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記録  作者: フレッド松亭
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映画の魔法

世界で初めてスクリーンに活動写真を映したのはリュミエール兄弟であった。1895年12月28日の土曜日の午後6時半、パリのグラン・カフェの地下に集まった人々は、その歴史的上映を目の当たりにしたのである。


マクシム・ゴーリキーはその日のことをこう語る。「突然真暗闇に包まれた。すると眼前一杯に汽車が迫り来たのである。我々に向かって猛突進の如く。危うし!誰もがその場を逃げ出したかったことであろう。我々は将に血肉飛び散りたる骨剥き出しの死体になるところであったのだ」


シネマトグラフと名づけられたそれが、当時の人々にとってどれだけ衝撃的な体験であったことか。後に大きな芸術分野として花開く映画はその処女作から大きな驚きを持って迎えられた。


その日はジョルジュ・メリエスもグラン・カフェに足を運んでいた。当時のメリエスは舞台の奇術師として名が知られていて、アントワーヌ・リュミエール(兄弟ではなく父親)からの誘いを受けていたのだ。


メリエスはこのシネマトグラフの上映に駆けつけ、人一倍の興味を持って絶賛し、自らこの装置を購入したいとアントワーヌに申し出た。しかしアントワーヌはこの装置を売ることは出来ないとメリエスに言うのであった。そしてそれはメリエスの為でもあると付け加えるのである。アントワーヌはシネマトグラフが大衆に受け入れられるのはほんの少しの間だけであると考え、次第に人々は興味を失っていくと思っていた。だから奇術師として名だたるメリエスを腐らせたくは無かったのだ。皮肉なことに、映画の発明者であるリュミエールは映画に否定的であったのだ。


後の世に於いて、広くリュミエールはドキュメンタリーの祖、メリエスはフィクションの祖であると言われている。私も初めて彼らの映画を見た時には同意見であった。ルネ・クレールですら、リュミエールは「リアリスティックな映画の先駆者」であり、メリエスは「フィクションと詩的自由をもった映画を創造した」と述べている。


しかし興味深いことに、ただ一人ジャン・リュック・ゴダールだけは真逆の立場を論じているのである。彼曰く、リュミエールは同時代のピカソとかマネとかルノワールとかといった画家がキャンパスに向かうのと同じように、駅を描き、工場の出口を描き、カルタ遊びをしている男たちを描き、列車を描く、画家であったのだ。一方メリエスの作品は、「月世界旅行」など多くフィクションだとみられるが、「エドワード七世の戴冠式」は当時のニュースともとれる作品であり、それは月世界旅行にも当てはまる。当時の人々にとって、月へ行くということは物語であるというよりニュースであったのだ。ここに於いてもやはりメリエスは奇術師であり、彼の人々を驚かす作品を作るということが、今日のニュース映像に等しいという見方ができるのである。そして世界初のポルノシーンを撮った「舞踏会の後の入浴」といった、ドキュメンタリータッチの作品も現に存在するのである。


またリュミエールが最初に上映した作品の中に「水をまかれた水まく人」というものがある。これは花に水をやる老人が、少年の悪戯によって逆に自分に水を浴びせてしまうといった内容の喜劇である。この作品にはルネ・クレールも「喜劇映画の元祖」であり、「純粋に映画的認識から生まれたもの」だと認めている。

リュミエールは人々の生活を撮ったドキュメンタリー的要素の他にも、喜劇作品も多く撮っていたのである。そしてリュミエールは後のヌーヴェルヴァーグにまで大きな影響を持ち続けるのである。

リュミエールとメリエスは共に偉大な映画作家である。やはりリュミエールが残した最大の功績は映像をスクリーンに映し出すシネマトグラフの発明であり、メリエスはその映画的な表現技法である。

メリエスの作品は、自らの絵画的手腕と独創性を活かした背景とセットが特徴的だ。奥行きのある背景に立体的に見える小道具を組み合わせ、穴から煙を出すなどの細工も施すことにより、時に背景は本物に、演者は背景に、その境界を超えた世界を見る者に錯覚させるのである。私も何度騙されたことであろうか。月世界旅行で顕著に伺えたが、メリエスの絵は遠近法を度外視しながら信じられないほどの遠近感を生み出しているのである。

またメリエスの作品で欠かせないのは、多重露光やカットを割って瞬間移動を見せるといった映像的な表現技法である。流石メリエスは舞台見世物師であっただけあり寸分の狂いのない演技ができる。その一体感は今日からしても質が高く、正しく当時の人々はそれを魔術と受け取ったことであろう。

彼の多重露光を活かした作品で名高いのは「一人オーケストラ」である。この作品は、文字通りメリエスが一人でオーケストラをやるのだが、トランペットを吹くメリエス、バイオリンを弾くメリエス、ギターを弾くメリエスなどと一人づつ増えていくのである。同一人物が何人にも分身していくというのは一体どういうことであるか。これはフィルムならではのギミックで、一度カメラのクランクを停止し、もう一度フィルムに焼き付けるというのを繰り返す多重露光という技法である。この技法はメリエスのトリックの中でも最も精錬された技術であると言え、メリエスがこの技術の生みの親と言っても過言では無いが、後に多用される二重露光による撮影と比較してもその自然的な幻想感には目を見張るものがある。特に一人オーケストラではメリエスは7人にまで増えるのであるが、時々隣のメリエス同士で談笑したりするなど、その前に自分が演じたメリエスを頭の中で再現して演じなければできないことである。

このメリエスの一人オーケストラは、後にバスター・キートンによって素晴らしくオマージュされた。

「キートンの即席百人芸」でキートンは奏者だけでなく、観客にまで分身するのである。中にはおよそキートンとは似ても似つかない女性貴族の演技をする分身もあり、無表情に徹したキートンとしては珍しい一面が伺える作品である。しかしキートンの演技は巧みで、癇癪持ちで初老の女性貴族の観客の演技は正しくそれであった。奏者が一斉に手を上げたりするなど明らかにタイミングを合わせる動きを完璧にこなしており、全く自然であった。また観客の会話風景も寸分の狂いがなく、彼のユーモアはこぼれることなく驚きと共に運ばれるのである。

バスター・キートンは私の最も好きな喜劇映画作家である。彼の無表情と葉茶目茶なアクションが繰り出すコメディは、常に驚きを持って伝わってくる。それはユーモア的なアイデアだけでなく、撮影や表現技法も然りである。キートンの面白さである所々の発想には毎回楽しませられ、それはキートンが不満足から公開を見送った処女監督作である「キートンのハイ・サイン」からも十二分に伝わってくるのである。また先に述べたメリエスだけでなく、G.W.グリフィスやセシル・B・デミル、エリッヒ・フォン・シュトロハイムといった無声映画の巨匠へのオマージュを巧みに演出に取り入れている。「キートンの西部成金」では「散りゆく花」のリリアン・ギッシュの儚い笑いを演出に組み込んだり、「キートンの北極無宿」では「スコゥ・マン」のような雪の積もる西部を舞台にウィリアム・S・ハートを揶揄したり女性がシュトロハイムの幻影をみたりするなど無声映画のネタとしても楽しめる要素が多くある。

またキートンは自殺未遂ネタも滑稽に取り入れており、「キートンのハード・ラック」「成功成功」「キートンの電気屋敷」にそのシーンを伺える。

またキートンの作品は構図、撮影ともに目を見張るシーンが多く、「キートンの騒動」では大勢の警官に追われるキートンを見事に引きのショットで撮っていた。「キートンの空中結婚」ではキートンが気球に乗るわけであるが、その気球が墜落する様などは特撮も素晴らしかった。

そして特筆すべきは「キートンの鍛冶屋」に於ける演出である。本作ではそれまでに無かった、くるっと回ったり、帽子がひとりでにひっくり返ったりすることで驚きを表現する演出が見られ、私は真にコメディ映画は更なりサイレント映画が精錬されているのを実感した。また本作では巨大磁石に引きつけられる金物など勝手に物が動くという描写が多く、撮影の工夫は計り知れない。

ジョルジュ・メリエスの影響は、何もキートンばかりではなく、遡るエドウィン・S・ポーターでさえメリエスの上映に大きな影響を受けたと語っているのだ。そして最もメリエスの影響を受けたであろう者はトーキーの黎明期からその脚光を浴びるルネ・クレールである。

ルネ・クレールの「奥様は魔女」では煙の効果が多用され、それは実にメリエスが多用していた用い方なのだ。

ルネ・クレールは初期にはダダイズム的な映画を撮っており、処女作の「眠るパリ」はスローモーションを多用した実験映像でありながら、SF要素を含んだフィクションであり、文字通り時間の止まってしまったパリの世界に陶酔してしまう映画である。続く「幕間」では、ダダイズム芸術家総出演のかなり実験的な作品であり、またスローモーションを多用したり、踊るバレリーナを真下から映したりなどしている。その一方で、ラストシーンでは杖を持った魔術師のような人物が周りの人を一人づつ杖で指して消していく。そして遂には自分をも、静かに消えていくのである。私はこれを見た時に、そのすーっと消えていく心地良さに強く惹かれてしまった。そして、この時初めて、メリエスの作品から自分はその魔法にかけられていたのだと気づいたのである。驚くことに、私はルネ・クレールによって、ジョルジュ・メリエスの素晴らしさに感化されたのである。この体験は私の一生に残る映画体験になるであろう。

ここまでメリエスを中心に映画史を紐解いてきた。彼の作品が持つ驚きや芸術や笑いといったものは今日にも受け継がれている。彼は映画を通して世界に永遠の魔法をかけたのであろう。

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