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第22話 亡国のテロリスト ①

 玄関口には、心配と好奇心に満ち満ちた顔つきの若者達が、押し合いし合いで集まっていた。

 エイダンは彼らに、アイザックの治療が成功した事を告げ、彼にこれまでの経緯を説明するよう頼んだ。


「あと……患者さんに、飲み物と、消化にええもん食わせてあげられんかな」


 ここに来て最初に声をかけてきた、蝋燭ろうそくを持つ少年にそう付け加えると、彼は素直に頷いてみせる。


「ポリッジなら、少しある。こっからはおれ達が面倒みてやるよ、大丈夫だ」


 それから、少年は少しばかり照れたような、不貞腐れたような顔つきで目を逸らし、付け加えた。


「あ、ありがとな。……仲間を助けてくれて。妙な連中とか疑って、悪かった」


 エイダンは軽く目を瞠って、応答に迷ったものの、「いんや」と、首を振った。


「ほんまに良かった、助けられて……フアァ。あ、すんません」


 口を開いた拍子に欠伸が漏れてしまい、エイダンは慌てて謝る。魔力が尽きると、疲労や貧血、空腹状態に近い症状が出るものなのだが、もう夜であるためか、今回は特に眠気が酷い。


「ははは、エイダンくんはお疲れだな」


 荷車に再び風呂桶を乗せて、やたらと爽やかにフェリックスが笑う。


「摩式仙術には、疲労回復や覚醒を促す術もあるらしいんだが、生憎と僕が使えるのは、まださっきの一種類だけで」

「ええと……使えたとしても、今は遠慮するかもしれん」


 そう連続して、あの術を施されたくはない。


「覚醒させる必要はねえだろ。これから宿に帰って、風呂入って寝るだけだ。何なら、どうだタマライ、こいつ乗せてやれるか?」

「ぐるるる」

「準備万端のフカフカだ、と言ってるぜ」


 ラメシュがタマライの肩を叩き、タマライがピンと尻尾を立てた。どうやら背中への歓迎を表明しているらしい。

 魅力的な誘いではあるが、彼女の温かな毛皮の上に落ち着いたなら、本当に寝こけてしまいかねなかった。あの格式高い『あざみの宿』に、ぐうぐう眠りながら運び込まれるのは、ちょっと格好のつかない話である。イーファにも笑われそうだ。


「あんがとう。でも、帰るくらいは平気じゃけん――」


 エイダンがそこまで言いかけた時、突然、傍らのハオマが足を止め、右手方向にさっと首を巡らせた。


「ハオマさん?」

「今、あちらから悲鳴が」


 端的な答えが返る。

 エイダンがつられて耳を澄ました直後、今度は彼にも聞こえるくらい、はっきりとした助けを乞う声が上がった。


「誰かっ! 誰か助けてーっ!」


 その場の面々は、驚きと戸惑いに一瞬足を止める。しかし揃ってすぐさま、声の源を目指して駆け出した。



   ◇



 「――これは!?」


 最初にその場に辿り着いたフェリックスが、思わずといった様子で息を呑んだ。

 数秒遅れて到着したエイダンが目にしたのは、路地裏に転がる、二つの石像。背後から不意を打たれたような、振り向きかけた姿勢で固まった男性と、助けを求め、逃げ延びようと片手を伸ばした状態の、悲痛な表情の女性である。


「この人ら……まさか、石化呪術の犯人が、ここに?」


 エイダンは、前方に伸ばされた女性の手首へと触れる。禍々(まがまが)しいまでの、淀んだ魔力の痕跡が伝わってくる。ただ、石化した肌にはまだ温もりが残り、しかも触れた瞬間、微かな反応があった。


「呪術をかけられたんは、たった今じゃ! すぐ解呪すれば、衰弱もせんと治せる……」

「エイダン殿! 危のうござる!」


 エイダンの発言を遮って、ホウゲツが鋭い警告の声を飛ばす。


「背後に! そこの、立ち去ろうとしている外套がいとうの男っ!」


 悲鳴を聞きつけ集まりつつある野次馬達の合間へと、指を突きつけたホウゲツは、素早く懐から一枚の紙を取り出した。

 広げられた紙にえがかれているのは、ダズリンヒルに着いた直後、ホウゲツとマディから記憶しておくよう言われた、『テロリスト』――カリドゥス・カラカルの似顔絵である。


 エイダンは、はっとしてホウゲツが指で示した先を注視する。

 群衆の陰に隠れるように、石化した被害者から遠ざかろうとしている、マントを羽織った人影に、彼は気づいた。

 黒とも赤銅色とも取れる長い髪、冷たく切れ長の瞳、そして、右頬の火傷の痕。


それがしの目に狂いがなければ、あれはまさしく、カリドゥス・カラカル!」


 興奮にずり落ちかけた眼鏡の位置を正し、ホウゲツは続けて叫んだ。

 マントの男が小さく舌打ちをして、足を早める。


「手配中のテロリスト、でございますか。この石化と、どんな繋がりが?」

「分からん、けど……ハオマさん、この人ら頼んでもええ!?」


 追いついてきたハオマに石化の被害者を託し、エイダンはマントの男の逃げた方へと向き直る。

 そこに突然、


「逃がさねえぜ! タマライ!」

「ガァッ!」


 上方からラメシュとタマライの声が降ってきたので、エイダンは視線を上向け、そして呆気に取られた。

 あの巨体で、いつの間にどうやってよじ登ったのか。ラメシュを背に乗せたタマライが、すぐそばの民家の屋根の上で臨戦態勢を取っている。


 カリドゥスがタマライの接近に気づいた、と同時に、タマライの背からラメシュが跳躍した。

 片脚が利かないという事実が嘘のような、凄まじい全身のバネと膂力りょりょくだ。カリドゥスが右腕に装着した篭手を構えるより一瞬早く、ラメシュはその右腕に掴みかかり、半身に絡みつくような体勢から、相手を地面へと組み伏せる。


 ラメシュが会得しているのは、組み技・投げ技を主体とした格闘術らしい。シルヴァミストの武術では見た事のない、特徴的なフォームだった。


「大人しく――しろっ!」


 奇襲には成功したが、相手もまた、只者ではない。マウントの奪い合いになりながらも、カリドゥスは右腕を自由にし、何事か、金属音を響かせて手首をラメシュに向ける。


「ラメシュ殿、敵の篭手はからくり仕掛けにござる! ご留意を!」

「グラァァァッ!」


 ホウゲツの助言に応じるように、タマライが高々と吠え、ラメシュに加勢しようと低く身構える。

 しかしその時、彼女の足元から、するりと細長い影が持ち上がった。

 奇妙な現象に、エイダンは目を凝らす。タマライ自身の影が、街灯の角度のせいでおかしな形に見えているのか? 


 ――いや、違う。()()()()()。タマライの全長を凌駕する程の大きな蛇が、彼女に躍りかかろうとしている。金糸を刺繍されたような美しい体表だが、その眼には、よこしまな悪意を感じさせる光が湛えられていた。


「タマライさん、後ろぉッ!」


 咄嗟に、エイダンは声の限り叫んだ。タマライが背後を振り返るが、蛇は目にも止まらない速度で彼女の死角へと逃れ、そこでがばりと、上下の顎を開ききる。


「シャアアアアッ!」

「ギャウッ!」


 砂煙状の何かを噴きかけられ、タマライは毛を逆立てて飛び退いた。タイルの上で踏みしめたその四肢が、不意に力を失い、雪の崩れるように屋根から落下する。


「タマライッ!!」


 ラメシュが血相を変えて、地面に落ちたきり動かなくなったタマライの方へと目を向ける。その一瞬の隙を、カリドゥスが突いた。


「がはッ!?」


 鋭い蹴りがラメシュの脇腹に命中し、砲弾でも喰らったかのように、彼の身体は後方へと弾き飛ばされる。


蛮族め(バルバロイ)!」


 身を起こしたカリドゥスが、ラズエイア大陸で使われる罵倒語を吐き捨てた。

 そこに――


「こらあああっ!」


 怒声を上げて突進してきたのは、フェリックスである。

 彼はここまで荷車で引いてきた風呂桶を、勢い良く横倒しにし、そのまま渾身の力を込めて、カリドゥスめがけぶん投げる。桶の中に残っていた湯が、盛大に辺りに撒き散らされた。


「ファルコナーの名誉にかけて、これ以上の乱暴と友への侮辱は――うわああっ!?」


 指を突きつけて口上を述べようとしていたフェリックスの身体が、不意にひっくり返り、逆さになったまま空中へと持ち上げられる。その足に巻き付いているのは、大蛇の尾だ。


「フェリックスさん! このぉっ!」


 エイダンは、助走をつけて手近な塀の上へと駆け上がった。そこを踏切台に跳ね飛び、夢中で長杖を振るう。

 杖のリーチの長さが幸いして、蛇の胴体に、見事に一撃が叩き込まれた。フェリックスが路傍に積まれた藁束の中へと落とされたのを見届け、エイダンは安堵の息を吐こうとする。


 途端、ぞくりと背筋に悪寒が走った。


 振り向きざま、エイダンは額の前に杖をかざす。直後、手にした杖に何かが突き立った。

 くさびだ、とエイダンは気づく。真っ赤に熱された楔が、ハンノキの長杖を穿ち、目の前で煙を噴いている。


「なっ、なんじゃこれ!?」


 気に入りの杖に焦げ臭い大穴を開けられ、慌てるエイダンのすぐ目の前に、ふっと人影が過ぎった。

 カリドゥス、と気づいた時にはもう遅い。鳩尾みぞおちを蹴り上げられ、エイダンは背後の塀へと叩きつけられた。


「ッ――!」


 衝撃と痛みに、声も上げられず、石畳の上にうずくまる。

 霞む視界に、カリドゥスの姿が映った。彼が右手の篭手を捻ると、そこからボウガン状のギミックが展開し、装填された楔の尖端が、エイダンの心臓へと、正確に向けられる。


 痛みで痺れた身体を、エイダンは強引に立ち上がらせようとした。が、手足が言う事を聞かず、上手く行かない。こちらを見つめるカリドゥスの視線からは、ここに至っても、全く感情らしいものが読み取れない。

 その瞳の冷たさに、エイダンが戦慄を覚えた、その時。


「エイダン殿――ッ!!」


 塀の陰から、ホウゲツが飛び出してきた。

 エイダンに体当たりする勢いで身を投げた彼の、いっぱいに伸ばされた右腕に、灼熱の楔が突き刺さる。


「ホウゲツさん!?」

「うがああああっ!? あっ、熱いいいっ!」


 倒れたホウゲツは、その場で腕を押さえて絶叫し、のたうち回った。ひび割れた眼鏡が石畳に転がる。


「ホウゲツさん、ホウゲツさんっ!」


 エイダンは悶えるホウゲツの身体を押さえ込み、右腕を掴む。二の腕の内側に、楔が深々と食い込んでいた。


 ――自分のせいで。助けなければ。早く治癒術を。


「湯っ……誰かっ、お湯……! 治療せんと……!」


 混乱する思考のまま、譫言うわごとのようにエイダンは呼びかけた。しかし、目の前に立ちはだかる男が、その懇願を聞き届けるはずもない。彼はどこまでも冷酷に、二人を見下ろしている。


「二撃、しのいだか。幸運な奴だな、ヤドカリ野郎(パグロイデア)


 ぼそりと、シルヴァミスト人への蔑称を呟いて、カリドゥスが篭手の一部を回転させる。がしゃんと硬質な音が響き、次なる楔が装填された。


「カリドゥス!」


 唐突に、吐息の混ざったようなしわがれた声が頭上から落とされた。カリドゥスとエイダンは、同時に声の方角――民家の屋根に目を向ける。大蛇が、二股に分かれた舌をちらつかせながら、こちらに首をもたげていた。


「巡察隊が来る。わしは引き上げるぞ」

「アジ・ダハーカ……お前の食い意地のせいでこうなった。前の現場の近くで『狩り』やがって、我慢を知らねえのか」


 蛇に向けて、軽く鼻を鳴らすと、カリドゥスはボウガンを畳み、マントで篭手ごと覆い隠す。


「不満があるならば、手を切っても良いのだぞ。卑しい人の子如きが」

「……」


 カリドゥスは蛇を睨み上げるも、相手の挑発めいた言葉には応じず、エイダンの方にも一瞥を寄越す事なく、小路の向かい側の石塀を、一飛びに乗り越えて姿を消す。

 それを見て、大蛇もぐるりと身をよじらせた。捻じれた長い身体が、朽ちた縄のように見る間に裂けてゆき、分かたれたそれぞれが、三体ばかりの小型の蛇へと変異する。


 常識外れの現象に、唖然とするエイダンの視線の先で、三体の蛇は、別々の方向へと這い進み、やがて物陰に隠れて見えなくなった。


 ――ピィッ。

 

 甲高い笛の音が、辺りに響き渡った。間を置かず、制服姿の数名の男女が隊列を組んで駆けてくる。


「巡察隊だ! 一体何の騒ぎだ、これは!?」


 先頭に立つ一人が、厳しい声音で周囲の人間に問い質したが、目撃者も、エイダン達も、誰も簡潔には回答出来ない。


 エイダンは、押さえていたホウゲツの身体が、ぐったりと弛緩しているのに気づき、慌てて彼を抱え直した。完全に意識を失っている。


「ホウゲツさんっ! 大丈夫です、今治しますけん……! 誰か! 誰か、頼んます!」

「タマライ……タマライッ! しっかりしろ!」


 道の向こう側では、足を引きずってタマライの元へ辿り着いたラメシュが、必死の形相で彼女に取り縋っている。

 タマライは、夫の呼び声に反応を見せないようだ。それどころか、あの柔らかな毛並みがすっかり硬化し、小岩のような外見に変容している。石化の呪術を浴びたに違いない。


 藁の山に埋もれていたフェリックスが、ハオマに腕を取られて助け出された。


「これは……何という……」


 普段であれば、そうそう冷静さを失わないハオマが、掠れた声で呟き、それきり絶句した。

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