第24話 晩餐会と急展開 ①
シェーナの予想したとおり、蒼薊闘技祭は特に中断されるでもなく、厳重な警備の下、滞りなく続けられた。
初日の第一試合こそ、救護室の窓から見物出来た救護班員達だったが、二日目以降の仕事は、実に目まぐるしかった。試合見物どころではなく、どのチームが勝ち上がっているのかも、ろくに把握出来ない。
「初戦でうちらに勝ったホワイトフェザー騎士団が、今日、二戦目ば戦うっちゃんね」
足首の骨折を治療中のアビゲイルにそう教えられ、いつの間にか闘技祭が四日目まで進行している事を、エイダンは認識したのだった。
「あれっ? そがぁに進んどりましたか、試合」
アビゲイルの浸かる風呂桶の湯温を魔力で調整しながら、エイダンは目を丸くする。
「それも知らんと? 忙しかねえ。うちも随分、君には世話んなったわ。もう足の調子は、大分良かよ」
「……みたぁなですね。治りが順調で、ほんま良かったです」
まさに今、エイダンはアビゲイルの容態を、湯に伝導させた魔力をもって診断していた。
足首はじめ、治療の結果は上々だ。今なら、特に問題なく歩き回れるだろう。
ホワイトフェザー騎士団のモーガンや、そのスポンサーであるエドワーズは、アビゲイル達チーム・サウスティモンを警戒し続けていたが、結局彼女が怪しい行動を起こす事はなかった。
診療を終え、湯着を着替えたアビゲイルは、救護室を出ようとしたところでエイダンの方を振り向き、灰色の三角帽子を傾けてみせる。
「そんじゃなぁ、フォーリーせんせ。いつか南部に来たら、サウスティモンにも寄ってみんね」
「あんがとう。お大事にしんさってな」
イニシュカ小学校の子供達以外から、『フォーリー先生』と呼ばれる機会はまだ少ない。エイダンはくすぐったいものを覚えて、顔を綻ばせる。
そうして、一人の患者が救護室から立ち去った。
◇
アビゲイルと入れ替わる形で、救護室の扉を開けたのは、サンドラである。
「例の救護班員二名は、まだ仕事に復帰出来ないのかしら」
つっけんどんな口調で、サンドラは尋ねた。
例の二名、というのは、入院中のホウゲツと、宿でタマライの治療をしているラメシュの事だろう。
「ラメシュは、今日分のタマライの診療を終え次第、こちらに加わってくれるとの事です、キッシンジャー夫人」
フェリックスが応じる。
ラメシュによると、ドゥン族――つまり妖精に近い種であるタマライは、人間より強靭な肉体を持つ一方で、魔物が使う、体内循環魔力を淀ませるタイプの呪術に、強く侵蝕されてしまうのだという。
エイダンの治癒術でも、解呪しきれない。第一、体長三ケイドル半にも及ぶ彼女を入浴させ、たっぷりの湯に魔力を行き渡らせるのは、相当に困難だ。
ラメシュの料理治癒術によって、当人の栄養状態と体力を補い、身の内から少しずつ呪いを追い出していくのが、一見迂遠だが最も的確な処置であるらしい。
ちなみに、石化したタマライにどうやってカリーを食べさせるのかというと、テンドゥ帝国には意識不明の患者にカリーを飲ませる、特殊な治癒術と魔道具が存在するのだという。料理を媒介とした火の治癒術が発達しているだけの事はある。
しかし、エイダンは実際に、ラメシュがタマライにカリーを飲ませるのを手伝ったのだが、激辛スープを漏斗で喉に流し込んでいるようにしか見えず、「ほんまにこれでええん?」と、繰り返し確認する羽目になった。
「ホウゲツは、まだ入院中だ。後で見舞いに行くつもりだが」
サンドラの質問には、続けてマディが回答した。
ホウゲツと協力してカリドゥスを追っていた彼女は、やはりまだ自責の念に駆られているらしく、ずっと彼を気にかけている。
「軍部があてに出来ないから、民間人を雇ったのに。まさか大会と関係ない事件に巻き込まれて、職務から離脱とはね」
溜息を漏らすサンドラの前に、ハオマが進み出た。
「……拙僧の浅慮については、謝罪致します。彼らを貧民窟に連れて行かなければ――」
「ハオマは、間違った事なんてしてない」
「うん、俺もそう思う」
すかさず断言したシェーナに、エイダンもいつになく強い口調で賛同する。
「石化しとったあの子……アイザックを助けられたんは良かったし。それに、この街にほんまに危ない人や魔物がおるって分かったんは、辛いが大事なことじゃ」
真剣に、エイダンは続けた。
ハオマの言うには、あの近辺の住民には後ろ暗い面も多いので――実際、あの空き家に暮らしていた少年達も、正当に家賃を支払って借りている訳ではないだろう――役場も正規軍も頼れない身分であるらしい。今回新たな被害者となった男女も、身寄りのないカップルだったそうだ。
彼らのために、正規軍や巡察隊に証言し、治療院を手伝えたのは、少なくとも不幸中の幸いと言える。
「別に責める気はないわ。過ぎた事を言い立てるのは非効率的よ」
と、サンドラは心外そうに両手を腰に当てた。それから彼女は、正規軍所属の治癒術士二人――プライス姉妹に視線を向ける。
「プライス少尉。『蛇』の件については、あれからどうなっているの?」
「二日目以降、目撃例は報告されてませんよ、キッシンジャー夫人。警備は前より厳重だから、侵入したら気づくはず」
「蛇というと、僕らを攻撃してきた、あの金色の?」
その蛇に巻きつかれ、逆さ吊りにされたフェリックスが、サンドラとミカエラのやり取りに顔をしかめた。
「名を確か、アジタマ……」
「アジ・ダハーカです」
ハオマが即座に訂正を入れる。
「皆さんの証言と、現場に残された呪術などの痕跡を、正規軍の専門家に分析させた所によれば」
そう説明を始めたのは、ハリエットである。
「例の『蛇』こそは……我が国及び、北ラズエイア大陸の各国で危険度特級に認定されている魔物、『蛇身の悪王』アジ・ダハーカと見て、まず間違いないと。標的の魔力を吸い上げる石化の呪術。眷属とする蛇の肉体を取り込み、巨大化も身を分かつのも思いのままという、変異の術。全て、情報どおりです」
「調査の結果、闘技祭初日に、アリーナ内やその周辺で風変わりな蛇を見かけたって証言が、複数の筋から得られたんだ」
ミカエラが姉の説明を引き継ぐ。
「何しろ人が多いからな、無差別に観客から魔力を奪おうとしたのかもしれない。でも、二日目以降に警備を強化してから、それはぱたりと見られなくなった。向こうも警戒したんだろう」
これはきっと君達のお陰だ、とミカエラは意気込んで付け加え、エイダンの肩を叩いた。
「カリドゥス・カラカルの捜索も進んでるし……奴らを追いつめてるのは正規軍の方さ。心配いらないよ、ホウゲツの弔い合戦は、ぼくらが制する」
「あんがとう――いや、ホウゲツさん死んどらんけど」
と、エイダンは苦笑いを浮かべた。
「それじゃ、この件は軍に任せて問題なさそうね」
一つ頷いて、サンドラは傍らに置いていた、何通かの封筒を手に取る。
「話は変わるけど。フォーリー、貴方毒見に興味はある?」
「はぁ。……はい?」
話を変えるにも程がある。エイダンは目を丸くした。
「ど――毒見ですか。やった事ないけん、何とも……」
「でしょうね。――以前アリーナ内で会った、ドナーティ料理長を覚えているかしら? 彼が明日、闘技祭最終日の晩餐会で供するコース料理の、試作をするのよ。いつもとは違う厨房やオーブンを使うから、流れをそっくり予行演習しときたいらしくて」
「ああ、あん時の」
エイダン達が、ダズリンヒルにやって来たその日。ラメシュが勝手に厨房を占拠して治癒術用料理の試作を始めてしまったもので、彼とタマライを見て腰を抜かしていた人物。
彼が確か、ドナーティと呼ばれていた。
「貴方達に対して、出会い頭に失礼な態度を取ったと、料理長は気にしているらしくてね。試食会に来てくれないか、ですって」
そう言ってサンドラは、封筒を二通ばかり、エイダンに手渡す。
シンプルな白地の封筒で、中身はどうやら招待状らしい。一通はエイダン宛て、もう一通は、ラメシュ宛てだ。
「うわぁ、食事会の招待状……! こんなん貰うたん初めてじゃ」
思わず目を輝かせるエイダンである。
他の救護班の面々も、招待状を受け取る。ホウゲツ宛ての招待状もあったが、彼は入院中で、とても出席出来ないだろう。
「ラメシュさんは、どがぁしんさるかな。晩ご飯の時間は、毎日タマライさんについてあげとるけど」
それに――と、エイダンは顎に指を当てる。
「俺も、夜にイーファを一人きりにするんは心配じゃな」
「イーファ・オコナー嬢も、参加させて貰うというのはどうかな? 家族同伴のようなものだろう」
フェリックスが、さらりと提案した。
「えっ? ええのかな。喜ぶとは思うけど、俺もイーファも、テーブルマナーだとかはちょい怪しゅうて」
育ての親代わりだった祖母が、身だしなみや礼節について割り合い厳しい方なので、エイダンもイニシュカ島の中で見苦しくない程度には振る舞える。
ただしそれは、あくまで平民しかいない西部辺境の島の中での話だ。
「構わないでしょう。試食への私的な誘いであって、堅苦しい場ではないのだし。貴方の出自はドナーティも承知よ」
サンドラは事も無げに首を縦に振る。
「はぁ、ほんなら……」
エイダンは、そろりと招待状を開いた。厚手の紙に、毒見会――いや、試食会の日時と場所、品書きが書かれている。会場は、『聖ジウサ廟二階』とあった。
「廟の中! あそこ、入れるんですか!」
「上階の迎賓広間じゃなくて、ユザ教修道士向けの食堂の方だけど」
歴史好きのエイダンとしては、豪華な客間より寧ろ、人々の生活の歴史が深々と刻まれていそうな空間に惹かれるところである。
「いんや、凄く嬉しいです……招待状、ラメシュさんにも渡しときますけん」
預かった招待状を、エイダンはいそいそと鞄に仕舞い込んだ。




