噛ませの虎
-1-
カジノの警備員の依頼を受けた翌日は、のんびり休養と洒落込んだ。
金貨10枚という予想以上の報酬があったので、やってみたいことがあったからだ。
近所の酒屋に掛け合って、葡萄酒の中くらいの空き樽を一つと焼酒を根こそぎ買い入れた。
屋敷に帰って地下室に降り、焼酒を空き樽に詰め替える。まぁウィスキーというかブランデーというか、貯蔵酒を作ってみようという試みだ。
樽に日付を書いて、ユニに理由を話して触らないよう念を押し、隅っこに移動させる。
2年か3年たったらちょっと味見してみよう。美味くなってたらいいんだが。
その翌日は、ギルド支部に顔を出した。
タリアに対しては遺恨はないが、一昨日派手に負けたせいでちと思うところがある。
その反省と、治してもらった肩の再確認もかねて稽古に精を出そうをいう魂胆だ。
ギルドの受付で金を払い、稽古場に移動する。相変わらず閑散としてんなぁ。
暇そうにしている教官に歩み寄り、声をかけた。
「こんにちは。またお世話になります」
「おおディーゴか。反省のために稽古か?結構結構」
その言葉に動きがぴたりと止まる。
「えーと……それはいったいどこで?」
一昨日のカジノの客の中で冒険者らしいのは……居たかもしれん。そっから話が漏れたか?
つーか、基本口外禁止のカジノの中のことが、なんで知られてんだ?
「どこでも何も、冒険者の間じゃ結構噂になってるぞ?現役冒険者の癖に見世物のねぇちゃんにあっさりやられた、って」
……なんかその噂、悪意が感じられるんだが。
「言い訳させてもらうと、相手は見世物とはいえ剣闘士の中の王者ですぜ?俺の本気のラッシュも通用しなかったんだ、決して馬鹿にできる技量じゃねーですよ」
「ほう、あれが通用しなかったか。となるとそのねぇちゃん、結構な手練れだな」
教官が感心したように呟く。教官は俺の本気のラッシュをいつも受けてるからね。
「だから言ったでしょう、王者だって」
「でも世間はそうは見ちゃくれんぞ?今まではその御面相で押し出しがきいてたが、衆人環視の中で負けたからなぁ……メッキが剥がれた、とか噛ませの虎、とか結構いいように言われてんぞ?」
「ぐ……」
俺は決して負けず嫌いな方ではないが、こうまで言われるとさすがにちょっと腹が立つ。
「まぁ今日はというか今日も暇だから、一昨日の試合のおさらいをしながらみっちり鍛えなおしてやるよ。なにせ1ヶ月ぶりだからな」
教官がそう言って笑った。はい本日の稽古、フルコース決まりましたー!
-2-
稽古終了後、疲れた体に鞭打って石巨人亭にも顔を出す。
多分石巨人亭でも俺が負けたことは広まってるだろう。誤解を解くとはいかないまでも、亭主に言い訳くらいはしておきたい。
さもないと今後の依頼に差し支える。
「ちゃーっす」
「おおディーゴか。怪我の方はもういいのか?」
……やっぱり知られていたか。
「怪我の方はその日のうちに魔法で治してもらったから大丈夫だ。今日は調子の確認もかねて稽古場に行ってきたところ。というわけで焼酒一つ」
「あいよ。だからこんな時間に来たのか」
亭主が慣れた手つきでコップに焼酒を注ぎ、差し出してくる。
俺はそれを受け取ると、ちびりと飲んだ。
「で、俺が負けたのはどのくらい広まってる?」
「依頼で街の外に出ている奴ら以外は、ほぼ全員知ってるな。お前さんは結構有名人だからな」
はぁーとため息をつく。
「やっぱりこっちでもメッキが剥がれたとか噛ませの虎とか言われちゃってるわけ?」
「……否定はせんよ。ギルドの方で言われたのか?」
「教官に教えてもらった。……俺ってそんなに嫌われてたっけかな。品行方正人畜無害を心がけてたつもりなんだが」
そう言って、俺はいじけたようにコップを左右に揺する。
亭主はそんな様子を苦笑いしながら見ると、口を開いた。
「品行方正人畜無害、か。ま、嫌われてるってよりも、一部のやつらから妬まれてる、といった方が正しいな」
「妬まれてる?なんで?」
「冒険者ってのは結構金がなくてピーピー言ってるのが多いんだが、お前さんランクの割に金回りにゃ余裕はあるだろう?それに名誉市民で寝てても年金がもらえる上、高級住宅街のでかい屋敷に可愛いメイドと二人……いや、精霊の美人の姐さんがいるから3人暮らしか、ときたもんだ。
人によっては、なんでそんなヤツが冒険者なんぞやってんだ、イヤミかって話になるわな」
「いやいやまてまてまて。俺ってそんな風に見られてんの?つーか、金回りがいいなんて誰にも言ってねぇぞ?」
水精鋼とか、ステンドグラスの謝礼の大白金貨10枚とか、確かに金というか財産がないこともないが。
「装備品とか依頼の受け方、日頃の立ち居振る舞いを見てりゃ、なんとなく察しはつくさ。
早い段階から特注の武器鎧を身に着けて、朝飯後のピークが過ぎた頃にたまにふらっとやってきたと思ったら報酬が安い依頼でも面白そうだと受けていく。それにお前さん、自覚してないだろうが日頃の言動に余裕というかゆとりが感じられるんだよ。ガツガツしてないっつーか、日銭稼ぎに苦労している貧乏人には見えねぇ、って話さ」
……そう言われるとそうかも知れん。
「でもあえて反論させてもらうぜ?特注の装備なのは俺のガタイに合うサイズがないからだし、家で朝飯食ってここに来るとなったら木の葉通りからだとどうしてもその時間になる。名誉市民で年金が貰えるったって、年に金貨20枚にも満たない額じゃ俺一人食ってくだけでカツカツだ。可愛いメイドと美人の精霊?メイドの方は男だし精霊相手になにしろと?それに住んでる屋敷なんざ一人もんには無駄に広すぎるわ、手入れだって必要だわ、かといって拝領品だから勝手に売ることもできねぇわで今の時点じゃ負債にしかなってねぇよ」
「お、おう……」
俺の長広舌に気圧された亭主が、少し仰け反りながら頷く。
「……じゃあ、なんで金に余裕があるんだ?」
「あっちこっちに商売のネタ提供して、お礼貰ってんの。つっても主にカワナガラス店からだけど」
「カワナガラス店?聞いたことあるな……」
「俺が街に入るために随分世話になった、俺の後見人みたいなところだよ。つい最近だと、天の教会のステンドグラス。あれ作ったところ」
「ああ、あれか!俺も噂で聞いて見に行ったが、ありゃすげぇな。あんなの初めて見たしあまりの見事さについ見惚れちまったぜ」
「アレ教えたの、俺」
「…………マジか」
「基礎の概念とヒントを教えただけだけどな。あそこまでの芸術品に仕上げたのはカワナガラス店の職人さんたちの頑張りだが、色ガラスを組み合わせて絵や模様を作ったらどうだ、と試作品を作って見せたのは俺だ。教会から感謝状も貰ってる」
「そうか……知らんこととはいえ、すまんかった」
「まぁオヤジさんが悪いわけじゃないからいいけどさ」
「ちなみに興味本位で聞くが、他にどんな商売のネタを提供したんだ?」
「んー……街に引っ越す前にセルリ村にいたときだが、新しい脱穀機と、手押しポンプと、風を使った種籾とゴミの選別機を作った。あと、最近出回り始めた水飴な、あれも俺が出どころだ。あとまだ売り出されちゃいないが、リンゴを原料にした酒と、お湯を注ぐだけでスープになる即席スープの素も提案してる」
指折り数えて説明すると、亭主は感心したようにため息をついた。
「はぁー、冒険者以外に色々やってんだな。そりゃ頻繁に来れないわけだ。でもそれだけ商売のネタがあるなら、誰かに任せずに自分で商会とか立ち上げて商売した方が儲かるんじゃないか?」
「ヤだよ。椅子に座って金勘定して過ごすなんて性に合わねーもん。だったらあれこれ身体動かす方が性に合ってる」
「そんなもんか」
「そんなもんだ。で、話は戻るが、試合に負けて広がっちまった俺の悪評、どうしたらいい?」
「それこそそんなもの、だ。お前さん以外誰かが迷惑をこうむった話じゃない。2~3ヶ月もすれば消えてなくなるさ。それにお前さんを妬んでいるのも、ランクの低い極一部の連中だけだしな」
「ぬーん……それでもさっさと何とかしたいんだがなぁ」
「一番手っ取り早いのは負けた当人に再戦を申し込んで勝つことだが」
「それは無理。今の時点じゃ勝てる気がしねぇ」
「うーん」
「うーむ」
二人して唸っていると、離れたところで話を聞いていたらしい給仕の娘さんが混じってきた。
「ねぇお父さん、ディーゴさん。私なりに考えてみたんだけど、今回の件ってディーゴさんが大勢の前で負けたのが原因なのよね?」
「うーん、まぁそうとも言えるな」
娘さんの言葉に亭主が頷く。
「だったら、同じ場所で別の人とでもいいから戦って勝って見せれば、少しは評判も良くなるんじゃない?」
「それも考えたんだが、俺としてはあまりお勧めはしたくないんだよな……」
「なんで?」
「これをチャンスとばかりにカジノ側がディーゴを引っ張り込まないかと心配してるんだ。仮にディーゴが申し込んで別の剣闘士と試合を組んでもらったとする。それに勝ったら今度はカジノ側がディーゴに再戦を申し込んでくる可能性が高いだろ?負けたら負けたで……なぁ?」
「あー、ディーゴさんがカジノの従業員みたくなっちゃうのが心配なんだ」
「名誉挽回のために冒険者稼業に支障が出るのは本末転倒だな」
「……でも実際問題、即効性のあるのはそれくらいしかないんだよなぁ」
そう言って俺はため息をつく。
「しゃーない、頻繁には無理だが、最終的に月1くらいまでなら試合に出てもいい、という線で再戦を交渉してみるわ。無論本業は冒険者として、な」
「まぁお前さんがそういうなら仕方ないか」
「娘さんもありがとな。お陰で踏ん切りがついたわ」
そう言って給仕の娘さんに頭を下げた。
「じゃあ、ちょっとお願いがあるんだけどいいかな?」
そう言って娘さんは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「俺にできることなら」
「あのね、ウチの店なんだけどお父さんが料理してるのは知ってるわよね?」
「ああ」
「それでこないだちょっと言われちゃったの。料理がありきたりだねって」
……あ、オヤジさんが地味にダメージ受けてる。
いやここの料理、不味くはないというか、結構旨いよ?でも、言われてみると内容はごく一般的な食堂料理だわな。
「ふむ、それで新しい料理を開発したい、というわけか」
「そうなの。ディーゴさんの故郷の料理で、お父さんでも作れそうなものって何かないかな?」
「むーん、残念ながら俺は食うばかりで料理はあまり得意じゃないんだよな。使う調味料も全然違うし。……そうだ、ウチのユニならどうかな。あいつはあれで料理上手いし、この辺りの料理とはちょっと毛色の違うものを作るから、参考になるかもしれん」
「へぇ、どういうのを作るの?」
「ヨーグルトを使った料理を結構作るんだ。前に領主様の所にもレシピを持ってったが、割と評判良かったぜ」
「ヨーグルトを?美味しいの?」
「結構いける。今の暑い時期にはちょうどいいさっぱりした味だぞ」
「そうなの。じゃあお願いするわね。ユニさんはいつなら空いてる?」
「明日にも連れてくるよ」
「わかった。じゃあ準備しとく。ありがとね、ディーゴさん」
「このくらいならお安い御用だ。ってオヤジさん、さっきから一人でダメージ受けてねぇで。もう一つあるんだから」
「なんだ、なにか教えてくれるのか?」
「ここには世話になってるからね。ただ、料理みたいに即効性はない。気長にやってほしいってのがあるんだ」
「ほう、聞こうか」
「ったって、大したこっちゃねぇ。安物でいいから強めの焼酒を葡萄酒の空き樽に入れて、地下の食糧庫の片隅にでも置いといてくれ、って話だ」
「何か変わるのか?」
「焼酒は樽に入れて保存しとくと、熟成されて味や香りがまろやかになるんだ。年単位の熟成が必要だからすぐには売りに出せんが、上手くいけば安物の酒が化けるぜ。俺も思い出して昨日から始めてみた」
「年単位の熟成か……時間がかかるな」
「最低でも3年は寝かせたほうがいいかもな。俺の故郷じゃ5年10年寝かせた酒を普通に売ってるぜ。長いものだと30年とか50年とか寝かせたものもあるみたいだからな。無論、値段も相応だが」
「そうか、安物でいいならちょっと試してみるか」
「薄い焼酒だと腐るから駄目だぜ?なるべく強い焼酒でやった方がいい」
「分かった、試してみるよ」
「じゃ、長々と話しちまったがこれでお暇するわ。明日はランチの準備に間に合うようにユニを連れてくる。焼酒ごっそさん」
「はいよ。こっちこそいろいろありがとな」
「ディーゴさんありがとう」
亭主と娘さんの礼を受けて、石巨人亭を後にした。
さて、帰ったらユニの予定を聞かんとな。
多分大丈夫だとは思うが。