『日常』を取り戻して
ある日突然、別次元の宇宙にある地球に転移したオレ。
多元宇宙理論。
簡単に言うと宇宙は無限に存在していて、そこに存在するものは全て同じだ、という理論。
しかしその中には歴史から逸脱した宇宙も存在しており、逸脱したその瞬間に全ての生命に『全知創世の書。』というものが刻まれる。
そうして宇宙の真理に触れるのだが、その根幹にある『全知創世の書。』がどうして生まれたのかは解明されていない。いや、もしかしたら解明された宇宙もあるのかもしれない。しかしオレが転移してきたこの地球では未だそれは謎とされている。
またオレのように次元を超えて別の宇宙の同じ地球に転移してきた者は『ラビリアン』と呼ばれ、高頻度で現れるらしい。
転移の謎も解明されておらず、転移することが分かっているのみである。
2005年7月31日、オレが転移してきてから1週間が過ぎた。
今日は朝から久しぶりに(前の地球から考えると10年振り)に大学のサークルに顔を出してみた。ラビリアンの存在を皆知っている状況で引きこもる方が不自然だ。近藤にも誘われたし足を向けてみよう。
サークル棟北2階中央、漫画研究部とアニメ研究会と間にある20畳ほどの部屋。懐かしい光景だ。散らかった部屋の隅に各々の楽器が置いてある。
今思えばなんといい環境なのだろうか。
引きこもっていた頃に散々お世話になった2つに挟まれているのだ。
そういえば2期放送決定したアニメ見たかったなぁ。この地球であと13年したら見れるのだろうか。
なんてことを考えていると部屋の扉が開いて女性が1人入ってきた。
「あ〜!来たんだぁ!近藤くんから聞いてるよぉ。転移してきたんだって?そっちからしたら何年振りになんの?てか覚えてるよね?」
もちろん覚えている。この人にどれだけ振り回されたか。
「安達さん、だよね?」
「めちゃくちゃ他人行儀じゃん。ていうか忘れてない?私、先輩なんですけどぉ?」
肝心なところを忘れていた。いや、中身は32歳なんだから年下のつもりで話してしまった。今の状況では1個上の先輩だ。
「あー、すいません。色々混乱しちゃってて。」
「改まっちゃうのかわいいね。」
そういうと安達さんはくすりと笑った。この笑顔に何人もの男が虜にされたことを思い出した。
「敬語じゃなくていいよー。ラビリアンなんだから年下になるのは当たり前なんだからさぁ。」
そう言いながら安達さんはカバンを棚に置いた。その一部始終を目で追ってしまったことをオレはすぐに後悔することになる。
「なにぃ?若い女の子と話すのは久しぶり?もしかして中身めちゃくちゃおじさん?」
そう言って安達さんはまたくすりと笑った。
「おじさんじゃないし。32だよ。まぁ今は19ってことになるんだけど。」
会話の主導権は全て向こうだ。きっと徐々になれるとかそういうことは無いはずだ。これまでもこれからも安達さんはこういう人だ。
「ていうか私さ、ラビリアンの人と会話すんの初めてなんだよね。大学にも何人かいるみたいなんだけど接点なくてさぁ。だから仲良くしてよね。」
そのセリフにかわいらしいウインクが添えられた。いつの時代だよ、なんてことはこの状況では通じないだろう。そして少しだけかわいいとさえ思ったことに後悔を覚えた。
「ねぇねぇ、元の世界のこと教えてよ。私の未来とかさ。」
知るわけもない。安達さんが卒業してからは連絡も取らなくなり、オレも引きこもって番号変えてからは大学時代の仲間たちとも疎遠になったのだから。
「安達さん、なんか結婚して幸せそうでしたよ?」
シレッと嘘を付く。
「そっかぁー、知らないのかぁ。」
秒でバレた。
「えっ?なんで?」
「だって敬語なってるし。」
「いや、間違えて。」
「視線泳いでるよ?」
安達さんはこちらを見てニヤリと笑う。いつの時代も綺麗な人のこの笑顔は小悪魔だ。
「すぐバレるんだね。」
「だって嘘つく癖はおんなじだからねぇ。さすがラビリアン。」
またくすりと笑う。このままだとオレはなにか大切なものを失ってしまいそうだ。話題を変えよう。
「安達さんは元気してた?」
そう言うと今度は声を出して笑い始めた。
「ちょっ、やめてよね。シュール過ぎるって。」
安達さんの笑いは止まらない。オレは唖然として安達さんを眺めていた。
「はぁ~笑い死にするとこだったわぁ。今のラビリアンジョークで使えるね。」
そうだ、元々のオレにしてみたら10数年ぶりでも安達さんにとっては数日ぶりだ。中身は関係なく顔は後輩のオレで、タメ口で話している。
これから先、懐かしい人に会うだろうから参考になった。
そのあと20分ほど2人だけの会話は続いた。
「ちぃーす!あっ、やべっ安達さん!」
2人の時間を終わらせたのは竹内だった。
「あらあら竹内くん、一昨日はどうも。」
安達さんがくすりと笑う。この笑い方をする時はからかう時だとさっき学んだ。次の標的は竹内のようだ。
「竹内くん?それともお兄ちゃんって呼んだ方がいいのかな?」
今度はニヤリと笑う。あぁ竹内、何をしでかしたのだ。
「ちょっと、それはほんとに勘弁してくださいって。一昨日は酔っててつい。」
「つい、私に上目遣いでお兄ちゃんって呼ばれたいって言っちゃった?」
竹内が分かりやすく慌てている。それを見て安達さんはやはりくすりと笑っている。どうやら男は例に漏れずにこの人に遊ばれる運命でもあるのだろうか。
「アニメの影響ですって!」
「あれぇ、あの時言ってたアニメって主役同士付き合ってなかったけ?」
「いや、ヒロインの子みたいな妹が欲しいって話したじゃないですか!」
「妹とこの星で一番最後のラブストーリーすんだっけ?」
「しませんって!ていうか妹とって言うと現実の妹の顔出てくるからやめてくださいって。」
安達さんは竹内を責め続けている。
「へぇー、かわいいの?」
「俺の妹があんなに可愛いわけがないじゃないですか!」
竹内の完敗だ。安達さんはとても楽しそうな顔で竹内を責め立ててした。触らぬ神に祟りなしならぬ触らぬ悪魔に災いなしだ。
それからしばらくして近藤と数人が入ってきた。
「なんか竹内の叫びが響いてたぞ?」
「近藤ぉー!助けてくれよぉー!」
「安達さん相手は無理だ。骨は拾ってやる。で、安達さん、こいつ何やらかしたんすか?」
火に油を注ぐつもりなのか、近藤がなにやら不敵な笑みを浮かべ安達さんに近付いて行った。
「聞きたい?仕方ないなぁ、そこまで言うなら教えてあげる、こいつ一昨日酔った勢いでね、、、」
竹内が止めようとしたのも遅かった。
「私に天使が舞い降りたって言うのよ。」
ついに事実が捻じ曲げられてしまった。そういえばそうだった。安達さんの前で何かをやらかしたら安達流に改変されて広がるのだ。しかも止めようにも、やらかしたことを言わなければならないという地獄付きでだ。巧みな話術でも持ち合わせていない限りは逃げられない負の連鎖に落ちてしまう。これから先気をつけなければ。
竹内が安達さんの餌食になったところで話は一区切りし、近藤と一緒に部室にきた羽島がせっかくだからジャムでもしようぜと言い出した。
そうだ、ここは音楽サークル。一応本格的なジャズをする所だった。
「オレ、10年ぶりくらいだから見てるわ!」
さすがにまったく楽器に触っていないのだから弾けるわけもない。ここは見ているしかないだろう。
「コードだけでいいよー。リズム刻んでたらなんとかなるからね。」
安達さんがくすりと笑う。今度は裏がない。屈託のない魅力的な笑顔。この使い分けがこの人の魅力なんだろう。
「久しぶりに俺の指さばきでも見てろよ。」
近藤がドヤ顔でこちらを見て言った。
懐かしい空気がオレを包んだ。幸せだ。これなら転移だって悪くないかもしれない。元に戻れなくてもここで新しい人生を送るのもいいんじゃないか、そこまで思えるほど楽しい時間が過ぎていった。
オレは少しづつ昔のことを思い出していく。