妖猫の病1
-1-
「お、ディーゴ。きたか」
その日、石巨人亭に顔を出すとさっそくカウンターから声がかかった。
「おう。知らせを受けてきてみたが、指名依頼でも入ったか?」
そう言いながらカウンターに腰を下ろす。
「いや、指名依頼じゃないんだが、ちょいとお前さんに急ぎで受けてもらいたい依頼があってな」
「また街道筋に豚鬼でも沸いたか?」
「いや、そういうのとは違うんだが……この依頼だ」
そう言って亭主が依頼書を差し出してきた。
「双尾猫の捜索?……って、またあの診療所か。何やってんだあそこは次から次へと……」
「まぁそう言うな。それだけ頼りにされてるってことだ」
「でも指名依頼じゃないんだろ?」
「とは言ってもお前さんに受けてもらいたそうだったぞ」
「まぁ別にいいけどさ。でもこれってランク5の依頼か?街中だしランク6とかでも務まるんじゃねぇの?」
「探す相手が双尾猫だからな。うっかり怒らせて暴れられたりするとランク6ではどうにもならん」
「そういう理由か。じゃあ仕方ないな」
「お、受けてくれるか」
「朝から呼び出すほどの用件なんだろ?よほど変な条件でなけりゃ引き受けるさ」
「そうか、助かる」
「んじゃ、さっきも言ったが詳しい話を聞かせて……って、なぜ笑う?」
見ると亭主が何かを思い出したのか、変な顔をしている。
給仕の娘も向こうを向いて肩を震わせている。
「いやすまん。行けば分かる。詳しい話は俺が言うより直接聞いた方が早いだろう。逃げ出したペットの捜索は時間との戦いだからな」
「だな。じゃあさっそく出かけるわ。場所はあの診療所だな?」
「ああ。お前さんなら顔パスだろう。よろしく頼むよ」
「なんだってんだ?まったく」
ひとりごちながらミットン診療所への道を急ぐ。ペットの捜索は早いほどいいのは同意だが、亭主と給仕の笑いがちょっと気になった。
「邪魔するぜーい」
ノックもせずに診療所の扉を開け、受付に歩み寄る。今日は人が少ないな。でもツグリ婆さんはちゃんといるんだな。
「ああ、ディーゴさん。お待ちしてました」
と、エルトールが受付から顔を見せたのだが
「ぶふっ……あ、ははははは……!」
しばらく笑い転げることになった。
いやね、エルトールの頭上にふさふさぶち模様の可愛らしい猫耳がついてるもんで。
亭主と給仕はこれを見たんだな、納得した。
「……いやすまん」
こみ上げる笑いを押さえて詫びると
「いえ、もう笑われるのは慣れましたから」
「でもなんだな、俺もそれなりに猫耳は見てきたつもりだが、ここまで似合ってないのは初めてだ。というか可愛すぎだろその耳は」
ふさふさだけでも可愛いのに、左の耳だけちょこんと折れているのがまた可愛さを増している。
これがついているのがエルトールでなく、適齢の娘さんだったらじっくり眺めて愛でていたところだ。
「それを狙ってやったんだと思います」
「というと、誰かにやられたのか?」
「逃げ出した双尾猫に。双尾猫は幻影の魔法が得意なんですよ」
「なるほどな」
「まぁ笑われる以外は別に実害はないと思っていたんですが、先ほど、具合の良くなった肺病の患者さんが自分で薬をもらいに来られましてね……」
「………………そいつは命に関わるな」
「今、診察室で兄さんが処置してます」
「そうか。助かるといいな」
「はい」
「じゃあ、気を取り直して双尾猫について聞きたいんだが」
「あ、はい。逃げ出したのは白黒ハチワレの双尾猫でして、名前は分かりません。昨夜、往診の帰りに道端でぐったりしてたのを拾って帰ってきました。足の傷が化膿して膿疱になってたのを、麻酔をかけて処置していたのですが、麻酔が覚めると同時に暴れだしてごらんの有様です」
「なるほど。というか双尾猫って道端に落ちてるものなのか?結構珍しい生き物だったような気がするが」
双尾猫とは文字通り2本尻尾の猫で、確か人語を解し、幻影の魔法を好んで操る幻獣だったように思う。
幻獣とは言え猫らしく、人間とも比較的良好な関係を築く場合が多い。
ただ独立独歩の気風を重んじるため、誰かに飼われることは滅多にないらしい。
因みに双尾猫は双尾猫という種族なので、生まれたときから2本尻尾で、日本の猫又みたく年取って尻尾が二つに割れるわけではないそうだ。
「それについてはなんとも。でも落ちてたのは事実ですから」
「そうだな。ところで逃げ出した時間は?」
「夜もかなり回ってのことです。付近一帯は探したのですが、見つかりませんでした」
「そうか。他には?」
「逃げ出した時は麻酔もまだ残ってましたし、傷口も縫合したばかりなので、あまり遠くには行ってないと思います。屋根の上にのぼるとかも難しいでしょうね」
「じゃあ、地べたをメインに探せばいいわけか」
「そうですね」
「報酬は……見つけてからでいいや。野良が相手じゃ完全にボランティアだしな」
「すみません」
「じゃ、さっそく探してみるわ」
「お願いします」
「っと、その前に、その双尾猫に使った皿とかあるか?」
「水を飲ませた皿がありますが」
「じゃあちょっと貸してくれ。気休めだが、俺の故郷のおまじないをやるから」
「おまじない、ですか?」
「迷い猫が戻ってくるおまじないだ」
そういって、紙にさらさらと
『立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今かへりこむ』
と書き込む。
「この紙を、食器の下に敷いて玄関にでも置いといてくれ」
「変わった文字ですね。どこの言葉ですか?」
「俺の故郷の言葉だ」
「分かりました。これを皿の下に敷いて玄関に置いておけばいいんですね」
「そうだ。じゃ、いってくらぁ」
エルトールが頷くのを見て、猫探しへと出発した。
-2-
「さて、市街とスラムとどっちへ行ったか……やっぱスラムだよな」
ミットン診療所を出て呟く。
市街の方は人通りも多く馬車も行きかっている。一方スラムは環境こそ悪いが人通りもほとんどない。
怪我をしている猫がどこに隠れるかと言えば、やはり静かなスラムの方だろう。
というわけで、あまり気は乗らないがスラムを重点的に探すことにした。
物陰を重点的に、双尾猫を探して回るがそう簡単には見つからない。
じっくりと探してみたが手掛かりすらないので、ちょっとアプローチを変えてみることにした。
名付けて「小動物はエサで釣れ」作戦。
足を怪我している猫が、そうそうネズミや小鳥などを採れるとは思えない。
ゴミ箱を漁っている可能性もあるが、スラムのゴミ箱に食えるものが残っているとはちと考えにくい。
多分腹を減らしているであろう猫なら、餌の臭いにつられて姿を見せるのではないか。
無限袋から、保存食の干し魚をいくつか取り出すと、手近なぼろ屋の扉を叩いた。
「……なんか用かい?」
薄汚い格好のおばちゃんが疲れた顔を見せる。
「急に押しかけてすまん。2本尻尾の猫を探しているんだが、何か心当たりはないか?」
「ないね、そんなの」
そういって扉を閉めようとするのと、手をかけて止める。
「待った待った。まだ話は終わってないんだ。その猫を探すのにちょっと手を貸してほしいんだ」
「ふん、そんな義理はないね」
「いや大したこっちゃねぇんだ。この干し魚を玄関前で焼いてほしいんだ。焼きあがったらそっちで食っていいからさ」
そういって干し魚を2匹差し出す。
おばちゃんは干し魚をひったくると、胡散臭そうに尋ねてきた。
「本当に焼くだけでいいのかい?食っちまっても?」
「ああ。煙を盛大に出してくれると助かる。毒じゃねぇから昼飯のおかずに加えてくんな」
「そういう事なら、手伝ってやるよ」
「助かる。2本尻尾の猫がいても捕まえようとしないでくれ。あとでまた話を聞きに来る」
「わかったよ。話はそれだけかい?」
「ああ、邪魔したな」
そういって扉を閉める。
そんな感じで、円を描くようにスラムの8か所で魚を焼いてもらうことにした。
マタタビがあればなおいいんだが、買いに戻ってる時間はないしな。
スラムにうっすらと香ばしい匂いが漂い始め、それが消えたころ、もう一度干し魚を渡した民家を回って聞き込みをする。
1軒目……犬は来たけど猫は来なかったよ。
2軒目……美味しかったよ。猫?見てないね。
3軒目……普通の猫だけだ。
4軒目……目を離した隙に猫に取られた。もう一匹くれ。
4軒目の対応にちょっとガックリきながら5軒目の扉を叩く。
「ああ、あんたか。2本尻尾の猫だろ?来たよ」
垢じみた格好のおっさんが答える。
「そうか。で?どっちに行った?」
「捕まえようとしたらあっちに逃げてったぜ」
…………
「捕まえようとするな、と言わなかったか?」
「でもあの猫捕まえたらどっかから謝礼が出るんだろ?だからアンタも探してるんだろ?」
「あの猫は野良だ。捕まえたって謝礼は出ねぇよ」
いや、言えば多分エルトールがいくらか払ってくれるだろうけど。
「じゃあなんであんたは探しているんだよ」
ああもうなんだこのおっさんは。
「あんたにゃ関係ないことだ。協力ご苦労だったな」
「ちょっと待てよ!」
「なんだよ」
「あの猫と捕まえる時に引っかかれて怪我しちまったんだ。治療費だしてくれよ」
「知るか」
まだ何か喚いているおっさんを残して、その場を離れる。
ああもぅ、餌付けの一つもしといてくれりゃ楽だったのに、とイラつきを押さえきれないまま双尾猫が逃げていった方向へ追いかけた。
《イツキ》
しばらく歩いたところで、イツキを呼び出した。
〈なに?ってここ、スラムじゃない。こんなところで呼ばないでよ〉
《スマン。ちょっと依頼で双尾猫を探しててな。この辺りにいると思うんだが、探れるか?》
〈えー?だってここ草木がほとんどないじゃない。無理言わないでよ〉
《その辺の草でも構わん、猫が走っていかなかったか調べてみてくれるか。蜂蜜酒1本つけるから》
〈仕方ないわねぇ……〉
そうして待つことしばし。
〈……駄目ね、分からなかったわ〉
「むぅ、そうか」
また振出しに戻ったか。いや、こっちに逃げたというから方角はあってるはずだ。
と思い直したところでイツキが気が付いた。
〈でも、この先に少し魔力を感じるわ。なにかしら〉
《でかした。案内してくれ》
スラムの中にも魔術師は住んでいるが、そうそう魔法をぶっ放すことはしないはずだ。
ちとこじつけ臭い気もするが、逃げている双尾猫が何かをした可能性がなきにしもあらず、といったところか。
そうしてイツキに案内されたのは、左へと曲がる曲がり角だった。
〈ここ。ここから魔力を感じるわ〉
《ここか?見た感じは普通の曲がり角だが……》
でも何か変だ。何が、と言われると答えに困るが、なんとなく不自然な印象を受ける。こういう直感はアテにした方がいい。
じっくり調べようと、曲がり角の壁に手をかけると、それは何の抵抗もなくすり抜けた。
「!幻影か!!」
そう、そこは曲がり角に見せかけたT字路だった。