料理教室とカジノでの交渉
-1-
翌日、少し早めに朝食を終えた俺は、昨日の約束通りユニを連れて石巨人亭に顔を出した。
「おはよっす」
「おはようございます」
両開きの扉を開けると、亭主と娘さんが出迎えてくれた。
「おはようさん。来てくれたか」
「おはようございます。ディーゴさん、ユニさん。今日はわざわざごめんなさいね」
「いえ。でも私の料理でいいんでしょうか。家庭料理の域を出ないんですけど」
「毛色の違った料理を、ってことだから構わないわよ。じゃあ、さっそく始めてみる?」
「そうですね。品数をいくつか考えてきましたので、始めちゃいましょう。じゃあ、厨房失礼しますね」
そう言ってユニが厨房に入る。俺はカウンターで待機だ。
「じゃあまず、うちでよく使うヨーグルトのソースからお教えしますね」
「ああ、頼むよ」
「ディーゴ様、持ってきたヨーグルトをください」
「あいよ」
ユニに言われて、無限袋から壺に入ったヨーグルトを出す。
「ヨーグルトだったらうちにもあるけど?」
「これはちょっと手を加えてあって、昨日のうちに笊に入れて3時間ほど水切りしたヨーグルトなんです。ちょっと食べてみます?」
ユニに言われて、亭主と娘さんがそれぞれ口にする。
「うわ、このヨーグルト濃い。水切りしただけでこんなに変わるの?」
「ええ。これをクリームチーズの代わりに使うのもありですよ?」
「なるほど」
「では、この水切りヨーグルトをこの分量くらいに塩を小さじ半分と、すりおろしたニンニクひとかけ分を入れて、よく混ぜます」
「ヨーグルトに塩とニンニク……?」
「はい。これでできました。基本になるニンニクヨーグルトです」
「これで出来上がり?へぇ、こういう味になるんだ」
「じゃあ、これを使った料理を何品か作りますね」
ユニがそう言って焼きナスとトマト、キュウリのサラダ、茹でインゲンのニンニクヨーグルト和え、ニンジンとヨーグルトのディップ等をぱぱぱっと作ってみせる。軽く火を通す以外は混ぜたり和えたりするだけなので手早い。
この辺りになると、興味をそそられた居残り冒険者たちが何事かと様子を見に集まってくる。
「オヤジさん、その娘は?」
ユニを見たことがない冒険者の一人が質問してきたので、代わりに俺が答える。
「俺んとこの使用人のユニだ。目新しい料理が欲しいってんで教えに来た」
「そうだ、人数分はないがお前らもちょっとつまんで感想教えろ。それ次第ではメニューに加えるから」
亭主がそういうと、集まってた冒険者どもが一斉に料理に手を伸ばした。
「じゃあ、次はドルマっていう詰め物料理をお教えしますね。麦のピラウだとちょっと時間がかかるので、今回はひき肉にします。これにもニンニクヨーグルトが合うんですよ」
冒険者どもが美味い美味い珍しいと騒ぐ脇で、ユニが次の料理を作り始める。定番のピーマンのドルマだ。
「ほう、ピーマンの肉詰めだが、それを茹でるのか」
「はい。ピーマンを二つに割らずに丸ごと器にするのがうち流なんです」
「ユニちゃん、もうちょっとこう、ガツンとした肉料理ってないかな」
料理をつまんでいた冒険者の一人が注文を出す。
「じゃあ次は、ひき肉の揚げキョフテっていう揚げた肉団子料理を作りますね」
ムサカというグラタンに似た料理の仕込みを亭主に説明しながらユニが答える。
「ユニさん、野菜だけの料理ってあるかしら。あたし、肉とかヨーグルトって駄目なの」
「でしたらジャガイモのキョフテと、お茄子の野菜詰めがいいですね」
そういって菜食主義のエルフの注文も難なくこなす。
「お前らあまり注文出すな。今は俺が料理を習ってるんだぞ」
「いやでも美味いよ?これ。もうさ、いっそのことユニちゃんここで雇ったらどうだ?」
出来上がったばかりのピーマンのドルマをぱくつきながら、とんでもないことを言うやつがいる。
「それは俺が困るから勘弁してくれ」
とは言ったものの、他の冒険者からもユニに注文が相次ぎ、結局ランチタイムまで時間がずれ込むことになった。
「じゃあ、俺はこれから出かけるから、オヤジさん、娘さん、ユニをよろしく」
「あいよ」
「わかったわ」
「ディーゴ様、行ってらっしゃいませ」
3人と冒険者たちに見送られて、石巨人亭を後にした。
-2-
さてと、やってきました会員制カジノ。
正直気は乗らないが、俺の名誉挽回のためだ、仕方ない。
カジノの入り口であるセオドリク商会の倉庫につくと、脇にいる警備員のおっちゃんに符丁を見せた。
「うん?まだカジノは営業前だぞ……って、あんたは確か」
「先日ここの門番として世話になったディーゴだ。支配人のトバイさんへの取次ぎを頼めるかな」
「支配人にか、約束はとってるかい?」
「いや、約束はしてないんだ」
「だとしたら会うのは難しいな」
「そこをなんとか。トバイさんが会わないというなら諦める。とりあえずディーゴが来たとだけでも伝えてくれないか」
「わかった。でもあまり期待するなよ?」
「ああ」
警備員は一度扉の中に引っ込むと、すぐに戻ってきた。
「中の者に言伝を頼んだ。ちょっと待っててくれ」
「わかった」
しばらく待っていると、扉が開いて中からもう一人顔を出した。
「どうだった?」
警備員がきくと
「支配人が会うそうです。案内してくれ、と」
「へぇ」
警備員は意外そうな顔をすると俺に向き直った。
「だそうだ。じゃ、中に入ってくれ」
「あいよ。手間かけさせてすまんな」
「なに、これも仕事のうちだ」
職員に先導されて支配人室に向かう。まぁ一人でも支配人室には行けるのだが、今の俺はもう部外者だ。
防犯の面もあるだろうと思って素直についていった。
支配人室の重厚な扉の前につき、職員がノックする。
「支配人、ディーゴさんを案内してきました」
「そうか、入ってくれ」
職員が扉を開け、一歩下がって一礼する。俺も職員に会釈を返して中に入った。
「失礼します」
「おお、久しぶり……というほど時は経ってないな」
中ではトバイ氏が何か書類仕事をしながら声をかけてきた。
「悪いがちょっとこの書類が終わるまで座って待っててくれ」
「ディーゴ様、どうぞこちらに」
美人秘書に促されてソファに座る。
「お待ちの間、こちらをどうぞ」
「ありがとう」
水で割った葡萄酒を受け取り、礼を述べる。
しばらく無言の時間が過ぎ、書類仕事を終えたトバイ氏が秘書に書き上げた書類を渡した。
秘書はそれを受け取って一礼すると、部屋から出て行った。
「よく来たな、早いじゃないか」
トバイ氏は機嫌良さそうに対面のソファに腰を下ろす。
「まぁなんとなく察しはつくが、一応用件を聞こうじゃないか」
「ええ、実は……厚かましいのを承知でお願いに来ました。そちらの都合のいい日に、また剣闘士ショーに俺の試合を組んで頂きたいんです。今度は王者ではなく実力の近い相手と」
「ふむ、理由を聞いてもいいかな?」
「前回の試合で、大勢の前であっけなく負けたせいで俺の評判がガタ落ちなんですよ。みっともない話ですが、他の冒険者にメッキが剥がれたとか噛ませの虎とか陰口を言われる始末で」
「そうか……それは災難だったな。それで、名誉挽回のためにまた試合がしたい、というわけか」
「そういうわけです。冒険者稼業も面子の商売な所がありますから」
「うん、さもありなん。弱いと目される者に、魔物討伐や護衛は任せられないだろうからな」
トバイはそこでしばらく考える様子を見せると、こちらに向けてずいと身を乗り出してきた。
「事情は分かった。責任の一端は試合を吹っかけたこちらにもある。今週の闇の日に、近い実力の剣闘士を見繕って試合を組んでやろう」
「ありがとうございます」
俺はそう言って頭を下げる。闇の日っつーと安息日の前日だな。客の入る日だ。
「ただし……」
うわ、やっぱり来たか交換条件。
「前回は特別だったが部外者をほいほい剣闘士ショーに出すわけにはいかん。君にはウチの剣闘士会に属してもらうことが条件だ」
「いやちょっと待ってください。俺はこれでも男ですよ?そちらの剣闘士会ってのは女性ばかりでしょう。色々と拙くないですか?」
「その点は問題ない。別に一緒に暮らすわけじゃないからな。それにブルも剣闘士会に属している」
ブルさん……門番だけじゃなかったのか。
「それにしても、俺はこの街の内政官で名誉市民で冒険者という3つの肩書を兼務してるんですよ?」
「なに、剣闘士会に属すといっても、四六時中拘束されるわけじゃない。時々使いを出すから、そのときはここにきて試合をしてくれればいい。まぁ、警備員を頼むときもあるだろうがね」
「ちなみにその時々ってのはどのくらいの頻度なんですか?俺はこれでも冒険者が本業なんで、あまりそっちに支障が出るようだと困るんですが」
「まぁ客からの要望にもよるだろうが、1~2ヶ月に1回程度、でどうだろう。それなら冒険者稼業にもあまり支障はあるまい」
その程度ならまぁ、予想の範囲内だな。
「……分かりました。その程度の頻度でしたらなんとかなると思います」
「では交渉成立だな」
トバイ氏はそう言って立ち上がると、棚から何枚かの書類を持ってきた。
「これは剣闘士会に入るにあたっての書類だ。試合でのルールや試合以外での決まり事、剣闘士としての心得のほか、ウチのカジノとの契約書も入ってる。じっくり読んで、納得したならサインして次来るときに持ってきてくれ。
試合の前に剣闘士会の皆と面通しするから、闇の日は昼過ぎくらいに来てくれ」
「分かりました」
「では、活躍を期待しているよ、ディーゴ君」
「はい。よろしくお願いします」
そう言ってトバイ氏と握手を交わしたのち、カジノを後にした。
……ああ、俺もついに見世物剣闘士か。
まぁ、頻度の低いバイトと考えればまだ気が楽か。
そんなことを考えながら、石巨人亭への帰途についた。
-3-
「今帰った」
石巨人亭の扉を開ける。
「おう、お帰り」
「お帰りさない」
「お帰りなさいませ、ディーゴ様」
「ほらお前ら試食会は終わりだ。散った散った」
3人が出迎えてくれた後、亭主がまだ料理に群がってた冒険者たちを追い散らす。
まだ料理のレクチャーやってたのか。
「ちぇー、じゃーなユニちゃん。美味かったぜ」
「じゃあまたね。ごちそうさま」
そう言って冒険者どもが散っていく。なかなかいい評判のようだな。
冒険者たちが去って行った後のカウンターに、よっこいせと腰を下ろす。
「……で?どうだった」
亭主が声をおさえて結果を聞いてきた。
「首輪が一つ増えた。剣闘士会に所属して、今後も1~2ヶ月に1回くらいのペースで試合に出ろとさ」
「ただ、試合はさっそく今週末に組んでもらえることになった」
「そうか……。1~2ヶ月に1回じゃしょうがないな」
亭主がため息をつく。
「で、だ。帰り道につらつら考えてみたんだが、今回の件、俺が負けた噂を広めたのはカジノの人間じゃねぇかとちょっと疑ってる。どうも話が向こうにとって上手く進みすぎだ。……今更確かめる術はないが」
「…………なら忘れろ。確かめる術がないならどうにもならん。どっちにしろお前さんには剣闘士という肩書がついちまったんだ。あとはそれに対して全力を尽くせ」
「そうだな。正直気は乗らんが、客層を広げるチャンスと思って頑張るよ」
「その意気だ。頑張れ」
「おう。で、こっちのほうはどうなんだ?見た感じいい手ごたえのようだが」
そう言って亭主とユニを見比べる。
「ああ、おかげさんでウチでも作れそうな料理をいくつも教えてもらった。冒険者どもの評判も上々だ。今夜からでも提供できるぜ」
「なら良かった。ユニもお疲れさん」
「はい」
俺が労うと、ユニははにかんだような笑顔で頷いた。
「じゃ、俺たちはこれで引き揚げるか。世話になったね」
「なに、世話になったのはこっちの方だ」
「じゃあ、失礼します」
「ユニさん、またね。今日はどうもありがとう」
そう言って石巨人亭を後にした。
「ユニも今日一日ご苦労だったな。疲れてないか?」
「いえ、あの程度でしたら大丈夫です。楽しかったですよ?」
俺の質問にユニが返す。
「そっか。で、晩飯だが……どこかで食って帰るか?」
「いえ、帰って私が作ります」
「今日一日、ずっと料理してたんだろ?ほんとに大丈夫か?」
「ええ。久しぶりにたくさん料理したせいで、料理熱に火が付いてしまって……」
「まだ作り足りなかったりするわけか」
「はい」
「よし、今夜は俺も食うから、腕ふるってくれ」
「わかりました」
ユニがいい笑顔で頷いた。