暴走する病3
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「くるぞ!腹くくれ!!」
明け方というにはまだ少し早い時間、ついに鱗イタチの群れが壁に到達した。
ズシンという音がして足元が小さく揺れる。
幸い壁は持ってくれているようだ。
キュイキュイ、ギィギィという鱗イタチの鳴き声が壁の向こうから聞こえてくる。
「西側!壁の向こうに火をどんどん投げ込め!群れを畑に向かわせるな!!」
おおむねは東の方に流れて行っているが、はね返された群れの一部が西に向かうのを見て指示を出す。
「わかった!」
それに応じて、松明や火のついた藁束が壁の向こうに投げ入れられる。
西に向かった群れの一部が、炎にさえぎられて立ち往生する。
しかし、壁を越えてくるものはまだ一匹もいない。
「村長、壺に革を張ったものを一つ用意してください。手で持てるくらいの壺でいいです」
「分かりました」
ほどなくして、村人の一人が村長と一緒に壺を持ってきた。
「冒険者様、壺を用意しましたが?」
「ありがとう」
そう言って壺を受け取る。うむ、壺の口にちゃんと革が張ってあるな。
「あの、それで一体何を?」
「これで壁の音を聞くんですよ。ガリガリとこすれる音がしたら、壁が削られている証拠です。その部分を補強しなきゃなりません」
「おお、なるほど」
村長に説明して、壁に壺を当てて音を聞く。
……ふむ、今のところは大丈夫か。鏡面加工が仕事してるな。
「ディーゴ、様子はどうだ?」
音を聞き終えると、ウェルシュが訊ねてきた。
「今のところはなんとかなってる。ただ、今来てるのは群れの先駆けだからな。本隊が到着するまで気は抜けん」
「そうか。今のうちにやっておくことはあるか?」
「用意してもらった麻袋に、土でも石でもいいから適当に詰めといてくれ。その場になってから用意を始めたんじゃ、間に合わない可能性がある」
「分かった」
「あと村長、梯子があったら幾つか用意してほしい。壁の向こうを見たい」
「分かりました。用意させます」
ほどなくして梯子が用意されたので、壁に立てかけて向こう側を覗いてみる。
……鱗イタチの濁流だな。まるで。
見ていると、壁の結構上の方まで駆け上がってくる個体もいるが、鼠返しのおかげで壁を越えるまでは至っていない。
場所を変えて幾つかの場所で壁の向こうを覗いてみたが、今のところは大丈夫そうだ。
「群れが壁に当たるところに火を焚かなくても大丈夫ですか?」
「いや、まだやめといたほうがいい。燃えるものにも限りがありますからね、出来ればぎりぎりまで残しておきたい」
「なるほど」
本隊が来るにはまだ時間がかかる。今のうちはまだ余力を残しておきたい。
「村長、東の端はどうなってますか?」
「うまい具合に流れているそうです。村に入り込んでくるのもいないようで」
「そうですか。ですが引き続き警戒をお願いします」
ふむ、西も東も大丈夫、と。
〈ディーゴ、なにかやることない?〉
イツキが声をかけてきた。
《今はまだないな。本体が来たら働いてもらうから、それまではのんびりしてろ》
〈こんな状況でのんびりできる?〉
《……まぁ無理だな。とりあえず休んどけ》
〈おっけ〉
イツキもイツキなりに危機感持ってんだな。
そして朝日が昇るころ、ついに本隊が姿を現した。
数百万?数千万?の鱗イタチが、怒涛となって押し寄せてくる。
果たして壁が耐えられるのか、と不安が頭をよぎるが、今更どうこうすることもできない。
「土袋を壁の後ろに積め!本隊が来るぞ!!」
予想以上の本隊の規模に、急いで壁の補強を指示する。
村人たちの手で、壁の後ろに土袋が積み上げられる。
それほど時間をおかずに、ズズズンと地面が揺れ、鱗イタチの本隊が壁に激突した。
曲面を作ってなるべく力を逃すように作ったせいか、なんとか壁は衝撃に耐えたようだ。
「西側!炎を増やせ!数が行くぞ!!」
「東側!本隊が流れていくぞ!村に入れるな!!」
鱗イタチの足音と鳴き声に負けないよう、大声で指示を飛ばすと、心得た村人が頷いて走り出す。
伝令を受け持ってくれるのはありがたい。
今のところ壁の高さは大丈夫だ。堤防にぶち当たる波しぶきのように鱗イタチが飛びあがっているが、鼠返しのおかげでまだ壁を越えてくるものはいない。
「冒険者様!鱗イタチが多すぎて火が消えちまう!!」
西側からヘルプが入った。
藁束他、燃えやすそうなものを無限袋に突っ込み、西側に駆け付ける。
「これに火をつけてどんどん投げ入れろ。炎で焼き殺そうと思うな、要は東に誘導できればいいんだ」
そう言って持ってきたものを無限袋から取り出す。
とりあえずは凌げる分を地面に置くと、村人の一人を呼び寄せた。
「火の番は2~3人に任せて、後は順次燃えるものを補給してやってくれ」
そう伝えて、中央に戻る。
「東の方、無理に殺そうと思うな。要は村に入れなきゃいいんだ。面倒なら蹴飛ばすなり掬い投げるなりして、群れの流れの中に放り込め」
伝令役にそう言いつけると、壺を持って再び壁の音を聞く。
……雑音が酷いがわずかに何かが削れる音がする。
「壁が削られ始めた。土袋を集めておいてくれ」
場所を変えて聞いて回ると、3か所ほどで壁が削られ始めている音がした。
地面に印をつけて中央に戻ると、村人たちに指示を出す。
「壁が削られ始めた。地面に印のある所に燃えるものを集めて、火をつけて壁の向こうに投げ込んでくれ」
手近にいる村人にそういうと、俺も燃えるものに火をつけて壁の向こうに投げ込む。
これで少しはもってくれるといいんだが。
時間的に朝の鐘からしばらく過ぎたあたりか、壁と炎はまだもっているが、壁を超える個体が出始めた。
まだ数匹レベルで、俺一人でなんとかなったが、そろそろイツキを待機させておいた方がいいかもしれん。
《イツキ》
〈なーに?そろそろ出番?〉
《もうちょっとしたらな。そろそろ準備しておいてくれ》
〈おっけー〉
イツキが俺の中からずるりと姿を現す。しつこいくらいに言い聞かせたので露出度は低めだが、ぴったりと体の線が浮き出た衣装とエルフばりの美貌に、野郎どもの目の色がちょっと変わったのは否めない。
なお、西の方は大分落ち着いたみたいだが、東の方が結構大変らしいので、村人を3人、西から東に移動させた。
それと合わせて村の子供たちにも仕事を言いつけた。
本当は子供たちは参加させたくなかったのだが、はっきり言って手が足りない。
子供達には空き樽に水を汲んで、東、西、中央のところに持っていくように命じた。
これは消火用の水ではなく、朝からずっと働き詰めの大人衆の飲み水だ。
俺もずっと動き回りっぱなしで喉が渇いていたからね。
本当なら交代で休ませたかったし炊き出しもしたかったのだが、子供まで駆り出してる現状では無理というもの。
集団暴走といっても2日も3日もかかるもんじゃない。今日1日くらいは我慢してもらおう。
子供達には水を運び終えたら、袋をもって砂を集めるように命じた。
集めた砂は、殺した鱗イタチとその周辺に散らばった血糊に撒くように指示する。
土の上とはいえ、鱗イタチの死骸が増えると血糊で滑るからな。
死骸?片づけたいけど暇がねーよ。
そうこうしているうちにも、ぽつりぽつりと鱗イタチが壁を越えてやってくる。
壁の向こうで圧死したり衝突死した鱗イタチの死骸が足場になっているようだ。
なんとかしたいが、壁の向こうに行くのは自殺行為だしな……。
そうこうしているうちに、壁を越えてくる鱗イタチの数が増えてきた。
そろそろイツキに魔法を使ってもらうか。
「イツキ、出番だ。威力はそれほどなくていい。範囲を広げて、やってくれ。壁の向こうには手を出すなよ?」
「壁の向こうはだめなの?」
「壁に沿って死骸が積みあがると、それが足場になって侵入されやすくなる。壁を越えてきたやつだけ倒してくれ」
「おっけ」
そういってイツキが木の葉の刃の魔法を発動させる。広い範囲で木の葉が舞い踊り、範囲内にいる鱗イタチを切り刻む。
魔法の効果が終わると、発動した場所に空白地帯が生まれるが、それもじきに新手の鱗イタチによって埋められてしまう。
参ったな、思っていたより効果が薄い。
これは早々にイツキも魔法を打ち尽くすぞ。
「ごめん、もう無理」
十数回目の魔法を使い終わった後で、イツキが力なくつぶやいた。
消費を押さえながらここぞというときに使ってもらってた魔法だが、集団暴走の前では焼け石に水という雰囲気だった。
それでもいくらかは持ちこたえられた。
「ご苦労さん。あとは俺たちが何とかするからゆっくり休め」
「街に戻ったら蜂蜜酒をおごってよね」
「わかった」
俺が頷くと、イツキは俺の中に戻っていった。
さて、こっから先は体力勝負だ。
この頃になると壁の数か所に小さい穴が開き、壁の上だけでなくそこからも鱗イタチが侵入してきていた。
開けられた穴を土袋で塞ぎ、足元を走り回る鱗イタチを退治して回る。
穴を土袋で塞いでも安心はできない。鱗イタチは麻袋を簡単に食い破り、詰めた土を掘り分けて進んでくるのだ。
「土袋が少なくなってきている!西側からもっと持ってきてくれ!」
「はい!!」
「村長!追加の麻袋は?」
「あと20枚でおわりです」
「仕方ない、全部使おう。その後はシャベル持って穴の付近に待機だ」
壁を直す魔力は残っていない。
足元には何十匹もの鱗イタチの死骸が散らばり、積み重なっている。
朝から動き回りっぱなしの村人たちの動きにも、疲れが見え始めている。
鱗イタチの暴走はまだ終わりそうもない。
助けを求めに出た村人は、無事にディーセンにたどり着けたのか。
援軍は出してもらえるのか。
援軍の到着はいつ頃になるのか。
微かでもいい。明るい材料が欲しい。
気力を奮い立たせる明るい材料があれば、まだ頑張れる。
そろりと脳裏に忍び寄る暗い不安を、頭を振って無理やり追い払う。
弱気は人から力を奪う。判断力も鈍らせる。
胸を張れ、前を見ろ。空元気を絞り出せ。
今は俺がここのリーダーだ。リーダーは、いかなる時も泰然としているものだ。
自分にそう言い聞かせ、足を踏みしめて壁を見据える。
救援の知らせは、まだ来ない。




