顕微鏡と寄木細工
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双尾猫のアルゥが回復し、ミットン診療所に本格的に住みつくようになってから日時は少しさかのぼる。
その日の俺は前日に使いを貰って朝からカワナガラス店にいた。
「おお、ディーゴさん。朝からお呼びたてして申し訳ありませんな」
店の前ではエレクィル爺さんとハプテス爺さんが店の従業員と話しながら俺を待っていた。
「いえいえ。それより顕微鏡が完成したと伺ったのですが」
「ええ。あの後試行錯誤を繰り返しまして、なんとか完成させることができました。ささ、ここではなんですので奥へどうぞ」
「じゃあ、お邪魔します」
店の奥へと入ると、テーブルの上に完成したらしい単眼式の顕微鏡が3つほど並んでいた。
「私どもの方で工夫はしてみましたが、ディーゴさんの意見を伺いたいと思ってお呼びしたのですよ」
「なるほど。じゃあ、さっそく拝見します」
頷いて顕微鏡の一つを手に取る。
ふむ、サイズ的には問題はないな。筐体は青銅製か。
次に拡大率だが……これもなかなか。
ちゃんと足も付いてて。ネジ式で焦点距離を変えることができるのか。
問題は拡大率のばらつきだが……3つを見比べた感じではどれも拡大率は似たようなもんだな。
「うん。よくできてます。私が思ってたよりも出来がいいですね」
そういって顕微鏡三つをテーブルに置く。
「そういって貰えると我々も頑張ったかいがあります」
「しかし、よく同じ拡大率のレンズをいくつも作れましたね。そこが一番のネックだと思っていたのですが」
「ええ。売りに出すからには同じ拡大率のものを、とその点が一番苦労しました。まぁこれは企業秘密なので伏せさせていただきますが」
「それがいいでしょう。簡単に真似されたらうまみが減る」
「ごもっともで」
エレクィル爺さんは頷くと、思い出したように革袋を差し出してきた。
「それでこちらはディーゴさんへのお礼となります。金貨で30枚入っております」
「30枚も?それはちょっと貰いすぎのような気がしますが」
「いえいえ、試しにこの顕微鏡の見本を魔術師ギルドに持ち込んでみたら、物凄い食いつきようでして。原価の割に結構な高値で数が売れそうなんですよ」
「それに、話を漏れ聞いた他の研究者からも問い合わせが結構ありまして、こちらとしても嬉しい悲鳴を上げている状況なんです」
「なるほど。そういう事ですか。でしたら遠慮なく頂きます」
俺は伏し拝むようにして革袋を受け取った。正直この金貨30枚はありがたい。
「さ、商売の話はこれくらいにして。ディーゴさん、冒険者の仕事の方はいかがですかな?」
ハプテス爺さんが話を振ってきたので、先日やっと中堅と言われるランク5に上がったことと、最近受けた依頼を差し支えない程度で話して聞かせた。
「……ほほぅ、この街に双尾猫がいましたか」
「ええ。見るのは初めてでしたが、尻尾が2本ある以外は見た目は普通の猫でしたよ」
そんな感じで話は続き、昼食をご馳走になってガラス店を後にした。
-2-
店を後にしてふと考える。
さーてこれからどうすべぇ。
いつもなら稽古に向かうのだが、生憎昨日みっちりやったばかりだし、メシ食った後に激しい運動はしたくない。
腹いっぱいなので市場で各種食い物屋を冷かすのもなんか気が乗らない。
財布も重いので雑貨類でも見ながら帰るか……と思ったところで思い出した。
そうだ、久しぶりにオブサードの家具屋とガーキンス氏のところに行こう。
家具屋の方は支払いがまだ途中だし、ガーキンス氏の方はすっかりご無沙汰で研究がどこまで進んでるか見当もつかない。
というわけで、さっそく家具屋の方を訪問することにした。
「こんちは。ディーゴって者だが、店主のオブサードさんはいるかい?」
店先で暇そうにしている店員に声をかける。この店員は初めて見るな。
「いらっしゃいませ、ディーゴ様ですね?呼んでまいりますので少々お待ちください」
そういって奥に引っ込むと、オブサードを連れて戻ってきた。
「おやディーゴ様。お久しぶりでございます」
「長々と無沙汰にしてすまんね」
「いえいえ。なんでもディーゴ様は内政官に任命されたとか?」
「といっても、発明専門の自由出仕だけどね。本業は冒険者なんだ」
「なるほど。左様でしたか。して、今日はどのような用向きで?」
「小銭が手に入ったんでいくらか納めとこうと思ってね。家具の代金も初日に払ったきりだったろう?」
「そうでしたね」
オブサードが頷く。
「というわけで今回も金貨10枚納めさせてもらうよ」
「ありがとうございます。冒険者というのは儲かるものなんですね」
「いや、これは別口なんだ。カワナガラス店に商売のネタを提供したら、そのお礼にと貰った物の一部だ。冒険者の稼ぎとしてはまぁ……食っていくだけならちょっと余裕がある程度かな」
「そうでしたか。差し支えなければその商売のネタというのを伺っても構いませんか?」
「ああ。顕微鏡っていって、極小の物を拡大して見ることができる道具だよ。研究者たちから結構問い合わせが来てるらしい」
「なるほど。残念ですがウチが食い込める内容ではございませんな」
オブサードが苦笑しながら言う。
「そりゃそうだ。ガラスと家具じゃ分野が違いすぎる」
「どうでしょうディーゴ様、ウチにもできそうな商売のネタというのに何か心当たりはございませんか?」
オブサードが笑いながら聞いてきた。本人としては冗談のつもりなんだろうが、家具の件では随分無理を聞いてもらっているし何か提案してやりたいところ。
「そうだな…………寄木細工、ってのはどうだろう。それならなんとかなるかもしれん」
箱根の美術館や物産館で見た、幾何学模様の箱と工程を思い出しながら呟く。
「ヨセギザイクですか?それはいったいどのような?」
「箱とかの装飾法の一つでしてね、色の異なる木片を組み合わせて模様を作るんですよ」
「色の異なる木片を組み合わせて模様を……?あの、ここではなんですからどうぞ奥に」
商売の気配を敏感に感じ取ったオブサードが誘う。
奥の居間で、水で割った葡萄酒を供されたところで、オブサードが先ほどの続きをせがんできた。
いつのまにか職人頭のベンドもオブサードの隣に座っている。
「して、そのヨセギザイクというものについて詳しく教えていただけますか?」
「ええ、構いませんよ。ただちょっとうろ覚えの所があるんですが……」
そう前置きして、説明を始める。
端的に言ってしまえば、寄木細工とは様々な種類の木材を組み合わせ、それぞれの色合いの違いを利用して模様を描く技術だ。
途中用意してもらった紙に図を描きながら、概念を説明した。
「……なるほど。このような技法があったのですね」
オブサードが虚を突かれたように呟く。
「今までは同じ木材を使って単色に仕上げ、塗料などを塗っていましたが……異なる材木を使って色の違いを楽しむという概念はなかったですね」
「うむ。家具には彫刻がつきものと思っておったが、こういう装飾があったとは意外じゃったのう」
「ベンド、この寄木細工ですが再現できそうですか?」
「特殊な工法や材料を使うわけでもないから、ワシらでもなんとかなるの。コツは木片同士を隙間なく合わせることか」
「万力を使って締め付ければ何とかなるかもしれませんね」
「そうじゃな」
「ではベンド、さっそく研究と再現をお願いしますよ」
「うむ、心得た」
そういってベンドが立ち上がる。もう新しい細工を早く試してみたくて仕方がない様子だ。
ベンドが挨拶して去っていくのを見届けると、オブサードが深々と頭を下げた。
「ディーゴ様、まさか本当に商売のネタを教えていただけるとは、ありがとうございます」
「なに、こっちも家具について大分無理を聞いてもらってるからね。このくらいは恩返しせにゃ」
「恩返しなどとそんな……分かりました。ディーゴ様の所の家具の代金、大幅に勉強させていただきます」
「なんか却って申し訳ないな。たった1~2時間話しただけなんだが」
「いえ、それでも私どもにとっては千金に値する内容でした。完成した暁には使いを立てますので、よろしくお願いいたします」
「ああ、楽しみにしてるよ」
オブサードと固い握手をして、家具店を後にした。
-3-
さて次は魔術師のガーキンス氏の所だ。
ここも随分ご無沙汰だったな。
研究はどんくらい進んでるかね。
そう思いながら通りを抜け路地を曲がり、記憶を頼りにガーキンス氏の家に向かう。
途中、何度か道を間違えたのはご愛敬だ。
路地の奥のどん詰まりの家の扉を叩くと、いつぞやの店番をしていた青年が顔を出した。
「はい、どちら様で……と、あなたは確か」
「こちらのガーキンス先生に燃える水の研究を頼んだディーゴってもんだ。近くまで来たんで寄らせてもらったけど、先生はいるかな?」
「はい。少々お待ちください」
そういってしばらくすると、ガーキンス氏が顔を見せた。
「おお、誰かと思えばディーゴ様ではないか。長い間使いも出せずに済まんの」
「いえいえ、それだけ苦労なさってるという事でしょう。近くまで来たので途中経過を聞きたくて寄りましたが、忙しいなら出直しますか?」
「いやいや、大事なスポンサー様に無駄足踏ませるほど礼儀知らずではないわい。まぁ散らかっとるが入りなさい」
「では、お邪魔します」
中に入るとやっぱりというか散らかってた。が、人二人くらいは座れるスペースがあったので、促されて腰を下ろす。
「まずは礼を言わせてもらおう。着火棒だが、お前さんの言うように蝋に浸して水に強くしたらそこそこ売れるようになった」
「みたいですね。冒険者の店でも勧められましたし、領主様の所でも使ってるみたいですよ」
「うむ。お陰で以前に比べて幾分余裕ができておる。では早速研究の進み具合に関してじゃが……」
といった感じで、実物を見せてもらいながら経過を聞いたが、今の段階では進み具合は7割といったところか。
燃える水を蒸留することによって成分の分離ができるそうだが、安定した品質を出すにはまだ工夫が必要らしい。
2時間ほど話を聞いて納得できたので、研究資金を追加で出すことにした。
「お話は良く解りました。もう一押しといったところですね。では、追加の資金として金貨10枚ですがお納めください」
「それはありがたいが、良いのか?」
「ええ。それだけ期待しているということです。もっと潤沢に出せればいいのですが、私もいろいろと出費がありまして」
「いやいや、ワシのような市井の研究者にぽんと金貨10枚も出してくれるだけで重々感謝しておるよ。次には吉報を出せるよう頑張るつもりじゃ」
「そうですか。でも先生が扱ってるのは危険物です。無理をなさらない程度にお願いします」
「うむ。承知した」
「では、私はこれで」
ガーキンスが頷くのを見て、俺は氏の家を退去した。
あの様子ならそう遠くないうちに結果が出せるかもしれんな。今のうちにオイルマッチの構造と改良案でも書き出しておくか。
日本で売ってたキーホルダー型のは、ちょっと俺には小さすぎるからな。
さて、明日は石巨人亭に顔を出すつもりだが、いい依頼があるかね。