てて立ち上がった音だったと、静まりかえった部屋の中でエイダンは気づく。

 怒りに駆られ、ほとんど無意識のうちに行動を起こしたようだ。こんな真似を自分が、とどこか他人事のような冷静さで、意外に思う。

 しかし一方で、彼は自身の頭に血が昇りきるのも、それが爆発するのも抑えられなかった。


「貴方が――!」


 叫ぶようにエイダンは言う。


「貴方が、俺の故郷の価値を決めんですか、キッシンジャー夫人!」

「私だけではない。貴方も()()()()よ」


 憤りに見開かれたエイダンの緑色の瞳を、真正面から睨み返し、サンドラは答えた。


「これからの時代、世の中における価値というものを決めるのは、能力のある人間の特権になっていく。善い悪いの話ではないわ。否応なくそういう時代が来る。貴方は『決める側』に立てる。そんな才のある者が、人生を辺境で使い潰すのは、せっかく浄気機関車の切符を渡されたのに、ホームで発車を見送るようなものよ、フォーリー」

「お断りします」


 サンドラの口上を半ば遮る形で、短い言葉を落とす。


「……研究所の職を?」

()()()()やら何やらに立つのを、です」


 テーブルナプキンを卓上に置くと、エイダンはサンドラに背を向けた。


「俺は……人間の価値を決める人間なんかに、なりとうありません!」


 それだけ告げて、彼は一人、部屋を後にする。


 廊下を進みかけたところで、厨房の入口が目に入った。ドナーティと調理師達が、デザートの準備を進めている。


「ドナーティさん」


 入口から、エイダンは彼に呼びかけた。


「うん? 何だ、どうした?」

「ほんま、すみません。……俺帰ります。料理、美味かったです」


 ドナーティには心から申し訳ないと思ったが、とても今の気分で、甘い物など楽しめそうにない。

 ぽかんとしているドナーティに、改めて頭を下げて、エイダンは階段に続く廊下を歩いて行った。

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