静かな湖畔の森の陰から
-1-
大樹に囲まれた静かな泉を見つけたので、ここで夜を明かすことにした。
巨樹と呼ぶにふさわしい、ひときわ大きな木の根元が虫食いで洞になっていたのでそこを寝床に決めた。
「ゆっうべ父ちゃんと寝た時にゃ~、っと」
艶歌をうなりながら火打石と火口で枯葉に火をつけ、燃え上がったところで拾ってきた小枝をくべる。
歌についてはツッコミ無用。
マントでばさばさと煙を洞の中に送り込み虫を追い出す。中が煙くなるけど、これをやるのとやらないのとでは気分が違う。
寝てる間に口の中にカマドウマとか入ってきてうっかり咀嚼しちまったらヤだし。
夕暮れの中、あぶった干し肉をもぐもぐと咀嚼しながら考えるのは、先日出会ったレイシーンたちのことだ。
あまり根掘り葉掘り聞くのもアレなので、さらっと流す程度で聞いたのだが、どうやらここは本格的に異世界らしい。
まぁ、今更ここが地球だといわれても、このナリ(虎男)では困るんだが。
このナリで人間社会に出たらUMAか珍獣扱いだよ。
……こっちの世界でも似たようなものらしいが。
とりあえず今は雪を避けて南下を続けるしかない。
幸い今いるアルム大陸は、中熱線(赤道)を通り越してさらに南にまで広がっているそうなので海に出て南下を断念、なんてことにはならないそうだ。
ただ、中熱線に近づくにつれて人口密度が上がり、それに比例して嫌獣人感情が強くなるってのはちょっと問題かもしれない。
そうでなくても怖がられているのに、これ以上嫌われたら取り付く島もなく殺されるかもしれん。
今でも似たような状況だってのに。
となると、やはり大きな街の近くは避けたほうが無難か。
レイシーンに簡単な言葉を教わったとはいっても楽観視はできまい。
とにかく、人間社会に潜り込むのに何か手段を考えなければ……。
そんなことを考えているうちに眠気がやってきたので、持参していた毛皮を洞の中に敷いてごろりと横になった。
-2-
〈……て…………きて。起きてったら〉
誰かに揺すられる感覚がして目を開けたら、目の前に裸のエルフがいた。
うわーお、これなんてエロゲ?
〈あ、起きた。でもえろげ? ってなに?〉
ああ、この感覚は念話か。となると考えることがそのまま行っちまうわけだな。
《誰だお前さんは……と言いたいが、その前になんか羽織れ。見てるこっちが寒くなる》
整った顔と、見事な凹凸のある肢体から強引に目を引っぺがして荷物を漁る。確か荷物に布があった気がする。
正直に言えばもっとしげしげと見たいんだが、そうしたらエロい妄想がだだ漏れになって色々とよろしくないので。
〈あたし?あたしはこの樹の精霊よ〉
〈そういうあなたは暖かそうね〉
《全身ふっさふさだからな。ほら、これを体に巻いとけ》
荷物の底のほうから引っ張り出した、手ぬぐい兼バスタオル代わりの長い布地を放り投げる。
〈あたしは精霊だから服は着れないわよ?〉
ナンテコッタ。
目のやり場に困るじゃないか。最低限の所は木の葉っぱで隠れているが、ぶっちゃけ眼の毒だ。
《で、樹の精霊が俺に何の用だ? このフクロウが欲しいならやるぞ》
はい、実は荷物にススキのフクロウを一つぶっさしてます。手すきの時にちょちょいと作ったやつをね。
〈それは森梟ね。へぇ、綿箒の草でこんなのが作れるんだ〉
樹の精霊は面白そうにフクロウをつついた。
〈でも違うの。あなたから土の精霊の気配を感じたのよね〉
《土の精霊……ああ、これか》
そういって財布から土の精霊石を取り出して見せる。ススキのフクロウと引き換えに手に入れた品だ。
〈そう、それ。珍しさに惹かれて見てみたら、見たこともないイキモノのあなたがいるんですもの〉
《樹の精霊でもこの姿は見たことがないか》
〈獣人は時々見るけど、あなた程獣よりなのは見たことがないわ〉
《んなこっちゃねぇかと薄々感じてたけどな。で?出てきたのは珍しさのためだけか?》
〈ううん。ちょっとお願いがあってね〉
《俺にできることならな。まずは話を聞こうか》
そういって座りなおす。
〈簡単に言うと、依り代になってほしいの〉
・
・
・
はい?
〈今までこの木を依り代にしていたんだけど、もう寿命なのよね〉
イマイチ理解できてない俺をよそに、樹の精霊が話を続ける。
《寿命?》
〈虫に食われてね。根元にこんな大きな洞があったんじゃ、そう長くはもたないわ〉
樹の精霊はそういうと、壁の幹に軽く爪を立てる。それだけでぼろぼろと木くずが零れ落ちた。
《なるほど》
言われてみればもっともだ。自重もあるし、強い風が吹いた日には根元にかかる圧力は相当のものだろう。
〈自然にくたびれて土に還るのが宿命と思っていたし、それを良しと思っていたけど ……昔聞いた歌が忘れられないのよね〉
〈ここ、時々旅人が夜を明かすのよね〉
〈そんな時に彼らが奏で、歌った歌があるの。小鳥の歌とも、木々が風にざわめく歌とも違う、独特の歌〉
〈その歌を聞いてあたしは、この森じゃないどこかの景色を思い浮かべたわ〉
〈あたしはね、この森の外の世界を見てみたいのよ〉
〈それにあなた、聞いたこともない歌を歌ってたでしょ?〉
聞かれていたのか。ハズカシー。
それと外の世界を見たいという気持ちは実はよくわかる。かくいう俺も人間だったころは旅好きで、車に寝袋その他を積んであちこち出歩いたものだ。
しかし、だ
《それに対する俺のメリットとデメリットは?》
無条件で受け入れるほど、あいにく人間できてない。これを聞くくらいは許されるだろう。
〈めり……?でめ?〉
《えーと、恩恵と代償って意味だ》
〈ああ、なるほどね。どこにいても樹の精霊魔法が使えるようになるわ。森で生きてるあなたには結構重要じゃなくって?〉
《まぁ、そうだな》
〈それにあたしも戦えるしね。魔法にはちょっと自信があるわ〉
《なるほど、理解した。だが依り代ってのはそう簡単になれるもんなのか?》
〈あ、それは大丈夫。眠ってる間に試してみたから〉
・
・
・
はい?
〈器が合わないと死んじゃう時もあるんだけど、今もこうして生きてる!だから大丈夫!!〉
満面の笑みで答える樹の精霊。
《さらっと危ない橋渡らせてんじゃねぇよ!器とやらが合わなかったら、このままこの木の肥やしになるところだったじゃねぇか!》
〈あたしはそれでも構わないけど〉
《俺が構うんだよ。はぁ……デメリットについてはよく解った。お前みたいのが四六時中ついてくるってことだな》
ため息をついて、残っていたリンゴ酒もどきを少し口に含む。
むぅ、だいぶ味が落ちてきたな。
〈なに?それ。水じゃないわよね?〉
興味を持ったのか、樹の精霊が訊ねてくる。
《これか、まぁ手慰みに作った酒みたいなもんだ》
〈酒?〉
《飲んでみるか?本物に比べると味は落ちるけどな》
〈うん〉
樹の精がうなずいたのを見て、リンゴ酒もどきの入った水袋を手渡す。
透けてる割にはモノは受け取れるんだな。
〈あ、美味しい〉
そう言ってくれるのは嬉しいね、なんて思ってたらいきなり全部飲み干しやがった。
〈もうないの?〉
って、ああ……俺のしばらくの間の楽しみが。
《残念だがそれで終わりだ。また作るか……街に行けば手に入るかもな》
〈へぇ、自作なんだ〉
《つっても絞って放っておくだけだけどな》
〈ふぅん。この味は赤アプレの実ね。この時期はもうないのよね〉
まじか。それで最後か。
《この時期に採れる果物とかってあるか?すっぱくても構わん》
〈果物ねぇ……この時期はないのよね〉
《じゃあ諦めるか》
〈えー、なんとかなんないの?〉
《材料がないことにはな》
〈街に行ったら手に入る?〉
《わからん。同じものが売ってるかどうかは未知数だな》
空になった水筒を受け取り、振って見せる。多分酒としての形では売ってないとは思うが。
〈となると、当面の目標は人間の街に入ることね〉
《そういうこった》
水筒を荷物にしまいながら答える。
《だがそれがなかなかの難問でな、今のところ巧く行ってない》
〈なんで?〉
《この風体だからな。どうも俺は人間の間じゃ魔物扱いらしい》
〈あらお気の毒〉
《誤解を解こうにも言葉が通じなくてな》
〈あたしとはこうして話せているのに?〉
《これは念話っつって精霊使いにしかできん話し方らしい》
〈じゃあ、精霊使いを探せば……〉
《それも、巧く行ってない。巡り合わせか数が少ないのか、旅を始めてこの方、精霊使いに会ったのは1回だけだ》
〈じゃあ、その人についていけばよかったじゃない〉
《事情があってな、のこのこついて行ける雰囲気じゃなかった》
〈……結構、行き詰ってる?〉
《割と》
〈じゃあ、あたしが出て話をすれば〉
《余計ややこしくなるから勘弁してくれ》
裸のエルフと推定魔物がいたら、どう見たって修羅場じゃん。そこで落ち着いて話を聞こうってことにはならんだろ、普通。
《それにだ、お前さん、精霊使いでない普通の人間と意思疎通できるのか?》
〈……それもそうね〉
それを聞いて俺は思わず天を仰いだ。なんだろうこの微妙に困ったちゃんは。
もしかしてこの先ずっとこんな調子なんだろうか。
見た目が良くてナイスバディなだけに残念さが際立つというか……
〈なんか失礼なこと考えてない?〉
樹の精霊が四つん這いになってにじり寄ってきた。近い近い。胸が両腕に挟まれてむにゅんと形がゆがむ。
《いや、別に》
目を閉じて一つ息をつく。
《そういやお前さん、名前は?》
〈名前?樹の精霊にそんなものないわよ。名前つけてくれるの?〉
《いちいち樹の精霊とか呼ぶのもぶっちゃけ面倒だ。つーわけで…………イツキ、でどうだ?》
〈イツキ?〉
《俺の故郷で樹木をあらわす単語だ。ちと安直だが》
〈イツキ……ちょっと変わった音だけど、いい響きね。それでいいわ〉
〈というわけで、よろしくね寄主さま〉
《おう。それと俺はダイゴってんだ。発音しにくいみたいだからディーゴで構わん》
……扶養家族ができました。