第21話 幕開けの夜は更けて ③
案内された建物は、元々労働者向けの集合住宅だったようだ。
ただ手入れの具合から見て、現在は廃屋となっている。そこに、住居を持たない若者や子供達が複数人で、勝手に住み着いているらしい。
玄関の前で、車座になって周囲を警戒している、エイダンより少し年下くらいの若者達に、ハオマが何事か話しかけた。
「……ああ、あんたらがアイザックを治してくれるっていう、魔術士?」
若者の一人が、燃えさしの蠟燭を掲げ、エイダン達の風体をまじまじと観察する。
「何だか妙な連中だな。大丈夫なのか?」
「彼が、確かな解呪の腕を持っておりますので」
きっぱりと応じたハオマに指し示されて、エイダンは照れ臭さに後ろ髪を掻きつつ、前へと進み出た。
「どうも、治癒術士です。患者さん……アイザックさんちゅう人は?」
「兄ちゃんなら、こっちだよ」
幼い声に呼ばれ、一行はドアの奥へと目を向ける。
ドアの陰からから出てきたのは、十歳にも満たない年頃の、痩せた子供だった。
「ベニー、お前は奥にいろって。危ない奴らだったらどうする」
「でも、兄ちゃんを治してくれるって」
「患者さんは、君のお兄さんなん?」
エイダンは身を屈めて、歩み寄ってきたベニーなる少年と目線を合わせた。
「うん」
「そがぁかね、心配じゃな。お兄さんは歳いくつ?」
「いくつ……? 知らない。おれ、数ってのが、よく分からないし」
ベニーは、ぽつぽつと答える。
その泣き疲れたような眼差しを見て、エイダンは我知らず、垢と土埃まみれの彼の肩口に手を添えていた。
「お兄さんは、きっと治すけんな。診せて貰うてもええ?」
「……うん」
ベニーが再び、首を縦に振る。
「そのとおり、安心してくれ! 父祖と精霊王と愛する人の名に懸けて、我々は君たちの助けになると誓おう。これを見れば分かる!」
まだ警戒の姿勢を崩さない、入り口の少年達に向けて、フェリックスが堂々と宣言し、自分の引いている荷車を指し示した。
荷台の上には、聖ジウサ・アリーナから借りてきた、簡易な造りの風呂桶が鎮座している。
少年達は荷車を見つめ、それから自信満々のフェリックスに視線を移し、ややあって、困惑した表情で顔を見合わせた。
「――見ても何も分からねえ。というか、余計分からなくなってきた。何だオメーら、風呂桶なんか引っ張ってきて」
「そういう感想にもなりましょう」
「さもありなん」
ハオマとホウゲツが、肩を竦める。
「ま、あれだよ。『ヴラダのみならずイーナンに訊ねよ』ってことわざが、シルヴァミストにはあるんだろ? こんな所で立ち話してねえで、とっとと診てやんな」
タマライの背から降りてきたラメシュに、ぽんと背中を押され、エイダンはベニーと共に、家の中へと足を踏み入れた。
◇
住宅最奥部の寝室には、古めかしい樫製のベッドが置かれ――恐らく、昔の住人が残していった物だろう――その上に石像が一つ、横たえられていた。
近づいてみると、石は少年の姿を精巧に象っている。年齢は十一、二歳程か。しかし彼もまた、栄養状態が明らかに良くないので、実年齢はもう少し上かもしれない。
「これが、石化の……地属性呪術」
慎重に、指先で石像へと触れ、エイダンは息を呑んだ。
かつて、対象を凍てつかせる水属性呪術を目の当たりにした事があるエイダンだったが、この石像からは、あの時よりも更に強固な魔力を感じる。
「こがぁな魔術、なんちゅう呪術士が……?」
「人間業とは思えません。恐らく、高位の魔物の仕業でございます」
エイダンに続いて家の中へと入ってきたハオマが、そう述べる。
「おれが見た、蛇がそれなの?」
「蛇?」
ハオマに対するベニーの問いかけに、エイダンは二人を見比べた。
「金色のシマシマがついた、小さい蛇だよ。魔物って、もうちょい大きいもんかと思ってたけど」
そう言ってベニーは、兄のアイザックと共に、街角で風変わりな蛇を目撃した時の事を打ち明ける。状況から見て、その蛇によってアイザックは石化させられたのではないか、との推察も、彼は付け加えてみせた。
エイダンは、明瞭な説明に感心する。随分としっかりした子供だ。
「エイダンは、アジ・ダハーカの名をご存じですか?」
唐突に、ハオマが訊ねた。戸惑いつつもエイダンは、彼の口にした名を頭の中で探る。
「……あ、ラズエイア大陸の歴史の本に、そがぁな名前の魔物が出てきたよ。ええと、『蛇身の悪王』……」
ここ数十年に渡って、北ラズエイア大陸の様々な小国を襲撃し、混乱に陥らせている魔物。魔杖将ヴァンス・ダラと並ぶ、最大警戒対象の一個体である――と、ものの本には記されていた。
「そうです。この患者が目撃した蛇は、かの悪王の眷属ではないかと。あれは、数百の蛇を自在に操り、奪った魔力を己の元へ集積させると聞き及びます」
「アジ・ダハーカだと!?」
「グガルルルッ」
寝室の入り口に留まっていたラメシュが、タマライと同時に、唸るような声を上げた。
「ラメシュとタマライも、テンドゥの生まれであれば、アジ・ダハーカの名はご存じでしょうね」
「ご存じ、なんてもんじゃねえ。テンドゥの隣国は、奴に荒らされて崩壊したんだぜ。未だに、オレ達の守る国境近くは無法地帯だ。叔父さんが戦死したのも、オレがこの片脚を戦場で吹っ飛ばしたのも、元はと言えば、奴が!」
ラメシュは言葉の途中で、強く唇を噛む。彼を気遣う表情で、タマライが左脇に寄り添い、ラメシュはタマライの顎の毛を撫でた。
「そがぁに怖いもんが、首都に入り込んで、この子を……」
背に冷たい汗を感じつつも、エイダンはとにかく、患者の方へと今一度、向き直る。魔物の脅威に対処するためにも、証人でもあるアイザックを、一刻も早く救う必要があった。
「こらぁ相当に強い呪術だけん、『火精の吐息』じゃ効かんかもしれん。でも、他の術じゃと俺の魔力がもう――」
「となると、僕の出番だな!」
ずいっと進み出てきたのは、フェリックスである。
「エイダンくんの魔力を、僕が補助しようじゃないか」
「えっ? そがぁな治癒術、あるん?」
消耗した魔力を、直接的に回復させる治癒術は、シルヴァミストでは未だ開発されていない、と聞いていたのだが。
驚くエイダンに、ホウゲツが傍らから解説を添えた。
「己の魔力で、対象者の魔力を補強する、という仙術が、葦原には伝わっておるのでござるよ。効果はごく一時的なものゆえ、一発魔術を放つ分までがせいぜいではござるが」
「へぇーっ、アシハラちゅうのはごうげな所じゃね」
「いやいや、得意分野の差異に過ぎぬよ……ところで現状、フェリックス殿の施術となると、多少受ける側に覚悟が要り申す」
「覚悟?」
不吉な単語を聞き止めて、エイダンはおうむ返しに問う。
しかし、何を覚悟すれば良いのかも分からないうちに、
「『ヴラダと飲むならイーナンも誘え』だ。さあやるぞ!」
と、フェリックスが高らかに告げ(何か諺を間違えていないか、と疑念が過った)、エイダンの背に両手が添えられた。
「フェリックスさん、ちょい待っ、あいでででいだぁっ!?」
突如として、肩甲骨の間から首筋、背中に至るまで、雷を浴びたような衝撃が走り、エイダンは堪らず喚き声を上げた。
後ろに立つフェリックスが、エイダンの背骨の上をなぞる形で、指と掌底をぐいぐい圧しつけているらしい。
「エー、気、すなわち西洋で言う魔力は」
ホウゲツが他人事のように解説を続ける。
「背と胸の奥まった部位に蓄積され、全身を伝わり巡ると言われており申す。この術は、伝達部分の凝りをほぐし、術者の手の平から対象者の腕へと、魔力を流し込むものでござる」
「は、はあ、ほぐれたんかなコレ……」
余計へろへろになった気分のエイダンは、ホウゲツに首を傾げてみせる。背筋の辺りだけ俄かに温度を上げたような、不可解な感触は確かにあった。
「で、魔力を君の腕に、こう流す。エイダンくん、失礼する」
「あのう、じゃけん、もうちょい覚悟決める時間をね、うあだだだ! ベアハッグ! フェリックスさんこれベアハッグ! ギブ!!」
フェリックスが、今度はエイダンの両腕を、後ろから抱え込むようにして絞めつけてくる。胴体ごと馬鹿力で挟んでくるものだから、固く絞られている最中の雑巾にでもなった気分である。
「お二方は、何をなさっているのですか」
「うえええん」
目の前の情景の見えないハオマが眉間に皺を寄せ、エイダンの叫び声に驚いたベニーは泣き出してしまった。タマライがベニーの頬を舐めて慰める。
「熟練の使い手であれば、術を受ける側に一切苦痛なく、効率良く施せるのでござるが。某も摩式仙術は専門としておらぬため、基本のやり方しか教えられず……しかし、大した才能でござるぞフェリックス殿は。もうある程度は使いこなしておられるのだから」
「そ、そうなん……」
ようやく身体を解放され、つい、恨みがましい視線をホウゲツとフェリックスに向けかけたエイダンは、そこでふと、自身の手の平を見つめた。
「ん、あれ……ほんまじゃ。魔力が戻っとる!」
全身の末端や節々から血の気が失せたような、魔力枯渇時独特の気分の悪さ。先程までエイダンを苛んでいた、あの感覚がなくなっている。
「これなら、治癒術が使える! フェリックスさん、あんがとう!」
「おお、ついに成功したんだな? やった!」
一転、揃って手を打ち合い、歓喜に沸くエイダンとフェリックスである。
「実は、最初はホワイトフェザー騎士団の患者に施術しようとしたんだが、ホウゲツに止められてね」
「……モーガンさんに? ああうん、それはやめて正解じゃと思う」
「あくまで一時的な補助であって、治療とは呼び難い術でござるしな」
闘技祭の選手相手に、迂闊にこんな痛みを伴う仙術を試されては、問題になりかねない。この際、自分が実験台にされた事は水に流すとしよう。エイダンはそのように納得し、すぐさま扉の方へと踵を返した。
「ほんなら、すぐに始めなぁじゃ! 出来るだけそうっと、患者さんを運んで貰えるかいな? 風呂桶は今、玄関じゃったよね」
小豆色のローブの腕をまくり、背に挿していたハンノキの長杖を抜く。
魔力だけでなく、体力も尽きかけていたはずだが、目の前の少年を救える見込みがついた途端、不思議とエイダンは、疲れが気にならなくなっていた。
◇
桶に張った水の中へと、石化したアイザックの身を沈める。
石化を解くなり、溺れさせてはまずい。患者の身体と風呂桶を、フェリックス達に上手く支えて貰った上で、エイダンは杖を構え、呼吸を整えた。
「賢猿の末裔よ。
山より出で、天より降り、遍く祝齎し給う、
尊き御霊よ、祖なる御霊よ……」
彼の口から紡がれたのは、教科書どおりの呪文とは異なる、この地の全ての精霊と魂への呼びかけである。
いつもの呪文と違う事に気づいたハオマが、不思議そうに耳を傾けた。彼の前でこの術を使うのは、初めてなのだ。
周りで見守っていたラメシュ達も、昼間にエイダンが何度か使った基礎魔術、『火精の吐息』とは異なる、大量の魔力放出に驚いた様子だ。
より魔術に集中するために、エイダンは水面を見つめていた両目を閉ざした。湯に伝導させた魔力によって、アイザックを捕らえる呪術の構造を解析する。
(なんちゅう酷い……)
エイダンは目を瞑ったまま、顔をしかめた。
体内に無理矢理流し込まれた、地属性の呪いと淀み。更にそこから、魔力を吸い上げられた痕跡。少年が本来持つ生命力は、かなりの衰弱状態にある。解呪と同時に、可能な限り活性化させなければ危険だ。
この呪文ならば、きっとそれが出来る。
「……無辜の定命救うべく、
ここに皆々の、御力を顕したまえ。
汝が誉れを称揚せん、
汝が永久の安寧を願わん、
我が身四十四に割いて、六臓六腑、並びに血と皮を捧げん……」
呪文の最終段階で、魔術発動に際して精霊に捧げる魔力量が決定される。身体の内側から、膨大な魔力が失われるのが分かり、エイダンは目の回るような感覚に襲われた。フェリックスからの補助がなければ、とても意識を保っていられなかっただろう。
「……『祝炎あれ』!」
エイダンは目を見開いた。狙うは、アイザックにまとわりつく呪いの中心部。
桶の水の温度が急上昇し、湯気と共に、色とりどりの火花が周囲に沸き上がった。
火花はアイザックの胸部の一点へと収斂し、呪術の作用を打ち消していく。ややあって、少年の皮膚を覆っていた石が、湯の中に溶け出すかのように薄れていった。
――完全に石化が解除されたのを見届けて、エイダンは緊張のために勝手に止まっていた呼吸を、思い切り再開した。
「――ぷはっ、はぁっ、成功したっ」
杖を支えにしても立っていられず、その場で膝を折る。ラメシュとタマライが、両側から助け起こしてくれた。
「兄ちゃん……!」
傍らで固唾を呑んで立ち尽くしていたベニーが、兄の元へ駆け寄る。呼びかけの声に応じるように、アイザックの瞼がぴくりと動いた。
「う……ベニー……? なんだ、これ……風呂?」
まだ上手く回らない舌で、アイザックはのろのろと呟く。その首に、ベニーが泣きながら飛びついた。
「兄ちゃん!」
「わっ、何だようベニー、泣いてんなよ。……え、何、誰……?」
弟の頭を撫でながらも、戸惑い気味に、周囲に集まった面々を見回すアイザックである。
何故か突然湯を張った風呂桶の中で目覚め、見知らぬ怪しげな大人達に取り囲まれているのだから、混乱するのは当然だろう。
「状況説明は、他の子供達からなされた方が良いかと存じます。我々は一旦、退出しましょう」
ハオマが一行に呼びかけ、続けて、エイダンの傍へと歩みを進める。
「エイダン、貴方には――心より、感謝と敬意を表します」
「……ええよ、そんなん。今回のはフェリックスさんのお陰じゃろ。ちょい痛かったけど」
急速に訪れた眠気のために、力の入らない頬の筋肉をどうにか持ち上げて、エイダンはハオマに、笑顔を返してみせた。
「幕開けの夜は更けて」編はこれにて一段落です。
☆☆評価・ご感想お待ちしております☆☆




